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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

物凄く良い物

2022年03月20日 | open

このシャフトと同一の質性の物を
全ての手持ちのバットに欲しい。
今ある中では、TAD純正と吉村と
86年淡路亭シャフト、30年以上
育てたシャフト以外には近似の質
のシャフトは無い。
厳選した「かなり良い」シャフト
は何本もあるが、このシャフトま
での域に達している物は少ない。

ハイテクシャフトだろうが、この
打球感は再現できない。
玉筋は縦割れ目系。かつ高反発。
それはハイテクでも再現出来るが、
この独特のソリッド感あるダイレ
クトなマニュアルギア感は、昔の
材の無垢材しか出せない。
資源枯渇というのは恐ろしい。


ハイテクシャフトしか使わない人
が、試しにこのキューで撞いてみ
て驚いていた。
「なに?これ?」と。
未体験ゾーンだったようだ。
良質ソリッドスタンダードシャフト
ではこれがスタンダードなのだが、
今ではカスタムライン以外には存
在しない。
カスタムキューでも、よほどじゃ
ないと存在しない。

1975年までのバラブシュカが21
世紀の現代でも最高至高究極の撞
き味を持つと賢者たちが言うのに
は、それは理由があるからだと思
う。
質性の次元が違うからだ。
それは、ほんの生醤油を一滴か二
滴の差なのだが、味として大きな
違いが出てくる。
尤も、その違いを感知できなけれ
ば、セッティングが出たギア車と
オートマ市販車の違いが分からな
いのと同じなのだが。
「腹に入れば何でも同じ」式だと、
微細な差異だが、内実として大き
く異なる別物である事は感知でき
ない。
でも、大抵は超鈍感でなければ判
る。音楽での楽器の音の違いのよ
うに。

打感の良否には二つの視点がある。
一つは、単純に撞いた時の感触が
良い物。
もう一つは、撞き手の思い通りの
玉筋を実現できるリニアな反応を
示す物。感応が良いとも言う。
そして両者が合わさっているのが
最良となる。
打感や音が良くても撞球性能が低
い物もある。両者が一体に完全融
合している物は滅多にない。
そのあたりは、バラブシュカは、
「経年育成」を最初から得るよう
なシステムでキュー作りをしてい
た。そして至高に到達していた。
コンバージョン方式の大成功の例
がバラブシュカだった。
それを最初の木材の削りから始め
て、バラブシュカのキューの能力
を超えようとするのは並大抵の事
ではない。
だが、作者たちはやり甲斐がある
のではなかろうか。
超えられそうにない巨人の作が
現実に存在しているから。

ただし、どういう訳か、ビリヤー
ドキューの製作者は多くいる刀鍛
冶と同じで、俺様大将で自分の作
が世界一だと思っている者がとて
も多い。アメリカンビルダーなど
は全員それでは。
それは職人気質なのだからよいの
だが、時として、裸の王様に転じ
続ける事もある。すると、そこら
の刀鍛冶と同じただの天狗になっ
てしまう。
しかし、その刀ではブリキ缶さえ
切れなかったりする。
撞球杖を作るビルダーにも、この
製作者の勘違い心得違いをしてい
る者が多く見受けられる。心に
曇りが生じる。

結果。
良い物は絶対に出来ない。
「自信と自負」と「傲慢と横柄」
は全く別物であるという自覚を
欠落させている製作者はモノヅ
クリの世界には多い。
人柄が良くとも製作物が至らない
のは、それはそれで話にならない
が、「実るほどこうべを垂れる
稲穂かな」の心を持たない作者は
絶対に「良い物」は作り得ない。
これは絶対だ。
それは天がそうさせているから。
自分で自覚が出来ない時点で、
既に人知の及ばぬ力が作用して
いる事への知覚は存在していない。
モノはヒトが作るのであるから、
人がどうか、どうであるかが確実
に仕事に出て来るのである。
これ、現実なので、こればかりは
変えようがない。

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