渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

アントニオ・バンデラス

2021年12月05日 | open



アントニオ・バンデラス。俳優。
スペイン出身。1960年生まれ。
この人の演技は、ハリウッド進出の
きっかけとなった『暗殺者』(1995)
をぜひご覧になってほしい。
もう、主役のスタローンを食いま
くりの素晴らしい演技を見せてい
た。まるでスタローンがただの脇役
のよう
に見えるほどに。
ギターも巧いがオートバイも好き
らしい。
2010年には世界グランプリ=Moto2
でスペイン出身で米国籍のケニー・
ノエスとスペイン国籍のホアン・
オリベを自らのグランプリレーシング
チームを作って
サポートした。
ハリウッド俳優がオートバイのロード
レース世界選手権のチームオーナー
になるなどというのは前例がなかった。
私と同年の俳優。身長もほぼ同じ(笑)。
最近はハリウッドの映画界には魅力
が無くなったとして、祖国スペイン
の演劇育成のためにスペイン主体の
活動にシフトしたようだ。

世界の株式市場を見ると、現在の米国
の立ち位置がよくわかる。
30年前には日本企業が世界トップ30位
までに何社も入っていた。というか
ほぼ日本企業の独占状態。

だが、2021年の現在は日本企業はゼロ
だ。アメリカによる日本潰しは成功
した。ハーレーを売るために日本の

国を動かして免許制度まで変更させ
たのがアメリカだ。ポチ日本はそれ
に従い、そして国民は金があるなら

誰でもハーレー、という状態になった。
本物のハーレー好きは大昔からあえて
ハーレーを選んで乗っている。免許
制度変更後の雨後の竹の子族では
ない。
アメリカンドリームやアメリカン
エグゼクティブなどの日本でのステー
タスは作られた虚構であるのに。
オートバイに乗らない二輪を知らない
日本人が、オートバイが好きだという
人と会うと「ハーレーとか乗ってる
んですか?」と昨今必ず訊く現象は、
いかに日本人が陳腐で些末な発想に
陥ってるかが伺える。まさに発想の
貧困。
そして、現在は世界経済はアメリカ
企業がほぼ上位30位以内
を独占して
いる。

世界経済はアメリカ合衆国の一人勝ち
状態となっている。
これは、戦争を企画して、徹底的に
アメリカが軍需産業はじめ資本投下
でどぎつく潤ってきたからだ。
結果には原因と過程がある。

今のアメリカの巨大資本の経済繁栄
は、それなりにやってきたエグい
過去があるからだ。
だが、実際にはアメリカは経済格差
が広がり、移民問題も人権問題も
棚上げで軍民一体化の金儲けをこの
四半世紀なりふりかまわずやって
来た、という事実がある。
企業は大儲けしているが、アメリカは

アメリカらしいでかさや健全さも消失
してきているのは確かだ。
その事は、映画や演劇作品にも反映
される。
バンデラスは言う。
「ハリウッドがハリウッドではなく
なってしまった。ただのブランドだ」
と。
元々が演劇出身の彼は、金儲けでは
なく、演劇という芸術をやりたいの
かも知れない。ピカソの国の人だ。
でなくば、スペイン出身のオートバイ
ライダーのスポーツなどサポートし
たりはしないだろう。文化芸術スポ
ーツに深い関りを示すのは、自身が
少年の頃にはサッカー選手を目指し
た事とも無縁ではないだろう。



奇天烈な演技と作品
内容で大ヒット
となった映画『デスペラ
ード』(1995)
などは彼の彼らしい
バンデラス自身
の光る演技が満載でとても
楽しめる。
監督はロバート・ロドリゲスだ。
ロドリゲスは1968年生まれで年若いが、
彼の撮る
作品が面白くない訳がない。
どうにも作品にタラちゃん気質が
あるなぁとか思っていたら、タラン
ティーノ監督とは互いに「兄弟」と
呼ぶような大親友なのだそうだ。
『デスペラード』は、映像エンター
テイメント映画としておすすめ。
演出の味付けはタラちゃん風味です。


映画『大脱出2』

2021年12月05日 | open


『大脱出2』(2018)

どうもこのシリーズはガンエフェクト
が子供騙しで幼稚すぎるようだ。
スタローンたちを救出に監獄に乗り
混んできたスタッフが撃つAK小銃の
空薬莢。


空砲の薬莢をアップで写している。
これは射撃の排莢時の時点から
「どうもエンプティケースが大きい
なぁ」と思っていた。
チンチンと落ちる空薬莢は明らかに
空砲=ブランクの専用
特殊カート
リッヂ。

観客を舐めてんのか、と。
いくら「ドカーン、バキューン、
チュドーン」映画でもひど過ぎる。
スタローンの『暗殺者』(1995)
は銃や発砲シーンは超リアルだった
のに、よくスタローンもこういうの
を呑むなぁと思う。

