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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

海の上の家

2024年07月23日 | open
 
(慶應年間の三原城)

大昔、海の上の出島のような
に住んでいた。
 
(明治6年の三原城)




家の敷地内には二重の櫓が
あった。
というか、櫓のあった場所
屋敷があった。
 
これは伊予国の今治(いまば
り)
城だが、三原城はこの姿
にそっ
くりだったと推測さ
れる。


昔のうちの家はこのよう
二重櫓の内側あたりの
感じ。




お隣りは沢井さんと松井さん。


ゼンリンの住宅地図の江戸
代版のようなもの。
江戸切絵図と同様の城のある
町の住宅地図だ。
当時の三原の人口は城内城下
に1万人。
祖父はこの出島のような海上
埋立地の事を「御作事場(おさ
じば)」と呼んでいた。
ここは明治9年に退去命令が
て立ち退いて城下西方
した。廃刀令の年だった。
祖父と父の聞き伝えられたと
いう談によると、三原という
場所は田舎なので、廃刀令な
どおかまいなしで、士族たち
は帯刀したり槍を持って明治
10数年あたりまで市内を歩い
いたという。たまにポリス
注意すると、腰から鞘ごと
抜いて手に持つのみで逆にポ
リスを無礼者扱いで叱責して
応じなかったらしい。
それ、サムライではあるけど、
反政府的(笑
でも、武士なんて「武士の倫
理」で生きて来た種族だから、
それ以外の強制権力などはど
んなものであっても認めない
し従わないんだよね。
武士という血脈的武装種族は。
 
明治は進み、廃刀令や秩禄処
分以降、旧家臣団への無茶苦
茶で無慈悲な切り捨て排除を
旧広島藩は明治新政府の言い
なりで実行した。
法律などは存在しない。
戊辰戦争西軍が樹立した中央
集権新政府による太政官布告
という一方的な命令で、日本
国民全員が意のままに従わさ
れた。なりふり構わず。
旧武士階級に対しては極めて
不当な切り捨て処置が全国で
為された。
そりゃ全国各地で士族の反乱
の武装蜂起も起きるだよ。
最大のものが明治10年の薩摩
藩鹿児島県士族による大蜂起
だった。
明治「維新」の雄、西郷隆盛
と幕末暗殺剣士の桐野はそこ
で死亡した。
この薩摩蜂起以来、日本で内
戦は起きていない。
完全に明治政府権力が国内を
実効支配するようになった。
その流れは21世紀の現在も続
いている。
だが、長州閥の安倍ちゃんを
殺した真犯人が会津という
はないだろう。
 
 
 

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