渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

夢は夜ひらく 三上寛

2021年12月16日 | open

夢は夜ひらく(1971)


ここで三上がうたっている「あしたの
じょー」とは、ブント赤軍派の1970年
よど号「H.J」
実行班のことである。
ゆえに、「あしたのジョー」ではなく、
田宮高麿が国境越えのハイジャック
宣言で間違えた「明日のジョー」
という表記に歌詞を持って来ている。
「45円の栄光」とは、入浴料45円の

銭湯の壁に貼られていた実行班の手配
書を見た時に沸いた今の自分の不甲斐
なさとの葛藤をうたっているものだ。


【「夢は夜ひらく」についての概要)】
作曲:藤原伸(曽根幸明の別名義)
作詞:川上貞次(曽根のペンネーム)
発売:1966年、テイチク
原曲は、東京少年鑑別所(練馬少年
鑑別所通称ネリカン)で歌われていた
俗曲を採譜・補作し、曽根が自ら「藤原
伸」名義で歌った『ひとりぽっちの唄』
(1966年、テイチク、作詞:川上貞次

(曽根のペンネーム))である。その後、
歌詞・曲名を新たにつけかえ、園まり
が歌うことになった。
歌詞の異なる様々なバージョンがあり、
JASRACには20を超える作詞者による
異なるバージョンが登録されている
(wikiより)







藤 圭子「圭子の夢は夜ひらく」

2021年12月16日 | open

藤 圭子「圭子の夢は夜ひらく」

ヒッキーもいいけど、うたうたい
としては絶対におふくろさんのほう
がいい。



鳥肌立った。
特にこの曲は、この人にしかうたえ
ない。
いやあ、ほんとにいい。
この人のうたを過去映像ではなく
デビュー時からタイムリーに聴けた
時代に生まれていて、本当にラッキー
だった。
1970年10月23日 渋谷公会堂ライブ
7月生まれ 当時19歳







2021年12月16日 | open


豪雨ではないが雨が夕方からさん
さんと降っている。
夜の帰宅時の雨も降りが強くなっ
た時で楽では無かったが、何とか
転ばずに無事帰還。
広島県北ではあすの朝は氷点下な
のだそうです。
皆さまお気をつけください。



うなぎ

2021年12月16日 | open


横浜の友人のメシ。
をひ。量多くねえか?

雲龍

2021年12月16日 | open


空には雲龍。
キウシウ。



安政柑

2021年12月16日 | open


大事に育てて来たうちの安政柑が
けさ盗まれた。昨夜はあったのに。
こだまスイカ位の大きさの。
一昨年も全部盗まれた。
レモンもミカンもハッサクも全部
盗まれた年があった。80個。
柿さえも盗まれた。

なんでそんな事するの?
人の宅地内に入って。
一度、車上荒らしがあったので警察
に相談したら、深夜に警察官数名が
宅地内と周辺に連日連夜潜伏して、
建造物侵入犯人を現行犯逮捕した。
かなりの大捕物だった。暴れまくっ
ていたが制圧されていた。
また、別な日には敷地内をうろつく
不審者が二人うちの忍者犬に派手に
噛みつかれて怪我をした。
健康保険証を持っていない夫婦二人
だった。
警察にだけは言わないでくれとか
言ってた。
かなりの怪我。
やむなく治療費はうちが支払った。
不審夫婦はその後別地に行ったらし
いが、たまたまその行き先に私の知
り合いがいて、その夫婦らしいのが
かなり泥棒らしき事を繰り返してい
て地元鼻つまみらしい。

うちのレモンをまるごと盗んで行
ったのは、どこかのおばさんらし
い。
向かいの人が見ていた。
あまりに堂々と摘んで行くから、
知り合いかと思ったと言う。
丸々盗んで近所の市営住宅のほうに
消えたという。
それまで家の敷地に門扉をつける
のは嫌だったが門扉をつけた。
感知ライト他セキュリティも入れた。
それ以降はレモンも柿も蜜柑も被害
は無い。
だが、表通りに面している樹木に
成った大きな安政柑が丸ごとけさ
がた盗まれた。

