野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

宥和政策は有効な外交術か?

2021年11月27日 | 研究活動
「宥和政策(アピーズメント)」は、国際政治でしばしば見過ごされる、国家の対外政策の選択肢の1つです。宥和政策とは、脅威の源泉となっている国家に譲歩をして、対立を和らげようとするものです。これとは対照的な政策が「抑止」です。抑止とは一般的に、敵対行動のコストが利得を上回ることを現状維持への挑戦国に(脅しにより)伝えることで、そうした行動を未然に防ぐ政策です。国家の安全保障戦略としての宥和は、抑止に比べて、あまり評判がよくないようです。なぜなら、宥和は敵対国に「弱み」をみせることにほかならず、抑止をもろくするだけでなく、付け入るスキを与えかねないからです。このことをジョン・ミアシャイマー氏は、端的にこう述べています。

「アピーズメントは…非現実的で危険な戦略となる。危険な敵国を優しく柔和的な国に変えることなどできないし、平和を愛する国にするなどはさらにあり得ない…アピーズメントをした国は、他国に譲歩したことにより『弱い国だ』と周囲に思われがちになる。そうした国は、バランス・オブ・パワーを維持する意思がないことを周囲に示してしまうことになる。よって、アピーズメントを受けた強国が、さらに譲歩を引き出そうとしてくるのは当然だ…アピーズメント(宥和政策)は、危険な敵国をますます危険にする戦略なのである」(J.ミアシャイマー、奥山真司訳『大国政治の悲劇』五月書房、2007年、220-221ページ)。

宥和政策は、1930年代にヒトラー率いるナチス・ドイツに対してイギリスが行いましたが、これはかれのヨーロッパ支配の野望を助長させただけであり、大失敗だったとみなされています。とりわけ1938年の「ミュンヘン会談」では、イギリスのチェンバレン首相は、ヒトラーの要求に応じて、チェコスロバキアのズデーデン地方をかれに与えてしまいました。ヒトラーはこの宥和政策に満足することなく、さらなる侵略を行いました。かれはチェコスロバキア全土を征服するとともに、ポーランドに侵攻したのです。こうして「ミュンヘン」は、国際政治において、悪名高い「アナロジー」となり、第二次世界大戦後の多くの政策決定者たちにとって、「ミュンヘンの再来はごめんだ(ノー・モア・ミュンヘン)」が合言葉になりました。

このように宥和政策には、悪い印象が付きまとうのですが、実は、この外交術は国家にとって実際の政策の選択肢の1つとして、国際政治で実践されてきたのも事実です。アメリカ外交の賢人とうたわれたジョージ・ケナン氏は、「近代史において、おそらく、ミュンヘンのエピソードほど、誤解を与えるものはなかったと思う。このことは多くの人々に、どんな状況であれ、いかなる政治的便宜も図ってはいけないという考えを与えてしまった。もちろん、これは致命的に不幸な結論だ」と喝破しています(quoted in Yuen Foong Khong, Analogies at War: Korea, Dien Bien Phu, and the Vietnam Decision of 1965, Princeton University Press, 1992, p. 174)。こうした毀誉褒貶のある宥和政策をバランスよく体系的に再検討した研究が、スティーヴン・ロック氏(ヴァサー大学)による『国際政治における宥和』(ケンタッキー大学出版局、2000年)です。かれは、宥和政策は必ず失敗すると前もって決まっているわけではなく、時には、国家間の対立を緩和する有効な外交術となりうると主張しています。



ロック氏は、宥和を「対立と不和の原因を取り除くことにより、敵国との緊張を緩和する政策」(同上書、12ページ)と広く定義しています。宥和をする国家がとる外交戦略は、敵国に何らかの妥協することであり、そのことにより当該国の行動を変化させようとするのが狙いです。そしてかれは、宥和政策が実行された5つの事例を詳細に検討します。それらは、①1896-1903年におけるイギリスのアメリカに対する宥和、②1936-1939年におけるイギリスのドイツに対する宥和、③1941-1945年における英米のソ連に対する宥和、④1989-1990年におけるアメリカのイラクに対する宥和、⑤1988-1994年におけるアメリカの北朝鮮に対する宥和、です。これらの事例分析の結果、ロック氏は、①、③、⑤では宥和政策が成功した一方で、②、④では、宥和政策が失敗したと結論づけています。

