渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

1/35シリーズ

2022年09月09日 | open



小学生の頃、タミヤなどの1/35
シリーズを作るのが流行った。
プラモ少年は飛行機派と陸上物
派に分かれていた。船舶系はか
なり年上の人にファンが多かった。
一番多かったのは戦車ファンだ。
私もかなりの戦車を作った。

そうした中、理由は分からないが、
8トンハーフトラックがとても人気
があった。私も作った。


なぜ人気なのか不明。


少年たちはもっと幼い頃、ミニカー
以前の車の玩具などでもスポーツ
カーは好まない。
これまた不思議な現象で、消防車
やクレーン車やミキサー車等、働
く車が日本の幼児は大好きなのだ。
これは世代世相は関係ないみたい。
今でも2歳児3歳児に車を選ばせる
と働く車に皆が興味を示す。
それと最新リニアではなく機関車
ような車両とかに。

8トンハーフトラックは私の周囲で
は製作する小学生はかなり多かった。


戦争兵器の不思議これあり。
戦争物では、なぜかしらナチス
ドイツの戦車や戦闘機や船舶が
非常に日本では人気がある。
一番人気無いのが日本軍の兵器
だった。戦闘機を除いて。
私は戦闘機はスピットファイア
が一番好きだったが、他はやは
り概ねドイツ軍物だった。

8トンハーフトラックと並んで
人気あったのがロンメルだった。
これも理由は不明。
タイガーなどよりも人気あり。




私が戦車で一番好みだったのは
これ。


性能とか戦闘能力とかでかつて
のガキどもは好みを決めない。
ビジュアルをも超える何とも説
明のつかない感性で選んでいた。
おれツェエエーから俺が好きな
俺、というキモいドタワケはい
なかった。強いから好き、とい
う思考回路はダサいとされてい
た。尤も、中2病者は本当に強く
はないのだが。オツムが病弱だ。
そうした回路は激動の1960年代
には存在しない。存在できない。
小っ恥ずかしくて。
それは個性が力には左右されない
独立したアイデンティティとして
成立していた時代を表していた。
その独立した個性が、たまたま
大集合したようなものが60年代、
70年代初期の世相でもあり、子
どもたちもそれに準じた思考回路
が実相だったのである。
社会史的には1960年代はそれ。

このコンパクトなこれに私は
かなり惹かれた。


それと、ジオラマはかなり作った。
ジオラマとはこういうやつ。


最近のジオラマは、全国的にも
巧者揃いで本当に驚く。








1980年代のある時期。
学生運動1/35シリーズというの
を友人と二人で作った。
タミヤ1/35シリーズの人形を改造
して超ウルトラ精巧に製作した。
人体だけだなくジオラマも。
そして、「10.8羽田」「エンプラ」
「10.21新宿」「神田カルチェ
ラタン」「東大安田砦の攻防」等
を作った。
四トロ登場の管制塔占拠までも。

それ見た先輩からかなり批判され
た。
「趣味的である」と。
趣味なんだからいーじゃんねぇ(笑
現実のウンドとかとは関係ない
とこで製作してるんだから。
これだからゴリゴリのゴリ活は
嫌いだよ(笑

だが、某大学の先輩たちには大
受けだった。
なぜ受けたか知っている。
単に馬鹿げたお笑い趣味として
の面だけではない。
被服や形態まで、各セクトの実態
を正確に復元表現していたからだ。
造形として。
角材はマッチ棒を削って作った。
中核は中核らしく、社学同はブン
トらしく。着ている物まですべて
忠実に再現だ。
これは、「観察をきちんとし、
勢と状況含めて識別がちゃんと
できていないと再現できない」と
いう事を如実に表す。
某大学の先輩たちは、そこを評価
したのであろうと察した。
それは、ジオラマや人物像を見て
いろいろ呟く言辞から感じ取れた。
結構、迫力ありましたよ。
丸太抱えて防衛庁突撃とか(笑

作品を見た後輩の一人にモデラー
がいた。
そいつがある時作って来た。
ジオラマで。
そこには一つの物語があった。
私たちのように集団戦の造形で
はなく、たった一人の日大の銀
ヘルを被った学生が、瓦礫の市
地の中で割った敷石を片手に
下を向いて佇んでいる。
ラベル表示まで設えられていた。
その文言はこうだった。
「敷石を 剥がせばそこは
解放区」

作品の精巧さも、プロットも
我々は負けた。
私たち二人の作った物は、どん
なに正確で精巧だろうと、それ
はただの写し物だったのだ。
作品に登場人物の人としての感
情を浮き上がらせる物語を造形
創造物に吹き込まないと、その
製作物は死んでいるのだ。
モデラーの実力を見た。

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