野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

軍事組織とイノベーション

2022年02月28日 | 研究活動
巨大な「官僚機構」である軍事組織は、イノベーションが苦手であるといわれています。そもそも官僚機構は、変化しないことを前提に構築されています。官僚機構に関わった人なら誰もが経験するように、そのメンバーは「前例主義」や「標準作業手続き」、「レッド・テープ(繁文縟礼:非能率的な煩雑で複雑な順序や方法)」といった強固な行動基準に制約されるため、よほどのことがない限り、そこから逸脱する変化を追求しようとはしないのです。その一方で、軍事組織は困難を乗り越えてイノベーションを実践することがあります。どのような条件の下で軍事組織はイノベーションを成し遂げられるのでしょうか。この難問に挑んだのが、スティーヴン・ピーター・ローゼン『次の戦争で勝利すること―イノベーションと近代軍隊―』(コーネル大学出版局、1991年)です。タイトルは過激なように見えますが、本書の内容は組織論に準じた機構改革の分析であり、広い意味では政治学に含まれます。アメリカの政治学界では、『次の戦争で勝利すること』は高く評価されており、1992年の「エドガー・ファーニス賞」を授与されています。



著者のスティーヴン・ローゼン氏(ハーバード大学)は、軍事組織は実戦で自らの作戦行動の成否を確かめられる戦時の方が、イノベーションを達成しやすいと思われがちですが、実は、平時のほうがイノベーションを成功させやすいと主張しています。また、組織は失敗を学習して変革するという通念がありますが、かれは、失敗はイノベーションの必要条件ではなく、それがなくても軍事組織は変われることを主にアメリカ軍の事例で示しています。戦間期にアメリカ軍は航空母艦の開発・運用や揚陸(水陸両用)戦闘、戦後にはヘリコプターによる兵力の機動運用いうイノベーションを成し遂げました。これらはアメリカ軍が戦争に負けた失敗を学習した結果ではありません。そうではなく国際安全保障環境の構造的変化への軍部の認識が、その源泉だということです。アメリカは米西戦争によってフィリピンを植民地化して、グアムに前進基地を築いて、太平洋に進出しました。これによりアメリカは太平洋における軍事大国になりました。他方、第一次世界大戦により、西太平洋のマリアナ諸島等が日本の委任統治領になったことで、その戦略的優位は損なわれました。そこでアメリカ軍は、広大な大洋における戦闘を考えなければならなくなりました。その結果、アメリカ海軍、海兵隊、アメリカ陸軍は、それぞれの新しい戦争における役割を見いだしたということです。

ローゼン氏によれば、平時における軍事イノベーションには、共通パターンがあります。第1に、軍事計画にたずさわる将校は、外部の安全保障環境の変化に直面した際、イノベーションを考えるように促されます。なぜならば、安全保障環境が変化したにもかかわらず、軍事組織がそれに適応しなければ、次の戦争で敗北を喫する恐れがあるからです。すなわち、将校は、将来の戦争がどのように行われ、どうすれば勝てるのかを考えさせられるのです。ここでのポイントは、軍事イノベーションは、仮想敵国に対する研究やインテリジェンスによって達成されるとは限らないことです。アメリカ軍の航空母艦の開発や運用は、外国の勢力に対抗するためのインテリジェンスによって実現したわけではありません。仮想敵国の情報は、矛盾含みで不確実かつあいまいなことがしばしばです。こうした不確実性を乗り越えるために、将校は、「新しい戦勝理論(new theory of victory)」を構築して、それをシミュレーションや訓練・演習により時間をかけて確実なものにしていくのです。これには古い作戦ドクトリンを変更する複雑な組織的な手続きを踏まなければならないために、長い時間がかかります。軍事組織が戦時ではなく平時にイノベーションを成し遂げやすいのは、それを戦術や作戦レベルにおけるドクトリンとして確実に定着させるための十分な時間をとれるからだということです(同書、57-75ページ)。

第2に、軍事組織における昇任人事がイノベーションのカギを握っています。新しい安全保障環境に適応する軍事組織のイノベーションは、将校団の世代交代によって促されますが、それにも長い時間がかかります。アメリカ海軍の空母機動部隊の場合、このイノベーションを志向する上級将校が、その実現に向けた新しい昇任システムを導入しました。この手続きにより、航空術に携わった下級将校たちが上級将校へと昇進していくと共に、空母の建設が海軍において戦艦より優先されるようになり、その運用ドクトリンが策定されていきました。そして最終的には、複数の空母から構成される打撃群が、正式な海軍のドクトリンになったのです。それまでにかかった時間は、約25年ということです。海兵隊による揚陸戦闘というイノベーションも同じく長い時間がかかりました。揚陸・水陸両用戦闘が最初に公式に注目されたのは、1905年のことでした。水陸両用作戦の概念を提唱したのは、海兵隊幕僚のアール・エリス少佐でした。この斬新なコンセプトは、海兵隊司令官に就任したルジューン少将やルーフス・レーン准将により支持されました。海兵隊の水陸両用作戦の演習は、プエルトリコ沖のクレブラ島で行われ、その後、1940年にはノース・カロライナ州のニューリバーで全面的揚陸戦闘演習が実施されました。注目すべきことは、海兵隊がクレブラでの演習で起こりそうな失敗を冒して、それを克服するために、海兵隊学校での訓練により、克服していったことです。これらの訓練が、水陸両用作戦の概念と原則の正しさを証明したのです(野中郁次郎『アメリカ海兵隊―非営利方組織の自己改革―』中央公論新社、1995年、3-52ページ)。海兵隊による揚陸作戦が定着するまでに、約一世代かかったことになります。ヘリコプターによる兵力の機動も、陸軍で作戦行動として実施されるまでには、その着想から長い時間がかかりました。要するに、平時のイノベーションのプロセスは長いのです。イノベーションの実現のために変革された昇任システムにより、将校団は時間をかけて陣容が変化しますが、そのプロセスは下級将校が上層部へ昇りつめる割合と速度によるということです(同書、76-105ページ)。

もちろん、戦時における軍事組織のイノベーションも可能です。たとえば、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の戦略爆撃のターゲティング、潜水艦による商船への攻撃などがあります。これらのイノベーションは成功しましたが、平時におけるイノベーションに比べると、軍事組織を劇的に変化させたわけではありません。戦時のイノベーションが小規模になる理由は、戦争を行っている軍事組織がイノベーションに長い時間をかける余裕を持てないことにあります。戦時の経験を学習することにより得た新しい軍事機能を短期間で実践するのは、軍事組織にとって困難な課題なのです。アメリカは、戦略的ターゲッティングにおいて、大戦が終了する数か月まで効果的な目標を設定できませんでした。商船への潜水艦による攻撃の戦略的影響は、戦後になるまで理解されませんでした。つまり、戦時のイノベーションは可能なのですが、それは戦略オプションとしての強固な分析なくして行われざるを得ないのです(同書、109-182ページ)。最後に、大陸間弾道ミサイル(ICBM)のような軍事技術のイノベーションについては、どのように説明できるのでしょうか。このような新しい技術には不確実性が伴います。軍事組織は、こうした不確実性に対して、関連する情報を獲得するとともに、複数の柔軟な選択肢を持ちながら、大量調達を先延ばしにすることで対応します。ICBMのケースでは、アメリカ軍は、巡航ミサイルの選択肢も視野に入れながら、時間をかけて技術イノベーションを進めました。そして、ICBMが巡航ミサイルより、敵の防御を突破する速度と非脆弱性において優れていることが明確になった時点で、アメリカ軍は、それを採用したのです(同書、185-250ページ)。

これらの軍事イノベーションから、ローゼン氏は、いくつかの教訓を引き出しています。第1に、軍事組織の本格的なイノベーションには、長い時間がかかることです。軍事組織は、時間が取れる平時の方が戦時よりイノベーションを進めやすいのです。第2に、軍事イノベーションは予算との関係が薄いことです。戦間期の航空母艦や揚陸戦闘といったイノベーションは、軍備管理協定等の影響もあり、アメリカの軍事予算が制約を受けてた時期に起こりました。予算より重要なのは軍事組織における人材等であると、かれは以下のように指摘しています。

「イノベーションを開始すること、そして、それを戦略的に有用なオプションを提供する段階にもっていくことが達成されたのは、予算が厳しい時であった。カネよりも、有能な人材、時間、そして情報がイノベーションのカギとなる資源であり続けたのだ」(同書、252ページ)。

