渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

革ジャン

2024年12月21日 | open
 

(タイプA-1)

革ジャンは大まかに分けて数
種類の
タイプがある。
詳しいことは専門家に譲ると
して、
私が知っている範囲で
簡単に説明
する。
まず、レザージャケットとし
ては、
アメリカ陸軍のフライ
トジャケット
として作られた
タイプA-1フライング
サマージ
ャケットが革ジャンの
嚆矢だ
ろう。これは1927年(昭和2
年)
に作られた夏用の航空ジャ
ケットだ。

A-1の次に後継モデルとして
作られた
のが1931年のタイプ
A-2で、これの
完成度は非常
に高い。
私も米国アヴィレッ
クス製のタイプA-2を一着
長く
愛用している。


(タイプA-2)



バイク専用の革ジャンとして
登場した
のは、アメリカのシ
ョット社が1928年
に発表した
ダブルの革ジャンだったとさ
れている。

世界初のジッパー方式の革ジ
ャンである。

これ以降、ダブルの革ジャン
がバイク
乗りのスタンダード
となって行く。


(ダブルライダース)

ダブルライダースはアメリカ
で大流行し、
やがてその波は
戦後ヨーロッパや日本
にも伝
わる。
日本においては、1950年代

ら大流行し、日活映画など

小林旭が愛用していた。

アメリカ本国では、1953年に
公開された
映画『乱暴者(あ
ばれもの)』での
マーロン・
ブランドが大人気となった。

それまでのヒーロー像とは異
なる、アウト
ローのバイカー
を演じていた。


マーロン・ブランド


前をジッパーで閉じるスタイ
ルを広めて
確立したのは1931
年のハーレーディビッド
ソン
が発売したシングルモデルか
らだ。

以降、このジップアップスタ
イルが革
ジャンのスタンダー
ドとなる。

アメリカン・バイカーズのス
タイルは
英国ロンドンの若者
たちを熱狂させた。

それはアメリカから入って来
た新音楽
ロックンロールと共
に若者の反抗の
シンボルとな
っていった。


しかし、アメリカンバイクの
ライディング
ポジションはア
ップライトであるところ、

国バイク等は前傾姿勢=フォ
ワード
ティルトのスタイルの
オートバイだった。

そのため、アメリカンタイプ
の革ジャン
だと前部のベルト
金具等でバイクのタンク
が疵
だらけになってしまう不具合
が発生
した。
それを解消するために登場し
たのが
ロンドンタイプの前部
にベルトバックルが
無いタイ
プだ。


(ロンドンジャケット、通称
ロンジャン)



ダブルは前部を二重にするこ
とによって
防護と防風を兼ね
たデザインだったが、
もっと
軽量化させてシンプルにする

スタイルが1931年にハーレー
によって
生み出された。
それがシングルライダース

のだが、1939年に同じくハー
レーから
発売されたダブルラ
イダースと共に人気
を分けた。
ショットとハーレーがバイク
用の革ジャン
黎明期の歴史を
築いたといっても過言で
はな
いだろう。


(シングルライダース)


一方、フライトジャケットか
らの転用
によるレザージャケ
ットも戦後の1950
年代から登
場し始めた。

1940年代に好評だった米空軍
のB-15
フライトジャケットの
後継モデルと
して1950年代初
頭に発表されたタイプ
MA-1は、
現在に至るまでフライトジャ

ケットの大定番となっている。
MA-1はそれまでの革ジャンが
水に対し
て耐性が低く、また
高高度において
水分氷結によ
る弊害の発生を除外する
ため
に最新のナイロン製生地を用
いる
ことで軽量化と耐候性で
飛躍的に進歩
した。21世紀の
現代においても、フラ
イトジ
ャケットといえばMA-1デザイ
という世界共通認識が定着
している。


(タイプB-15)


(タイプMA-1)


しかし、MA-1タイプのデザ
インで革製
を求める声も根強
く、やがて革製の
MA-1デザ
インが登場し始める。

ナイロン生地による本来の
MA-1の実用性
からではなく、
あくまでのデザインとして

MA-1タイプが求められた。


(MA-1タイプ革ジャン)


このMA-1タイプのポケット
フラップが
無いタイプの物は
1970年代の日本で大流行
し、
特にティーンの不良少年たち
よって愛用された。


時は前後するが、1960年代に
はシングル
ジップアップで襟
付きの革ジャンも登場
し、ロ
ックミュージシャンやバイク
乗り
たちにも愛用された。

(シングルライダース襟付き)