ただ、『暗殺者』では、日本語の
映画館版の初期字幕が最低だった。
主人公のロバート・ラス(スタローン)
のライバルである暗殺者のミゲル・
ベイン(アントニオ・バンデラス)
はインターポール捜査官たちを射殺
した際に、持っていた銃を確認して、
.38口径=9ミリである事から司法
機関の捜査員である事を見抜く。
その際に、まるでベインを暗殺用
の.22口径拳銃の
偏執マニアである
かのように
「ああ。.22口径だ」と
いうセリフに
書き換えてしまって
いるのだ。

すべてが台無し。一番大切なシーン
で作品を全部駄目にする事をやって
のけている。
それ、映画翻訳で最もあかんやつ。
DVDではその致命的な誤訳は正しく
直っていたが、DVD版は最ラスト
シーンがなぜか丸々削除されて
しまっている。まるで『クイック・
アンド・デッド』(1994)のシャロン・
ストーンの濡れ場をDVD版ではカット
したように。
こうしたメディアの版によっての
カットは映画には時々ある。
クリント・イーストウッドの傑作
痛快戦争娯楽映画(戦争の任務を
放棄して金塊を盗みに行く設定)
の『戦略大作戦』(1970)では、
米軍の泥棒集団が任務を放棄して
ドイツ軍との出来レースのように
実弾ではなくペイント弾で銃撃戦
を偽装するシーンがある。
それを空中から視察した本気の
軍人の米軍の将軍は勇猛果敢に
戦っていると勘違いし、「彼ら全員
に勲章をやる」と意気揚々とする。
しかし、このシーンが丸々メディア
版ではカットされている。
そのため、オットボールの戦車が
本気でドイツ軍のタイガー戦車に
砲撃するシーンで、ペイント弾の
まま発射してしまうミスを犯す
部分のみが残されているので、
なぜペイント弾なのかの意味が不明
となってしまっている。
つじつまが合わず、説明がつかない
流れになってしまっているのだ。
そういうことは映画のメディア版
には案外多い。劇場版とは異なる
からだ。
映画作品は、できるならば、完全版
を観たいものだ。

『大脱出』シリーズの「2」は、第一作

よりも相当に出来が落ちる。
『大脱出』監督は、ミカエル・ハフスト
ローム。魅力的な芸術作品を撮る北欧
スウェーデンの監督だ。
『大脱出2』監督は、スティーヴン・
ミラー。
ミラーはドZ級の映画を何本か撮って
いる監督。
作る作品がことごとくつまらなくて
超駄作揃いという監督も珍しい。
本『大脱出2』でも、自己満足の勘違い

ぶりがよく出ている。
映画人に向いていない人が映画を作る

とこうなる、というような見本。
もうちょっとなんとかならないの

だろうか。
本作は、劇場で観たら、たぶんグーグー

寝てしまう作品。音ばかりうるさいが。

なお、本作では明らかな「撮りミス」

が存在する。
それは、主人公のスタローンが、自分
が経営する警備会社の女性部下と話す
シーンで、肝心のシーンの最後に
フッと演技を解いてカメラ目線で
笑顔で顔を向けるのだ。
それが0.5秒ほど映っている。
たぶん、カチンコ鳴って監督がOK
を出した瞬間が映りこんでしまった
のだろう。
通常編集段階かラッシュの時に気づく
筈だが、そのままその何コマかが映像
に残っている。
「ミス」だろう。

この作品、色は非常に綺麗だ。

色彩が綺麗。
「美しい」のではなく、綺麗に撮影
されている。街の光景や他の表現
シーンでも。
かなり、デジタルエフェクト加工
処理していると思われる。
ただ、色使い等の持って生き方は
「ボーン」シリーズを相当参考に
しているだろう事が見て取れる。
その点は「及ばず、至らず」では

なく、結構いい線行ってる。
特に発色でのブルー系のエフェクト
をかける使い方は、製作者の意図
としては出来栄えが成功して
いる
のではなかろうか。



映画『大脱出』(2013)

2021年12月05日 | open


『大脱出』(2013)
主演:
シルベスタ・スタローン
アーノルド・シュワルツネッガー

大脱出シリーズの第一作目。
元検察官だったブレスリン(スタ
ローン)は、自分が監獄送りに
した囚人が脱獄して妻と子ども
を殺された過去を持つ。
検察官をやめ、「絶対に脱獄でき
ない監獄作り」を目指して、刑務
所の不備な点を研究した著書を
出版し、民間企業の監獄不備点検
請負人となっていた。
その仕事は、政府からの依頼で
監獄に偽装して収容され、そこ
から脱獄
を実行して不備を指摘
する脱獄
プロとしての仕事だった。
だが、自身の研究著書を参考に
作られた政府極秘の「アメリカ
政府に都合の悪い人間」を永久
に収容するための監獄にブレス
リンは陰謀により送られる。
しかし、監獄で知り合った謎の
男ロットマイヤー(シュワルツ
ネッガー)と共に脱獄不能とされ
た監獄からの脱獄に成功する。

銃撃戦のさなか、救助組織のヘリ
に搭乗するシュワルツネッガー
の機関銃発砲シーンは『コマン
ドー』と『プレデター』のシーン
のオマージュとして再現されて
いる。

そして、ブレスリンも監獄タンカー
から排水システムを利用して脱出
し、ヘリから降ろされた梯子に
ぶら下がって離脱を試みようと
する。
そこに、民間軍事組織くずれの
ゴロツキを集めた監獄看守部隊
と所長が襲撃してくる。

ヘリから梯子にぶら下がるブレスリン
にロットマイヤーはピストルを落とす。
7連発の.45口径コルトM1911A1だ。
通称ガバメント。
ハンマーはコックされており、薬室
に初弾は装填されている。


梯子にぶら下がりながら、バッタ
バッタと襲撃してくる敵を射殺
するスタローン。まず3連射。


4発目発射。カートが飛んでいる。


ナチスのような監獄所長も拳銃を
乱射してくるので、スタローンは
所長のそばにあるドラム缶に4発
連射。あれ?