なんでそんな事するかなあ。
三原、泥棒が多い。
なんだろな、この土地。
ろくでもないのはどこにでもいるが、
泥棒がやたら多いのと、道路通行で
右折で茨城右曲がりをする人だらけ
なのは事実だ。
なんとなーくだが、「なん言いよん
なら。そがーに人に盗まれるもんを
家で植えとるんが悪いんよね」とか
被害者のほうを悪く言いそうな土地
柄のように思える。
実際、信じ難いが、そういうケース
は嫌という程多いし。
人の車やオートバイをこすって疵つ
けてもやったほうが逆切れとかね。
人んちの敷地建造物にボゴボコ車を
ぶつけながら、ぶつけたほうがこち
らに文句言ったりとかね。
なんでこんなとこに物があるんじゃ!
とか文句言う。
自分が道路はみ出してうちの屋外駐
車場を突っ切っていながら。
結構えらい語気で文句言う。
はあ?とか思うが、事実はそうなの
で否定しようがない。
盗人猛々しい土地柄。
商工会がよその土地から転住して
来た特定新参飲食店経営者の店の
事を他の会員に「あっこは行っ
らいけんで(あの店には行かない
うにしろ)」と言ったり。
東京生まれ東京育ちの人間にそれら
事を打ち明けると、「そんな訳
ないだろー。そんな事は言わない
だろ、ふつー」とか言うのが多い。
てか、全員、信じない。
東京では考えられない、あり得ない
非常識だからだ。
しかし、公的団体の不正受験を指摘
したらパワハラで団体の活動させな
い事を強要したりするような土地柄
だ。
それはスポーツや武道、教育の場で
そうした事が横行している。
そんな感じ。ここんとこの土地。

そんな土地柄などどうでもいいけど、
差し当たり、人んちのもん盗むなよ。
ここは泥棒村か?
そうそう、あちこちでバイクを盗ん
で来ては海外にさばいていた正式
業者が何年か前に検挙された。
三原市内のバイク屋。
ま、そんな場所。

猫救出の時には三原市民の心の暖か
さを感じたが、それとは別に悪い
事は悪い。日本全国、どこでも良く
ない事は良くない事だ。
それに目をつむれ、黙れ、言うなら
出て行け、というのは、さすがにど
うかと思いますよ。
教育的立場の人間でさえ広島県は
そうなのだから、実に困ったもん
だ。
まあ、自民党の国会議員夫婦が市
長たちに金ばら撒いて手なづけよ
うとして逮捕されたけど、そうい
う事が通る土地柄だからだし、だ
からこそそんな事をやっていた。
三原市長もしっかり貰っていた。
明るみに出た時、「一切使ってい
ない。そのまま取ってある!」と
か開き直って胸張って言ってた。
意味わからん。猛々しさは行政長
が代表している。
広島県民、政治の中央からも馬鹿
にさてるんだよ。そんな民度、そ
んな行政長の程度だろう、と。
だから公的行政長まで中央からの
金まきで鼻薬の毒薬渡されてワン
ワンと尻尾振ってる。
舐められてるぜ、広島人。

良い事悪い事に地域性はない。
ここだけルールてのは無い。
悪い事は全国区だ。
差別や排外主義や不正や汚職や盗み
等々もろもろ。
いけない事はいけない。
日本全国、どこでもいけない。
襟元正そうぜ。


外側ステンレス・内側青紙挟み込みの利器材の実態

2021年12月16日 | open

ステンレスで特殊鋼(準炭素鋼)を
挟み込みした利器材を使って作ら
れた「高級包丁」。

鋼部分がすぐに朽ち果てる。


沈金錆という悪性の錆をすぐに生じ、
さらにそれがクレーターのように金
属を朽ちさせてどんどん内部に腐食
のえぐれが侵攻する。


裏側。


別な包丁。
同じ構造の「高級包丁」。


こちらは錆切りのみをした面。


朽ちている実際がお分かりいただ
けるだろうか。


こちら裏側。
朽ちた部分は歯の虫歯と同じで、
削り取らない限り再生しない。
だが、プラークは人体がコントロ
ールさせても、鋼は研ぎ減らした
部分は絶対に物量が増す事は無い。
これはもう宇宙の法則として絶対
に。消滅したものだからだ。


