私の日記の影響ということはないとは思うが、ある刀屋が
「最近『無垢で作ってくれ』という新作刀の注文が多くて困る」
と言っていたと知人から聞いた。
無垢だから頑丈 or 脆弱、心鉄構造だから頑丈 or 脆弱と
いう定式は日本刀の場合一切ない。
無垢だろうが組み合わせ造り込みだろうが、頑丈な物は頑丈
であるし、折れ欠けし易い物はしやすい。
それが現実。
ただ無垢にしただけだったり、「心鉄構造は強度確保のため」と
の一面的な捉え方を疑いもなく信じてやみくもにただ心鉄構造に
しただけの作は、指標のポイントと視点が本質から外れているので、
「折れず」の本質に肉迫することはないだろう。はなから見当違い
だからだ。
このことは、たとえ心鉄構造だろうと無垢造りだろうと、刀剣は
簡単に折損するという夥しい過去の例が現実の真実を指し示して
いる。「強度を得るために日本刀は心鉄構造になっている」という
のであるならば、なぜその構造の物が簡単に刃こぼれしまくり、
また折損するのか。
これは水心子の取材したデータを引き合いに出すまでもなく、
多くの歴史上の実例が現実を語っている。
日本刀の強度は構造とは一切関係がない。
古刀期-江戸新刀特伝期を通して、心鉄構造も無垢造りも存在
したのであるし、一定レベルを超えた強度を確保できている刀は
それらの構造如何に左右されない。どちらの構造でも折損する物
は折損する。
という現実を実際に知ると、では組み合わせ工法はなぜ歴史の中で
登場したのかという問題が出てくる。
状況証拠しか存在しないが、実際のところは吉原義人刀匠が指摘
しているように、原初的な発生理由は材料節約だっただろう。
それと、南北朝から室町戦国期における膨大な軍需に応えるための
「作り置き」の折り返し鍛錬板材にして部材ストックした工法の登場に
よることだろう。
軍刀研究サイト含めいろいろな研究サイトおよび文献等があるが、
私個人としては、「無垢のほうが造り込み構造より破断し難い」という
見解には同意できない。
造り込みの積層は単なる板材をぴったり合わせた接着ではなく、
完全な鍛着によるからだ。そこには炭素の移動も生じているはずだ。
境界がぴったりと襖で仕切ったように生じている訳ではない。
ここで一つ解析のヒントが出てくるように思える。
それはどこまで炭素量を落とす心鉄にするか、ということだ。つまり、
心鉄の炭素量を極度に落とさなければ、結論として無垢に近いことに
なる。
包丁鉄を使わず、玉鋼で心鉄を「任意の炭素量」にして狙ったところに
持って行くと、結果としては皮鉄に近くなり、結論的には無垢に近い物に
なる。
だが、それは「心鉄構造こそ強靭性確保のカギ」と思いこんでいる方向性
とは理解のアングルが矛盾することになり、刀工は悩むことだろう。結局
は、炭素だけでなくあらゆる含有元素をどう処理するかという「どのように
鋼をまとめるか」ということにかかってくる。
心鉄構造が強靭性を確保するというのであるのなら、ではグニャグニャ
の軟鉄を心鉄にすればいいかというと決してそういうことではないことは
誰もが解っているはずで、ならばどの程度の張りのある心鉄にするのか、
どのような皮鉄にしてどのような心鉄との組み合わせが最良であるのか
にカギがあることだろう。
これは無垢にもいえていて、無垢といっても板材を叩き延ばしたのが
無垢ではなく、藁灰と泥汁を使って沸かして折り返し鍛錬するのは造り
込み工法と変わらない。ただ無垢の場合はどのように「織物状態」を
作り出して行くかが一つのポイントであり、また無垢構造による熱処理
工程における感応の均一性をどのように得るかが最大の鍵となる。
心鉄構造の場合、外皮と心鉄の感応性の差異が無垢よりも当然
冶金学的にみても大きい訳で、このあたりを狙い定めてどう対処して
いくかが刀工の腕の見せ所(見てくれの見た目の状態を出すためでなく
あくまで刀工による刀身への強靭性の付与という観点において)であり、
そこに刀が生きるか死ぬかの分かれ目がある。
実験による膨大なデータを得ている訳ではないので断定はできない
が、私が推定している「無垢 or 造り込み」に強靭性や脆弱性は
規定されない、ということは突拍子もない見当違いではないと思う。
すべては、鍛えと鋼のまとめ、熱処理如何なのではと私は思う。
都度タイムリーな材料の状態に見合った処理がカチリとはまった
時に、強健な刀身が出来るのだろうと私は思っている。
それを引き出すのは、すべて刀工の経験値でしかない。
ちなみに、「無垢だから頑丈」ということは刀工康宏は一切言っていない。
初代-二代通して、さまざまな実験刀を製作したが、構造如何によって
強靭性が付与される訳ではないという一定の知見を得ているからだ。
ただ、いろいろな構造での実験の結果、ある一定の知見を得たので、
「うちは無垢で作る」というひとつのトライをして、それについてある程度
成果(しかし、実用剣士たちからは絶賛される成果)が出ているという
段階であるのだ。康宏も甲伏、本三枚、四方詰もやったが、一つの
ある狙いを定める方向性として無垢を選択するに至ったのである。
無論玉鋼も江戸期和鉄も古鉄も卸鉄も自家製鉄も使う。ただし、二代目
康宏の平成期からの構造は無垢造りで強靭性を出すことに挑戦している。
(B2は一般的にクズ鉄とか揶揄されるようなそんなに悪い鋼ではないと
思う。処理如何では、むしろずっとそれより上級鋼より良い場合もあると
いう現実有之候)
あとですね、個人的感想としては、全般傾向として、一般的には温度が
高すぎのように思える。
刀工二代目康宏の場合は「20℃の勝負」と言っているが(やや高温
処理による下降曲線中の実質変態点の低温化現象の利用のこと
ではなく)、全般的に鍛錬時から温度を上げ過ぎると鋼の粒子の状態は
どうなるか刀工は分かっている筈なのに、見た目の「冴え」が高温
処理でないと出せない鍛えにしてしまっているから、結果としては
脆い鋼に「してしまっている」のではなかろうか。
初析炭化物の偏在をどうするかの問題はあるにせよ、「ボール状」を
作るのがキモなんだよね・・・。
まあ、これは康宏が言ってることではなく、私が言ってることなのだが。