渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

50年包丁

2020年11月06日 | open



うちにある包丁は100年以上前の物も
あり、リペアをして現在も現役だ。
うちには包丁が数十本程ある。

この包丁は私が小学生の家庭科調理実習
で使うために初めて親から与えられた
「自分の包丁」だ。
文化包丁(死語)というタイプ(笑)。
1970年製。その年に買って貰った。
和式包丁の鋼の包丁が主流であった時代
に、刃物の硬度を持ったステンレス製の
包丁として未来的なポジションにあった
包丁である。未来的万能三徳包丁なので
「文化包丁」と命名されたのだろう。
ほんの少し前の東京オリンピックの頃は、
住宅公団の鉄筋団地が文化住宅と呼ばれ
た。また人々には「白亜の御殿」と呼ば
れて、「洋間リビングキッチン」、「ベラ
ダ」、「洋式水洗トイレ」、「ダスト
シュート」という近未来の西洋住宅のよう
な庶民の憧れの住居だった。
日本国内は昭和30年代は、都内でもごく
一部を除きトイレは水洗ではないし、家
に洋間リビングや専用キッチンがあるのは
大金持ちの邸宅だけだったのである。
首都東京でさえそれなのだから、地方の
農村部などは江戸時代と本当に全く変わ
らない様式の住宅と生活ぶりだった。
戦後日本の公団住宅は、庶民の憧れの最
端の文化的な暮らしの象徴であったの
が歴史的事実だ。

ただし、所得制限と職業制限があり、会社
勤めで規定額以上の年収がないと公団住宅
抽選の応募資格が無かった。
抽選は熾烈を極め、公団住宅には宝くじ
程に当たらなかった。
しかし、当選して公団住宅に入居できた
家庭は、同程度の生活水準の家庭が集住
するので、生活レベルも同じで、それが
のちのち日本の「中産階級」を形成して
いった。勤労労働者であるので、無産階級
のプロレタリアートであるのだが、プチ
ブルジョア意識を有した中産階級として、
それは国内で大量に都市部とベッドタウン
で形成されてきたのである。
これは日本の高度経済成長期の一つの
現象であった。
まだ環境庁さえ存在せず、企業は公害たれ
流しで、多くの国民が死亡したり、重大な
疾病に罹患したりした時代だった。
また、企業と癒着した国の製薬認可も実に
杜撰で、多くの食品や製薬により、障害児
や身体機能を損なう疾病を国民が強いられ
た時代であった。
戦後、日本国は焼け野原の敗戦からマジッ
クのように復活再興し、米国に次ぐ世界第
2位の国民総生産の国となった。
地球上で世界第2位の経済大国になったの
であるが、それは決して綺麗事ではない、
国家と企業が頬被りで国民が災禍に曝され
る汚れた政治の歴史としてあったのであ
る。
戦前も戦後も、日本の国民はずっと国家
に騙され続けて来た。

しかし、その方式のみは21世紀の今世紀に
入っても続けられていた。
それゆえ、フクシマの今がある。
国と企業は責任を取るどころか、この先
も自国民を危険に曝して、安全だとだま
くらかして国民をまだ欺こうとしている。

包丁50年。
50年前の1970年に私はこの時代的象徴で
ある「文化包丁」を手にした。
なぜ?
それは、学校での調理に使うために。
それは、キャンプで料理を作るために。
食は人の笑顔を運ぶ。
人が人であるために、食が生む幸せを人
が掴むことは、とても大切だ。
そして、食は、人の愛なくば成立しない。
りんごを食べてしまった私たち人間は、
りんごを縦割りに切るように生きるので
はなく、トマトを横にスライスすると
輪っかが繋がるように、そうして人と人
が共に生きていくことの大切さを思い出す
べきだろう。



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