渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

見抜く目

2021年12月25日 | open
 
日本刀が見える人、日本刀を知ら
ない人でも芸術に通じている人で
あるならば、この二作の鍔を並べ
たら、見えるものが見えて来る事
だろう。
 
そうした人たちの差異は、物を見
「目」の
問題であり、これは訓
とかでは確実なものは得られない。
視力と同じく、持って生まれたもの
だからだ。眼力とはそうしたもの。
ゆえに、刀が見えない人は一生見え
ないし、芸術に接しても理解の深度
は限界性がある。モノが見えないの
だから。
 
見える人は、この私の拙い鉛筆の
描画からさえも、この拵がどの様
な造りであり、鍔の材質どころか
鍔の流派や作者まで見抜く。


こうした「ものを見抜く目」は生
まれ持ったものに負うところが大
きいが、ある程度の訓練と教育で
ある程度育成する事はできる。
人には持って生まれた長じるもの
の差異が各人にはあるが、ある
一定のレベルまではその能力を
引き上げる事が可能だ。
特に芸術的な素養については。
それは、幼い頃から、多くの音楽
を聴き、また、多くの絵を実見して、
そして多くの文章と物語に接し、
多くの芸術作品に触れるという情
操教育を受ける事だ。
ものが見える見えないの根幹にある
のは、情操なのである。

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