なので研ぎというのは、状態をよく
観察して、「いかに研ぎ減らさない
か」に腐心する。

研いでどうにか使えるように戻して
も、この種の利器材を使用している
限り、また錆びて来る。
良くない刃物だ。
利器材使用の包丁はあまり買い求め
ないほうがよい。
切れ味は青紙なので適正な刃付をし
ていれば良く切れる。
青紙利器材は肥後守も使っているが
カイサキが錆びる事は無い。
肥後守の青紙使用種は地鉄は鉄だ。
やはり、ステンレスとの組み合わせ
の挟み込みが良くないのだと思う。
なお商品によくタガネポンチで
「本割込」と打たれているが、厳密
にはそれは虚偽である。
割込とは地鉄の中に鋼を割り込ませ
て鍛着させるハンマーでの本鍛錬を
させた物の事をいう。日本刀でもそ
の製造法は存在し、刀の世界では
それを「割鋼造(わりはがねづくり)」
と呼ぶ。戦国期に数打ち日本刀で
多用された工法だ。実用的でかなり
頑丈。

ゆえに、機械的に板材を貼り合わ
せて大型近代機械ローラーで圧延
させた物体は「本割込」ではない。
それは「日本刀と同じ製法」とい
虚偽の表現と同じく、刃物の事
よく知らない人向けの観光地の
土産物売り言葉と同軸であり、刃
物の業界人が宣伝文句に使うのは
好ましい表現と姿勢とは決していえ
ない。
なぜならば、真実はそのポンチ刻
印がある刃物は全て本割込ではな
く、サンイッチ・ロール圧着圧
延の板材を型の押し抜きでカット
して、削って、焼き入れ焼き戻しの
熱処理をして、動力研ぎしただけ
の刃物だからだ。
それを「高級品」とか「職人仕様」
と称して包丁の世界では売っている。
あまり褒められた事ではない。
まるで日本刀の擬物大集合の「奈良
物」みたいなものだ。あれは土産物。
大抵は大銘の出鱈目なタガネが切っ
てあり、親指で押しただけで刀身
が曲がる。土産物のニセモノとわ
かっていて買うなら良いが、江戸期
も現代も、刀が見えない人たちは
その出鱈目大銘を正真と思い込んだ
り騙されたりして購入する。
現代でも、ネットオークションなど
は現代刀以外は贋物大ニセモノだら
けだ。
小学生が考えても分かる。
虎徹や清麿が100万円で買える筈が
ない。
だが、本物だ、お買い得だとか信じ
て擬物やニセモノを買ってしまう。
それは、刀が見える見えない以前に
お買い得とかお値打ち価格とか、欲
目が曇っているからだ。
日本刀を金銭交換価値で計ろうとす
ると、目が曇って大抵は刀が見えず
損をする。
プロの贋物師や悪徳業者はしてやっ
たりとウハウハしてる。
昔から刀屋等の古物商を指して人は
言う。
「窃盗、骨董、強盗」と。
骨董屋は強盗よりマシだが、窃盗よ
り悪どい、という古物商の資質を
言い表したものだ。
事実、刀の世界も書画骨董の世界
古物商はかなり質がよくない連
中が圧倒的大多数を占めており、
刀や包丁や絵画はクリーンな物な
のに、それで悪だくみで儲けよう
とする人間たちのいかに汚い事か。
清涼クリーンな刀剣商もあるが
極めて少ない。
また、武道家などで弟子や知り合
いに刀剣を売りつける類は国内に
は実に多いのだが、とても金に汚
い。斡旋しても業者ではないのだ
から無償でやるのはあたり前なの
に中抜きして刀を渡したり、知り
合いや弟子からぼったくろうとし
ている族も実はかなり多い。
刀は清涼なのに人が濁っている。

とにかく、刀も包丁も、汚い事
くない。

鋼部が朽ち錆の包丁を二丁とも完全
復活させた。
料理には使えると思う。




スピットファイア

2021年12月16日 | open

4Kᵁᴴᴰ / Supermarine Spitfire FR Mk.XVIIIe -
AWESOME Rolls Royce Griffon SOUND!!!
 

