

一昨日行った広島県福山市の鰻屋の通り。
このあたりは、1945年8月8日に丸焼けに
なった。
終戦間際、広島に原爆が落とされた2日後
の1945年8月8日に、米軍は福山市を空襲
した。
福山市は焦土と化した。
多くの人が死んだ。
市内の私の母の実家も丸焼けになった。



翌日、長崎市に原爆が落とされた。
それに先立つ1942年4月から1945年3月
まで、日本の首都東京は大空襲に遭った。
東京空襲での被災者310万人、死者11万5千
人、負傷者15万人。
それでも日本は戦争をやめようとはしな
かった。
結果、制空権を失っていた日本は、全国
の主要都市部が空襲を受けた。
とどめに長崎市に原爆が落とされた。
戦争による日本人の死者は310万人。軍
関係者が230万人。外地での一般人死亡者
30万人。内地での一般人死亡者50万人。
未曾有の日本人が死んだ。
それでも、日本は戦争をやめようとはしな
かった。日本人一億玉砕を軍部や右翼は
叫んでいた。
沖縄では軍が日本人を殺戮した。
今は「戦後」ではない。今は「戦前」だ。
かつての戦前と同じ空気が創作され、同じ
洗脳国民が量産されつつある。