渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

高2の時のツーリング

2023年07月24日 | open
 


同じ高校の同級生たちと秋の
奥多摩ツーリング。高校2年の
1977年だな。高校は文京区の
古い私立高校だった。黒澤明
やホンダの創立者が出たとこ。
8名全員革ジャン。全員、丸首の
MA-1タイプ。
これ普通のデフォ。
何も示し合わせていない。
真ん中が俺。
隣りの白パンは埼玉県立浦和
第一高校の奴で、東大予備校
のようなちょいと勉強できる
ガッコだったが、まあ二輪乗
りなので頭は俺らと同じで良
くはない。おいらの友だち。
こいつは一緒に山へ行きてえ
ってんで俺が連れて来た。
カワサキKH乗り。
 
高2の時の正月の四国横断ツーリ
ング。東京から行った。
これは伊予松山城。
このタイプの革ジャンを着る事
が多かった。
この時の道行きは寒くて死ぬか
と思った。四国の海岸線は雪が
さんさんと降っていた。

 
1970年代はこのデザインの革
ジャンがティーンにはセオリー
みたいね。
横の国立千葉大に行ったイトコ
たまたま同じの着てた。

 
この手のサタディストリート
ナイターズたちが好んで着た
革ジャンのタイプは、1976年
前後当時で2万位だったので、
高校生たちには安くはなかった
が、バイト代などで皆自分で買
ていた。
親に買ってもらう奴は私の周囲
にはいなかった。
私は免許取得も二輪車本体も買
い替えも10代の時から全部自分
の力でやっていた。
倒れたら自分一人で起こす乗り
物をあえて選んで乗るので、自
分でやるのは当たり前と思って
いた。
 
時代的レートをスライドさせる
と、現在も当時とほぼ同じ価格
帯だ。


高2の秋の日光中禅寺湖ツーリ
ング。いつものように同級生
たちとの走り。
この時はロング丈のロンドン
タイプの革ジャン。
この時は那須で一泊した。
帰りの地方の高速道路、街灯が
無いのにたまげた。
そういう時代。
走り慣れた首都高とてんで違う
ので、ちょいとおっかねーね、
なんて思いながらみんなで深夜
の高速を帰って来た。
日中もくそ寒かったけどさ~。

「揺曳たる木漏れ日の中を
疾駆していると、季節の移
りをいやがおうにも感じる。
それでも前を見ると、北風
が容赦なく私の頬を殴った」
(1977)

タイムスリップ

2023年07月24日 | open
 

高1の時はダックテールのロケン
ローラーだったとしても、まだ
幼いよな。
 
つーか、このシャツまだあんだ
けど、どいうこと?(笑

整備スペース

2023年07月24日 | open


コンパクトで手頃。

山手線運転再開

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やっと動いた。

レザーウエア

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真夏でも革着てる(笑
法定速度の送り火流し。


心眼

2023年07月24日 | open


私は仮性近視なので裸眼視力は、
先週レンズが割れていた予備の
眼鏡にレンズを入れるべく検査
したら、現在視力は0.1強程だ。
車両運転は「眼鏡使用」である。
だが、撞球で玉が入る。
「入る」ではなく、入れる。
なぜそれが可能なのか。
それは、心眼で見ているから(笑

てなのは冗談で、実は「点」で
狙う所を見ていないからだ。
ライフルスコープで狙う狙点の
ように二次元の点では玉を見ず、
近接戦闘射撃で銃身で的を捉え
るような技法で玉の狙いを定め
ているのだ。全体的な空間把握
で捉える、という方法。

実は、日本の古流武術などは
れだ。
弓にサイトなどは存在しない。
だが、人間の身体能力だけで
那須与一のように遠方の洋上
の扇さえも射抜く事ができる。
与一の弓に的狙いの目盛りの
ある照門や照星などは存在し
ない。

点で狙わず、面を見る。
面で狙わず、空間を把握する。
把握したなら、たとえ眼を瞑っ
でも玉を入れる事が可能だ。
これほんと。
眼鏡などは必要無い。
これは、撞球のみならず「武」
に関するある一つの定理であ
る。
飛行BB弾を抜き打ちで切れる
世界でただ一人の剣士は町井
勲氏だが、彼は私と同じく現
在仮性近視で眼鏡をかけない
と遠方が見えない。
だが、飛行物体を抜き打ちで
切る。切れたと自己宣伝して
いる刀を予め抜いているニセ
モノたちとは大違いで、本当
に抜刀斬撃で切る。誰もがで
きる技ではない。
町井先生とは昵懇だが、見る
事について武技談義していた
ら、「視力では飛行物は全く
見えてません」と言っていた。
だが、抜き打ちで切断する。
弾丸を見ずに弾道を見ている
のだ。


手玉の撞点さえぼやけて見えて
いない。
だが、的玉は沈める。
この不思議。
それは、武術的な技法を投入し
ているから実現できる。
視力が良いから難球を沈めたり、
マスワリを連発できるのではな
い。
撞球においても、一つの武技の
定理が働いている。
要はそれに気づくか気づかない
か、その定理を真理として見定
める事ができるか、その真理を
真理として体現できるか、とい
う内実の有無でしかない。


