前世紀、フライフィッシングで
ロッドを振る時、いつも頭の中
にスコットランドのこの曲が流
れていた。

いつしか、流れのほとりで休む時、
ポケットからハーモニカを取り出
して「アニー・ローリー」を吹い
た。ホーナーのブルース・ハープだ。
単音のピープー音ではなく、ふく
よかな複音で。まるで、サックス
のような音圧で。
すると、それを見た年上の友人が
言った。
「まるで渓流詩人みたいだな」
それから、私のハンドルは渓流に
なったが、渓流詩人はハンドルネ
ームではない。
まだ渓流詩人にはなれていないか
らだ。
そして、渓流詩人というのは固有
名ではない。
なので、厳密には私の事を渓流
詩人と呼ぶのは全く正しくはな
い。「渓流詩人氏」などは日本語
にさえなっていない。渓流と呼ぶ
のは合っているが。
ガンマに乗ってガンモばかり食べ
てるからガンモさんになったよう
なもので。
そもそも、自分の事を詩人と呼ぶ
のは、名前の前の肩書きなどの時
であって、ネームでそういうのは
根本からおかしい。自分の名を
吟遊詩人と言う者はいないだろう。
そして、渓流はkeluと書き、死ん
だ犬の名Lukeのアナグラムだ。
ルカの福音書のLukeである。
アニー・ローリーは讃美歌にも
なっている。
学生時代、首都圏の学生の合唱
コンクールを上野の劇場に聴き
に言った。
主として六大学。野球ではないが。
立教の人たちのアニー・ローリー
に果てしなく感動した。
多くの名曲をスコットランドは
生み出している。
これはなぜだろう。
フライフィッシングも、発祥地は
スコットランドだ。

そして、私は今でも、渓流詩人には
なれていない。
なれていない。