第3に、敵の能力や行動に関するインテリジェンスは、アメリカ軍のイノベーションにはあまり関係していません。アメリカ軍のイノベーションは、仮想敵国に対応して生まれたのではなく、安全保障環境の変化がもたらしたのです。第4に、文民の政治的指導者や民間の科学者が軍事イノベーションに果たす役割は、小さいということです。軍事ドクトリンに関する先行研究であるバリー・ポーゼン氏の『軍事ドクトリンの源泉』は、バランス・オブ・パワーの変化を受けて文民政治家が軍事組織に介入することにより、イノベーションは達成されやすいと説明していました。しかしながら、ローゼン氏は、そうではないと主張しています。シビリアン・コントロールの制度をとる国家において、戦争の可否や軍事予算を決めるのは文民政治家ですが、かれらは軍事組織のイノベーションにおいては、既に進行している改革を保護したり促進したりする役割を主に担うのです。たとえば、戦間期におけるイギリスの防空におけるレーダーや戦闘機、高射砲の導入の事例では、第一次世界大戦後から空軍が進めてきた防空システム構築を文民政治家が強化したのであり、それは軍事組織のイノベーションの必要条件でも十分条件でもなかったのです。

イギリスの防空システムの構築で重要な役割を果たしたのは、戦闘機兵団司令官のヒュー・ダウディング大将でした。かれは防空におけるレーダーの重要性に早くから気づき、その開発を推進しました。そして、かれは、レーダーによる早期警戒のネットワークと邀撃戦闘機の地上管制をリンクさせて、一元的指揮下で統合運用される防空システムの基礎を作りました。ダウディングは爆撃機にプライオリティをおく空軍の指導層に対して防空における戦闘機の重要性を説き、それを文民の政治指導者が支持することで、戦闘機の生産が優先されることになりました。さらに、ミュンヘン危機において防空システムの不具合を経験した空軍は、多くの権限を下級司令部に委譲して、即応できる体制を整えました(野中郁次郎ほか『戦略の本質』日本経済新聞社、2005年、98-104ページ)。こうしてイギリスは、来るバトル・オブ・ブリテンでドイツ空軍からの爆撃を耐え抜く軍事態勢を築けたのです。要するに、軍事組織では、新しいミッションや任務がシミュレーションを通して規定され、このイノベーションを専門とする将校のための新しいキャリアや昇任パターンが構築されます。このようにして、軍事組織は外部の安全保障環境の変化に適応するのです(同書、251-261ページ)。

ローゼン氏の軍事組織のイノベーションに関する説明は、ポーゼン氏の理論と同じように、国際システムの軍事組織への影響を指摘している点で共通しています。ただし、軍事イノベーションに果たす文民政治家の役割については、意見が異なっています。軍事イノベーションにおける文民の役割に関する競合する仮説のどちらが妥当であるかを判断するには、追加の事例研究による検証が必要でしょう。ローゼン氏の研究は、主にアメリカ軍のイノベーションを対象にしていますので、その理論の適用範囲(scope conditions)は狭いものかもしれません。実際に、かれは、自分の分析はアメリカと戦略文化が異なる他国の軍事組織には当てはまらないかもしれないと示唆しています。他方、ポーゼン氏の仮説も、第二次世界大戦前後のイギリス、フランス、ドイツの事例から引き出されたものなので、どこまで一般性があるかは疑問です。欧米の事例から構築されたり検証されたりした理論は、アジアの事例によりテストすることにより、その一般性を確かめるのに役立つでしょう。たとえば、日本の陸上自衛隊は、アメリカ海兵隊のような機能をはたす「水陸機動隊」を創設しました。これは自衛隊発足以来、最大の改革(イノベーション)といわれています。この新しい部隊が、どのようなプロセスで構築されたのか、すなわち、文民政治家のイニシアティヴがあったのか、それとも防衛省や自衛隊の幹部によるアイディアで主導されたのかを調べることにより、軍事組織のイノベーションに関する理論を発展させられます。

最後に、日本における軍事イノベーションの社会科学的研究について少し触れながら、この記事を締めくくりたいと思います。残念ながら、我が国では、軍事組織のイノベーションは、あまり熱心に研究されているとは言い難いようです。Google Scholarで「軍事」と「イノベーション」をキーワードにして検索してみると、経営学やマーケッティング論に関連した文献は数多くヒットしますが、軍事イノベーションの文献はかなり少ないです。そのような学術的状況において、日本海軍と海上自衛隊のイノベーションの盛衰を教育と人材の観点から分析した、北川敬三『軍事組織の知的イノベーション―ドクトリンと作戦術の創造力―』(勁草書房、2020年)は貴重な研究でしょう。ローゼン氏と北川氏(海上自衛隊)の研究に共通するところは、平時の軍事組織におけるイノベーションに果たす人材の重要性を指摘している点です。軍事組織の効率性を左右するイノベーションは、国家の安全保障を支える重要な要因です。軍事力を分析する際に、われわれは物質的要因である武器・装備や予算などに目を奪われがちですが、可視化の難しいイノベーションはもっと注目されるべき変数であることは間違いなさそうです。

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ウクライナ危機、歴史の教訓、戦略(更新)

2022年02月25日 | 研究活動
ウクライナ危機は、ロシアの侵略により、本格的な戦争へと悪化することが懸念されています。日本のメディアでは、ロシアやヨーロッパの「地域研究の専門家」や「軍事アナリスト」、「ジャーナリスト」、「外交実務経験者」たちが、この危機をさまざまな方面から解説しています。この記事では、アメリカの代表的な国際関係理論研究者のウクライナ危機に対する分析を紹介したいと思います。ここで取り上げるのは、このブログで何度も紹介してきたスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)が、フォーリン・ポリシー誌に寄せたエッセーです。わたしがウォルト氏の記事に言及するのは、かれがリアリストだからだということもありますが、国際関係論という学問の政策への関連性のみならず戦略の実践を意識しながら、ウクライナ危機を紐解いているからです。ここでは、かれのブログ記事「ウクライナにおける戦争へと歩む夢遊病者の西側」(2022年2月23日)を部分的に引用しながら、その分析を解説してみたいと思います。

1.米ロ間の非対称的なバーゲニング
この危機に関しては、大国であるアメリカとロシアの間に、能力や利益、決意(resolve)に大きな不均衡が存在してきました。にもかかわらず。これらの要因は、アメリカの対外政策には反映されてきませんでした。なぜアメリカは「非論理的な」対ロシア政策を実行してきたのでしょうか。この点に関するウォルト氏の「困惑」は、以下の通りです。

「わたしはアメリカとNATOおよび同盟がとってきた外交的立場から伝達された決意のレベルのギャップに当惑している。アメリカのバイデン大統領は、アメリカがウクライナのために戦う米軍を派遣しないことを明確にしてきたし、ヨーロッパのいかなる枢要な国もそのようなことを提案していない。どちらかといえば、アメリカは米軍人を撤退させ、外交官を退避させることにより、逆のメッセージを送ってきたのだ。何人かの気の短い人を除いて、アメリカの対外政策の主流派は、誰もウクライナのために実際の戦争を戦おうと思っていないし、このことは実際には本当の死活的利益ではないという暗黙の了解がある。

対照的に、ロシアはその中核的目的すなわちウクライナのNATO加盟を今だけでなく将来のいかなる時点でも実現させないために、武力行使も辞さないことを明言してきた。それは以前の2014年における意思表示が例証していた…2014年の時と同じように、ドンバス地方へのロシア軍の現在の進撃は、西側の視点からすれば、不法であり、非道徳であり、弁解の余地がない。しかし、にもかかわらず、それは起こったのだ。もしロシアがたとえより大規模な侵攻を始めようとしていないにせよ、この危機は既にウクライナに甚大な経済的損害を与えてきた。

ここで何が私を当惑させているのか。決意すなわちロシアが死活的利益(つまり戦うに値する利益)とみなすものが、西側にとって死活的とはいえない(つまり戦うに値しない)だけでなく、直接に関係する軍事力において著しい不均衡が存在する…ウクライナはロシアのすぐ隣にいるので、その航空戦力や陸上戦力からの攻撃に脆弱である。

