
ネットのウェブサイトで気になる
記事を見た。
何でも、「ノーマル」シャフト
ブームが来たのでハイテクシャ
フトを外して「ノーマル」シャ
フトを探しているが、なかなか
良いのが無い、との事だ。
よせよ。
どうせ、流行り廃りでハイテク
に飛びついたように、みんなが
流行で使うから使ってみたいと
いうだけで、またすぐにポイす
るのだから。
良材がますます枯渇するから、
よしとくれ。
本当にソリッド無垢材の良さを
理解していてそれを求めている
プレーヤーや製作者に材が行か
なくなるから。
そういえば、その傾向は流れとし
てあるようで、ハイテク一辺倒だ
ったメーカー製品群だったのが、
数年前からセミハイテク、準ハイ
テクなる物が新商品として登場し
ている。ソリッドをベースにした
物だ。
だが、この路線の策定構造は見え
ている。
それは、ソリッド・「ノーマル」
の質性の良さを見直してではなく、
ハイテクシャフトが飽和状態に
なったので、例によって「次なる
商品は従来の物を超え」という
売り商戦用に狙われた路線だ。
そして、私が見たブログのように
流行に乗りたがる人たちをターゲ
ットに仕組まれた販売戦略だ。
ほんとにブームに乗るだけで、ど
んなに良質な物でも、すぐにポイ
する。
そういう人たちが商人にとっては
よい「お客さん」なのだ。
10年ちょい前あたりが一番ひどい
事が蔓延していた頃だった。
それはハイテクシャフトが超絶
大流行なので、アメリカン・カス
タムキューの良質シャフト材を
捨ててハイテクシャフトをカス
タムキューに着ける人間がわん
さか湧いた事だ。
ハイテクシャフトに新規コピー
リングを製作装着してもらう
口などはまだよい。
一番ひどいのは、オリジナルの
カスタムキューのシャフトから
リングを除去してハイテク物
に移植し、オリジナルの良質な
ソリッドを本当に廃棄してしまう
例。信じがたいが、これかなり
見られた。
理由は「ハイテク最高」であり
「持ち主の自由だろう」なのだ
そうだ。
さて、そうなのか。
カスタム・ビルダーがシャフト
1本作るのにどれだけテーパー
データ蓄積と良材を寝かせて
来たと思っているのか。
とても良い仕事をしている老舗
江戸前握り鮨の職人の店に行き、
「俺はケチャップが好きだ」
「僕は新発売のドレッシングが
好きだ」と言ってツケ場から出
された握りにそれらをぶっかけ
たとしたら?
普通は店を叩き出される。
江戸前鮨職人の仕事はネタに
仕込みの仕事、技術の粋が込
められている。お好みでムラ
サキをサッと着けるのは店も
どうぞと言うが、ケチャップや
ドレッシングはどうか。
アメリカン・カスタムキューの
オリジナル・ソリッド・シャフト
を捨てて工場生産のハイテクシャ
フトを装着するという事はそう
いう事なのだ。
そして、そうした人間たちは、
今はハイテクシャフトさえも
捨てて黒いカーボンシャフト
を着けている。
そういうスタンス、考え方なら
ば、バットなど、ハウスキュー
のバットでよいのではなかろうか。
職人が作る渾身のカスタムキュー
ではなくて。
「自由」をはき違えている。
何をやってもよいと思っている。
そして、それは「道を外している」
のだ。人としての道を。
製造された作品を愛してはいない。
犬や猫は飼い犬飼い猫だからと
虐待してはならない。それは法
律がどうのではなく、生き物だ
からだ。
では物は?
精魂込められた職人が作った作品
は入手した自分の物だから、二分
割の片方を捨ててもいいと?
何しようが「自由だ」と?
何を考えてるのか、と思う。
心得違い甚だしい。カスタム作
が泣いている。作者の努力も
10年ちょい前あたりが一番ひどい
事が蔓延していた頃だった。
それはハイテクシャフトが超絶
大流行なので、アメリカン・カス
タムキューの良質シャフト材を
捨ててハイテクシャフトをカス
タムキューに着ける人間がわん
さか湧いた事だ。
ハイテクシャフトに新規コピー
リングを製作装着してもらう
口などはまだよい。
一番ひどいのは、オリジナルの
カスタムキューのシャフトから
リングを除去してハイテク物
に移植し、オリジナルの良質な
ソリッドを本当に廃棄してしまう
例。信じがたいが、これかなり
見られた。
理由は「ハイテク最高」であり
「持ち主の自由だろう」なのだ
そうだ。
さて、そうなのか。
カスタム・ビルダーがシャフト
1本作るのにどれだけテーパー
データ蓄積と良材を寝かせて
来たと思っているのか。
とても良い仕事をしている老舗
江戸前握り鮨の職人の店に行き、
「俺はケチャップが好きだ」
「僕は新発売のドレッシングが
好きだ」と言ってツケ場から出
された握りにそれらをぶっかけ
たとしたら?
普通は店を叩き出される。
江戸前鮨職人の仕事はネタに
仕込みの仕事、技術の粋が込
められている。お好みでムラ
サキをサッと着けるのは店も
どうぞと言うが、ケチャップや
ドレッシングはどうか。
アメリカン・カスタムキューの
オリジナル・ソリッド・シャフト
を捨てて工場生産のハイテクシャ
フトを装着するという事はそう
いう事なのだ。
そして、そうした人間たちは、
今はハイテクシャフトさえも
捨てて黒いカーボンシャフト
を着けている。
そういうスタンス、考え方なら
ば、バットなど、ハウスキュー
のバットでよいのではなかろうか。
職人が作る渾身のカスタムキュー
ではなくて。
「自由」をはき違えている。
何をやってもよいと思っている。
そして、それは「道を外している」
のだ。人としての道を。
製造された作品を愛してはいない。
犬や猫は飼い犬飼い猫だからと
虐待してはならない。それは法
律がどうのではなく、生き物だ
からだ。
では物は?
精魂込められた職人が作った作品
は入手した自分の物だから、二分
割の片方を捨ててもいいと?
何しようが「自由だ」と?
何を考えてるのか、と思う。
心得違い甚だしい。カスタム作
が泣いている。作者の努力も
踏みにじられている。
ソリッドシャフトをこれから使う
のはやめときなよ。
のはやめときなよ。
次から次に新製品が出る樹脂製の
黒いシャフトにしときなよ。
どうせ、愛用して長年使い込むの
ではなく、すぐに新商品に乗り換
えてポイするのだから。
次にから次に出る新商品にしとき
なって。ただでさえ貴重な無垢材
など、流行りに乗って使わずに。