その代表は英国のビートルズ
だった。



そのビートルズのコピーバン
ドとして
日本に登場したのが
キャロルだった。



キャロルは、デビュー前はビ
ートルズ
風味が強かったが、
当時流行の長髪
だった矢沢永
吉はジョニー大倉の革ジャン

とリーゼントスタイルを見て
笑ったと
いう。
だが、やがてキャロルはジョ
ニー
のスタイルでバンドイメ
ージを統一して
行くことにな
る。革ジャンにリーゼント

スタイルのロッカーとして。


キャロルの革ジャンについて
は初期は
襟付きシングルのみ
だったが、やがて
様々なタイ
プを着用するように変化
して
いる。
時にはジャケ撮影でバラバラ

のタイプを着用していること
もあった。





キャロルがデビューした1972
年当時は
バイク用しか革ジャ
ンは世の中に無かったとする
ネット上の言説があるが、そ
れは誤りで
ある。
1965年の5歳の時の私の乗馬
写真では革
ジャンを着ている
し、初めてアイススケー
トを
した5歳の時には革ジャンと
革手袋
を着用していた。これ
はファッションと
いうよりも
防護のためだが、乗馬用でも

スケート用でもない。革ジャ
ンは街着と
して子ども用でさ
え販売されていたので
ある。

1970年初頭の私。於横浜。
これは確か2着目の革ジャンだ。


日本で革ジャンを流行らせた
のはキャロル
だという言質も
多くみられるが、それも
誤り
だ。
バイク乗りや乗らない者でも、

1950年代からのアメリカナイ
ズの風潮の
中で、日本人に革
ジャンは親しまれて
いたこと
は実際の当時の一般人のアル
バム
にあるスナップ写真や映
画や映像からも
明らかだ。
キャロルが流行らせたのは
「ロックンロール」
の復活と、
革ジャン+リーゼントスタイル

で「突っ張る」ことである。
キャロルの突っ張りとは社会
的反抗では
無い点において、
彼らを熱烈に支持した
多くの
当時の不良少年たちとは一線
画す面がある事を見落とし
てはならない。

キャロルはサブカルとして登
場しはしたが、
決して体制に
反抗はせず、ただただ
「ビッ
グになること」のみを指標と
した。

このことは、体制にすり寄っ
たり、富や
名声に接近して利
益にあずかろうとする
点で、
本質的な抵抗やツッパリとは
な視線があることを忘れて
はならない。

絶大にツッパリたちに支持さ
れたキャロル
は、その本質性
においては、体制の補完
物と
しての中心幹を崩さなかった
ので
あり、ジェームズ・ディ
ーンが演じて
いた若者の反抗
やマーロン・ブランドが
表現
したアウトローとは全く対局
にある
「お上の庇護の下、利
益を生む」ことを
実行したの
が日本のキャロルだったので
ある。

ビートルズは女王陛下から勲
章を授与
されたが、反戦の意
思に基づき、その
勲章を女王
に返却した。

日本のキャロルにそのような
視点が
あっただろうか。キャ
ロルが反戦思潮と同調したと
いう事実は無い。
宇崎竜童はあった。彼は竜童

組の頃、新左翼の反戦集会の
演壇に立ち、ノーギャラで
ロックをぶちかましていた
(1981年6月7日、日比谷野音
反安保集会)。白竜もそうだ
った。

ただし、音楽表現者を政治と
は分離隔離
させるという面で
キャロルは歴史的な
成功を収
めている。

フォーク界にはまだ反体制的
な人民主体主義的な思想や主
張が残存
していたが、キャロ
ルは、「ロックは
政治や世相
には無関心」という図式を

着させた「立役者」だったと
いえる。

以降、日本のロッカーや愛好
者は、
社会に対しては真の反
抗や異議を述べ
ず、「ノンポ
リ」の層を形成して行く。

それに楔を打ったのがパンク
であり、
また、忌野清志郎た
ちだった。
ヨーロッパではロックは反体
制や反戦
平和の潮流と密接な
繋がりがあったし、
プログレ
などに至ってはもろに新左翼

だった。

しかし、日本においてはロッ
ク=政治的無関心
という方向
性を決定づけて定着させた

はキャロルだったといえる。

日本の反体制的ではない系譜
はその後「ビジュ
アル系」に
よって立ち位置が受け継がれ
ていく。


(キャロル時代の矢沢永吉)