造形は確かな知見と技術の実現 〜日本刀の技法〜

2023年07月24日 | open


日本刀研磨の技法で研ぎ上げた
600円の肥後守。

この肥後守の刀身の「笹の葉」
は私がノーマル肥後守を磨り
上げて成形した。


一般的な肥後守のメーカーが
現在販売している「笹の葉」
形とは造形が異なる。
私の成形は日本刀の知識を投入
した造形だからだ。
それは幕末の大家である水心子
正秀が記した「規矩」に基づい
ている。
刀工水心子正秀は、日本刀の
製造方法が完全失伝した江戸
期に深い研究を続け、推定な
がらも手探りで日本刀を作る
事に成功した歴史的偉人だ。
日本刀は実は公には語られな
いが、江戸期に全く60年ほど
注文が途絶えて、刀の製法が
完全失伝した。
江戸時代初期までは新身(江戸
新刀の当時の呼び名)であろう
とも、旧来の本物の日本刀(桃山
以前の日本刀の事で古刀と呼ぶ)
の作り方は知ってはいても新工
法を試している時期だった。
だが、古刀も新刀もへったくれ
もない「刀そのものの製造が
無くなる」時代が半世紀以上
続き、新刀の製作方法さえもが
失伝してしまった。
幕末にその事態に危機感を持っ
た水心子正秀は、刀剣研究に
没頭し、道を拓いた。
百数十名を超える全国の刀鍛冶
が彼に弟子入りした。
現代の現代刀工も、師匠筋の
ルーツを辿れば、全員が漏れ
なく水心子正秀に繋がる。
斬鉄剣の小林康宏でさえ、師匠
筋のルーツは水心子にある。

その水心子正秀が残した指南書
の解説には、刀の造形のポイン
トについても図解で説明されて
いる。
その知見と伝統的なシルエット
の実現を踏襲したのが、この
私の肥後守の笹の葉成形の造形
だ。
このシルエットは私のオリジナル
であると同時に、幕末の水心子
から続くブレードデザインでも
ある。日本刀の製作・研磨技法
と実用ナイフの仕上げを高次に
融合させたのがこの肥後守であ
る。
鎬の立て方、平地と鎬地の先に
行くほどの細り度数も日本刀の
研磨次第の技法に準じて研ぎ上
げている。
平地の身幅の変化は綺麗な細り
を実現できたと感じている。
ただの研ぎではない。
細かい部分まで日本刀研磨の
技法と知見を投入、反映させ
いる。

鋼の素顔を見せる方法 〜研ぎ〜

2023年07月24日 | open



日本刀を生かすも殺すも研ぎ
次第、とは巷間人口に膾炙さ
らて来た。
これは日本刀に限らず、鍛造
した鋼の刃物では同じ事がい
える。
600円で売られている全鋼の
安い肥後守でも、日本刀研磨
と同じ手法を用いたら、この
うな鋼の素顔を引き出す事
可能だ。

研ぎ私。


世の中、ナイフの研ぎは大抵は
ただ砥石でこするだけの研ぎが
一般的だ。
だが、鋼を使った刃物は、たと
え肥後守であろうとも、京都の
天然砥石を使って、突いたり引
いたりの技法を用いればこのよ
うな鋼の真の姿を浮かび上がら
せる事ができる。
肥後守でここまで日本刀研磨と
同じ事をやっている例は私以外
には見ないが(笑
手間だけやたらかかり、実用性
に乏しいので誰もやらないのが
その理由の一つだろう。
もう一つの理由は、一般の人た
ちは日本刀研磨の知識も技術も
無いので「できない」「やれな
い」のが理由だろう。
後者の理由に依る例が多いので
はなかろうか。

ただし、ナイフといっても、ス
テンレス鋼の削り成形や打ち抜
きのナイフはこうした地肌は出
ない。
これは素材の構造と質性による。
あくまで、鍛造した鋼の刃物の
みに熱変態の鋼の「働き」が
現れる。
現れてはいても、砥石でこすって
鋭利にするだけの研ぎでは、一切
この画像のように日本刀と同じ
素顔は見せない。
日本刀の研ぎとは、研磨の事で
あり、薄くさせて切れ味を良く
させる包丁やナイフの研ぎの目
的とは大きく異なる。
ただ切れ味のみを求めるならば、
日本刀とて名倉までの研ぎで
充分だ。

上掲の肥後守は16種類の砥石
を使用した。
金肌拭いはかけておらず、いわ
ゆる差し込み研ぎだ。
日本刀研磨のうちの古伝の技法
である。



斬鉄剣小林康宏

2023年07月24日 | open



刀鍛冶は研ぎもできる。
「鍛治押し」という第一段階の
整形は刀鍛冶自身がやらないと
ならないからだ。
斬鉄剣小林康宏二代目は仕上げ
研ぎまでできた。
今はやらないが。
私の刀は何口か二代目康宏小林
直紀先生に研いでもらった事が
ある。
本格的鑑賞研ぎは、初代小林康
専属研ぎ師だった田村慧氏が
手がけてくれた。
北の斬鉄剣を作る藤安将平刀匠
も研ぎがとても巧い。
研ぎが出来ない刀鍛冶はいない
が、日本刀製作は分業制なので、
鑑賞研ぎは研ぎ師が専門職とし
て鎌倉時代から刀剣を研ぎ上げ
ている。
日本刀という物が世界稀有な刀
剣で美術性を帯びるのは、地球
の歴史上、日本の京都のみしか
存在しない砥石が日本にはあっ
たからだ。
これは神の采配だ。
2億数千年前の地殻変動で、仕
上げ砥石の鉱脈は日本の京都の
みに存在する事になった。
地球の上でそこのみ。
そのレアストーンである砥石の
存在により、日本刀は世界で
には類例を見ない研磨が可能に
なった。
刀を生かすも殺すも研ぎ次第。

二代目小林康宏(1995年)


猛暑

2023年07月24日 | open
 
 


 
峠の山頂は少しは涼しいかと思
ったら、めちゃくちゃ暑か
った。
高速道路走ったら少しは涼しい
かと思ったら、焼けた鉄板の上
を走っているように暑かった。
暑すぎたので、広島県三原ICか
ら岡山笠岡ICまで1000秒
程で着いた。(脳内)
エアコン利いたZ-YARDは天国
だった。