「東京観光」というのをやって
みたい(笑
日本国内の路線バスの低床化
の嚆矢であるはとバスの低床
化は私の父が開発した。
そもそも、国内初の戦後キャブ
オーバーは父が開発した。
アメリカのスクールバスの構造
に着目しての着想だったという。
それまではボンネットバス、ト
ラックしかなかった。
父がいた会社の創立者は日本で
初めて戦前に純国産自動車を設
計開発した人だった。
大正時代に官費留学でフランス
に渡航して自動車工学を学び、
その足で米国に渡航して最新
自動車工学を学んで帰国、日本
の自動車工業界の牽引者となっ
た。
私が1980年代に最高裁図書館
で仕事で調べ物をしている時、
書架に「紳士録」という分厚い
書籍があった。昭和8年刊。
それにその人の事が詳細に記載
されていた。「本邦自動車工学
の雄」と。
日本初の純国産車はヤナセ号と
名付けられ、試作車はすべて
宮様に納品された。