だが、能力と決意の双方における、この大きなギャップにもかかわらず、アメリカ(そしてNATO全体)は、交渉において、双方で隔たりのある中心的問題にまったく譲歩の姿勢を見せてこなかった。ここで問題というのは、ウクライナの将来の地政学的連携のことである。わたしが見逃していなければ、NATOは今でもウクライナが加盟条件を満たせば同盟に入る権利があると主張している。ウクライナが早い段階で加盟できるとは誰も信じていないのに、西側は一つの点(ウクライナの加盟の非現実性、引用者)を繰り返し訴えればモスクワの懸念が和らぐと期待して、この抽象的な原則への立場を変えようとしなかった。

わたしが以前から主張してきたように、ウクライナとジョージアが最終的に同盟に加入するであろうとする2008年の宣言を取り消すのに、NATOが躊躇したことは、脅されてもモスクワには妥協しない気持ちだったと部分的に理解できる。しかし、この中核的問題に関して、ロシアが幾分か望むものを同国に与えることなくして、どうやって西側の指導者がこの危機を解決できると考えていたのか、わたしには理解できないのだ…あなたの敵が現地で軍事的優勢を保持しており、あなたより結果をもっと気にしている場合、紛争を解決するには、あなたの方がある程度の調整を行う必要がある。このことは正しいとか間違っているとかの問題ではない。これは相手を動かす力(leverage)の問題なのである」。

ウクライナ危機において、能力や決意で優るロシアはアメリカとNATO諸国に対してバーゲニングで有利な立場にあります。ですので、リアリズムのロジックからすれば、ロシアは妥協しないだろうと予測できます。にもかかわらず、なぜ弱い立場のアメリカやNATOが強い立場のロシアから譲歩を引き出せると考えていたのかが、ウォルト氏にはナゾなのでしょう。これは理論的なパズルであるだけでなく、直観にも反することでしょう。こうしたアメリカの矛盾をはらんだウクライナ危機への対応の源泉は、政策エリートが陥りやすい以下の思考に見いだせるのかもしれません。

2.歴史の教訓の「誤用」
国際危機や紛争において多用されるのが、「ミュンヘンの教訓」です。ウクライナ危機も例外ではなく、「ミュンヘンの教訓」がいつのまにか分析に援用されているようです。

「あなたはタカ派の決まり文句にでくわすだろう…プーチンだけが問題の根源だと語られ、アドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリン、サダム・フセイン、フィデル・カストロ、バシャール・アル=アサド、イランのすべての政治エリート、習近平といった独裁者と並んで巧妙に悪者扱いされる…西側はこの危機を核武装国家間の利益の複雑な衝突としてではなく、善と悪との道義的争いとして見てしまうのだ。いつものように、社会では、何が問題なのかは、ウクライナの地政学的連携ではなく、人類史の全体的な方向性として語られる。そして、タイミングよく、使い古されたミュンヘンのアナロジーが登場する。あたかもプーチンは大虐殺狂であって、本当の目的は、ヒトラーが試みたようにヨーロッパ全てを征服することだとみなされるのだ…この傾向はとくに危険である。というのも、いったん紛争がこのような硬直した一本調子の術語に収まると、妥協は破門宣告になってしまい、唯一の受け入れられる結果は一方の側による全面降伏になる。この環境では、外交は余興以上のものではなくなってしまう。西側の政策上の反応は、見慣れた同じようなものである。すなわち、決意の平凡な声明、同盟国を安心させるための部隊の象徴的な展開、経済制裁の発動であり、戦争のリスクを緩和する可能性のある妥協を考慮する余地は乏しくなるのだ」。

イギリスのベン・ウォレス国防相は、ロシアに対する外交努力には「ミュンヘンのにおいがする」と発言しています「ミュンヘン宥和の再来はごめんだ」との意図を示唆する発言でしょう。ただし、この歴史の教訓は全ての危機や紛争にあてはまるわけではありません。また、国家間の対立をミュンヘンのアナロジーで理解してしまうと、それが善と悪との戦いに再解釈されてしまい、政治的妥協の可能性をほぼ消滅させてしまいます。これは悪とみなされた敵を徹底的に倒す行動を正当化しかねないので、ウクライナ危機をめぐる核武装大国である米ロ間の恐ろしい核戦争のリスクを高めてしまう悲劇に現実味を与えてしまいます。要するに、ミュンヘンのアナロジーのメンタル・マップを持った国家の指導者は、プーチンという「悪」に対するいかなる妥協も許されないと考えてしまうことにより、危機や紛争への柔軟な外交的アプローチの幅をどんどん狭めてしまうのです。

今のところ、アメリカの対外政策のタカ派は、それほど対ロ強硬路線を主張していないようです。共和党上院議員のテッド・クルーズ氏は、バイデン大統領がウクライナにアメリカ軍を派兵すること、プーチンとの武力戦争を始めることを望んでいないとしています。その他のタカ派と見られる共和党のマルコ・ルビオ氏も、世界の2つの最大の核大国間の戦争は誰にとってもよくないことだと発言しています。最近のアメリカの世論調査によれば、72%が、アメリカはロシアとウクライナの紛争において小さな役割を果たすか、全く何もすべきではないと回答しています(Barbara Plett Usher, "Ukraine Conflict: Why Biden Won't Send Troops to Ukraine," BBC, 25 February 2022)。

3.戦略の基本原則
「残念ながら、もしアメリカの目的がモスクワを屈服させることであり、ウクライナをいつかNATOに加盟させられると暗黙的あるいは明示的に認めることであるならば、それは失望になりそうだ。過去に繰り返されたことが、ここでもあらわれている。アメリカの対外政策のエリートは、アメリカのパワーの限界を認識したり、現実的な目標を設定したりすることができないことを繰り返し証明してきた。1990年代初め、アメリカの指導者は自分自身にこう言い聞かせた。①地球規模のリベラルな秩序は創出できるだろう、②中国を責任ある利害関係者に引き込めるだろう(そして最終的には西欧の政治的価値を信奉させられるだろう)、③イラク、アフガニスタンそしていくつかの他のまゆつばものの国家を安定した自由民主主義国へと迅速に転換できるだろう、④世界から悪を取り除けるだろう、⑤北朝鮮とイランに核開発計画の放棄を強要できるだろう、⑥ロシアからの敵対的な反動あるいはモスクワと北京をより緊密な関係にすることに直面せずに、NATOを思うがままに拡大できるだろう、と。数十兆ドルが、ほとんど成果を挙げることなく、これらの(そしてその他の)目的のために使われてきたのだ。

これらのみすぼらしい失敗にもかかわらず、現在の危機は、アメリカが世界中の政治的取り決めを規定する権利や責任、そして(すべての中で最も重要な)能力を持っていると思い込む反射的傾向が存在することを明らかにしている…(しかし)アメリカは単極時代の絶頂期でさえ、そのような能力を持っていなかったし、今日では、そのような能力がないのは確かなのだ…アメリカは今でも世界最強の国であるが、同国ができることには限界があり、成功は明確な優先順位を設定することと達成可能な目標を追求することを必要としている…アメリカのNATO同盟国はこの危機を自分自身でどうにかする準備ができていないために、アメリカはまたもやヨーロッパの危機に対する第一の対応者の役割を担ってきた。もしアメリカとNATOが戦争に至ることなくこの危機を本当に何とか乗り越えるとすれば、それはヨーロッが自分自身の安全保障問題を扱えないという考えを強化すると共に、アンクル・サムが必要な時には今でも助けに駆け付けてくれるだろうから、試みる必要もないということになるのだろう。ヨーロッパ諸国の防衛能力を強化する努力は勢いが衰えるだろう。アメリカの同盟国はロシアからのガス栓を結局放棄することになるだろう。ウクライナとジョージアはNATOの扉をたたき続けるだろう。そしてアメリカは裕福な民主主義国を防衛するコミットメントを継続し続けることになろう…この結果の最大の受益者は、いったい誰なのだろうか」。