①において、イギリスはアメリカの高圧的な姿勢に対して、モンロードクトリンを受け入れてベネズエラの国境問題で譲歩し、アラスカの境界線の要求を受諾するとともに、クレイトン・ブルワー条約の破棄に応じました。その結果、イギリスとアメリカの関係は改善されたのです。③も宥和の成功例とされています。アメリカとイギリスは、ソ連が単独でドイツと講和することを防ぎ、対日参戦を行なわせ、国際連合に加入させることを狙っていました。スターリンの影響圏拡大の野心を拒否してしまうと、上記の目的は達成できなくなるのではないかと、両国の指導者は恐れていました。そうならないようアメリカとイギリスは、ソ連が東ヨーロッパに勢力を拡張するのを容認したのです。第二次世界大戦後、アメリカとイギリスはソ連と冷戦で対立することになりましたが、戦時中の宥和政策の目的は達成されました。④において、アメリカは韓国から戦術核兵器をすべて撤去するとともに、北朝鮮に軽水炉原発と重油を供与する譲歩を行いました。こうしたアメリカの「アメ」を与える政策は、「枠組み合意」として結実し、北朝鮮から核兵器開発の「凍結」を引き出したと、同書では肯定的に評価されています。

②の宥和の失敗については、あまり多くを語る必要はないでしょう。ただ、この事例研究で興味深いのは、ロック氏が英仏の対独宥和について、以下のように分析していることです。

「ヒトラーは…英仏の妥協を優柔不断や弱さの明確な現れとみなさなかった。十分に驚くべきことであるが、かれにとって、ミュンヘン会談は苦い外交的敗北だった」(同上書、50ページ)。

どういうことでしょうか。ヒトラーはチェコスロバキアを戦争によって征服することをもくろんでいたところ、イギリスとフランスが譲歩をしてきたので、取引を成立させざるを得なかった。かれにとって、ミュンヘン会談の結果は本意ではなく、自分自身の指導者としての資質を疑うことにつながった。このことはヒトラーにとって「トラウマ」となり、かれがポーランド危機に際して恐れたことは、イギリスとフランスが軍事介入してくることではなく、拒否できないような合意を持ちかけてくることであった。つまり、ナチス・ドイツはミュンヘン宥和によってますます危険になったのではなく、元から十分に危険だったのです。したがって、この事例の教訓は、「ナチス・ドイツのような戦争を求める国家は、宥和することができない。なぜならば、(譲歩による)誘引は、たとえ受け入れられたとしても、そうした国家が目的(すなわち戦争、引用者)を実行するのを遅らせるにすぎないからだ」(同上書、157ページ)ということになります。

④において、アメリカはサダム・フセインが君臨するイラクを宥和することに失敗しました。ブッシュ政権は、イラン・イラク戦争が終わったあとも、バクダッドと緊密な関係を維持しようとしました。そうすることで、アメリカはイラクの行動が好ましい方向に進むことを期待したのです。湾岸危機の際、イラクが軍事動員をかけた時も、それはクウェートから領土と経済の譲歩を引き出すことを狙った、ブラフによる脅しだとアメリカはみていました。しかし、イラクの威嚇は本物であり、隣国クウェートに実際に軍事侵攻しました。なお、アメリカの駐イラク大使が、イラクの指導者に、アメリカはアラブ内の紛争に関して選択肢をもっていないと語ったことは、イラクに侵略のゴーサインと受け止められたと、後に批判されています。

ロック氏は、これらの事例研究から、宥和政策の理論を構築しています。かれによれば、宥和政策の成否は、敵国の「性格」や譲歩による誘引の性質などによります。宥和の対象国が安全保障上の不安を抱えている場合、「再保障」の役割を果たす譲歩が有効に働くと、ロック氏は主張します。これを例証する事例が、イギリスのアメリカに対する宥和政策です。他方、国家が戦争を志向している場合、宥和は効きません。ナチス・ドイツがそうです。また、宥和政策が成功する必要条件は、誘引が敵国の必要性や要求に見合うことだと、かれは主張します。たとえば、アメリカとイギリスの対ソ宥和は、スターリンの領土的野心をある程度は満たすものだったので、うまくいきました。これに対して、アメリカのイラクに対する宥和政策が失敗したのは、譲歩が不十分だったということになるようです(アメリカがイラクに大規模な経済援助を与えれば、イラクのクウェート侵略は防げたのだろうかという、興味深い「反実仮想」が残ります…)。