ドラム缶に穴が開き、ガソリンが
噴き出してくる。ガソリン満載の
ドラム缶タンクに銃弾を命中させ
ても爆発はしない。これは事実だ。
ガスやオイルは気化することで
引火する。
その描写は正しいのだが、すでに
7連発のガバメントからは8発発射
されている。
これは、初弾を薬室に装填後に
マガジンを抜いて一発追加装填
してから銃にマガジンを装填すれ
ば8連発が可能なので不整合はない。
問題はなぜ5発穴が開いているの?
ということだ。
ということは、ここまでで9発発射
していることになる。


そして漏れ出したガソリン。


全弾発射してスライドオープンに
なってしまった監獄所長に対し、
スタローンは「ドカーン」と言う。


そして気化したガスが漂うドラム缶
周辺に一発発射する。合計10発目。


大爆発で、監獄所長は火だるまで
即死。


爆風に耐えるスタローン。
手にしたガバメントは次弾がさらに
装填されてスライドが閉じている。
つまり10発以上ノーマルの大きさの
マガジンに弾数があるという事。


爆発炎上する全長300mの巨大
タンカーから離脱を図る。


無事離脱。


冒険エンターテイメント活劇なのだ
からある程度の漫画チックな描写は
いいとしても、銃弾数が出鱈目という
ようなことは「銃撃戦」を描く映像
作品では絶対にやってはならない事だ。

こうした描写は機関銃のように何発
も発射できる1960年代のマカロニ
ウエスタンの
6連発リボルバーなど
に多い。

だが、かつてないリアルな銃撃戦の
西部劇と予告宣伝された
『ワイルド
レンジ』(2003)でも
主人公のケビン・
コスナーは6連発
のピースメーカー
から10数発も
ファニングで撃って
いた。作品台無し。

そういった表現だけはやってはなら
ないのである。
時計を見て「今何時だ」と会話する
シーンで時計が2時を指しているの
に「よし、5時になった」とかの類。
映画製作ではスクリプターの仕事
が良くない時に、よくカット移り
の後に役者の配置や小道具の向き
が違っていたりとかのミスは実に
映画というものには多いのは確かだ。
それに監督さえ頓着しない事もある。

このミスは黒澤明でさえ犯して
いて、『七人の侍』では、侍の会話
のシーンで1秒後にはまったく別な
刀を腰に差していたりとかのミス
があった。

そのような「ミス」は映画にはつき
ものなのでまだよいとしても、銃弾の
弾数、特に拳銃の弾数などは出鱈目
はよくない。天才バカボンの本官
さんの何発も出る拳銃じゃないの
だから。
シリンダーが固定式のシングルアク
ションのリボルバーのシリンダー
がスイングアウトしたりとか(漫画
『ドーベルマン刑事』の伝説の描写)。
活劇冒険アクション作品であっても、
外してよい表現と、絶対に外して
はならない描写表現というものが
あるので、その区別ができていない
出鱈目な演出は非常に作品をお粗末
にしてしまう。
なので、よくない。

拳銃から何発も弾が出るなどという
のは、スパゲッティをフォークで
食べている同一シーンなのに、途中
で急に箸でかつ丼を食べているカット
になっている程に出鱈目だからだ。
それは、4ストマルチエンジンなのに
2スト短気筒エンジンのバイクの音
を音響さんが被せる以上に「手抜き」
の作品としてしま
う(バイク音の
出鱈目さは
日本の映像作品には腐る
程ある。というかほぼそれ)。
銃であるならば、日本の時代劇で
火縄銃がフルオートで連射して
空薬莢がポンポン飛び出していた
らそれはおかしいでしょう、とい
う類の事。
そういうのはやってはならないの
である。

テケトンでよい部分と、外せない
リアル描写の部分の識別と実行。
これは映像を作品として製作する
者には「作品」製作者として必要
不可欠な質性のように思える。
ミラクル伝説の「ちょろいもんだぜ」
などは、まだフォームが変なだけ
だからいいほうなのだ。
なぜ映像作品においては銃の弾数は

厳密でないとならないのか。
それは「生死にかかわる最重要な
件」だからだ。
拳銃の弾数が出鱈目なのは、冒険
活劇作品
とて駄目なのだ。
まして、本作『大脱出』は、状況の
観察を
正確に行なう緻密で理知的な
キャラクタ人物として
主人公が描か
れている。

その主人公に弾数テケトンの銃を
発砲
させる描写はあんまりだ、と
いうのも
ある。