ここでウォルト氏が主張したいのは、以下の諸点ではないでしょうか。第1に、ウクライナ紛争に対する関係各国の現在の行動は、誰の利益にもならないということです。アメリカが武力による強制外交や本格的な軍事介入を控えており、ヨーロッパ諸国が力でロシアに対抗することに及び腰である事実は、ウクライナ紛争で同国とNATO諸国がいかなる妥協も拒み続ける意味を喪失させているのです。第2に、アメリカがロシアとウクライナをめぐり直接対決することの戦略的優先順位は低いので、この紛争への対応は現地のヨーロッパ同盟国に任せるべきということでしょう。国家が戦略を構築する際に従うべき根本原則は、その目標を手段と一致させることです。目標が高すぎると、それに見合う手段は入手しにくいので、戦略は失敗しがちです。手段が限られている場合、戦略を成功させるためには、目標を手段に見合うまで下げることも必要になります。かつて、永井陽之助氏は、「戦略の本質とはなにか、と訊かれたら、私は躊躇なく、『自己のもつ手段の限界に見あった次元に、政策目標の水準をさげる政治的英知である』と答えたい」と喝破しました(『現代と戦略』中央公論新社、2016年〔原著1985年〕、328ページ)。日米のリアリストに共通する戦略的思考です。おそらくウォルト氏は、アメリカが世界中の出来事を仕切る能力を持っていないのみならずこの紛争が同国の死活的利益を脅かすものでない以上、ウクライナ紛争への対応の責任はヨーロッパ諸国に負ってもらう「オフショア・バランシング」戦略をとるべきだといいたいのでしょう。



このブログ記事で、ウォルト氏は、ウクライナ危機の解決方法を明示してはいませんが、主張したいことは以上のように明らかです。もちろん、ウォルト氏の提言が正しいかどうかは、将来の「歴史」が決めることです。われわれがかれの分析から学べることは、リアリズムや戦略の原理が示唆するウクライナ危機への1つの診断と処方ということだと思います。ウクライナ危機が戦争へとエスカレートするプロセスを理解するには、ウォルト氏とかつて同僚だったジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)の6年前のレクチャー「なぜウクライナは西側の過ちなのか」が参考になります。出来事を事後に説明する学者が多い中、かれはリアリズムの理論から、今日のウクライナ紛争を条件つきで予測していました。ミアシャイマー氏が『ニューヨークタイムズ』紙に寄稿した論評「ウクライナを武装させてはならない」も慧眼を得ています(どなたか存じあげませんが、この記事が日本語に訳されていることを知りました)。なお、これらの講演や論評は、ロシアのウクライナ侵攻が始まる何年も前のものであり、この対立を戦争に発展させないための分析・政策提言であることに注意してください。

ミアシャイマー氏は、ロシアのウクライナ侵略が始まった後の3月1日に、『ニューヨーカー』のインタヴューを受けています。その一部を以下に紹介します(この対談記事も日本語に訳されています)。

ミアシャイマー氏「理想の世界において、ウクライナ人は自分たちの政治システムや自身の対外政策を自由に選べるだろうから、これは素晴らしいことだろう。しかし、現実の世界において、これは実現可能ではない。ウクライナ人はロシア人が自分たちに望んでいることに深い注意を払わなければならない。かれらがロシア人を根本的な方法で遠ざけるならば、甚大なリスクを払うことになる。もしロシアは、ウクライナがアメリカやその西洋の同盟国と連携するために、ロシアに対して実存的な脅威を与えていると考えるならば、このことはウクライナとって、とんでもない損害を生み出すことになる。もちろん、このことは今まさに起こっている。だからわたしはこう主張する。ウクライナにとって戦略的に賢明な戦略は、西側とりわけアメリカとの緊密な関係を断ち切り、ロシアに便宜を払うよう試みることだ、と。もしウクライナをNATOに含めようとする東方拡大の決定がなかったら、クリミアやドンバスはウクライナの一部であっただろうし、ウクライナにおける戦争もなかっただろう」。

聞き手:そのアドバイスは今では少し非現実的に見えます…ウクライナのためにロシアを何らかの形で宥和するというのですか。

ミアシャイマー氏「わたしは、ウクライナがロシアとの何らかの暫定協定を上手く見いだせる大きな可能性が存在すると思っている。この理由は、ロシア人がウクライナを占領することやウクライナ政治を乗っ取ることは大きなトラブルを招くことになると、今や気付き始めていることだ」。

このようなミアシャイマー氏の「ウクライナ戦争」への見立てには、反対意見もあります。アンドレイ・スシェンツォフ氏(カーネギー国際平和財団)とウィリアム・ウォールフォース氏(ダートマス大学)は、ミアシャイマ氏が、アメリカは収奪的な(predatory)行為者としてNATOを拡大させ、安全保障を追求するロシアを追い詰めたとの暗黙の前提に立っているが、これは理論的に矛盾していると次のように指摘しています。ミアシャイマー氏が依拠する攻撃的リアリズムは、アメリカであれロシアであれ大国を安全保障の収奪的追求者とみなしているのだから、もしアメリカが抑制的な戦略をとった場合、ロシアはヨーロッパ広域で自国優位の安全保障のアーキテクチャを構築できたであろう。そして「アメリカが本国に帰ったところで、(ロシアの)利益がどこかに行ってしまうことはない。このことが意味するのは、もしアメリカが本当に本国に帰ってしまい、その後になって強い国益を認識して戻ってこようとしても、そこにはアメリカのパワーを受け入れようとしないロシア主導のヨーロッパ安全保障構造があると知ることだろう…アメリカが収奪的な安全保障の目標を得て、ロシアが得られなかったのは、アメリカがパワーを持ち、ロシアが持ってなかったからなのだ」。要するに、かれらにいわせれば、ヨーロッパにおける米ロ関係の悪化は、西側のせいではなく、現状打破の衝動にかられた米ロ両国の戦略的な競争の結果と見る方が適切だということです(Andrey Sushentsov and William C. Wohlforth, "The Tragedy of US-Russian Relations: NATO Centrarity and the Revisionists' Spiral," International Politics, Vol. 57, No. 3, 2020, pp. 427-450)。

我が国では、ウクライナ危機でロシアに妥協することは、アジアにおける中国の現状打破行動を勇気づけてしまうのではないかという懸念が一部に示されています。イギリスのジョンソン首相も、ロシアがウクライナに侵攻すれば、影響は台湾に及ぶと警戒しています。『アトランティック』誌は、「次は台湾か―ウクライナへのロシアの侵攻は中国がこの島の支配権を握る恐ろしい可能性をより現実的なものにしている―」("Is Taiwan Next? Russia’s invasion of Ukraine makes the frightening possibility of China seizing control of the island more real," by Michael Schuman, The Atlantic, February 24, 2022)と題する記事を発表しています。確かに、こうした主張には頷けるところもなくはありません。また、国家は威嚇や対決の本気度を相手国の過去の行動から判断するとの研究結果もあります。その一方で、有力な国際関係研究は、国家の指導者が抑止の威嚇を過去の行動から判断するのでなく、バランス・オブ・パワーにもとづいて、その信ぴょう性を評価することを明らかにしています。これが正しいとするならば、東アジアにおける攻撃的行動は、ウクライナ情勢に関係なく、現状維持国に有利なバランス・オブ・パワーが保たれれば、原則として抑止されると期待できます。また、台頭する野心的な国家の現状打破行動に周辺国が恐れをなしてバンドワゴンすることは稀であり、国家は脅威に対抗するバランシング行動をとる傾向にあることも、国際関係研究で分かっています(これはウォルト氏が自著『同盟の起源』ミネルヴァ書房、2021年〔原著1987年〕やその他の論文で実証しています)。ですので、信ぴょう性を保つためだけの理由で行う戦争は、あまりにも危険なのかもしれません。脅威の源泉にバンドワゴンすることを防ぐための軍事介入を擁護するドミノ理論は、政策を導く知的ツールとしては妥当ではないでしょう。





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日本の防衛政策に「科学」はあるのか?