1970年代のキャロルが定着
させ
たツッパリスタイルを
する80年代の杉本哲太。

しかし、キャロルのダック
テールスタイル
のリーゼント
(本場風リーゼント)では

く、1970年代に日本で独自に
発達した
不良少年独特の軍艦
リーゼントにしている。

これを短くしたアイパーも
70年代中期には
東京を中心
に流行した。



なお、バイク乗りに目を向け
ると、1950年代
末期にアメリ
カからイギリスに上陸した
ロッ
クンロールと革ジャンはバイ
ク乗り
たちの間で1960年代に
は大流行していた。

彼らは英国ロンドンにあるエ
ースカフェと
いう大きな喫茶
店にたむろし、ジューク
ボッ
クスでロックンロールを一曲
かけて、
その曲が終わるまで
に街中を違法爆走
レースをし
て、順位を競ったりしていた。

人は彼らを「ロッカーズ」と
呼んだ。

そして、ロッカーズの精神的
な標語として
" TON-UP " が生
まれた。

これは100マイル=160km/h
以上で爆走
するということで
ある。

当時の市販オートバイは最高
速がせいぜい
180km/h行くか
行かないか程度で、その
最高
速に迫る速度をロンドン市内
で出して
競争をするのが彼ら
だった。

アメリカのバイカーズは密売
や暴力事件等
の犯罪に手を染
める反社的な集団となって

ったのに対し、英国のライダ
ーズは、
暴走という「走り」
を中心に違法行為を
行なう傾
向に種別できる。

共同危険行為+競争型暴走族
が英国の
ロッカーズであり、
反社半グレ集団が米国
のバイ
カーズの特徴であるともいえ
る。

日本の暴走族は、1960年代の
カミナリ族
というバイク愛好
エンスー集団からやがて
サー
キット族となり、マスコミに
よって
「暴走族」という名称
がつけられた。

それは時をキャロルのデビュ
ーと一に
している。
やがて日本の暴走族は、1978
年12月施行
の道交法改定によ
り消滅する。

1978年以降は暴走族は暴走族
と名乗って
も暴走はせず、や
がて組織暴力に手を染
め、暴
力団予備軍としてのチンピラ
になる
か、暴力団そのものに
加入するか、半グレ
として暴
力団の一翼を担う犯罪者集団

となるかだった。
1978年の道交法改定は、日本
から「ツッ
パリ」を消滅させ
た。

ただ、関西圏では「ヤンキー」
という
呼称で、突っ張らかり
もしないただの
不良(非行も
含む)が層を形成しており、
それがやがて関東にも到来し
た。関東のツッパリと関西の
ヤンキーは根本的に異なって
いたのが1970年代シーンだっ
た。関西のやんちゃなヤンきぃ
と関東のツッパリは別人種だ
ったのだ。外見は似ていたが。

英国のロッカーズは「走り」
が主体。


このような前傾マシンが英国
の標準で
あるので、ロンジャ
ンという英国式の
革ジャンが
生まれた。



英国ロンドンの本物のロッカ
ーズたち。



クラブとして59クラブ員とし
て楽しむ
英国ライダーたち。
59クラブとは、暴走や喧嘩沙
汰に明け
暮れるのを見かねた
バイク乗りの一人
の牧師が、
1959年に彼らの更生のために
設立した
モーターサイクルク
ラブだ。

そして、クラブに属した不良
少年たち
はボランティア活動
をしたり、真面目に職を得て
社会復帰することを牧師は支
援した。日本ではそのような
事は存在しなかった。日本の
仏教坊主はそうした事は一切

しない。惨禍の時にも炊き出
しさえ仏教坊主はしない。布
施を貰う事しか頭に無い。

59クラブは英国のモーターサ
イクルシーンにおける清らか
光明といえる。
今、59クラブの初期メンバー
は80歳位だ。


映画『ギターを持った渡り鳥』
(1959年)
の小林旭。
流れ者の元神戸市警の
刑事役。
ダブルライダースは小林旭
が演
じる役の定番スタイルだった。
この映画が公開された年に英国
では
59クラブが誕生している。


1971年。まだ沖縄は返還され
ず、
キャロルもデビューして
いなかった
時代、『仮面ライ
ダー』において
仮面ライダー
本郷猛はダブルライダース

着用していた。



連続シリーズものの『ダイハ
ード』の
ブルース・ウイリス
も途中から髪の毛
がなくなっ
たが、革ジャンを役の上で

用していた。



日本では松田優作が映画作品
の中で
革ジャンをよく着てい
たが、バイクに
乗らないのに
ライダー用革ジャンを
愛用し
て印象深かったのは『クライ
ハンター』(Vシネマ)で
の世良公則
演じる刑事ジョー
だった。


