父親の勤務先は我が家から近くの
松竹下加茂撮影所でした
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戦後は傾向として、住居と職場が
遠く離れてしまいましたが
戦前は、職住接近でした
我が家から隣町の宮崎町に
下加茂撮影所はあります
撮影所の外を歩くと
電信柱に取り付けられた大きなトランスから
ウィーンと軽い音が聞こえていました
家の近くに撮影所があるのですから
作業着で出掛ければ良いのに
背広姿での出勤でした
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父親になにか考えがあったのかも知れません
撮影所の大勢のスタッフは
家族とともに撮影所のまわりに住んでいました
母親と近所を歩いていると
よく、スタッフの奥さんたちに会いました
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母親はあの人は大曽根辰夫(おおそね・たつお)監督の奥さん、
照明のY根さんの奥さん
小道具の△△さん、大道具の××さんなど
教えてくれていました
父親の出勤時は母親と
「いってらっしゃい」と見送るのですが
仕事が終わって帰宅するのが、いつも
夜中で、幼かった私は
「おかえりなさい」と
出迎えたことはありませんでした
効いてますね、この一行。
背広で出勤なさったご尊父様、
貴兄宅の 地道な ハイカラさがうかがえて、いつもながら 読ませる ブログでした。
暑さに負けないように、暑中お見舞い申し上げます。