渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

制服

2023年11月04日 | open


高2

うちの高校の卒業生には本田
宗一郎を支えたホンダの副社
長藤沢武夫がいる。藤沢なく
してこんにちのホンダは無か
った。
他には映画監督の黒澤明も卒
業生だ。
世界のクロサワなくしてスピ
ルバーグもルーカスもいない。
明治時代に子爵が設立した
古い東京の私学だ。
秀才は要らない、という学風。
秀才ではなく英才を求める。
「天下の英才を得、これを
教育す」が建学の精神だった。
そして、「ネバーダイ」という
絶対に諦めないぜの不撓不屈
精神を薫陶として徹底教育
れる。

制服は戦前には白いズボンに
白い詰襟だった。
戦後は国内ではいち早くブレザ
ーを導入した。
まだ、一般的な高校男子制服が
黒い詰襟だらけだった頃にすで
にブレザーにしていて、都内で
さえもとても珍しかった。
うちの高校の制服が特筆的だっ
た事は、それは全てフルオーダー
メイドであった事だ。
新入生は全員(学年7組385人)
専属テーラーにより採寸される。
既製品としての基準品はあるに
はあるが、全員採寸して、ピシ
ャリと各人に合わせた寸法で
制服を作るのだ。
大抵は在学中に2-3着作る事に
なる。私などは中1の終わりで
身長の伸びもストップして173
センチ台のままだったので、
体格変化による仕立て直しは
無かったが、毎日着ていると
上質生地でもテラテラになっ
てしまうので、替え着を作った。
全校生徒各人がピタリ寸法の
制服を着ているので、ダブつ
いたりピチピチだったりする
事はうちの高校に限っては不
存在で、東京の私学らしい姿
だったといえる。
ただ、靴は指定革靴があった
が、造形が旧英軍革靴のよう
で生徒たちからは敬遠された。
「ロバくん靴」などと揶揄さ
れていた。
靴に限っては指定靴でなくと
も黒革ならばOKだった。
ローファーは不可。
私たちの世代はキャロルブーツ
のようなジョッパースタイル
の革靴を多くが履いていた。
真面目くんたちはロバくん靴。
ホールドアウターたちはつる
んとた靴。ソックスは透け
ナインで鞄はぺったんこ(笑
偏差値65-69程のガッコでも
1970年代はそれ(笑
都内進学校でも70sのホールド
アウトテンションズたちはそん
もんだった。
勉強できないから落ちこぼれ
て突っ張る、なんて田舎みた
いなのは都内特別区の高校で
は無かった。勉強できるでき
ないは、抵抗反骨精神とは別
物だ。地方の田舎によくある
頭悪い奴程ツッパリになる、
という図は都内23区には存在
しない。
これは右系思想にしてもそう。
考えてもみてほしい。三島
先生が東京で創設した楯の会
は全て有数大学のインテリ大
生のみだった。
現代の頭悪いのはネトウヨに
流れるが、頭悪いからと右で
も左でも抵抗反骨立志の徒
なるというのは無かった。
その過激な極限が新左翼だっ
たが。
不良だからロックをやるので
はなく、ロックをやるのが
不良だったのだ。あえて自覚
的にそれは選んだ。
今のような日和り良市民いい
子ぶって匿名に隠れて陰口だ
け叩くポンコツくそダサ野郎
たちなどは、世の中に存在さ
できなかった。
それが昭和だ。何が悪い?
くそダサメンどもにしのごの
言われる筋合いは無い。


今考えると、学校の制服を全
生徒フルオーダーメイド製を
着ているというのは、なんだ
かちょいすげのように思える。
ちなみにスカパンのような
ドカンは上野アメ横の店で
制服と同じ生地で誂えた。
違反制服(笑
同学年の多くの仲間がその店
でドカン系ストレートパンツ
を作っていた。
違反制服までオーダーメイド
だった(笑
上野の職人の店、腕がとても
良かった。
「ニッポン」がそこにあった。


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