渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

変態さん、いらっしゃい

2024年06月22日 | open

今回は変態限定動画です。


世の中、ほんとの変態さんは
いるのだと知る(笑
しかし、コレクションに何億
もかけられるというのは、そ
れを何十倍も上回る収入が無
と経済的にまず無理。
変態さんたちは実は富裕層な
のかも知れない。
所さんもかなり変態だけど。
この変態さんは、ベスパ保有
200台以上。
財団とか博物館とかではなく
個人蔵だ。

有名な俳優の変態さんでは
故萬屋欽之助さんがいた。
ドラマ『子連れ狼』で胴太貫
(どうたぬき)のファンになっ
てから、別な刀なのだが肥後の
同田貫(どうだぬき)を集め
始めた。
日本の主たる刀剣商に「同田貫
であるなら長刀、槍、脇差、
刀、なんでも買う」とお触れを
出して収集した。
その数、テレビ番組収録時で
300有余口(ふり)。
萬屋先生の同田貫収集により、
それまで脇物で金額も低かった
熊本の同田貫が一気に価格高騰
した。
そして、いつの間にか「名刀」
であるかのようなイメージが
世間に作られた。
肥後菊池同田貫は平安時代の
京都粟田口の流れの刀工群が
肥後に下って末裔が戦国末期
まで繫栄した刀工集団だ。
詳細は謎に包まれている。
加藤清正が愛したので、比類な
き実用戦場刀として珍重された。
あくまで実用刀だ。
江戸期に入り、全国の血脈刀工
集団は全国レベルで散り散りに
なり、新たに登場した城下町
に移住する。
肥後同田貫一派もそこで命脈が
潰えた。
幕末に脈流の子孫が同田貫を
名乗って作刀したが、水心子
に弟子入りしての作刀である
ので、戦国期の山城伝の流れ
を汲む物とは大きく異なる
優美な姿となっている。
肥後菊池同田貫一派は決して
美的に優れた作刀をした集団
ではなかった。
疵だらけの出来だろうが、頑
丈な作品を多く残して、美濃
物や三原物、豊後刀や備前刀
のように戦場武器として十二
分に働いた。
書画骨董や貴金属と同列に刀
剣を見たがる美術刀剣論者は
戦国末期の末古刀期の数打ち
量産戦場刀を格下に見て侮蔑
するが(彼らの誰もがそれを
やる)、備前物の数打ちなど
は同田貫に並ぶほどの頑丈さ
を誇っていた。それと美濃物。
腰が強く、丸太をも切断でき
る(これ本当)。
事実、試刀家時代の私の様(た
めし)においては、数打ち物
の末備前は、直径18センチの
丸太に数太刀切りつけて、
ほぼ毎回九分切れで切断寸前
だった。(その個体は私の
差料の一)

刀にしてもバイクにしても、
世の中変態さんがいるようだ。
だが、それはそれで、傍から
観ていても面白い。
公開展示できるのならよいの
になぁとか思う。
そうそう。
親友でもある修心流居合術
兵法の宗家の町井勲先生は
変態さんだ。
多分だが、個人では日本一の
槍収集家。
博物館展示できる程の数を
収集している。
世の中、変態さんはいる(笑

 


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