撮影所では
銀塩フィルムに俳優さんの演技を
撮影して映画を仕上げていきます
当たり前のことですが
当時の撮影フィルムは勿論、モノクロ(白黒)で
しかも、低感度でした。ASA25~32ぐらいでしょうか
しかし、映画は動画ですから、一駒の露出は
最低、レンズ開放でシャッター(回転)1/50秒が、必要です
… … …
スタジオ内の撮影では強烈な照明でセットを照らさなければ
フィルムに写りません
映画制作も追い込みに入ると
父親は夜遅く帰ってきます
家で待っている母親は父親の帰宅時間が近づくと
居間、客間に電灯を点して煌々と明るくします
やがて,父親が帰宅して、いつもの着物に着替えて
食卓に座るころ、母親は使わない部屋の電灯を
順番に消していきます
私に物心がついて…、
「どうして、そんなことするの?」と聞くと
母親は
「明るいスタジオから帰ってきて
家の中が暗いといやでしょ…」といいました。
この我が家の不思議な習慣はやがて
戦時体制に入るまで続きました。
家の中が 暗い。心理的に落ち込みましたね。
ただ 御母堂様が 家の中の電気を次々と点けなさった頃 撮影所の明るさと 家庭の明るさの圧倒的な差が在ったはずです。
終戦直後 嵐山で住んでました。
映画のロケーションが ありました。。見に行くのですが あの映画撮影用の照明燈の強力さ、印書的というには余りにも世間と違う明るさでした。
器具の近くでは 何処から出るのかゴーという音が聞こえました。光に集まる 昆虫類も 時々 焼け落ちてました。
現代の明るさは 熱も発生せず、音も出ない クールなものですね。
あの 強烈な 光源と一日中付き合ってこられた 名キャメラマンの帰宅。
素晴らし気遣いとともに ご家庭の雰囲気が 想像できます。
駄文 御免。
貴兄がお育ちになった家庭 さすが繊細さに溢れてますね。