渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

克己復礼

2020年11月30日 | open


顔淵問仁。子曰、 
克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰焉。為仁由己、而由人乎哉
顔淵仁を問ふ。子曰はく、 
「己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に
克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為す
は己に由る、而して人に由らんや。」
と。
顔淵が仁について尋ねました。孔子先生が
おっしゃるには、 
「自分に打ち勝って礼に立ち返ろうとする
ことが仁である。一日自分に打ち勝って礼
に立ち返ることをすれば、世の中はその人
の人徳に帰伏するであろう。仁を実践する
ことは自分(の振る舞い)によるのであって、
どうして他人に頼るものであろうか、いや
そうではない。」
と。

顔淵曰、 
請問其目。
顔淵曰はく、 
「請う其の目を問わん。」
と。
顔淵は言いました。 
「仁を実践するための要点をぜひお尋ね
したいです。」
と。

子曰、 
非礼勿視。非礼勿聴。非礼勿言。非礼勿動。
子曰はく、 
「礼に非ざれば視ること勿かれ。礼に非ざれ
ば聴くこと勿かれ。礼に非ざれば言ふこと
勿かれ。礼に非ざれば動くこと勿かれ。」
と。
孔子先生がおっしゃるには、 
「礼にかなっていなければみてはいけない。
礼にかなっていなければ聴いてはならない。
礼にかなっていなければ言ってはいけない。
礼にかなっていなければ(その)行動をして
はいけない。」
と。

顔淵曰、 
回雖不敏、諸事斯語矣。
顔淵曰はく、 
「回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。」
と。
顔淵は言いました。 
「回(私)は賢くありませんが、ぜひこの
言葉を実践していきたいと思います。」
と。


論語は私が5歳になり、何故か知らねど、
を付けて碁盤の上から飛び降りさせら
れたその日から、畳の間に正座させられ
て素読することを始めさせられた。
られたられたの受動態だ。自分の希望では
ない。自分の希望などが通る家ではない。
そうしてっと、やがて少年は盗んだバイク
で走り出す。

読みは読めない漢字が並ぶ上記黒文字の
原文を緑文字の書き下し文=日本語訳を
音読して覚えるのである。年端もいかぬ
子どもが。
そして、父からその意味(紺字部分)につい
教わり、人の訓と仁について説かれた。
意味など幼稚園児などにはサッパリだ。
早くその時間が終わって、外で仲間と合流して
チャンバラごっこやメンコやコマ回しに興じた
いとばかり願っていた。やがて御家の必須と
してやらなければならない竹刀でのヤットー
も稽古などは好きではなく、野外で友だちと
遊びの勝負をして競ったり、見知らぬ場所に
やはり友と連れ立って探検、冒険に行く
が好きだった。
今、よわい半百を十(とう)過ぎて、今以て
は論語を知らぬ。読めず、ただ眺めるばかり
なりけり。

かつて、子曰は「し いわく」とは読まず、
「し のたまわく」と読んだ。
論語は出来の悪い人間という醜い生物が、
如何にして天命の理を覚悟すべきかの道筋を
示している。
これを見るに、古代大中華の仁の智たるや、
凡そ極東アジアの列島小国や大陸突端の辺境
小国半島の人の心の世界観の狭さなどでは
遥かに及ぶところでないことは自明の理。
島国根性、辺境半島根性からは、こうした
人類全般をも包括解析でき得るオリジナル
思想は自国からは発生しやしまい。
いわゆる、全員が論語読みの論語知らず、つま
り私のように、皆さん揃いも揃ってまるで
サッパリの徒ということだ。
極東アジアのイナカモンなんてのはそんな
もん。

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