渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日本刀の肌

2018年02月11日 | open


出雲大掾藤原吉武作

日本刀の肌には二つある。
一つは折り返し鍛錬の鍛え肌のことであり、もう一つはその鍛えに
絡む熱変態による鋼の景色だ。
この後者は、地景や地沸などの働きのことではなく、鋼の質性変化が
現れていることだ。地斑(じふ)や映りや白けごころなどは後者に
近い鋼の熱処理による変化=働きのことだ。鍛接鍛え肌のように
きっかりとした肌目ではなく、エリア的にグラデーションのように
境目が判然とせずともぼんやりと大小(広領域と狭領域が織り混ざり
ながら見える)のエリアで鉄味に変化が現れているその景色と広がる
空の具合のことを指している。
それが、人肌の肌目のようなはっきりした板目や柾目や杢目とは
別に、薄ぼんやりと領域を形成している鋼の熱変態による肌味の
ことである。
私は、日本刀の鑑賞は、物理的な鍛え肌目よりも、その鉄味としての
鋼の変化と景色を主として観るようにしている。
そして、鉄の色だ。
これは、写真では絶対にその刀の個体の鉄味は読み取れないの
である。刀は現物を実際に肉眼で視認しないと、どのような深みを
持つのかは判断できない。

康宏作


康宏は無地肌ではない。
それは、この画像からも読み取れることだろう。
派手な鍛接鍛え肌目だけを見ようとする見方では、康宏の刀の
地鉄の妙は感知できないと思う。刀剣界で蔓延している旧世代の
美術刀観で「つまらない刀」「寂しい刀」という程度にしか作を
見ることができないのではと思う。
この康宏の画像からでも、非常に多くの視覚情報が看守できるの
にだ。
刀を見るということは、鉄を見るということなのである。