ロック氏の宥和政策の研究は、外交における譲歩の有用性を再考する意義深いものだと思います。学術研究の1つの価値は、先行研究の隙間を埋めることにあります。国際政治において汚名を着せられた宥和政策について、その成否を事例研究により理論化したことは、高く評価されてよいでしょう。その一方で、『国際政治における宥和』に問題がないわけではありません。第1に、宥和の対象国の類型化は分析的に有用かもしれませんが、やや恣意的であるとともに、実際には、どのようにして敵国の「性格」や「意図」を知ることができるのでしょうか。歴史の後知恵を使えば、ヒトラーは「例外」もしくは「外れ値」のような存在であり、宥和することは不可能だったと結論づけられるかもしれませんが、当事者だったチェンバレン首相は、どうすれば、そうした結論にたどり着けたでしょうか。ロック氏は、「政策決定者のための教訓」として「敵を知ること。これは目下のところ、最も重要な教訓だ」(同上書、169ページ)と指摘していますが、不確実性の高い国際政治の世界では、これは極めて難しいです。

第2に、事例のコード化の問題が指摘できます。アメリカのクリントン政権の北朝鮮に対する宥和政策は、「成功」とカテゴライズされていますが、はたしてそうでしょうか。北朝鮮は、「枠組み合意」で核兵器開発を凍結したはずだったにもかかわらず、2002年に、米朝協議において、ウラン濃縮施設建設計画を含む核兵器開発を継続していたことを認めました。アメリカの北朝鮮への宥和政策の最大の目的であった「核兵器開発の凍結」は、実は、達成されていなかったのです。こうした北朝鮮の「裏切り」行為は、『国際政治における宥和』が刊行された後に発覚したので、この事実でもって同書を批判するのはフェアーではないかもしれません。しかしながら、北朝鮮がアメリカから「アメ(軽水炉原発・重油)」をもらいながら、ひそかに核兵器開発を存続させることは、十分に予測できたはずです。なぜならば、それが北朝鮮にとって、一挙両得で最も利益になるからです。

手前味噌で恐縮ですが、わたしは、北朝鮮が「枠組み合意」を結んだにもかかわらず、核開発を継続するであろうことを指摘していました。拙稿「対北朝鮮の理論的分析—日本の安全保障政策へのインプリケーションー」『新防衛論集(現国際安全保障)』第27巻第2号(1999年9月)において、米朝のペイオフ構造は、ゲーム理論でいう「囚人のジレンマ」であれば、北朝鮮は「裏切り行為(核開発の継続)」にインセンティブを持つのみならず、「デッド・ロック」の可能性さえあり、そうであれば北朝鮮は核兵器開発を放棄しないだろうと予測しました。

ロック氏は、事例研究から宥和に関して13の命題を導出しています。ここですべての命題を吟味することは、スペースの都合でできませんが、それらのロジックは概して、宥和する対象国は、「安全保障追求アクター(security seeker)」とか「強欲国家(greedy state)」いったようにカテゴライズすることができ、また、それぞれの性質を持つ国家の要求を満たすことが重要であるとの想定が根底にあるように読めました。もちろん、かれは宥和による譲歩が敵対国によって収奪されうることも十分に理解しており、こうした過ちを避ける方法にも言及しています。たとえば、対象国が強欲により動機づけられていればいるほど、宥和が弱さや優柔不断の兆候と解釈される蓋然性は高まるとの命題を示しています。確かに、国家の「性格分類」は、宥和理論の構築において意味のあることでしょうが、理論的な根本問題として、そもそも国家は上記のように分類できるものであるのか(言い換えれば、国家は、カテゴリーに応じた固有で不変の選好を持つアクターなのか)、政策立案に際しては、仮に分類できるとして、宥和する側が、どのようにすれば敵対国の「真の性質」を把握できるのか、ということでしょう。さらには、敵対国が安全保障追求アクターだと認識して譲歩したところ、実は、強欲国家だったことが判明して、譲歩は収奪されるばかりであり、戦争への動機を捨てさせることにつながらなかったとしたら、こうした対外政策は悲劇的な失敗になります。