う~ん。
世界一かっこいい。






柄(つか)

2021年12月16日 | open



柄(つか)である。
「え」ではない。

日本刀を持つ外装部分は「つか」と
呼ぶ。
ナイフならばハンドル、オートバイ
ならグリップと呼ぶ部分。

私は日本刀の柄にはさほどこだ
わりはない。正絹の諸捻り巻き
がいいな、という程度で。
どんな柄でも、これは嫌だとか、
これでなくば扱えない、という
のは私には一切無い。
これ、思うに、私は日本刀は特定
スポーツの競技者の道具としてで
はなく、戦闘武器として私自身が
無意識に捉えているからではなか
ろうかと感じている。
軍用小銃で、いちいち「ここの
グリップがぁ」とか「このフォア
がぁ、ストックがぁ」とか言って
られない。
だが、競技射撃の選手たちは違う
だろう。スペシャルカスタマイズ
をして各選手が自分に合わせて銃器
を技術者に造ってもらっている。
しかし、戦闘武器ではそうしたお誂え
は存在できない。
戦闘現場では自分の銃が不調になっ
たら即捨てて味方からの供与の銃や
敵の銃を奪ってでも戦わなければ
ならない。
日本刀も本来はそうではないのか。
自分の一刀は大切に思うし、刀身も
外装も厳選する。
だが、一朝事ある際には、状況下
ではそれさえもすぐに捨て去る覚悟
が戦闘者には要るのでは、と感じる。
特に刀剣による剣戟では乱戦が想定
される戦国期や幕末動乱では、武具
へのこだわりはあっても個別武具に
執着を持っていたら生き残れないし、
武士の本懐も果たせなかったのでは
と思う。
私の中ではそういう問題意識がある。
また、江戸期の武士の価値観として
「数寄者(すきしゃ)」を敬遠する
気風があったのは、物に拘泥し過ぎ
ると、いざ鎌倉の時に武士の本分と
乖離する武士の存在そのものを脅か
す危険性があったからではなかろうか。


しかし、オートバイの手周りについて
は、たとえレバーがミリ単位角度が
ずれていても私は嫌だなぁというの
はある。
これはビリヤードのキューやフライ
ロッドの竿調子やハンドル嗜好に
非常に似ていて。
二輪のレバーはミリずれていたら
すぐに判る。「これくらい」という
自分に合った自分の好みの角度と
いうものが必ずある。
四輪車では誰でも運転席のシートの
背もたれ角度や前後調整や高さを
自分に合わせるだろうが、二輪の
場合はハンドルのブレーキレバー
やクラッチの角度は自分に合わせる。
合わせる際にはレンチでネジを固定
まで締め込まない。転倒の時にレバー
が折れるからだ。
両手で持ってグイッとひねれば自在
にレバー角度を変えられるような
締め付けトルクでレバー類は締め
付ける。
万一の転倒の時はレバーは回って
折損を防げる。
よくロードレースやモトクロス等
で転倒した選手がレバーをポンポン
叩いて位置を直しているのは、あれ
は折損防止のためにレバーをキツ
キツに締めこんではいないからだ。
これ、一般公道でも私はそうして
いる。折損防止と、それと任意に
角度を合わせられるので。

武士の武具とオートバイのセット、
かなり位相が異なると感じる。

 