2022年02月17日 | 研究活動
日本の「防衛政策」を長年にわたり支えてきた概念が「基盤的防衛力構想」です。これは1976年の「防衛計画の大綱」策定時にセットとして政府が示した日本の国家安全保障の土台となる「戦略」コンセプトでした。その後、この戦略構想は、実に34年もの間、すなわち2010年「動的防衛力」構想が誕生するまで、日本の安全保障戦略の柱だったのです。その間、世界は目まぐるしく変化しました。米ソのデタントとその崩壊、新冷戦、冷戦の終結、アメリカ一極システムの出現、9.11テロとアメリカのリベラル覇権追求、北朝鮮の核開発、中国の台頭などは、日本を取り巻く安全保障環境を激変させたといってよいでしょう。それでも基盤的防衛力構想は生き延びました。

リアリストが主張するように、国家は国際システムに適用しようとします。そして、それに失敗した国家は代償を払うことになります(ケネス・ウォルツ、河野勝、岡垣知子訳『国際政治の理論』勁草書房、2010年〔原著1979年〕)。こうしたリアリズムの理論が正しければ、国際システムの構造的変容すなわちパワー配分の変化は、日本という「ユニット」の行動に影響を与えるはずです。いうまでもなく、アナーキー(無政府状態)下における国家の最大の政策的優先課題は「生き残ること(survival)」すなわち安全保障です。したがって、国家は「合理的アクター」であるならば、その安全保障の極大化する行動をとるべき(はず)です。ところが、日本は外部環境が大きく変わったにもかかわらず、変化前と変化後も同じような安全保障戦略をとり続けていたのです。本来ならば、国際システムの変化は、日本に最適な生き残り戦略を強います。にもかかわらず、日本は外的要因の変化に関係なく、「基盤的防衛力構想」という同じ戦略をとり続け、しかも、その安全保障を全うしてきました。これはリアリズムの国際関係理論にとっては、大きな「ナゾ」に違いありません。

なぜ「基盤的防衛力構想」は、国内外の環境の変化に耐えて、存続したのでしょうか。そのナゾに挑んだ研究書が、千々和泰明『安全保障と防衛力の戦後史1971-2010―「基盤的防衛力構想」の時代』(千倉書房、2021年)です。本書は、おそらく日本防衛史研究の「金字塔」といえるでしょう。日本の防衛政策を探究するうえで、われわれを悩ませるのは、おびただしい「ジャーゴン(難解な専門用語)」が、政府や防衛当局者によって多用されていることです。たとえば、わたしが大学の「国際関係論」の授業で、学生に「基盤的防衛力構想」といったところで、聞いている学生は、よほどの安全保障通でなければ、何のことかさっぱり分からないでしょう。こうした「バズワード」に満ちた日本の防衛政策を分かりやすく、しかも関連情報を過不足なく使いながら解説すると共に、上記の「基盤的防衛力構想」の継続のナゾを解き明かそうとする同書は、わたしがこれまで読んだ関連文献の中でも、断トツで高く評価できるものです。千々和氏(防衛研究所)の「実証史学」に対する真摯な姿勢と研究課題解決への強力なアプローチには、正直、脱帽します。日本の安全保障政策の研究において、このような画期的な書物が世に問われたことを、この分野の研究者として大いに歓迎するとともに、著者に敬意を表します。



「基盤的防衛力構想」が冷戦前後で持続した理由について、千々和氏は、国内政治の要因から説明しています。すなわち、その原因は「同構想をめぐる『多義的解釈』であり、それによって基盤的防衛力構想は戦後日本の安全保障政策に関する『意図せざる合意』を形成」できたということです(同書、12ページ)。これを簡潔にいえば、「基盤的防衛力構想」はさまざまな解釈ができる戦略概念だったので、日本の防衛に携わるアクター(政治家、防衛当局者、陸海空自衛隊、有識者など)は、自分たちが都合のよいように、これを利用できたということでしょう。しかしながら、こうした「基盤的防衛力構想」の耐久性は、2010年頃、臨界点に達して崩壊しました。この変化の原因について、かれは「防衛力の在り方をめぐる国内的な分裂状態そのものが消滅したこと」を挙げています(同書、262ページ)。すなわち、このころから日本の防衛政策において、脅威対抗論と防衛力運用重視でコンセンサスが形成されたので、基盤的防衛力構想は用済みとなったのです。その結果、次々と難解な防衛用語が編み出されてきました。それらが「多機能弾力的防衛力(厳密にいえば、これは『基盤的防衛力構想』を一部踏襲)」「動的防衛力」「統合機動防衛力」「多次元統合防衛力」です。これらを日本の事情に疎い海外の戦略家や安全保障専門家に解説なしに示したら、どのような反応になるでしょうか。おそらく誰も正確に内容を理解できないでしょうし、そこから演繹される手段である戦力構成や運用も導けないでしょう。それくらい、これらの「ジャーゴン」は、標準的な戦略や安全保障の中心概念から「外れている」ということです。よい戦略は概してシンプルです。

本書の内容は、疑うことなき一級品です。ですので、これ以降のわたしの議論は、『安全保障と防衛力の戦後史』のクオリティについてではなく、ここから得た日本の防衛政策の情報に関する純粋な疑念であることを前もってお断りしておきます。本書ならびに類書や関連文献を読む限り、日本の防衛政策は、まったくといってよいほど、「科学的な検証」なくして存続されたり改訂されたりしてきた事実が驚きです。誤解を恐れずに率直にいえば、日本の防衛政策は、政策立案者たちの「直観」や「信条」、「パーセプション」、「(つじつま合わせに近い)バーゲニング」によって構築されてきたのです。それを例証するものとしては、たとえば、「二二大綱」の策定に大きな役割を果たした「防衛懇談会」のあるメンバーによれば、この会合において基盤的防衛力構想は「時代遅れの印象」で語られていたそうです(同書、237ページ、強調は引用者)。もちろん、このことは日本の防衛政策の立案において、軍事情勢に関するオペレーションズ・リサーチやシミュレーションが完全に欠如していたというのではありません。そうではなく、関連する歴史証拠によれば、「基盤的防衛力構想」による防衛政策が、ほとんど実証科学にてらされることなく継続されると同時に、反証されることなく廃棄されたのです。要するに、これは日本の防衛政策の立案と制定、変更、実施における「科学」の欠如にほかなりません。

もし基盤的防衛力が日本の平和を維持してきたのであれば、前者が後者を生み出した因果関係を立証しなければ、こうした主張が正しいことは分かりません(逆も同じです)。そういうと「起こらなかったことの立証は、悪魔の証明であり不可能だ」との批判もあるでしょう。確かに、こうした反論には一理あります。しかしながら、政治学や国際関係論は、そこで「思考停止」していません。上記の因果仮説は検証可能です。ここでは話を単純にするために、ソ連ファクターだけに論点を絞ります。冷戦期において、日本の安全保障に対する最大の脅威はソ連でした。ソ連が日本に軍事侵攻しなかったから、日本の平和は保たれたのです。そうだとすれば、日本の平和維持には2つの因果経路が推論されます。1つは、ソ連が日本の防衛力により抑止されたということです。もう1つは、ソ連がそもそも日本を侵略しようとしていなかったということです。どちらの仮説がより妥当であるかは、旧ソ連の対日政策決定の史料が、ある程度は教えてくれるはずです。ソ連は、日本の防衛力による拒否のコストが利得を上回ると判断して侵略を自制していた証拠があれば、前者の仮説が正しい可能性は高くなります。このことは基盤的防衛力の政策としての有効性を裏づけるでしょう。他方、ソ連の日本に対する威嚇はブラフに過ぎなかったのであれば、基盤的防衛力は機能していなかった可能性が高まります。

このように、日本の安全保障の因果メカニズムは、科学的に検証可能なのです。はたして、このことを研究した書物や論文あるいは調査は存在するのでしょうか。アメリカでは、政治学者や歴史学者を中心に、冷戦期におけるアメリカの対ソ戦略の有効性に関する実証研究が盛んに行われています。たとえば、ソ連のベルリン侵攻は、西ベルリンおよび西ドイツに展開していた米軍の「トリップワイヤー戦力」が抑止していたと信じられていましたが、実際は、ソ連がベルリン侵攻を企図していなかったことが研究者によって明らかにされています。すなわち、ベルリンをめぐるトリップワイヤーによる抑止は、虚構だったのです。また、レーガン政権のソ連に対する「大戦略」が、同国の譲歩と穏健化を促したことも、長年の研究の蓄積から分かってきました。ひるがえって、日本の対ソ「戦略」は、はたして日本の安全保障にどのくらい寄与していたのでしょうか。こうした実証なくして、われわれはどうやって基盤的防衛力構想にもとづく日本の防衛政策が正しかったかどうかを知ることができるのでしょうか。

同じことは、2010年の「二二大綱」以後の日本の防衛政策にもいえるでしょう。「動的防衛力」「統合機動防衛力」「多次元統合防衛力」は、どのようにして日本の安全保障に貢献しているのでしょうか。もちろん、時間が現在に近づけば、歴史証拠による検証は困難になります。しかしながら、原因と結果の因果関係を見定める方法は、史料による過程追跡法だけではありません。第1に、「反実仮想」は、結果の必要条件を検証する優れた仮想実験方法です。冷戦期において、長い間、激しく対立していた米ソが戦火を交えなかったのはナゾでした。この「長い平和」は、ジョン・ルイス・ギャディス氏(イェール大学)が「反実仮想法」を使って、一定の説得的な分析を行っています。すなわち、冷戦前であれば戦争になっても不思議ではない対立が起こったにもかかわらず、平和が保たれたのは、冷戦前の大国間政治にはなく冷戦期の米ソ関係に存在した要因が引き起こしている可能性が疑われるということです。それが国際システムの二極構造であり核兵器でした(John Lewis Gaddis, The Long Peace, Oxford University Press, 1989)。第2に、理論も政策評価や立案の力強い味方です。戦争と平和については、戦略研究の豊富な研究蓄積があります。たとえば、通常戦力による抑止は、敵対国の戦闘への期待が「消耗戦」であれば、成立しやすいことが分かっています(John Mearsheimer, Conventional Deterrence, Cornell University Press, 1983) 。この理論が正しければ、日本が通常抑止を維持したければ、潜在的敵国に疲弊を強いるような戦略とそれに沿った戦力を構成・運用をする防衛政策をとって、それをアピールすることが理にかなっています。