私もカドヤのニューコンセプ
ターは愛用している。

(2024)

なぜバイクには革ジャンなの
か。

それは見た目のスタイルより
も、レザー
ジャケットが持つ
実用性によるものが
多い。
転倒による舗装路面接触の際
の擦過に
対する耐性は、現在
のところ天然皮革
に勝る素材
は存在しないのだ。

それゆえ、モータースポーツ
である
二輪ロードレースの世
界では、現在も
天然皮革のレ
ーシングウエアの着用が
義務
付けられているのである。


日本の皇室の内親王殿下まで
もがダブル
ライダースを愛用
する現代だが、バイク
乗りだ
けではなく、現在はファッシ
ョン
ウエアとしても広く人々
に革ジャンは
親しまれている。
それには、防寒のためには天
然毛皮を
着用せずとも過ごせ
るが、なめしたレザー
ウエア
の場合は、実用性に端を発し
いる「必要性」がたとえフ
ァッションで
あろうともコア
部に存在する素材である
から
であろう。用の美とは使い込
まれた
味のことを指すが、革
ジャンが持つ魅力
は実用の美
とでもいうべきものか。


かつて1970年代~1980年代
中期までは
日本においては、
バイク=悪=不良=
非行=犯
罪者であるとして捉えられが
であった。
今や革ジャンを悪の象徴だな
どと
するアナクロは通らない。
そんな馬鹿な考えを持つと、
内親王殿下=悪人という図式
を作り上げることになってし
まう。

ただ、バイク乗りのアイテム
としては、
革ジャンは必須物
ではない。

それは雨水に極端に弱いから
だ。

擦過には史上最強であっても、
水には
とても弱い。
なめした天然皮革には保湿と
油脂分の
補給が欠かせないの
だが、ずぶ濡れに
なってしま
うと極度に皮革繊維の密着

度が下がってしまう。そして
たっぷり
と水を吸って異常に
重たくなる。

そのため、ロングツーリング
ライダー
たちの中には革ジャ
ンをあえて着用
せずに人工素
材を専ら選択する人たち
が多
いことも事実だ。

ブーツなどもずぶ濡れになる
と強度が
極端に落ちるのが革
製品だ。


それでも、コーティング等を
施して
革ジャンを愛用するラ
イダーも多い。

そして、革ジャケットは、本
当に転倒に
際しての擦過につ
いては防護上信頼が
置ける。
「もし革を着ていなかったら」
と思うと
ゾッとすることは多
くある。

革を着ていなければ、皮膚だ
けでなく
筋肉までアスファル
トに削り取られて
骨までえぐ
られていただろう、とか。

私もバイクではよく転んだが、
コース
で派手にやらかしたの
は富士スピード
ウェイの最終
コーナーでの転倒だった。

100数十キロでの転倒でかすり
傷一つ
負わなかったのは、レ
ース用のレギュ
レーションで
認可された革ツナギを
着てい
たからだ。

現在、私がバイクに乗る時に
は可能な
限り革を着るように
しているのは、
カッコつけの
ためではない。

防具として私は革を着ている。
鎧を着けてないと危ないのが
バイクな
ので。
バイクに乗るのなら、革ジャ
ン着用を
私個人はおすすめし
たい。
プロテクションについては現
在は素晴らしい素材と製品も
多く出てきたが、現在もなぜ
ロードレースの世界では本革
以外が認可されないのか。
そこに答えがある。
カッコつけではなく、安全の
為には革ジャンだ。

それと誤解が多いかもしれな
いが、革自体に防寒性はほと
んど無い。
なめし革のジャケットはイン
ナーの存在によって空気を暖
めることで保温性が高まる。
なので、夏場に革ジャンを着
ても、さほど暑くはならない。
インナー付、綿入りだと夏場
は暑いが。
逆に冬場は革だけを着ても暖
かくない。
保温性は低いが、防風による
体温低下防止と身体防護のた
めに革を着る。
革=防寒と考えると、現実は
かなり違うのでとまどうかも
知れない。
冬場の保温は、被服によって
守られた空気の層をどう逃が
さないかによる。
ピッタリと身に張りつく服で
あったらならば、冬場などは
凍りつきそうに寒くなる。服
と体の間にある空気を暖める
ことが防寒対策になるのだ。
このあたりは、登山やアウト
ドア活動や軍事行動やウイン
タースポーツの先例を参考に
すると二輪乗りも大いに役立
つだろう。


 

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