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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「玉を撞く」という事

2022年06月28日 | open



私が先日書いたこういう手玉の動か
し方は、「撞球」をきちんとやって
いるプレーヤーはごく普通にできる
し、やる。特別な事ではない。
ところが、玉転がししかできない
プレーヤーは一切できないし、やら
ないし、やれない。
だがそれは、川幅30センチの小川を
飛び越えられないようなものなのだ。
それでいて走り幅跳びの選手にな
った気でいるようなもの。
現実的には根本の根っこから何か
とんでもない勘違いをしている。
走り幅跳びは幅跳びをする競技。
撞球は「球を撞く」競技なのだ。
だが、現代は先玉さえ転がり入れば
それがビリヤードかと勘違いして
いる人たちが雨後の筍のようにいる。
それは「違う」のだ。

こう書くとバイクの異常粘着者と
同じく「どうやろうが自由じゃ
ないか」とかよく考えずに脊髄
反応で反発し、コソコソ陰であげ
つらって誹謗中傷するのが出て
来そうだが、世の中違うもの
違う。
たとえば野球でバントするのは
自由だ。
だが、全ての打席をバントだけ

やろうとしたら?
それ、野球と呼べますか?という
話。やるのは自由だが。
そういう事を私は言っている。
それは野球ではないでしょうよ、
と。

この上図のような手玉の出し方は
キューを切らす
人はごく普通によく
やる。

奥田玲生(たまみ)プロの5:28
からのショットが
これと系統は全く
同じ玉筋。
強くは撞かない。キュー切れのみで
撞く玉。
これが玉を「撞く」という事で、
ビリヤードのお手本の撞き方だ。
基本であり王道でありセオリーで
あり、お手本だ。



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