
どこを見るか。
いや、観客が選手のどこかをでな
く、プレーのある瞬間には選手は
どこを見ているのか、という件。
プロボウラーの鈴木理沙選手の
目の使い方を観察すると、上と
この画像でもそうだが、ボール
リリースの瞬間も投げたあとも、
「どこも見ていない」。
厳密には、見てはいるが一点を
凝視する事はしていない。

スポーツは、他種目からも学ぶ事

スポーツは、他種目からも学ぶ事
は多い。
ビリヤードでも、撞く時に手玉の
撞点と突き出しのライン、手玉と
的玉のライン、的玉と的玉あるい
は的玉と穴とのライン等々を目で
確認する。しかし、一点を凝視し
たまま撞く事はない。
視力はあまり関係ない。裸眼視力
が0.3だろうが眼鏡無しでもぽん
ぽこ入る。
それは撞く時には「点の凝視」は
しないから。
撞点さえ見えれば玉は撞ける。
視力が2.0無い人が眼鏡やコンタク
トレンズ無しでもポンポン入れたり
当てたりするのはそのためだ。
航空機のような視力勝負というの
は撞球では無い。
ラインが見えて、撞く前に手玉の
撞点が見えれば玉撞きは成立する。
「見る場所」についてはオートバイ
での走法の時の目線、「何を見るか」
というのもボウリングやビリヤード
と同じだ。
これは剣道でも全く同じ。
全体を見る、のだ。しかも、凝視は
しない。剣ではいわゆる「遠山の
目付け」と呼ばれる。
オートバイでも、サーキットなど
では一点を凝視したりする事はし
ない。流れる景色の中で、キーポイ
ントとなる指標の確認は目視で行な
うのだが、そこを凝視したりはしな
い。全体の像として把握する。
剣では「見の眼弱く、観の眼強く」
という剣の目付けの極意がよく教え
られる。一点を凝視せず、全体を
空間把握で見るのだ。
ただし、高速度走行をさせるオー
トバイの場合は肉体的な視力は大
切で、近視の場合は視力矯正が
必要だ。一点ではなく全体を見る
としても、高速度で景色が動くか
らだ。
ボウリングやビリヤードの場合、
物体は止まっている。
裸眼視力がさほど高くなくとも
プレーはできる。
むしろ、ビリヤードの場合、前傾
姿勢と眼鏡によるレンズの屈曲が
厚みや角度に誤認をもたらすケース
もある(私の場合)。
ビリヤードで眼鏡使用のプレーヤー
が極端に少ないのは、それはあの
前傾姿勢によるものだろう。
極度の近視の人は眼鏡よりもコン
タクトのほうが撞球には適してい
るかと思える。
全体を像として見る。
これ、かなり大事かと。
多くのスポーツ種目で、選手は
それを実行していると思われる。
鈴木理沙選手、かわゆす(笑
