新宿区旧角筈界隈。
赤線は北通り(方南通り)。
右手には新宿を流れる神田川。
新宿区早稲田地区も神田川の
流れる町だ。名曲『神田川』
は早稲田界隈の実話物語。
作詞家の喜多條忠さんが早
大の学生の頃の悲恋を綴っ
た歌詞である。
内藤新宿千駄木あたりは熊野
十二社(じゅうにそう)熊野
神社が江戸期には新宿エリア
の総鎮守だった。
江戸切絵図。住する全ての武
士の名前が記されている。武
家地以外は地目や地名等が記
される。
切絵図は江戸時代の住宅地図
だ。
武家の家には表札は一切取り
付けなかったので、商人たち
はこの住宅地図である切絵図
で場所を確認して野菜や魚を
届けた。
武家が買い物で店舗に行く事
はまず殆どない。刀屋だろう
が呉服屋だろうが家に商人を
呼んだ。
商人は時々アポなしで武家の
裏口・勝手口に、入用な物は
ないかお伺いを立てに出向い
た。
それがいわゆる「御用聞き」
だ。
大きなお屋敷には必ずそれ。
御贔屓になると商人も収益に
繋がったので、戸別訪問営業
はとても大切だった。
赤丸部分が十二社。
江戸の景勝地だった。
大きな神社仏閣の周辺には
なぜか江戸期から花街がある。
それは、昭和時代まで続いた。
江戸だけでなく埼玉の大宮の
氷川神社周辺もそうだ。
江戸では浅草や新橋などが
そうだった。
地方では港のそばに花街と
売春宿が軒を並べていて、
現在でもその景観は残って
いる。
昭和時代は、都内の花街は
合法売春地区の赤線と非合法
の青線地帯に分れていた。
新宿の十二社(じゅうにそう)
近辺は赤線街としても有名で、
料亭・料理屋(売春宿)や
連れ込みホテルも多かった。
今でもその風景は残っている。
売春禁止法成立以降は普通の
飲食店として今も経営してい
る店舗もある。
2023年現在。
ここは看板はあるが営業して
いる風ではない。というか建
物が撤去されて駐車場になっ
てる。軽自動車しか入れない
ような路地だが。
私が子どもの頃の新宿区角筈。
車と服から1971年頃と判る。
歩道を渡っている手前の男子
が私より少し下の学年あたり
か。
町の風景は台東区や墨田区の
下町の風景と変わらない。
新宿は西口の淀橋浄水場と専
売公社が廃止撤退してから、
そこが大開発されて新宿西口
副都心ができてから大発展し
た。
それまでは、新宿はこのよう
な街の風景だった。
だが、今でも新宿区の路地裏
に行くとこれと同じような風
景が見られる。
新宿角筈(現西新宿)の2014年。
西新宿・旧十二社界隈 2014.03.23.
2023年。
新宿区をただのビル群だけの
町、歌舞伎町などの繁華街だ
けの町とか思っていたら大間
違いだ。
大半は住宅街であり、旧角筈
や早稲田や鶴巻や馬場下町の
ように下町風情のような住宅
街もあれば、神楽坂や落合あ
たりのような高級住宅街もあ
る。
画像中央が新宿区、右上が中
野区、左が渋谷区。右下は新
宿中央公園と十二社熊野神社。
この俯瞰画像を見ると、ビル
は大通りの両脇だけで、あと
はびっしりと戸建て住宅と低
層マンションとアパートの共
同住宅だけである事がよく分
かる。
今、新宿の十二社熊野神社は
桜が満開だ。
新宿区は25~30年程前は江
戸川区と並んで都内一福祉
行政が先進的な区であり、
非常に住みやすかった。子
育てもしやすい。
区政が非常にしっかりして
いてよい区だった。
そして、西早稲田の戸建て
に住む住人たちは、殊の外
人柄が良かった。とても温
かく、人と犬に優しい。下
町っぽさも強く残すのだが、
人情味も深く、気取らぬ上
品さがあり、本当にお人柄
が良質だ。夏目漱石が住ん
でいた界隈。
東京23区特別区は、他の道
府県の市の下にある区とは
法的にも扱いが異なる。存
在自体が別物。
それぞれが独立した区議会
を持ち、独立行政を敷く。
つまり、東京23特別区は、
他の地方の「市」と同じ扱
いになる。
都内23区の区長は、他の道
府県の市長と同じ立場。た
だの地域割りの意味の「区」
ではない。
なので東京23区は東京特別
区と法的にも呼ぶようにな
っている。