本間利彦

2021年12月16日 | open


元GP250全日本チャンピオン。
元ヤマハワークスライダー。

本当の事を言う本物の人。
モノホン。
稀有な存在。


炭素鋼のみの合わせと利器材

2021年12月16日 | open



日本刀はすべて炭素鋼でできている。
広義には心鉄構造の物は中のアンコ
の部分は包丁鉄などとも呼ばれる
が、狭義にはそれも極低炭素鋼だ。

日本の包丁では高炭素鋼(いわゆる
鋼=はがね=刃鉄)を地鉄(じがね)
という低炭素鋼に鍛着させる。
この技法はすでに奈良時代の刃物
には見られた。
高炭素鋼と低炭素鋼を組み合わせる
意味はいろいろあるが、現代におい
て日本刀での高炭素鋼と低炭素
鋼を組み合わせた構造の物を日本
刀の強度を増すため、とか言うの
はすべて間違い。誤認だ。
歴史性を見るとそれは明らかになって
くる。
そもそもが硬軟の炭素量の違いに
よって鋼を予め選り分ける量産性
確保の為に日本刀の組み合わせ
工法は時代的な膨大な軍需情勢
にマッチさせようとした工夫と
して登場した。
それまでの無垢からの途中で工程
をストップできない手間のかかる
工法から、材料を予め炭素量ごと
に平板にしておいて、それを分業
工程で製造できるようにしたのが
日本刀の組み合わせ工法だ。

和式包丁は元来は日本刀と同じよう
な形状だったが、江戸時代に入り、
現在の包丁のようなアゴ部分を
堺の鉄砲鍛冶が刃物鍛冶に転じた
際に発明した。
和式刃物の場合も日本刀の無垢造

と同じく全部高炭素鋼で刀身を造る
本焼きという包丁がある。現代では
超高級包丁としての位置にいる。
高炭素鋼といっても、明治以前は
たたら鋼から作るので、元々が
硬軟入り混じった丈夫な練り鋼だ。
それとは別に、包丁ではカスミと
呼ばれる高炭素鋼に地鉄を鍛着
させた包丁がある。
このカスミが一般的ないわゆる和
包丁では今は多い。
なぜ全鋼にしないのかはいろいろ
な意味がある。
ただし、江戸期には鋼よりも地鉄
のほうが値段がかなり高いという
材料事情があった事は意外と知ら
れていない。
江戸期の実相は「鋼の節約」「増
量材」として戦国時代の大量生産
の図式を説明することはできない。
原初としては地鉄は増量材の意味
もあったが、もっと別な見地から
の採用が存在したと思われる。

ただ、日本の刃物の歴史を見ると、
包丁等の実用刃物でも刀と似た
形状ではあっても、製造の指針の
方向性は戦闘刃物(のちに階級
の象徴や聖的な位置を付与)で
あった日本刀と料理包丁は別な
製法に分岐して来たのが分かる。
正倉院の刀子(とうす)の製法
や古墳時代の鉄刀の製法を即
武士が勃興して以降の湾刀の
構造や製法に直結させる事は
できない。実体からして。
包丁等の刃物は日本刀とは別な
技法的進化をしたとみるのが
妥当だろう。

だが、世の中恐ろしいもので、
日本刀の製造技法は一度江戸中期
に完全失伝した。数十年新作刀の
需要が途絶えた歴史がある事を
学校の教科書には書かれていない
ので、今の日本刀製法があたかも
平安時代から続く製法だと誤認
している人は多く見受けられる。
今の日本刀の作り方は幕末に
一人の刀鍛冶が失伝していた日本
刀の製造方法を復古新刀として
独自研究で開発したその技法の
延長線上にある。
再生復元(かなり怪しい部分も
あるが)技法が現代刀の一般的
な作り方として存在している。

