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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

記憶

2022年03月14日 | open


撞球の場合、たとえ18時間撞こう
とも、不思議なもので殆ど配置を
覚えている。
私と友人はプレースタイルも取り
組みのスタンスも似ている。腕も
同程度(5連マスワリ6連マスワリ
は出ないが、1.9玉穴幅台で3連
マスワリ程度はブレイクにより
出る程度)。
ボウラードも普通にやって二人と
230点程度だ。
まあ、よく撞けるB級あたり。

で、5先ワンセンテンスが終わる
事に互いにシーン再現で寸評し
合う。ここはこうのほうが良く
なかったか、等。将棋の対戦後
の振り返り再現考察評のような
もんだ。
マスワリしようが玉を外そうが、
良いショットの時は良いし、崩れ
た時はこの時はこうなったと指摘
し合う。
このワンポイント相互指摘がとて
も役に立つ。

不思議なもので、配置とどうやっ
てどうなったかは大抵覚えている。
まあ、それを自然と記憶している
から、反省点を修正訓練できて上達
するのだけど。
覚え込もうとはせずとも、不思議
とほぼ全部覚えているものです。
二輪の走りに似てる。本コースで
はなく、公道の走りに。
あそこのあのコーナーでこうこう
こうだったからこうなってどうだ
ったよね、というような。
どこどこの角のどこではどうなっ
たけど、こうやればこうだろう、
というような。


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