渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

BUCK バックのナイフ ~製造年の刻印~

2012年09月01日 | open

バック社のナイフはアメリカ
を代表するナイフだ。




(バック社公式サイトから)

HISTORY

BUCK. INGENUITY RUNS IN THE FAMILY.

A young Kansas blacksmith apprentice named Hoyt Buck was
looking for a better way to temper steel so it would hold an edge
longer. His unique approach produced the first Buck Knife in 1902.

Hoyt made each knife by hand, using worn-out file blades as raw
material. His handy work was greatly appreciated during World War II.
After the war, Hoyt and his son Al moved to San Diego and set up
shop as H.H. Buck & Son in 1947.

Al Buck revolutionized the knife industry in 1964 with the Model 110
Folding Hunter. The folding “lockblade” knife made Buck a leader.
A position we proudly hold today.

Hoyt and Al Buck's ingenuity may have put the company on the map.
But it is our ongoing commitment to developing innovative new products
and improving what we have by third and fourth generation Buck family
members that have made Buck the successful knife maker it is today.

Frankly, it's what our customers expect from a Buck.



歴史
BUCK。独創性は一族で実行される。

若きカンザスの駆け出しの鍛冶
屋だったホイット・バックは、
刃物の切味が
鈍らないよりよい
方法を探していた。

彼の奇抜な試みは、1902年に
初めてバック・ナイフとして
結実した。

ホイットは、くたびれた材料
を生材のように手作業でうま
くまとめあげることにより
それぞれのナイフを
作り上げ
たのである。第二次世界大戦
中、彼の手作りナイフは大い
にもてはやされた。
      

戦後1947年、ホイットと息子
のアルはサン・ディエゴに移
住し、H.H Buck & Son
という
店を構えた。

アル・バックは1964年にモデ
ル110フォールディング・ハ
ンターでナイフ業界に
革命を
もたらす。折りたたみ方式で
「刃部固定式」のナイフは、
バックをして斯界
のリーダー
としての地位を確固たるもの
にせしめたのである。この地
位は今日まで
維持されている
誇らしいものだ。

ホイットとアル・バックの独
創性は、地図上を当社で埋め
尽くすかもしれない。

だが、それは、まさにこんにち、
第三世代、第四世代後のバック
の一族が、成功を
収めたナイフ
メイカーとしてナイフを作る
べく革新的かつ
新製品開発と
改善を成すための当社の継続
的な言質であるのだ。

ずばり申し上げて、客の期待は
バックに寄せられている。



意訳だが、俺の英語力では
こんなもんだろう。
それにしても凄い自信だ。

いかにもアメリカ人らしい、
ともすれば傲岸ともとれる
自信に満ちた言辞だ。
バック社が発売したフォー
ルディングハンター110は
ロックバック(ブレード
固定式折りたたみ方式)の
ナイフのまさに先駆者とな
り、ロックバック式を
全世界に定着させた。
今年2012年はおりしも、バッ
ク社創業から数えて、モデル
110と同じ数字、つまりちょ
うど110年目にあたる。

私もバックナイフを愛用して
いる。
バックというと、元々は携帯
に簡易なフォールディングだ
がヘヴィな使用にも耐える堅
牢性がセールスポイントだっ
た。
だが、私が愛用しているのは
主に小型のポケット・ナイフ
だ。
とても使い勝手が良い。1990
年代初頭から常に身近に置い
てデスク・ナイフとして愛用
している。

私のバック社モデル505 
ナイト(携帯で撮影)


バック社のサイトから。




バック社のナイフが面白いのは、
ブレード(刀身)に刻印された
マークにより、
製造年が判明するということだ。
こうしたことを実行しているナ
イフ・メーカーはほとんどない。

ネット上でも良い資料がないの
で、私がバック・ナイフの製造
年マークをまとめて作ってみた。
(結構時間かかった。笑)
  

私の「モデルNo.505 ナイト」
の刻印を確認してみると・・・・

505のモデルナンバーの右に
/ があるのが見える。
つまり1993年製だ。事実1993
年からずっと愛用している。
それまではラコタをずっと愛
用していたが、93年からは
バックが主となっている。
ブレードは研ぎ減って痩せて
しまっている。だが、愛着が
あるので、この先もずっと
一番身近なナイフとして使
い続けて行くだろう。
ブレードの長さは46ミリと
短く、アウトドアでの汎用
ナイフには適さないながら、
インドアでは手になじんで
とても使いやすい。

バック社創業110年。
1964年発表の「フォールディ
ングハンター・モデル110」
で世の中に革命をもたらした。
たぶん110のブレードシルエッ
トを見たら、だれもが「ああ、
見たことある形」と感じる形
なのではないだろうか。
バック110は、そのシルエット
さえもナイフの代名詞とも
言って差し支えないだろう。

バック 110


私がシースナイフ(鞘付ナイフ)
で一番好きで選ぶメーカーはラ
ンドールだが、フォールディング・
ナイフでは迷わずバックだ。
コルト・ガバメントや.45口径SAA
ピースメーカーと同じアメリカ
の匂いがする。
バックはカンザスから西海岸の
カリフォルニアのサン・ディエ
ゴに移り住んだが、バックの故
郷のカンザスはアメリカ合衆国
のど真ん中、大平原地帯の真っ
ただ中だ。


カンザスはな~んもないところ。 
ハゲタカ飛んでるし。

いや。大平原がある。この道
なんて、今も駅馬車が走って
そうだよ・・・。

カンザスといえば・・・・
西部開拓時代(1865~1889)には
西部進出への要衝として、様々な
人間たちが入って来た。
ドッジシティではバット・マス
ターソン、ワイアット・アープ
がならず者を取り締まっていた。
ワイアットは後にアリゾナ州の
トゥームストーンに赴き、1881
年10月26日にO.Kコラル(牛囲
い場)で有名な決闘を行った。
日本は同じ時期に「決闘ニ関
スル件」という決闘禁止の法律
ができた。これは今でも生きて
いるから、果たし合いとかは
日本では明治以降は現在に至る
まで禁止でございます。
同じ明治期では、アメリカの方
がよほど蛮国だったよなぁ(笑)

ドッジ・シティ(1878年)


現在(あまり変わらない!と
いうか、これは保存建物)


カンザス、ドッジシティときた
ら、こんなイメージになる。


西部では、やはり、これは必要だろ~。

コルト・シングル・アクション・
アーミー、通称ピースメーカー。
これぞアメリカ!


有名なドッジ・シティの取締官

前列左から:チャーリー・バセット、
ワイアット・アープ、M.F.マクレーン、
ニール・ブラウン。
後列左から:ウィリアム・ハリス、
ルーク・ショート、バット・マス
ターソン、W.F.ペティロン。

この西部開拓時代のナイフは
当然ロックバック式は存在して
いなくて、折りたたみ式ナイフ
もいわゆる日本の肥後守みたい
な構造でした。
ホイット・バックがもたらした
安全性というのは、歴史的な
ものがあります。
バック・ナイフすごい!