おそらく、日本の安全保障に最も貢献したのは日米同盟でしょう。なぜならば、国際システム(新冷戦や冷戦の終結など)、国内政治(55年体制の崩壊など)、個人(政治指導者の交代など)の全レベルで大きな変化があるにもかかわらず、日米同盟(米軍の日本占領期も含む)と日本の「平和」は変化していないからです。少なくとも、冷戦終結とソ連崩壊の過程でアメリカが果たした役割にかんがみれば、日米同盟から日本は大きな安全保障上の恩恵を受けていたことになります。その意味では、「吉田ドクトリン」は、日本の大戦略として「成功」だったといえます。基盤的防衛力も冷戦前後で変化していないとの反論もあるでしょうが、日米同盟に比べれば、その継続期間がかなり短いので、因果の重みは相対的に軽くなると推論できます。

なお、「五一大綱」の策定においては、日米同盟があるにもかかわらず、日米間で公式の協議が行われませんでした。ある当事者は「米国側の立場に立てば、勝手に大綱を作って、(日本を)支援してくれということになる」と指摘しています(同書、106-107ページ)。同盟とは、そのパートナー国が相互に安全保障のために協力する制度であることにかんがみれば、一方の同盟国が相手国と調整もせず独断で防衛政策を構築しておきながら、有事の際に軍事的支援が行われるはずだと期待することは、戦略の常識からすれば考えられないのではないでしょうか。新冷戦期においても「五一大綱」を「放置」したことに対して、ある実務者は「無責任だった」と述懐しています(同書、157ページ)。リーマンショック以降、自己主張を強める中国の台頭により変化している東アジアの安全保障環境において、日米同盟が果たす役割はますます大きくなっています。ある研究では、中国の攻撃的行動はアメリカに抑制されることが実証されています(Andrew Chubb, "PRC Assertiveness in the South China Sea," International Security, Vol. 45, No. 3, Winter 2020/2021)。そうであれば、2008年以後の日本の安全保障は、引き続きアメリカとの同盟に支えられているといえます。要するに、日米同盟が、国際システムからの「制裁」から日本を救っていた可能性が高いということです。別の言い方をすれば、日米同盟は日本の防衛政策の「許容原因」だったのかもしれません。

これはまったくの私見ですが、日本における安全保障研究や戦略研究における「科学」の遅れが、政策にもあらわれていると推察されます。安全保障や戦略が、科学であると同時にアートでもあることは、わたしも同意します。しかしながら、率直に申し上げれば、日本の防衛政策の立案者たちは、「主観」に比重を置きすぎていたように思います。日本の生存を左右する防衛政策が、関係者の「印象」で決まっていたとするならば、これは衝撃ではないでしょうか。社会科学がどのように防衛政策の形成にかかわるのかについては、議論の余地があるのでしょうが、アメリカでは「戦略の科学」が学者を交えて追究され、その安全保障政策に一定の役割を果たしてきました。学術的な国家安全保障政策研究の「黄金期」(1945-1961年)において、アメリカが直面する戦略的課題への解決に社会科学者は貢献してきたのです(ただし、アメリカにおいて、社会科学者の研究が、どの程度、実際の国家安全保障政策に影響を与えたのかは、議論の余地があります)。

政治学者のバーナード・ブローディ氏は、核兵器の用途は抑止に限られることをいち早く指摘しました。かれは米空軍参謀本部のアドバイザーとして仕えるとともに、かれの「抑止理論」は、大統領をはじめ政府高官に「核革命」のインパクトを理解するための「メンタル・マップ」を提供したのです。後にシカゴ大学の政治学教授となるアルバート・ウォルステッター氏は、ソ連の第1撃に対する戦略空軍司令部の脆弱性を分析した「基地使用研究(basing study)」を主管したり、核攻撃からのICBMの脆弱性を硬化サイロによって減少させることを提言したりしました(Michael Desch, The Cult of Irrelevance: The Waning influence of Social Science on National Security, Princeton University Press, 2019, pp. 145-175)。ひるがえって、日本でも、社会科学者が「防衛問題懇談会」などを通して、安全保障政策の立案にかかわるようになりました。その一方で、アメリカでは今も昔も戦略家とよばれる多くの社会科学者が大学やシンクタンクに籍を置いて活動しているのに対して、我が国では、どのくらいのアカデミアの戦略家が存在するのでしょうか。日本の防衛政策に「戦略の科学」が求められるゆえんは、ここにあるとわたしは思います。


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ゼミ生たちの卒業論文

2022年02月16日 | ゼミナール
わたしが奉職する群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部では、「国際関係論ゼミナール」を担当しています。ここでゼミ生には、卒業論文を執筆するよう指導しています。本学部では、卒業論文の文字数は2万字以上です。これは国際政治学会や国際安全保障学会の論文の文字数とほぼ同じです。ゼミ生たちは、最初は2万字も書けるのか、心配しますが、資料を集めて執筆を進めると、文字数に対する懸念はなくなっていくようです。卒論指導にあたって、わたしはゼミ生たちに、自分が熱心に取り組めるテーマを自由に設定させています。ゼミナール名は「国際関係論」ですが、卒論テーマは、国際関係論以外のものでも歓迎しています。

ここでは、わたしのゼミ生たちが完成させた、ここ数年の卒業論文をいくつか紹介したいと思います。

2018年度には「どのような国家でジェノサイドは発生するのか―国家の強大性と弱体性の観点からの考察―」という、国際安全保障分野でのたいへん重要な人道的テーマの卒論が提出されました。ここで執筆者は、専制主義的・権威主義的な強大な国家が国民を虐殺する仮説と、政府が弱すぎて内乱状態が起こりジェノサイドが発生する仮説をナチス・ドイツのホロコースト、文化大革命時における虐殺、カンボジアにおける大虐殺、ルワンダ内戦における大虐殺、スレブレニッツアの悲劇を事例により検証しています。彼女は、先行研究として、Benjamin A. Valentino, Final Solutions: Mass Killing and Genocide in the Twentieth Century (Cornell University Press, 2004) を読み込み、ここでの議論を発展させて、ジェノサイドの原因を政府の強弱に求めました。これは、とても質の高い卒業論文です。そのほかの卒論としては、開発途上国のガバナンスと発展の相関関係を定量的アプローチで調べた「アフリカにおいて経済成長を決めたものは何か―政治と治安の重要性の検証―」が高く評価できます。この卒論の執筆者は、現在、航空管制官として活躍しています。

2019年度には、近代化と宗教の復興のパラドックスに挑んだ「近代化は宗教の復興を引き起こすのか」という、興味深い卒論が提出されました。そのほか、国際関係論の「王道」ともいえる「経済的相互依存は紛争を抑止するか」をテーマに選んだゼミ生もいました。

2020年度で秀逸だった卒業論文は「日韓の歴史問題において謝罪することが解決につながるのか―謝罪における日本の反発と韓国の反応の検証―」です。これを執筆したゼミ生は「古い仮説を新しいデータで検証する研究デザイン」にともづいて、日韓の歴史問題を分析しました。彼女が先行研究に選んだのは、Jennifer Lind, Sorry State: Apologies in International Politics (Cornell University Press, 2008) であり、ここで提示された「韓国への謝罪に対する日本国内の反動」仮説を上記書が出版された以降の日韓関係のデータで再検証しました。その結果、この仮説は支持されず、日韓の歴史問題の根源は韓国の内政にあることを突き止めました。そのほか「なぜ日本は湾岸戦争時にフリーライドしたのか」という、国際関係論のなじみ深い問題を分析した卒論もありました。

