
この江戸時代の江戸の街中の遊び場の
矢場なんですけどね。「ヤバい」の語
源の。
元々はお宮さんの縁日などでの遊侠が
いつの間にやら専門屋内での遊びにな
ったらしい。
まあ、今でもある縁日のコルク銃射的
が室内遊びになったようなもんで。
ビリヤードみたいに。
ところが、実際には、矢場では事実
上は売春が行なわれていた。矢場と
お茶屋さんの娘(今までいうカフェ
メイド)は売春もしていた。

事実上、完全にじょうろう屋な訳。

実際、明治以降も、ビリヤード場で
の点数を数えるカウントさんという
女の子のメイドさんは、昭和戦後ま
で事実上撞球場の別室で売春もして
いた。和服に白い前掛けやメイド服
を来た女給さんたちが掛け持ちで。
まあ、ビリヤード場は完全に管理売
春の館だった訳。
それが消滅するのは、ビリヤード場
が風俗営業ではなく、スポーツ娯楽
施設扱いとなる法改正があってから
だ。
なので古い日本人などは、ビリヤー
ド場をソープランド(旧名トルコ。
さらに旧名は女郎-じょうろう-屋)と
同じ「悪所」とみなして、撞球場に
通う撞球師の事を「博打打ちの女郎
買い」のようにして嫌っていた。
これは平成時代に入ってからも。
「ビリヤード場に行く人などとうち
の娘はつきあわせません」と私も言
われた事あったもの(笑
撞球は皇室も明治以降ずっと嗜む紳
士のスポーツである、という事を説
いてようなく事なきを得たが、歴史
的には玉屋は矢場の流れと同じで、
明治以降の街の撞球場などは博打の
鉄火場であり、売春館だった事は紛
れもない事実だ。
まあ、文士や撞球師の手合いのヤク
ザなもんには娘はつきあわせたくは
ないという御令嬢の古い親御さんの
気持ちも分からなくもないけどさ。
モノカキや玉撞き師などは今も昔も
ろくでなしだから。
それに加えて二輪乗りなんてなぁ、
あーた。ろくでなしの筆頭株よ。昔
の人にしてみれば。
まあ、JAZZメンほどには魂を売り
渡したヤクザな稼業ではないとは思
うが、どれもどっこい大作だ。
江戸時代には、矢場と茶屋が簡易な
売春場所として機能していた。


ただ、絵図では、時代劇によく出て
くるような、的中すると「あたぁ〜
りー」と矢場女が声を出して、太鼓
をデンデンと叩く様子は描かれてい
ない。
江戸の市内は鳴り物禁止なので、
「あたーりーデンデン!」はやって
いなかったのではなかろうか。
知らんけど。