ただ半分に折り込んで閉じるだけ。
1970年代。ショッポ吸いはみんな
やってた。
1970年代。ショッポ吸いはみんな
やってた。
喫茶店での手慰みに。
やり方などは教わらない。
半分の厚みにした箱があると知って、
あとは自分でやるだけ。
マニュアル頭ではない自分の力で
物事を考えた時代の人間は、自分
だけの力でできた。
出来上がった折り紙を見て、作り
方を思考するようなもん。
作るのは簡単だ。
これ、ロープの結び方と同じだ。
図解などでいくら覚えようとして
も無理がある。
実際にいろいろやってみるのだ。
自分で。
そして、ロープならば、締まりと
緩みの力の加わる理屈を知る。
このショッポの5本箱にしても、
両サイドの蓋を閉じないとビッ
と半分の箱にはならない。
扇子のようにビローンと広がる。
いろいろ考えながらやれば、5分
で回答は導き出せる。
やらずに、最初からやり方を頭に
詰め込む式だと、この手の事は
できるようにはならない。
地面にペグ1本打つのでもそう。
オートバイのアクセレーション
にしてもブレーキングでの任意
のテンション掛けでもそう。
何事も、考えながらやらないで
端からテキスト式で覚えようと
するのは地力の実力はつかない。
音楽もそう。
まず耳で完璧にまでコピーする
事。和音までも射抜くように聴き
取る事。ギターでもタブ譜などに
頼ってはダメだ。無から実体を
見抜く。僅かな情報を人間力で
解析して。
それは、「何がどうなっているの
か」を頭で識別して絞り込みをし
て再現を実行していく事を意味す
る。
これ、現代ではすっかり忘れ去ら
れたり軽んじられている方法なの
だが、本当はこの事自体がノウハウ
なんだよね。やり方とか作り方その
ものではなく、こうしたアプローチ
方法、思考方法、着眼そのものが。
実はマニュアル任せ、機械任せでは
ないこうした事はとても大切な事な
んだよ、人と人間社会にとっては。
昭和時代の人間は全員そうやって
いた。
だから、日本があれだけの敗戦焦土
からこれほどまでに豊かな国になっ
た。
最初から今みたいな何でも上げ膳
据え膳のような世界があったわけ
じゃない。
たった空箱ひとつ作るのでも、そう
した大切な事が秘められている。
薪は自分で割らないと燃えやしな
い。