2021年度では、政治学で長年にわたり広く深く研究されているテーマである投票行動に関する卒論「なぜ若者の投票率は低いのか―投票義務感・政治関心・政治的有効性感覚の観点から―」が、非常に優れていました。この卒論を書いたゼミ生は、副題にある3つの投票行動の仮説を膨大なデータで検証した結果、投票義務感が若者の低投票率を最もうまく説明できることを突き止めました。また、ソフトパワーに関連する卒論のテーマを選んだゼミ生もいます。それが「クールジャパン政策の失敗の要因―海外需要開拓支援機構の投資案件の事例検証―」です。クールジャパン政策がなぜ失敗するのかというリサーチ・クエスチョンについて、このゼミ生は「ジャパンブランドを前面に押し出せば海外で売れると過信し、現地のニーズを汲み取ったうえでローカライズすることを軽視した点」が原因だと結論づけています。「なぜ日本の脱炭素社会の実現のために原子力発電が必要なのか―日本の再生可能エネルギーの限界を知るー」は、政策志向の卒論です。この卒論の執筆者は、脱炭素社会のカギとして世界的に導入が進む再エネは、日本に適していないことを豊富なデータと諸外国との比較分析により明らかにしました。この分析結果は、日本に残る選択肢が原発の力であることを示唆しています。そして彼女は、原発稼働に必要な安全性の確立と国民の理解を得ることに急ぐべきだと提言しています。

これらすべての卒論に共通しているのは、①明確なリサーチ・クエスチョンを立てること、②先行研究を批判的にレヴューすること、③リサーチ・クエスチョンに対する答えに相当する仮説を明示すること、④仮説を証拠やデータにより検証すること、⑤結論から導かれる政策提言を行うこと、です。わたしはゼミ生たちに助言やアドバイスをしますが、卒論を書きあげるのは彼女たち自身です。毎年、学士論文として誇れる内容の卒論が提出されることは、執筆したゼミ生たちが最も達成感を味わっているでしょうが、指導する側のわたしにとっても嬉しいことです。

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外交における宥和戦略とスパイラル・モデル

2022年02月15日 | 研究活動
現代の外交において、「宥和(appeasement)」ほど悪名高いものはないかもしれません。この汚名の起源は、いうまでもなく「ミュンヘンの教訓」にあります。イギリスのチェンバレン首相が、ナチス・ドイツのヒトラー総統の野心に対抗せず、それを許してしまったことは大失敗であり、これが後の第二次世界大戦争の発端となってしまった。したがって、宥和政策は、外交において妥協や譲歩は禁物であるという警句的な「一般命題」を含意する否定的なものなのです。ところが、近代外交において、宥和は肯定的な意味合いを持っていたというと、皆さんは驚くかもしれません。実は19世紀から20世紀の初め頃まで、世界の覇権国であった「大英帝国」は、その基本的な外交戦略において、宥和をしばしば使っていたのです。そして、大英帝国が長続きした1つの理由は、この宥和政策にあったと主張する有力な研究があります。それが軍事史の大家であるポール・ケネディ氏(イェール大学)による著書『戦略と外交(Strategy and Diplomacy: 1870-1945)』(Fontana Press, 1984)です。



ケネディ氏の著作は、日本ではベスト・セラーを記録した『大国の興亡』(草思社、1993年〔原著1987年〕)が有名ですが、上記書は、専門家以外には、ほとんど知られていないでしょう。『戦略と外交』においてケネディ氏が言いたい1つのことのは、大英帝国は宥和政策に支えられていたことです。かれはこう主張しています。

「なぜ帝国はかくも長きにわたり継続したのか…イギリスの大半のエリートの政治文化、すなわち極端を嫌い、理性的な議論に訴え、政治の合理性に信念を抱き、妥協の必要性を認めることは、なぜ大英帝国がそれほど長続きしたのかを説明する、たいへん重要な部分を形成するかもしれない…長い目で見れば、いったん経済的、戦略的潮目が変わってしまった際に、可能な限り世界大の帝国をいかに維持するかにおける根本的問題に関して、この柔軟で理性的で妥協を模索する政策は、断固として『屈服しない』ものより、好ましくなかったのだろうか」(『戦略と外交』202、216-217ページ)。

ケネディ氏によれば、「『宥和』の伝統は、もともと否定的ではなく肯定的な概念だった」のです(前掲書、215ページ)。この概念を逆転させてしまったのが、「ミュンヘン宥和」と第二次世界大戦でした。イギリス外交において1939年まで、宥和は好ましい政策として活用されていたのです。それでは、ここでいう「宥和」とは、どのようなものなのでしょうか。かれは、このように定義しています。「『宥和』は、不満を合理的な交渉と妥協を通して、認めたり満たしたりすることによる国際紛争を解決する手段であり、したがって、費用が高く血まみれになり、場合によってはたいへん危険な武力衝突に頼ることを防ぐ政策を意味する」ということです(前掲書、15-16ページ)。そして、これは「国益としての平和」として、1930年代まで、イギリスの全般的な戦略を構築していました。もちろん、こうした戦略がイギリスで無批判だったわけではありません。「左派」や「理想主義者」は、ヨーロッパ大陸における紛争に巻き込まれることを忌避していました。他方、「右派」や「リアリスト」は、宥和が、その前提に永久的な調和という考えを置くユートピア主義であり、国家の弱みを見せる政策だと批判していました(前掲書、19-21ページ)。

こうした宥和政策への批判があるにもかかわらず、19世紀後半から20世紀の前半頃まで、イギリスが宥和を基調とする戦略をとってきたのには、わけがありました。第1は国内的要因です。イギリスの政治家は、国民からの福祉への高まる要求に応えなければなりませんでした。教育、貧困、保険、年金などを手厚く提供するということです。その結果、かれらは古典的な「大砲(軍備)かバター(福祉)か」のトレードオフに対処しなければなりませんでした。第2はイギリスの国力の衰退です。この時期にイギリスは、産業や通商、植民地、海軍と軍事一般において、世界的なポジションを相対的に悪化させていたのです。イギリスは、これらの問題を宥和政策をとることで解決しようとしました。具体的には、コミットメントの縮小、敵対主義の排除、戦争につながりかねない対立の回避です。こうした政策の端的な例が、アメリカに対する宥和でした(前掲書、23-24ページ)。この対米宥和については、過去のブログ記事で触れましたので、詳しくは、そちらに譲り、ここではイギリスの海軍と部隊は、アメリカの勢力圏になる西半球から撤退したことだけ述べるにとどめます。

イギリスの宥和戦略は、ヒトラーの登場により破綻します。戦間期において、宥和政策は左派の広い支持を集めており、右派が時折疑念を示したり批判をしたりする程度でした。ところが、独裁者のヒトラーに対する宥和は、間違いであり危険な政策になったのです。ナチス・ドイツの一連の侵略行動は、安上がりで、平和的な、非介入主義の対外政策が、特定の状況下では妥当でないことを明らかにしたのです。世界情勢での地位を徐々に失いつつある小さな島国であるイギリスにとって、軍事的、経済的な負担は重すぎて背負えないため、宥和は「自然な」政策でした。ところが、この外交パターンは、ヒトラーの侵略によって粉々にされました。そして「宥和」は、誇るべき言葉から恥ずべき言葉になったのです。皮肉なことに、宥和に対する意味合いの逆転は、後のイギリスに悲劇をもたらします。1956年のスエズ危機において、アンソニー・イーデン首相は、自らの政策で宥和を断固拒否しました(前掲書、31-39ページ)。その結果は、外交的な失敗でした。

現代の国際政治において、われわれは宥和政策をどのように理解すればよいのでしょうか。リアリストは概して宥和に批判的だと思われがちですが、実は、そうでもありません。リアリズムの伝統をくむ国際関係理論は、肯定か否定かの二項対立を超えた宥和に対する1つの見方を示しています。その分析枠組みを提供したのが、ロバート・ジャーヴィス氏です。かれは、認知心理学を応用した国際関係研究の金字塔である著作『国際政治における認識と誤認(Perception and Misperception in International Politics)』(プリンストン大学大学出版局、1976年)において、紛争の2つのモデルを提供しました。1つは「スパイラル・モデル(spiral model)」です。これは国家が恐怖や不安により動機づけられて攻撃的な行動をとっている場合にあてはまります。こうした状況では、抑止や強制の威嚇は、相手の恐怖心をさらに高めてしまい、作用・反作用の悪循環を発生させる結果、対立はどんどん悪化するだけです。したがって、ここでの紛争解決や危機管理を成功させる政策は、相手の恐怖や不安を和らげることです。すなわち、便宜をはかったり宥和をしたりする政策が有効なのです。もう1つは「抑止モデル(deterrence model)」です。これは国家が現状打破の拡張や略奪的な野心によって動機づけられて侵略的な行動をとっている場合にあてはまります。こうした状況では、便宜をはかったり宥和をしたりすると、相手に拡張行動をエスカレートする機会を与えることになり、対立はかえって悪化します。したがって、ここでの紛争解決や危機管理を成功させる政策は、信頼のおける威嚇により潜在的侵略国が現状打破の目的を達成できなくする抑止になります。

リアリストのスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)は、これら2つのモデルを引き合いに出しながら、ウクライナ危機において、アメリカやヨーロッパの同盟国は、ロシアを宥和すべきだと主張していました。かれは、ロシアには「抑止モデル」は当てはまらないといいます。ウクライナに武力を提供する政策は、プーチン大統領が無慈悲な侵略者であり、旧ソ連帝国を再構築しようとしていることを前提として、ロシアに対しては対決姿勢で臨むべきだという発想を反映しています。しかし、ウォルト氏は、むしろ「スパイラル・モデル」がロシアにあてはまると見ています。少し長くなりますが、かれの2015年2月時点での分析を以下に引用します。

「ロシアはナチス・ドイツや現代の中国のような野心的台頭国ではない…衰退する大国(ロシア)がまだ保持している国際的影響力にしがみついているのであり、国境付近の控えめな影響圏を維持しようとしているのだ…プーチンとその取り巻きは、ウクライナを含む世界中で「体制転換」を促進するアメリカの努力も純粋に懸念している…無慈悲な野心ではなく消えない不安がウクライナに対するロシアの反応にある。さらに、ウクライナ危機はロシアの大胆な行動から始まっていなかった…それはアメリカと欧州連合が、ウクライナをロシア圏から外して、西側の影響圏に組み込もうとした時に始まった…モスクワはこのプロセスに手段を尽くして戦いを挑むことを何度も明らかにした。アメリカの指導者は、領土の収奪ではなくロシアの不安から明らかに生じた、これらの警告を軽く無視したのだ。プーチンの強権的反応を予測できなかったアメリカの外交担当者の失敗は、顕著な外交的無能をさらけだす行為だった…もしわれわれは『スパイラル・モデル』状況にいるのなら、ウクライナを武力で強化することは事態を悪化させるだけだろう…それは単に紛争を悪化させるだけであり、ウクライナの人々をさらに苦しめることになる」(Stephen Walt Makes the Case for Appeasing Russia, Atlantic Council, February 14, 2015)。

その後、ウォルト氏はフォーリン・ポリシー誌のブログ記事「リベラリストが招いたウクライナ危機」(2022年1月19日)において、再度、ウクライナ危機の分析と解決を以下のように述べています。

「ウクライナ情勢は悪く、ますます悪化している。ロシアは侵攻の構えを見せており、NATOが決してこれ以上東方に拡大しない完全な保証を要求している。交渉は明らかに成功していないし、アメリカとそのNATO同盟国は、ロシアが侵略を推し進めてきた場合に、同国に代償を支払わせることを考え始めている。本当の戦争が今や現実味を帯びてきており、それは全ての当事者とくにウクライナ市民にとって、広範囲にわたりさまざまな影響をもたらすだろう。

西側では、NATO拡大を擁護するとともに、プーチンだけにウクライナ危機の非難を浴びせることが当たり前だ…しかしプーチンだけにウクライナをめぐる現在進行している危機の責任があるのではないし、かれの行為や性格に道徳的な怒りをぶつけることは戦略ではない。さらなる強力な制裁を課しても、かれが西側の要求に屈することは引き出せないだろう。とにかく不快であるが、アメリカとその同盟国は、ウクライナが地政学的にどう連携するかは、ロシアにとって死活的利益すなわち武力を使ってでも守ろうとする利益であり、このことはプーチンが旧ソ連の過去のノスタルジーに愛着を抱く無慈悲な専制主義者になったからではないことを知らなくてはならない。大国は国境付近に配置された地政学的な武力に決して無関心ではいられないし、ロシアは、たとえ他の誰が責任者になろうとも、ウクライナの政治的連携には深く神経をとがらせるだろう。アメリカとヨーロッパ諸国が、このような基本的な現実を受け入れようとしないことは、世界が今日において、このような混乱に陥った大きな理由なのだ。そして、プーチンは、大きな譲歩を銃口を突き付けて引き出そうとすることにより、この問題をさらに難しくしてしまった。たとえ、かれの要求が総じて理にかなったものであったにせよ(そしていくつかはそうではなかったが)、アメリカと他のNATO諸国は脅迫によるかれの試みを拒絶する十分な理由がある…脅迫されたことを許すシグナルを送ることは、脅迫者が新しい要求を突き付けることを促してしまうのだ。

この問題をうまく切り抜けるには、双方がこの交渉を脅迫のように見えるものから、相互に見返りを得るようなものに一段と見えるよう変えなければならないだろう...打つ手に乏しいにもかかわらず、アメリカの交渉チームは、ウクライナが将来のどこかの時点でNATOに加盟するオプションを保持することを、見たところ今だに主張しているが、この結果こそモスクワがまさに拒絶したいことなのだ。もしアメリカとNATO諸国がこれを外交により解決したいのならば、現実的な譲歩をしなければならないだろうし、望むものすべてを手に入れることなどできないだろう。わたしはあなた以上にこの状況が好きではないが、それは合理的な限界を超えてNATOを愚かにも拡大したことへの払うべき代償なのだ。

ウクライナはイニシアティヴをとって、いかなる軍事同盟にも加盟しない中立国として振る舞う意思を声明すべきである。同国は、NATOの加盟国にならないこと、あるいはロシアが主導する集団安全保障条約機構に加わらないことを公式に宣言すべきである…もしキエフが自分自身でそのように動けば、アメリカとNATO同盟国がロシアの脅迫に屈したと非難されることはないだろう。

ウクライナ人にとって、ロシアがすぐ隣にいる中立国として暮らすことは、まったくもって理想的な状況ではない。しかし、自国の地政学的位置を考えれば、それはウクライナが現実的に望みうる最善の結果なのだ…1992年から2008年すなわちNATOが愚かにもウクライナを同盟に加えるだろうことを公表したこの年まで、ウクライナがうまく中立を保っていたことは思い出すに値する。この期間のいかなる時点においても、同国は侵略の深刻なリスクに直面していなかった。だが、反ロシアの感情がウクライナの大部分で高まっている今となっては、この可能性のある出口ランプに連れて行ける可能性は少なくなっている。

この全体の不幸な物語における最大の悲劇的要素は、それが回避可能だったことだ。しかし、アメリカの政策立案者は自由主義の驕りを抑え、リアリズムの不快だが死活的な教訓を十分に理解するまで、かれらは将来において同じような危機によろよろと入り込んでいきそうだ」。

国家の指導者の意図を完全に理解することはできませんが、ウォルト氏は、ウクライナ危機の事例を時系列的に分析することで、プーチンが不安から攻撃的な行動にでたと判断しています。これが正しいとするならば、ウクライナ危機を解決するには、ロシアに対する何らかの「宥和」が、脅迫による譲歩ではないバーゲニングに求められるということです。そして、このことはリアリズムの国際関係理論から処方される政策なのです。宥和政策は「ミュンヘンの再来はこめんだ」という単純な「歴史の教訓」の推論から否定されることが多いようですが、「スパイラル・モデル」の状況においては、紛争の鎮静化や戦争へのエスカレーションの防止に効果が見込めます。歴史学者であるケネディ氏と政治学者であるジャーヴィス氏が、宥和戦略の是非に新しい知見を与えてくれました。そして、政策に関連づけられた理論研究を重視するウォルト氏により、宥和政策は現在の国際情勢分析に応用されました。われわれの宥和政策の理解は、「歴史学と政治学の対話」により深まったといえるのではないでしょうか。

ウクライナ危機は予断を許さない緊張した状態が続いています。将来の出来事を予測することは困難を伴うものですが、ウォルト氏は、政治学者として、とるべき政策を明らかにする自らの社会的役割を自覚しながら、上記のような発言を行っているのだと思います。ウクライナ危機を平和的に解決するカギを「リアリストの外交戦略」が握っているとするならば、それが遅きに失していないことを願うばかりです。

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