渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日本グランプリ 1997年

2024年05月14日 | open

500cc 岡田逃げ切れず 日本GP 1997年


1997年からこんにちまで、
もう既に四半世紀以上の年月
が過ぎてしまった。
世界グランプリ最高峰500cc

クラスにおいて、世界チャン
ピオンの前を日本人が4人も
走る。
このような状況を1983年の
ケニー対フレディの時代、
いやバリバリ伝説最終話の
1991年の時点でさえも誰が
想像し
ただろうか。
1990年代の日本人ライダー
たちの活躍は後にも先にも
ほんのひと時の瞬きのよう
な瞬間的煌めきを放ってい
た。強烈な輝きを。

なお、1970年代初期からこ
の1997年頃の時期を越えて
ほんの数年前の2010年代末
期までは、日本製のオート
バイでなければ世界選手権
では優勝できなかった。
世界のトップを走るのは
すべて日本製の二輪だった。
だが、現在は日本製は世界
戦においてビリだ。
かろうじて耐久選手権にお
いては日本製の二輪と日本
人ライダーが健闘(2024年
のルマン24時間でのスズキ、
ヤマハの活躍、綿貫マイク
のクラス3位入賞等)してい
るが、世界一の速さを競う
スプリント競技では日本製
オートバイはビリなのだ。

どうにか耐久選手権では
かつての日本の姿を保って
はいるが、世界最高峰クラ
スのレースでは日本車では
全くお話にならない時代に
なった。
なぜか。
それは日本人自身が、二輪
の作り方を誤った方向に持
って行ったからだ。
海外メーカーが日本製を凌
ぐマシンを開発したからで
はない。日本製がダメな車
になったからだ。
理由は明白。
それは人間を排して人間疎
外の上に車作りをする姿勢
に日本メーカーがシフトし
たからだ。
開発ライダーを軒並みクビ
にし、コンピュータデータ
のみで車作りをする大リス
トラを日本が採用したため、
日本人が作るオートバイは
世界の底辺に向かう事にな
ったのである。
この事を指摘する人は社内
からもどんどん排除した。
これは一般市販車開発にお
いてもそうであり、ヨーロッ
パで大人気モデルを開発発表
した開発総責任者を左遷して
社内政治に勝った人間が作る
二輪、経営陣の意のままに
動く人間のみを重要視する
経営に日本の二輪メーカー
が転じた。
世界最高峰競技でビリを走る
転ぶ車しか作れないメーカー
が作る最新公道市販車が良い
車である訳がない。
モータージャーナリストや
モーターメディアなどは、
新型車が出たら金太郎飴の
画一的態度で誰もがそれを
褒めたたえる記事しか書か
ない。忖度しか持っていな
い。忖度どころかおべんちゃ
らの太鼓持ち発言しかしない。
まるで「裸の王様」の寓話
のようだ。
滑稽である。

だが、かつての時代、1970
年代初頭から2010年代まで
の40年間、日本の二輪がこ
の地球上で最頂点に君臨し
つづけたのは確かな歴史の
事実なのである。
なぜできた?
それは人が二輪を作ったから。
機械ではなく。
人間に一番近い乗り物である
二輪を人間自身が作ったから
である。
日本人はそれをやっていた。
人が乗る事を前提にした車
を作っていたのだ。
今は、それが無い。ゼロ。
結果はかくしてなるべくして
なった。
世界チャンピオンが乗っても
転ぶ二輪しか作れなくなった
のである。

  

 

 

 

 


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