戦後日本の主要な政治学者に関する注目すべき研究成果が発表されました。酒井哲哉「永井陽之助と戦後政治学」『国際政治』第175号(2014年3月)、70-83ページです。永井陽之助「先生」は、日本を代表する「政治的リアリスト」として知られています(直接、授業を通して教えを受けた者の一人として、ここでは永井氏を「先生」と呼ばせていただきます)。
近年では、永井先生の代表論文を英語に訳して紹介するプロジェクトも行われました。私の古くからの知人であり友人でもあり「先生」でもある、ポール・ミッドフォード氏(ノルウェー科学技術大学)らの尽力により、永井先生の高論「日本外交における拘束と選択」(『平和の代償』中公クラッシック、2012年[復刻版]所収)の全訳が、Japan Forum に掲載されました。
さて、私が論文「永井陽之助と戦後政治学」に引きつけられたのは、著者の酒井氏が、国際政治学者としての永井先生と政治学者としての永井先生の著作を「同時に考察」して、「戦後思想史の文脈に位置づけ」ようとしているからです。そして、この酒井氏の試みは、「永井政治学」の内なる「葛藤」を鋭くつくことに成功していると思いました。
第1に、酒井論文では、外交と内政に対する永井先生の分析の違いが指摘されています。曰く、永井政治学は「外交は現実主義、国内は社会変革という二元論がかなり唐突に挿入される結果になっている」(酒井:79ページ)ということです。私は、国際政治に関する永井先生の著作については、何度も何度も読みましたが、「現実主義論争」を引き起こす前の政治学の著作には、簡単に目を通した程度でした。不覚といえば不覚ですが、こうした永井政治学の二元性を明確に自覚することは、これまでありませんでした。
第2に、「永井政治学」が「科学」と「アート」の間で揺れ動いていたことが、酒井氏により、見事に描き出されていることです。このことは、私も何となく感じていましたが、明示的に意識していませんでした。北米の国際政治学/国際関係論のオーソドックスな方法論では、はじめに「パズル」を設定して、それを解くことが、一つの研究の手続きの正当なやり方として認知されています。他方、永井政治学は、そうした方法を次のように批判しています。
「政治問題は『困難』であって、『パズル』ではない。政治問題をパズルと見る考えは政治とエンジニアリングを同一視し、唯一の正解があるという誤見に導く」(酒井:74ページに引用)。
この点は、永井先生が常々強調していたことですが、酒井氏の鋭い「永井政治学」の批判的分析から気付かされるのは、それでも永井先生が、「科学としての政治学」と「アートのしての政治学」の葛藤に、最後まで悩まされていたのではないかということです(私の誤解でなければ)。そして、その一種の矛盾は、永井先生の華麗で独特のレトリックにより、私のような「凡人」には、見えにくくなっていたのかもしれません。
このディレンマは、「パズル」ではないので、当然、「解答」はないということになるのでしょう。これはもっともなのでしょうが、社会科学から距離を置くことには、代償も伴うようです。もちろん、永井先生が米国の国際政治学の主要理論(バンドワゴンなど)や概念(安全保障のジレンマ」など)を先取りしていたところもありますが(詳しくは、土山實夫「永井政治学の偉業を称えて」『青山国際政経論集』第50号、200年6月参照)、定性的アプローチによるものであれ、定量的アプローチによるものであれ、米国で発展した社会科学としての国際政治学/国際関係論とは、残念ながら、うまく調和しなかったようです。永井先生が、「アメリカの社会科学」としての国際関係論に批判的なスタンレー・ホフマン氏(ハーバード大学)や歴史学者のジョン・ルイス・ギャディス氏(イェール大学)の著作について、授業でしばしば言及したり、教材としてよくお使いになったりしたことは、方法論上の必然的な帰結だったのかもしれません。
近年では、永井先生の代表論文を英語に訳して紹介するプロジェクトも行われました。私の古くからの知人であり友人でもあり「先生」でもある、ポール・ミッドフォード氏(ノルウェー科学技術大学)らの尽力により、永井先生の高論「日本外交における拘束と選択」(『平和の代償』中公クラッシック、2012年[復刻版]所収)の全訳が、Japan Forum に掲載されました。
さて、私が論文「永井陽之助と戦後政治学」に引きつけられたのは、著者の酒井氏が、国際政治学者としての永井先生と政治学者としての永井先生の著作を「同時に考察」して、「戦後思想史の文脈に位置づけ」ようとしているからです。そして、この酒井氏の試みは、「永井政治学」の内なる「葛藤」を鋭くつくことに成功していると思いました。
第1に、酒井論文では、外交と内政に対する永井先生の分析の違いが指摘されています。曰く、永井政治学は「外交は現実主義、国内は社会変革という二元論がかなり唐突に挿入される結果になっている」(酒井:79ページ)ということです。私は、国際政治に関する永井先生の著作については、何度も何度も読みましたが、「現実主義論争」を引き起こす前の政治学の著作には、簡単に目を通した程度でした。不覚といえば不覚ですが、こうした永井政治学の二元性を明確に自覚することは、これまでありませんでした。
第2に、「永井政治学」が「科学」と「アート」の間で揺れ動いていたことが、酒井氏により、見事に描き出されていることです。このことは、私も何となく感じていましたが、明示的に意識していませんでした。北米の国際政治学/国際関係論のオーソドックスな方法論では、はじめに「パズル」を設定して、それを解くことが、一つの研究の手続きの正当なやり方として認知されています。他方、永井政治学は、そうした方法を次のように批判しています。
「政治問題は『困難』であって、『パズル』ではない。政治問題をパズルと見る考えは政治とエンジニアリングを同一視し、唯一の正解があるという誤見に導く」(酒井:74ページに引用)。
この点は、永井先生が常々強調していたことですが、酒井氏の鋭い「永井政治学」の批判的分析から気付かされるのは、それでも永井先生が、「科学としての政治学」と「アートのしての政治学」の葛藤に、最後まで悩まされていたのではないかということです(私の誤解でなければ)。そして、その一種の矛盾は、永井先生の華麗で独特のレトリックにより、私のような「凡人」には、見えにくくなっていたのかもしれません。
このディレンマは、「パズル」ではないので、当然、「解答」はないということになるのでしょう。これはもっともなのでしょうが、社会科学から距離を置くことには、代償も伴うようです。もちろん、永井先生が米国の国際政治学の主要理論(バンドワゴンなど)や概念(安全保障のジレンマ」など)を先取りしていたところもありますが(詳しくは、土山實夫「永井政治学の偉業を称えて」『青山国際政経論集』第50号、200年6月参照)、定性的アプローチによるものであれ、定量的アプローチによるものであれ、米国で発展した社会科学としての国際政治学/国際関係論とは、残念ながら、うまく調和しなかったようです。永井先生が、「アメリカの社会科学」としての国際関係論に批判的なスタンレー・ホフマン氏(ハーバード大学)や歴史学者のジョン・ルイス・ギャディス氏(イェール大学)の著作について、授業でしばしば言及したり、教材としてよくお使いになったりしたことは、方法論上の必然的な帰結だったのかもしれません。