私は学生時代と太秦の撮影所勤務は
京都市内だけでした
撮影所へは市電で銀閣寺道から
四条大宮へそして
京福電車(嵐電)で太秦駅まででした
映画からテレビへと職場が変わったことで
京都から大阪へと勤務先が遠くなりました
京都から大阪へは国鉄京都駅から大阪駅へと
阪急電車で四条大宮から梅田(うめだ)へ
京阪電車の京阪三条から大阪天満橋と三通りの
方法がありました
戦前の京阪電車、阪急電車(新京阪)は2両連結の
短い郊外電車でしたが、戦後、職住分離で
郊外電車は4~6両連結になって
朝夕は通勤客でラッシュが始まりました
私の通勤コースはまずバス停、銀閣寺道駅から
⑤番の市バスで三条京阪駅へそこから
京阪特急で大阪天満橋駅へそして
大阪市バス 天満橋~大江橋へそれから
徒歩で大江橋を渡って堂島中町の
大阪テレビ局へ出勤するという段取りになりました
… … …
当時の、テレビの放送開始時刻が10時でしたから
出社時刻も10時でした、
世間では出社時刻が9時でしたから
通勤電車のラッシュ時刻から少し外れているのが
幸いでした