渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

工作野営=ブッシュクラフト

2023年06月08日 | open



地面付き住宅に住んでいるなら、
庭先でも工作野営の楽しみが味
わえる。


だが、本格的な工作野営=
ブッシュクラフトとなると、
やはり本当の野外フィールド
でないと得られないものがあ
る。
ただ、庭先ブッシュクラフト
でも、道具のテストなどは十
分にできる。

(山間部野営による焚火)




私が信頼を置く野外活動ナイフ。


軽装備としてはモーラが便利だ。


私は、ガスバーナー等を使って
火を熾し、豪華なブランドキャ
ンプ用品を並べて機器で音楽を
かけたりして過ごす道具自慢の
ようなバーベキューやその系統
の「キャンプ」やグランピング
のようなものは、好きではない。
それは、喫茶店の屋外オープン
テラスと変わらないと感じるから
だ。
キャンプにしても、私の中では
ザックを背負い、山を登り、沢
を渡り、薪を割ってテントを設
営し、そして水を確保して火を
熾すのが私の中での「キャンプ」
という概念がある。
子どもの頃から父に連れられて
行ったキャンプとはそのような
ものであった。

1972年小6の8月。埼玉県の武甲
山という山に初めて行った時。
東京文京区生まれ育ちのイトコ
兄と幼馴染と私。
赤いシャツが私だ。青い帽子の
1学年上のイトコの兄キは4年前
の5月に病気で亡くなった。
スズキサンパチと500Eをこよ
なく愛していた。限定解除だが
サンパチ好き。
GTサンパチは仮面ライダー1号
本郷猛が普段乗っていた(笑)。
みんなよく日焼けしている。

渓流の岩からここがライムスト
ーンリバーであることが判る。
棲息魚の摂餌に特性がある。
当時はフライマンではなかった
ので、それは知らなかった。

鉄道の駅を降りてからは、ひた
すら徒歩だ。虫捕まえるの図。

小さな頃からザックを背負って
来た私と、あまり野外活動の
経験がない子のザックの背負
い方の違いがよく判る。
私の場合は、重たい物を上に
隙間なく納めて、背中とザック
を密着させている。だらんと下
側にはショルダーストラップを
垂らさない。
キャンパーのザックの背負い
方は、歩兵の行軍背のうの背負
い方と共通している。
この写真の年、まだベトナム
戦争は真っ只中だった。

この時、初めて国鉄の熊谷駅
という駅に行った。
遠かった。埼玉県のそんな奥
まで足を進めたのは生まれて
初めてだった。
そこから少し歩いて秩父鉄道
の熊谷駅から武甲山方面に秩
父鉄道に乗って向かった。
イトコは中1にしては幼く見
える。
私はこの1年後の中1の時には
身長は170を超え、中2で173
超となり背の伸びが止まった。
そして、ヤン坊のロッカーズ
になっていた(笑)。


物心ついた時から、シーズン
にはキャンプに行っていた。
主として父や父が不在の時に
は父の同僚たちに連れて行っ
てもらった。完璧な野営だ。
今でいうブッシュクラフトを
やっていた。
現在は本格登山にガスバーナー
は欠かせないが、軽登山での
野営はもろに誰もがブッシュ
クラフトだった。
ただし、テントは持参する。
コットンの重たい黄色の家型
テントだった。
最近、三角テントは再人気の
ようだ。

武甲山は埼玉県でも親しみや
すい1,300m級の山だ。


里に下りても武甲山の見える
景色は良い。
ちょっと日本ぽくない風景が
私は好きだった。
ちょうど1972年は、うちの小
学校では西部劇とコルトピース
メーカー大流行だったので、
どんぴしゃ(笑)


私にとってのキャンプとは工作
野営=ブッシュクラフトそのも
のだった。
その概念は今でも変わらない。
家族で車に機材を積んで出かけ
て、テーブルを並べてキャンプ
道具を広げて、というのは今で
も違和感がある。キャンプとは
思えないのだ。
まして、グランピングというもの
に至っては、私個人は全否定だ。
なぜキャンプにラグジュアリー
感を求めるのか意味不明。
人はそれぞれだが、私は野外で
の金任せの上げ膳据え膳の屋外
ホテルに泊まる気は無い。


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