恐ろしいというのは、日本刀鍛冶
以外の刃物鍛冶は古来からの技法
の連綿性を保有していた事だ。
とかく日本刀の刀鍛冶は他の鍛冶
よりも一段どころか遥か上の高位
の存在であると誤認の自認をして
いたのは江戸期も現代も変わらない
ことは現代の状況や江戸期の史料
から伺える。
だが、実態としては、包丁や鎌など
の野鍛冶のほうが古式技法を継承
している部分も多くあった。つい
最近まで。
鎌の泥焼き入れなどはその典型だ
ろう。
また逆にズブなどの焼き入れ法も
部分的熱変態利用として鎌鍛冶等
は行なうが、それも古式古伝の
日本刀製法(山鳥毛など)と共通
している。
卸鉄(おろしがね)の技法で鋼の
炭素量を調節するのも古式刀鍛冶
はこなしていたが、現代刀工では
出来る人は少ない。
だが、野鍛冶たちはつい最近まで
は自在にこなす人も多かった。
高位であると高慢をきめる刀鍛冶
たちよりも、「鍛冶屋の鼻黒」
「鍛冶屋の貧乏」と城下町の子
どもたちに馬鹿にされて吹子祭り
の蜜柑を投げて追い払っていた
鍛冶屋のほうが鍛冶屋として刀
鍛冶たちよりも鍛冶の仕事に精通
していたという事実の連綿性を
最近までの野鍛冶は持っていたの
である。

利器材という物がある。
これは現代鋼の製造メーカーが
工場で鋼と地鉄をフラックスを
使って圧延鍛着させた物で、
鍛冶職が手打ちで鍛造した物で
はない。
現代包丁はすべてほぼ100%に近い
製品が利器材を使用している。

この利器材で、最近出てきた新機軸
の鋼材がかなり出回っている。
それはステンレス(鉄にクロムが
13%以上含有された鋼)を地鉄と
して使用して、真ん中に純炭素鋼
や日立の青紙等をサンドイッチした
鋼材だ。
素人向けに「最高級」とか「日本刀
と同じ構造」とかの宣伝文句で販売
されている。日本刀と同じという
のははっきりいって大嘘だ。
また、最高級というのは別物の
質性を具備する構造体かと私的
には思料する。
問題は、この鋼材、実は非常に良く
ないという現実がある事だ。
圧延鍛着の際の鍛着接着剤のフラッ
クスが悪さをするのか、クロムとの
化学変化がもたらす結果なのかは
カラクリがよく分からないが、異様
な錆び方をするのだ。通常の炭素鋼
の包丁の錆び方とは異なる異常な錆
の発生進度の状態を示すのである。
そして、放置すると、どんどん
食い込みが進行し、露出した鋼の
刃部がアバタになり、朽ちていく。
もうまるで酸性の溶液に浸して
空気に触れさせたようにボロボロ
に鋼が崩壊して行くのだ。
工場利器材と同じ構造である鍛冶
職が鎚で鍛造して鋼と地鉄を鍛着
させた物にはこうした朽ち方は
全く見られない。鍛打による何か
の効力が発生しているか、炭素鋼
同士の鍛着とステン+鋼物との何
らかの差異と推察できる。
目に見えない鋼の動きが目に見え
るように急激に異様に変化する。
(鋼は自然界には存在せず無理
して人間が鉄から作り出した人類
が創造した物体であり、鋼自身は
鉄と同じように自然に戻ろう戻ろ
うと人間の目に見えない所で秒
単位で質性が大気中で変化して
いる。鉄は金のように不動の金属
ではない。日本刀も包丁も人の
肉眼では見えない内部で常に質性
が変化して原点回帰しようと動い
ている。鉄は生きている)

工場生産で炭素鋼とステンレス材
を圧延鍛着させた包丁にのみ、その
異様な出錆と朽ちこみ現象が見ら
れる。
理由は分からない。
ただ、現実的に、鋼をステンレス
で挟んだ工場鋼鋼材の利器材は
鋼がどれもが一様にひどい状態に
すぐに進行するのは事実としてある。
鋼と地鉄の境目のカイサキ部分から
まず錆が発生し、やがて鋼の露出
部分をあれよあれよという間に
朽ちさせて行く。
公にはなってはいないが、何か
重大な致命的な欠陥をステンレス
と炭素鋼の圧延利器材は持っている
のではなかろうか。

