
新婚の頃、朝方仕事に行く時に
「こう、なんてのかカッカッと切り
火でも打って見送ってほしいなあ」
と言ったら「デークじゃないんだ
よ」とかーちゃんに言われた。
まあ、江戸の仕事はデークと相場
が決まってる。
時代劇や落語に仕事としてやたら
デークが出てくるのは、それは
江戸は火事だらけで建築物の再建
が年がら年中あちこちでやってた
から仕事に事欠かなかったからだ。
江戸の火消し活動というのは、延焼
を防ぐために建物を大人数で力技
でぶっ壊す。
だから火消しは市民を守る江戸の華
だったが、威勢がよくいなせな粋な
兄さん方でないと務まらなかった。
また、再建担当の大工や左官たちも
威勢がよくないと仕事にならなかっ
た。
「おい!とめ!シンナーに気をつけ
な!」
「わかりやした!親方!」
てな具合で。
マッチが発明されて国内で普及す
るまでは、日本でもすべて火熾し
は火打石に金属片を擦過させて
火花を飛ばし、それを火口(ひくち)
に着火させて点火し、さらに火を
育てて炎にした。
手慣れた流れだと1分もかからず
に火を熾せる。
だが、マッチが出てからは便利な
ので全国民がマッチを使用し、火
打の技法は失伝した。
その後、ライターが普及して、点火
はライターでやる事が一般的になっ
たが、高度経済成長期に電子着火
式のガスコンロが登場し、家庭で
もそれが一般的になった。
ダイヤルをひねるだけで火が点け
られる。
私が高校1年の時にフランス発明の
簡易ライターが日本で大改良され
て使い捨てライターが登場した。
これは世界史的な世紀の大発明だ
った。
それでも、私の高校時分にはまだ
マッチでタバコに火をつける事も
行なわれていた。
パチンコは手打ち台もまだ沢山あ
った。神田神保町のパチンコ人生
劇場はパチンコ屋の老舗だが、そこ
でさえ最新式の自動打ちではなく
手打ち台もまだあった。
ライターも普及してないので、右手
でパチンコを打ちながら、左手で
タバコを出し左手だけでマッチの
箱からマッチ棒を取り出してマッチ
を擦って火を点けた。
これは私もできる。
(生きていた頃のうちの猫がうち
の犬の名前を呼んでいる音声が
収録されている。うちの猫は
物を言った。今いる猫も別猫の
名前を呼ぶ。人の声色を真似て)
何年か前、マッチでの点火方法を
全く知らない両親世代が増えてい
ると知った。子どもでなく親たち。
やり方も知らず、ゆとり頭なので
どうすればよいかの考察もできず、
マッチの軸をすべて折ってしまう
のだという。
物事考えないのか?ととても驚い
たが、もっと驚愕する事実を知っ
た。
私の子どもが大学時代、仲間で集
まって花火大会をやろうとした。
ところが、誰も火を点けられな
い。100円ライターで火を点ける
ことが怖くて男子も女子もできな
いのだという。100円ライターか
ら火が出るのが怖いからライター
のフリントローラーを回せない、
電子式でも怖くてボタンを押せな
いのだと言う。いや、まじで。
どうしたかと言うと、チャッカ
マンを買って来て、顔そむけな
がら恐々と花火に火をつけたの
だという。
驚愕した。
爆竹をバラして一本ずつ点火して
手投げで遊んでたガキんちょ世代
の私からすると異次元の話のよう
だった。
そして、男も誰もタバコを吸わない
ので火を日常的に一切使わない。
なので、マッチどころか、ライター
での着火もできない。
そういう時代になってしまった。
道理でキャンプで焚火や火熾しが
流行ってる筈だ。
焚火や点火着火火熾しが珍しい事
だからだろう。
昭和のように冬には通りの辻で落ち
葉焚きをやる事も今では禁止の時代。
♪さざんかさざんか咲いた道
♪焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き
という日本の風景も存在を許されな
い時代。
男も女も、ライターでさえ花火に
火をつけることが出来なくなった。
想像力も創造力も乏しく、実動的
人間力も低すぎて、人類そのうち
滅亡するのではなかろうか。
頭弱くなってるくせに、他者への
えげつない感情醸造や言動は狡猾さ
を増して来ている。
質性がろくでもない。
キャンプをやっても、そこから得る
大切なものを見つめようとはしな
い。
単なる享楽で個人を第一義とする
利己的な精神性でキャンプをやっ
ている。
浅い。
そして、そんな潮流の「ブーム」
など、くそくらえだ。
社会的意識や人の社会性が捨象さ
れる為にキャンプが利用されるの
は、キャンプの成立や歴史をも踏
みにじるものだ。
くだらん。
だからかあ。
無法外道の河原バーベキューやゴミ
捨てキャンパーが大増殖してるのは。
てめえの事だけ可愛い連中が、コロ
ナだからとキャンプの世界に大量に
流れ込んで来た、てな図式ね。
個人主義に埋没するとそうなる。
あと、あれね。
日常が精神的重圧を感じているから、
それから逃避する為にキャンプして
る人が多い、とかね。
逃避的行動からは何も生まれない。
だから、何も大切な事の学びもな
ければ持ち帰りもない。
持ち帰って日々を力強く生きる糧
ともしない。
大自然に学ぶ事もしない。
何だ?その「キャンプ」と称して
るのは。
ソロキャンで信じがたいのが、隣り
のサイトの連中を煩わしいとか感じ
てる人がネット情報では多い事だ。
また、現実にキャンプ場に行くと
実にてめえ勝手な族が大繁殖して
いる事実が分かる。
うちらは、見ず知らずの人でも、
テン場作りに難儀してたら助太刀
するし、作ったメシを「もしよか
ったらどうぞ」と隣りのサイトの
グループに持って行く事もある。
うちらは「昔ながら」のキャンパー
だからだ。
今のキャンプ初心者の人たちは
その対応に驚く。
そして、うちらは、撤収前にキャン
プ場を全域参加者全員で歩いて絨毯
爆撃ならぬ絨毯ローラーでゴミを
拾って持ち帰る。1時間程かけて。
こんな事も「当たり前」の事なの
だが、今のブームではそんな事は
やる人は見受けられない。
流行の焚火をやって、直火でなく
とも燃え散った炭をそのままに
して立ち去る連中ばかりだ。
炭は土に還らないという基本知識
さえ無い。
もう、どうなってんだか。
個人主義的趣味性や欲望を第一義
とする事は、決して良い事ではない。
「楽しんでるんだから、俺たちの
勝手だろう」てのが良いわきゃない。
今、多くの人間が、神奈川県の
山での中州濁流大量死亡事件の家
族と同じような事をやり始めてる。
キャンプで火を熾すのが今流行っ
ている。
炎上大好きなのは結構だが、そんな
のではなく、もっと大切なものを
若い世代には温めてほしい。