渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

校歌

2024年07月25日 | open

横浜市立大正小学校校歌

懐かしい。
ぜってー私が在校時にいた
人たち(笑
ちょい上あたりか。

この小学校、横浜市の歌唱

コンクール出場に力を入れ
ていて、1960年代~70年代
初頭には在校生は総動員で
しょっちゅう訓練
した(笑
卒業式が凄かったよ。
オリジナル曲の合唱なのよ。
延々と30分位歌うの。
重層的なコーラスで。
それは在校生と卒業生の歌
でのやりとりのような楽曲
だった。「ありーがとーせ
んせー」みたいな曲。全譜
覚えてないけど(笑

横浜市歌は還暦過ぎの今で
も絶対に忘れないけどね。

なかなか良い学校でしたよ。
学園ドラマチックの熱血教師
大集合だった。
戦前保守派のとんでも先ちゃ
んも結構多かったけど。
この学校で、小4の時に私が

書いた脚本が小5の時に全校
学芸会で演劇として上演され
た。
反戦タイムスリップ物。

どの過去の時代にタイムスリ
ップし
ても、権力者の横暴と
それに
苦しむ人民、そしてそ
うした専横に抵抗する人々の
心と真の平
和と平等を求める
人民の心理につい
て描いた作
品だった。

第二次大戦後の戦後には、見
せかけの平和主義によって、
最後は核戦争で地球が真っ白
になる、という展開。
原作脚本を書いた私は、江戸
期の町人をいじめる岡っ引き
の役で出演した。
演技中、アドリブでかつらを
わざと落として会場から大爆
笑を得たが、あれはやりすぎ
だった。
ドリフじゃないんだから。
被り物のズラは地球儀を半分

にして自作した。

前年度上演作品は、他の子が
書いたホンで、確か横浜港
付近の吉田新田開発の物語
だった記憶がある。
結構凝った学芸会で、衣装
とか本当に着るのよね。
開墾農民ならそれらしき衣装
を。
私もそれ着て舞台に立った。
横浜という市は、文化芸術

=文芸に小学生も創作的立
場から主体的に触れさせて
情操教育
をする市だった。
横浜、よいとこ。



 


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