渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

記者の視点、視座

2020年10月30日 | open

















昨年夏のNewsweekの記事だが、書いた
記者の視点の甘さと社会傾向を解析する
視座のデタラメさに呆れる。薄っぺらな
表層現象のみ追う作文だ。
こういうのはジャーナリスムではない。

そもそも、「敷居が高い」という日本語
をまるで誤認誤解したまま使用している。
国語の勉強からやり直したほうがよい。
また、「ムーブメント」とは如何なるもの
であるのかについて、全く不見識な部分で
言語を使用している。
まあ、この手の記者が飛びつくネタが今
のキャンプ「ブーム」なのだろう。

筆を取ったら、例え肯定的でも否定的で
も、読む者を記述者の世界に引きずり込ん
で、感動したり、葛藤したり、涙したり、
喜んだり、癒されたり、怒り心頭に、と
いうような肉迫疑似追体験をさせるよう
な文章を書かないと意味がない。
まして、モノカキは記者だろうが、売文
ライターだろうが、それなくば筆を取る
意味が無い。

報道は、事実をありのままに伝えるのは
大前提だが、そこに提言なき報道はジャー
ナリズムとはならない。
新聞でもテレビニュースでもそうだ。
上掲記事の場合、貴族嗜好を味わうグラン
ピングなどを志向する女子に牽引された
「ブーム」等にみられる多様性が「ムーブ
メント」になるかも、というのが提言なの
だろう。SNSやネットが持つ本質的な危険
性を見る視点を欠落させて。
多様性の履き違えは真の自由をも拘束す
る。
その問題は、アナログかデジタルかという
問題ではない。風評流布という危険性を
伴う排外主義を誘発させかねないデジタル
ツールを背景にした流行の危険性を突く
報道人としての姿勢は記事には無い。
また、社会運動たるムーブメントの意味
を全く理解していない。
いかに、本物のムーブメントと無縁な者
であったかがたちどころに判る。
報道陣としての社会的視点を欠いた薄っぺ
らな記事だ。

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