渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

250cc 6気筒 ~ホンダ黄金時代の4ストマルチ~

2024年10月11日 | open



こうした超絶マシンは日本人
しか作れなかったので、競技
主催者は1960年代に気筒数制
限をかけて日本車の
締め出し
を図った。

それゆえ多気筒による高回転
ハイパワーが使えなくなり、
2ストマシンが台頭
した。
2ストのほうが同排気量では
圧倒的に加速性が良いのも
2スト台頭の背景にあった。
4スト多気筒車は高速度におい
ての優位性はあったが、ずっ
と高回転を維持して走らない
とならないという職人技が
要求されるマシンでもあった。
だが、日本車締め出しのつも
りが、気筒数制限というパワ
ハラ技さえもはねのけて、結
果的には日本
メーカーが2スト
マシンで圧倒的な性能をみ
せ、
西欧の二輪製造勢力と主催者
は沈黙せざ
るを得なくなった。
日本にはヤマハとスズキがい
たのを西欧人は忘れていたの
か。
ヤマハとスズキは共に世界王
者を争い、ミド
ルライトウエ
イトクラスでは後にカワ
サキ
も本格参入して250/350では
カワサキ絶対王者
時代を何年
も続けた。

そして、ホンダはスプリント
GPからは撤退したが(79年
に復帰、82年からは初の2ス
トを開発投入、83年に世界一
に)、日本製の2ストマシン
はその後30年間世界王者に
立つという日本車絶対王者
時代
を築いた。
地球上のスプリント競技は

日本車でなくば全く勝てな
い時代が4ストも含めると
1970年代初頭から45年程続
いたのである。

4ストマシンならばホンダ。
4ストエンジンはホンダが今
でも世界一だろう。
ただ、トータルバランスと
しては2ストのヤマハのほう
が圧倒的良質ハンドリング
だった。
エンジンはホンダがダントツ
だ。
今、誰が乗っても転ぶ車しか
造れなくなったのには理由が
ある。
トータルバランスを欠いた
構造だからだ。
エンジンだけいくら優れてい
ても二輪は走らない、という
現象が現在如実に現出してい
る。

 


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