渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

津軽弁と宮崎弁(西諸弁)

2023年10月01日 | open

【方言】津軽弁と宮崎弁が似てる?
ウソだけど、ホントだった!?
【2023年7月13日 放送】



宮崎県西諸弁と津軽弁はイント
ネーションがよく似ている。

実は遠隔地同士でイントネー
ションや表現が酷似する現象
は日本でたまに見られる。
松本清張の小説ではないが。
この現象の原因については、
言語学的にもまだ解明されて
いない。
ただ、判っているのは、言語の
差異は旧幕藩時代の藩の領地
やそれ以前の律令制の行政区
割りとは全く別なフィルター
が働いているという事だ。
まして、現代の県ごとの地域
割りなどでは方言は括られな
い。埼玉県なども南部と北部
ではまったく言葉が異なるし、
東と西でも異なる。
神奈川県も広島県も同。勿論
東京都もである。
東京月島などの明治以降の埋
め立て地住民間では江戸弁は
話されないし、旧江戸地区と
それ以外では言葉も異なり、
さらに都内西方に行くと現神
奈川県北西部と言葉は同質に
なって来る。

広島県の福山市のみ広島県内
で「みゃあ、みゃあ」言うの
は、築城の際に名古屋方面か
ら大量の人員が到来して築城
に従事し、それがその後定住
したからといわれている。
広島県福山市は福山だけが
広島県内で広島弁(という
のは無いが)とは異なる言葉
遣いをする。

方言文化は大切だが、言語は
人とのコミュニケーションの
ツールなので、見知らぬ人と
話す場合や公的放送では共通
語たる日本の標準語を話すの
が適切だ。
自分の方言のみで押し通そう
とする態度は傲慢であり、相
手を自分に従わせようとする
暗黙の精神の根っこの現れだ。
日本人ならば日本語として
公的場面等では標準語を話す
べきだ。
日本には方言がありすぎるので、
これでは意思疎通が不能だと
いう事で、明治政府が幕府旗本
言葉をベースに標準語たる日本
語をあえて作った。
その為に、明治以降は日本人に
は国語教育が必須科目で小学校
から徹底的に教育される。
方言文化は文化遺産として保存
する事は大切だが、自分方の
方言だけで通そうとするのは
日本人として誤りだ。

大阪は別。
あそこは大阪民国(だいはん
みん
こく)という独立国だか
ら(笑

第一、標準語を話そうとする
気がひとつもない。
だが、公的場面で「せやから
言うとるやんけ」とか、いくら
丁寧でも「してはりますの?」
などとは使えない。
そして、大阪人も使わない。
ただ、日常会話は方言でもアリ
だろう。
言葉遣いは、場面と場所により
けりでしょうね。

でも、「大阪弁」というのも
本当は無いのよね。
堺の言葉と西成の言葉は違う
し、奈良や京都に近い府内で
もまた異なる。
一括りで関西弁、大阪弁とか
いうが、船場言葉がいわゆる
大括りでの大阪弁の代表であ
って、実際には「大阪弁」と
いうのは存在しない。
番組で紹介された西諸弁が同じ
宮崎県内なのに宮崎弁ではない
のと同じ。
これは実は東京都でもそう。

極めて狭いエリアで同一言語
を話す歴史性がある事は実際
に認められるので、現今や旧
来の行政的な区割りとは別な
ファクターが言語形成に働い
ている事は確かだろう。
あたかも、その場所に集住し
た集団の部族語のように。

中世が開始されて、武士階級が
政権を掌握してから、武士は
日本全国各地を転々と転住し
た。家臣団を引き連れて。
その移動たるや全国北から南
まで転々だ。移動無しはある
時期以降の薩摩武士だけで。
封建時代には階級ごとに使用
言語が異なったのだが、この
武士階級の全国転住の繰り返し
は方言の錯綜について、より
一層複雑な混乱をもたらした
のではなかろうかと私は推測
している。
武士とて、常に公式書面言葉
で話すのではない。転封先の
地元民とは言葉は違えど、同
家中は同じ言語を話しただろ
う。集団で。
武士と町人は日常的に直接的
には交わる事はほぼ無かったが、
日本全国での集団転住の繰り
返しが地元言語に影響を何も
及ぼさない筈もないと推測
できるのだ。
ただ、武士階級以外は封建時代
には転住は無い。土地に縛り
つけられていたからだ。生ま
れた土地から外に出る事はな
くそこで一生を終えさせられ
る。また、同時に統治制度と
して、民が別場所に渡り歩く
事を厳しく禁じた。それは
米や収穫物や工業製品(鉄等)
の生産確保のために人民を
狭小エリアに縛り付けておく
のが目的だった。
それのくびきを脱する者は
「無宿」「ワタリ」等々の
呼称でレッテルを貼り、階級
も最下層に落とされ、監視下
に置かれた。
百姓階級の一部である農民が
農地を放棄して別場所に脱出
するのは「逃散」と呼んで厳
罰に処した。イコール死罪だ。
一方、武士階級は逆に望むと
望まざるとにかかわらず、幕
府の一存でどこにでも飛ばさ
れた。異論も抗議も一切認め
ない。
だが、その一面で武士の脱藩
は百姓の逃散と同じく重罪で
あり、よくて切腹が必至だった。
悪けりゃ斬首の死罪。武士と
しての切腹さえも認められない。
(武士にとって切腹は死罪で
はない)
要するに、封建時代というのは
「支配階級」である武士階級
までも縛り付けて、少数権力者
が自在にどうにでもするという
絶対主義的な統治形態であり、
その矛盾構造は社会体制とし
てはいつまでも続かない。
人間社会として極めて不完全
だからだ。
人はそれほど馬鹿ではないので、
やがてはそうした社会体制は
瓦解する。
なぜならば、人類史は「器」
という容れ物の構造体が社会
を形成するのではなく、人間
が社会を構成するからだ。

ただ、その容れ物という構造
体が絶対矛盾を持つ場合、構
造的整合性の不完備から相対
確執が不可避となり、やがて
はやはり人によってそうした
構造体が崩壊させられる。
それを人類史上初めて空想的
観念論ではなく、科学的に
カラクリを解き明かしたのが
ドイツのカール・マルクスだ
った。
数百万年におよぶ人類史上、
近現代エラにおいては、19世
紀のマルクスと20世紀のアイ
ンシュタインこそが歴史的な
偉人だった。人類史上特異な
人。凡人ではない。
神は時々そうした人たちを
我々人類史の中でポンと出し
て見せる。
人類を試すように。
だが、人類は神を試しては
ならない。
人は人を試せるが、神を試す
事はできない。
また、試す必要もない。
神は人類ではないからだ。
人類は人類のテリトリーで、
己たちの行く末を自ら試し、
試行錯誤しながら進めばよい。

日本の言葉は、方言という独立
言語が多くあり過ぎて、外国人
にはやはり難解なようだ。
標準日本語が堪能な欧米人に
「おめ、もすこしみしっとした
らかっぺ」と言っても皆目通じ
ない事だろう。
ただ、人が人と意思疎通を図り
たいのであれば、双方に通じる
言葉を使用するのが人としての
節度であり、良心だろう。
そして、われら日本人は、標準
語という完成された母国語を所
有している。
これを使わない手はない。


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