包丁を選ぶとき、ステンレスの鋼
挟み込みの包丁は選ばないほうが
いいと思います。
オールステンレスもしくは炭素鋼
オンリー(本焼きもしくはカスミ)
の包丁が間違いない。
別な鋼材では、モリブデンバナジウム
鋼の鋼材の包丁は錆にも強く、炭素
鋼並みの切れ味を持つのでおすすめ。


包丁の再生

2021年12月16日 | open




包丁というものは鋼が残っている
限り使える。
傷んだ物でも再生できる。
包丁百年。
鋼さえあれば百年は使える。
日本刀などは、鋼が残っていれ
ば千年でも生きている。
平安時代の刀剣も、現代でも
十分に実用性はある。
ただ、歴史的遺物であるので
日本刀は実用には使わないだけ
だ。
これは家にあった包丁。80年程
前の物。
私が家の古い包丁を再生した時
の記録だ。

(こういう状態)

まず金床(かなじき)で慎重に
空打ちして歪みと曲がりを完全
除去。
日本刀での曲がり直しと同じ鎚
の使い方をやる。
それから成型に入る。整形では
なく成型。切先と鋒(きっさき)
も造り出した。


棟側。
よれよれ状態を真っ直ぐに修正。
刃側も刃道を一直線に直す。


刃側。


刃道の凸凹も削り込んで補修。
鎬はまったく消滅している。


すべて手研ぎで研いで行く。
最初は「キリ」で荒砥で押す。
押すのは下地研ぎ。引くのは
内曇等の仕上げ砥石での研ぎ。
だが、刃付けの合わせは押す。
均しの革砥段階では引く。
他に「タツに突く」という技法
があるが、これは主として鋼の
働きを起こしたり伏せたりする
時に使う技法だ。
人造砥ではいくらタツに突いて
も鋼の肌は起き
ない。


消滅していた鎬を手研ぎのみで
成形していく。









鎬を立てた部分(左側)と整形
前の下研ぎ(右側)の状態。


鎬の造り方は独特の研ぎの技法
がある。

包丁メーカーなどは当て治具を
置いてサーッと動力回転砥石で
面を削って頂点を造るが、手研
ぎでは日本刀もそうだがタッチ
のみで△の造形を成して行く。
簡単ではない。だが、習熟すれば
誰でもできる。
私は刃物を本腰入れて研ぎ始めて
から
36年になるが、最初はなかなか
こうした研ぎはできなかった。
要はできる人の技前をきちんと
見取っ
て、日本刀もよく穴が開く
程に見て、それらの蓄積による
研究と努力、実践の積み重ね
かと。
マニュアルなどない。あっても、
読んで実践できるかできないかは
本人次第だ。すべては実践。
考えてやってみての実践への落とし
込みと検証の繰り返しだ。
心を清らかに澄ませて、素直な気
持ちで技術
と向き合えば、絶対に
誰でもでき
るようになる。できるか
できない
かは人の気持ちの問題。
これは二輪の走行技術と全く同じ

で、あいつはどうだこうだと言っ
て人をあげつらって非難している
ような所に
心根が向かう無駄な
寄り道をして
いるようでは絶対に
まともな技術
は身につかない。
できる人はできるし、できない人
できない事を自分で選択している
だけの事だ。
二輪の走行もそうだが、特に刃物は

自分に向かって自分をどう磨くか
が刃物の研磨に現れる。
刃物研ぎは刃物を研いでいるのでは

ない。物体としては刃物という物
を研いでいるが、内実はもっと別
な物を研いでいる。
これ、二輪の鉄馬の乗馬技術の
錬磨と全く同じ。
性根がダークサイドに陥っている

