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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

個人ビルダーのキュー 〜カスタムキュー〜

2022年03月27日 | open



個人ビルダーの製作したキューを
「カスタムキュー」と呼ぶ。
カスタムとは、オーダーメイド、
誂え品、特別仕様の事を指すが、
注文製作ではなく、出来上がった
作品を買う場合もそれはカスタム
キューと呼ばれている。
つまり、ビリヤードの世界では、
日本刀とは異なり、注文打ちのみ
が本来の言葉の意味を持つのでは
なく、個人作者のキューはすべて
カスタムキューというカテゴリー
分けをしている習慣がある。

1970年代から1990年代にかけて
多くの日本人の上級者が好んだ
アメリカン・カスタムキューの
作者に日系人のTADの作がある。
本名コハラタダチさん。原爆投下
の時は廿日市市にいた。その後、
アメリカに戻り、さまざまな職に
就いたのち、カリフォルニア
TADファミリー・ビリヤードと
いうビリヤード・パーラーを経営
する。
客からの要請でハウスキューを改
造したり、修理をするうちにだん
だんそちらの依頼が増えて来た。
当時のカスタムキューはバラブシ
ュカ等が有名だが、高価過ぎて庶人
は持てなかったとTADさんは言う。
そして、バラブシュカのような2本
繋ぎで高性能のキューが欲しいと
多くの人からコハラさんは何度も
要請された。
ギャンブラーを含めた実に多くの
人たちと朝のレストランで食事し
ながら、彼らが望むキューの性質
についてコハラさんは聴いた。
そして、ビリヤード場を閉じて、
フルタイムのキュービルダーと
なった。かつて家具職人として腕
覚えがあった事も背中を押した
のだろう。
やがて、TADキューは日本では
「いつかはTAD」という憧れ
カスタムキューとなって行った。



私はこれまでTADキューは8本程
しか実際に撞いた事がない。
なのでTADについて詳細を語る事
はできない。
だが、感じた事はある。
どれも個体差があったのだが、あ
る種の共通項を感知した。
一番「うわ、なにこれ?」と感じ
たのは亡くなった同学年のプロの
愛用していたTADで、次が大阪の
道頓堀で撞かせてもらった上級者
のTADだった。
TADの一番TADらしさが明確に出
ていた。
それは切れ味鋭くキューがよく利く
のでメウチのような柔らか系かと
思いきやそうではなく、かなり芯
の通ったスティフさを持ってい
のである。
それは単に硬いのとは大きく違う。
振動収束性が高いというか、減衰性
高いというか、キューはよく動く
のに振動がシュンとキューの中心
に集まって尻にスッと抜けるよう
な動きを見せるのだ。
それがTADコハラさんのキューの
代表的な特徴だった。

この不思議さは何だろうとずっと
考えていた。数十年も。
他のキューとの構造的な差異に
注目して研究したが、どれもが
憶測の域を出ない。
似たような方向性を持つキュー
作者にジェリー・フランクリンが
いて、彼の作るキューは数本撞い
てみたが、動きは似ていても打感
が決定的に異なる。サウスのほう
はカランとしている。TADはキン
だ。そしてビョーンと玉が走る。
逆に殺し玉も容易だ。自在に手玉
を扱える。
TADと真逆の特性と感じたのが
リチャード・ブラックで、私の
ブシュカなどは下手撞くとドそっ
ぽに手玉が走った。TADのように
自己意志の制御下に置く操作は私
には困難だった。
TADの場合は、どのTADも個体
差はあれど、共通しているのは
撞くと笑いが込み上げて来ると
いうものがある。玉を外しても
フフフとなる。
それは、独特の打感がもたらす
持ち味であり、TADキューはネガ
ティブな精神の発露に魂を向かわ
せない不思議な力を持っている。
勿論、ある種の打感を好む撞き人
限定の作用だろうが。

いつからか、私はいつか自分で作る
キューはTADのようなその不思議な
領域を獲得したいと願うようになっ
ていた。
最初の頃は自分があれこれと構想し
て国内ビルダーさんたちに部分的な
製作を依頼してキュー作りを始めた
が、出来栄えには満足できても、な
かなかこれだ、という味が出なかっ
た。スティフ過ぎたりベナベナ過ぎ
たり。キンキン過ぎたりボヨヨン
だったり。
パーツや構造をいろいろ考えたが、
どうにもピシャリと来ない。
物は良くても、これこれ!という
のではない。


そして、次第にキューの長い歴史
振り返り、キューというものの
原点を見つめ直すようになった。
気の遠くなるような時間をかけて
削りながら寝かせていた秘蔵ブラ
ンクを使う日が来た。


自分で作った。ルーク・キューとし
ては7本目だが、これは完璧にオリ
ジナルだ。旋盤はうちの旋盤と貸し
てくれる製作専用旋盤を使った。


現在、完成から丸5年以上使って
いる。
何だ?これ?という位に滅多矢鱈
と調子が良い。
この玉突棒の事をべら棒と言うの
か、そうだったのか、という程に。


プロではない、自分の為だけに作る
一点物だからどうにか何本目かに
かろうじてどうにかそれ風の形に
なったのだと思う。
これが、人様に供給するプロの職人
さんだとしたら、高度な特定領域の
質をキープし続けなければならな
いので、かなり厳しい世界だと思う。
職業というものは「趣味人の手慰み」
とは根本的に対立するからだ。
私などはこのルーク・セブンで精魂
尽きた感がある。


どんなキューであれ、その製作を
本職としている人たちが作る物は
モノヅクリの体現者たちの作品で
あるので、並大抵の事で出来る物
ではない。
キーをポンポン、マウスクリック
だけでどうにかなる世界ではない。
ネット時代の安直妄想とは現実
世界のモノヅクリは根底から異
なる。

物を作る。
厳しい世界だなぁと感じる。



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