渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

漫画『アリエスの乙女たち』(1973)

2024年03月01日 | open



中1の時、進学塾行ってただ
よな。科目は英数のみで。
ぬぁんとそこのクラス
は女子
だらけ。てか、男は俺
一人(笑
で、だ。
『アリエスの乙女たち』がや
たら流行っていた。
かくいう私も漫画描きだった
ので、漫画という漫画は読む
クチで本作も当然読んでいた。

謎がある。
なぜあれほどに、1973年の同
級生の女子たちに爆発人気と
なったのか、当時も今も解析
ができない。
永遠の謎。
その時代にいて、タイムリーに
それを紐解けなかったのは、あ
る種の敗北感に近いものを感じ
た記憶は鮮明に残っている。
そんな13才だった。
「わがんね。したら刀でも見る
べ」と家で日本刀を一人黙々と
眺めたりしていた。
複雑な乙女心を解さない東戎の
まだ子どもなのであった。
ただ、女の子が「ここがどうし
ても分らない」といったシーン
だけはよく覚えている。
それは「それが僕が僕でなくと
もか?」と男が女に訊くシーン
だ。
「これは中原中也の言う『名辞
以前の世界』の事だよ」と説明
したが、女の子は要領得なかっ
たようだ。「実存は本質に先立
つ」という内実。
私は中也により実存主義とダダ
イズムに出会った。
それが13の時だった。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
の私の時代は13才の時に開始した。


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