渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

南京町

2023年07月16日 | open



昔、横浜のチャイナタウンはこん
なにド派手ではなかった。
そして、私の記憶が正しければ
「南京町」と呼んでいた。
中華街という呼び方は登場して
いたが、古くからの日本人たち
は南京町とまだ呼んでいた。
街は二階建ての軒を並べた定食
屋さんのような店が立ち並ぶ古
びた街区だった。
まだ日本と中国が国交を結ぶ
1972年の遥か以前だ。
日本は台湾を正統な中国として
いた頃の戦後の時代。
朝鮮も日韓条約締結前で、在日
朝鮮人の人たちは北か南か自由
に国籍を選べた時代。
北の共和国が「この世の楽園」
と信じられていて、在日朝鮮人
の人たちの帰国を大いに日本人
たちも応援していた時代。新た
な理想国家建設の為に未来は
輝いていると日本人も在日の
人たちも信じ込んでいた時代。
だが、北の共和国で帰国者が
不当な差別を受け、また、国
はナチスの国家ような非人道
的な埒外の国であった事は、
まだ誰も他国の人間たちは
らなかった。在日の朝鮮の
たちさえ知らなかった。

横浜の南京町では、1970年
頃まで敷地にロープが張られ
て、「中華人民共和国領土」
などという札が下げられた
場所もあった。これ実話。
ハマにいないとそういう事は
知らないだろう。
中華街という呼び方が一般的
になった背景には、日本と
台湾と中国の関係変化と期を
一にしている。
「支那そば」が消滅して「中華
そば」になるのも、あれも政治
的な配慮から人為的に変えられ
ていったのだろう。

チャイナタウンの人たちと交流
すると、大陸か島かは関係なく、
みんないい人たちだった。
少なくとも私はそこに「同じ中
国人」を見た。
戦後間もない日活無国籍映画や
ドラマのように暗黒街を仕切る
「謎の中国人」が「タイチョプ、
タイチョプあるよ」というよう
な場面には出くわした事は無い。
あれはステレオ創作だ。
アメリカ人が日本人をチビの
出っ歯のメガネにしたがるよ
うな。『ティファニーで朝食を』
(1961)の小うるさいアパート
の住人の日本人ユニオシなど
はそれの典型だった。ありゃ
ひどい。
ジュリアーノ・ジェンマのマカ
ロニウエスタンなどはもっと
ひどく、日本の侍?らしき者
を登場させるが、いつもペコ
ペコしている召使のようなの
をサムライとしていた。
本物の日本人の姿が描かれた
外国映画は『レッド・サン』
(1971)が初めてではなかった
ろうか。
あの作品では日本の遣米武士
団も三船敏郎も純然たる日本
人らしき日本人として正確に
描かれていた。三船などは
武士の中の武士としてきちん
と描かれている。外国人に
よって。
だが、一般的には外人の事は
ステレオ決めつけで描こうと
する事を日本人も外国人もす
る。「タイチョプあるよ。
あいや〜」もその一つだ。
昔の日本の映画やドラマは全部
それだった。あれはしどい。

横浜中華街には小さい頃から
何度も両親に連れられて食事
に行った。
昔から美味しかった。
そして、店の雰囲気は家庭的な
感じだった。

私が育った横浜に再び住んだ
学生時代に一番よく行った
「青葉」さんだった。
家庭的な味で好きだった。
かなり通った。サクッとしょっ
ちゅう行った。
今も味は変わらないだろうか。


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