と絶対に上達は無い。






凸凹の鎬無しの状態から成型により
砥石で造り込んで行く。


和式刃物にある鎬は機能上極めて
重要な役割を果たす。
鎬無くば菜切りと同じ切れ方しか
見せなくなる。別な要素を求める
ために、一般的な和式包丁には鎬
が存在する。これで大根の桂向き
は困難だが、刺身を造る際には
極めて有効になる。洋包丁の牛刀
で切り裂く刺身と柳刃で造る刺身
では全く味が異なる。
この味の違いは、判る食通には
判ってしまう。
ただ、最近の和食店では、結構な
店構えでも洋式包丁を使っている
店が多い。料亭系でも忙しい店
などは。だが、味の違いは確実に
出る。それは利き酒、利き醤油を
する、できるのと同じで、違いは
食を求める人には判別できてしまう。


時間はかかったが、再生完了。
完全復活した柳刃だ。


煎餅

2021年12月16日 | open
 
都内のイトコ姉から包丁5本と大量
煎餅届く。
研ぎお願い、と。
煎餅は荒川区三ノ輪の「桜せん
べい」だ。
ここのおせんべ、かなり好き。
いろんな種類を送ってくれた。
ありがたし。
 
NYで新聞記者やってる時に姉は結
婚した。
あるあるシリーズというのは恐ろし
いもので。
何十年ぶりかに帰国して、夫と初め
て対面して共に近所の寿司屋で飲ん
だ。バイク乗り。大手新聞の記者で
社会部デスクからのちに社の取締役
になった。
何回目かに飲んだ時、イトコの結婚
したその相手は私が当時勤めていた
職場のの良い若手弁護士と大学
時代に大親友った人と判った。
二人で「えー?!」なんて言った。
たまたま偶然。
 
私の場合、そういうの、結構ある。
結構どころか、数えたら20件以上も
ある。異常。
古流抜刀術の師匠もそうだったが、
一番驚いたのはフライフィッシング
の師匠だった。
私が東京から広島県内に転住してか
数年、広島県内で出会ってから
数年経ち、その人と二人で広島
市内
で呑んでいた。年は私の12
学年上。
ふとしたことからセンセの高校時代
の話題になった。九州の福岡県だ。
その時、「あれ?一つ学年下に〇〇
という男と〇〇という女いませんで
した?」と訊いた。
師匠、ビタリと飲む手が止まる。
「お前、なんであいつら知ってるん
だ?!」と。
知ってるもなにも、私の学生時代か
らの付き合いで、バイク仲間で、
その後ずっと職場の上司だった男だ。
しかも奥さんもバイク仲間。その子
は3才の時から私に一番懐いていた。
(今、その子はとうにおっちゃんに
なり、弁護士やってる)
フライ師匠はなんちゅー偶然とぶっ
たまげてた。その二人とは高校が同
じだけでなく、小学校中学校も同じ
だったのだという。しかもさらに前
からの幼馴染。家族みたいなもんだ。
東京の大学時代に初めてバラバラの
進路になったという。フライ師匠は
かぐや姫の山田パンダにギター教え
た人。
その場で幼馴染の女性の人に私は
話した。
30数年ぶりの会話で二人ともかなり
懐かしがっていた。
 
何というか、単なる偶然なのだが、
あまりにも同じパターンのケースが
多すぎる。
見ず知らずの人と出会い、付き合っ
ていたら、それは何というか会うべ
くして出会っていた縁が隠れていた
という不思議なシンクロニシティに
気付かされる、というような。
仲間内では私のそのケースがまた新
たに発見されると「出た。来たよま
た」と言う。
こじつけではなく、偶然そうなって
いる何とも不思議というか、気持ち
悪くなる現象。
人のえにしというものは、人智の及
ばないところで誰かに操作されてい
るのではなかろうか。
天は確実に見ている。
我々からは見えないところで。
 
「お上は何でもお見通しであるぞよ」
と、かつて鮨食いながら笑って私に
言ったのは大菩薩の先輩闘志だ
たが、
ちらのお上はともかく、
とにかく天上天下には何かがある。
フライ師匠は元牧師さんでもあった。
西洋式毛鉤術の事だけでなく、多く
の神の導きを教えてくれた。
人智を超えた人と人のえにしに気づ
かされる時、「渓流を流れる石の下
には神の言葉ある」と言ったマク
リーンの言葉を思い出す。