なお、「エンゲージメント(関与政策)」は、宥和の1つの形態です。アメリカのクリントン政権は、台頭する中国に対して、「エンゲージメント」で臨みました。その基本的な想定は、中国を国際秩序に引き込めば、同国は「責任ある利害関係者」となり、現行ルールに基づき行動するようになるだろうという期待です。世界の国際政治学界でも、中国は「現状維持勢力」であるという言説が有力であり、その平和的台頭を疑う対中封じ込め論は少数派でした。中国が現状維持の安全保障追求者であるならば、宥和理論で示されているように、譲歩をすれば「食欲が満たされて」おとなしくなるはずでした。はたして、こうした宥和理論から導かれた対中政策は、うまくいったといえるでしょうか。少なくとも、(攻撃的)リアリストの答えは、「ノー」です。アメリカのトランプ政権も、2018年、対中エンゲージメントは終わったと示唆しました。一般的で雑駁なむすびになりますが、宥和政策は敵対国にパワーを明け渡す危険がある以上、国際政治のバランス・オブ・パワー原則に反するので、衰退国家が自らの脆弱性ゆえに攻撃的行動にでている場合は「再保障(安心供与」としての効果が見込めるかもしれませんが、台頭する野心的な現実打破国への適用は控えるべきだと思います。


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トリップワイヤーは侵略を抑止するか?

2021年11月22日 | 研究活動
先日、「領土の征服は過去の遺物なのか?」と題するブログで、尖閣諸島に対する挑戦国の侵攻を抑止する「トリップワイヤー」部隊の展開について取り上げました。尖閣諸島に小規模であれ部隊を展開すれば、それはトリップワイヤーとして抑止に貢献するのではないかという議論です。バーゲニング理論によれば、防御側に立つ我が国が尖閣諸島に自衛隊員を駐留させれば、それは同諸島を守る明確な決意を体現するシグナルとして挑戦国に伝わるので、抑止を弱める不確実性は取り払われると期待できます。

抑止の手段としてのトリップワイヤーは、もし理論通りに働くのであれば、少ないコスト(小規模の部隊)で大きな利得(領土保全)を見込める有望な外交術です。ただし、トリップワイヤーによる抑止理論の問題は、そのロジックが十分に吟味されたものとはいえないだけでなく、仮説の検証も不十分だということです。そこで、このブログでは、トリップワイヤーの抑止理論を正面から扱った最新の研究を取り上げて、その政策上の実効性について考えたいと思います。

トリップワイヤーは、直感的には、挑戦国の領土の征服を思いとどまらせるのに効果がありそうですが、実は、その抑止のメカニズムをよく検討してみると、ロジックとして怪しいのみならず、それを裏づけるエビデンスにも乏しいとの研究結果が提出されています。ダン・ライター氏(エモリー大学)とポール・ポースト氏(シカゴ大学)は、論文「トリップワイヤーの真実」("The Truth About Tripwires: Why Small Force Deployments Not Deter Aggression," Texas National Security Review, Vol. 4, Issue 3, Summer 2021) において、トリップワイヤーの抑止効果は誇張されていると批判しています。かれらによれば、トリップワイヤー部隊の展開は、抑止の威嚇の信頼性を実際には高めないのです。

ライター氏とポースト氏によれば、トリップワイヤーの抑止論理には欠陥があります。第1に、そもそもトリップワイヤーは、その部隊が挑戦国によって攻撃され兵士を犠牲にする有事になれば、防御側は挑戦国に報復する軍事行動をとると想定しています。しかしながら、防御側の指導者は必ず反撃するとは限りません。戦争を避けることに動機づけられた政策決定者であれば、トリップワイヤー部隊に犠牲者がでても、武力衝突がエスカレートして、さらなる犠牲者がでることを懸念して反撃しないかもしれません。もし侵略国が、抑止国の民衆は武力衝突による犠牲者の発生に敏感であり、そうした事態の回避を望んでいると信じている場合、防御側は軍事介入を行わないだろうとの結論にいたるでしょう。そうなると、トリップワイヤーの抑止としてのシグナル効果はなくなります。

第2に、侵略国は迅速にごく短期間で領土を征服するとともに、現状維持国の援軍が到来する前に小規模なトリップワイヤー戦力を打倒して、既成事実をつくってしまうかもしれません。そして、侵略国の領土の占領が、今度は、その防御的な力を強めることになります。たとえば、現状打破国が島嶼を武力で占拠すれば、その既成事実は当該国に地理的優位を提供します。そうなってしまうと、防御側が征服された島嶼の奪還を試みたとしても、侵略国はそれをはねのけられやすくなるのです。

トリップワイヤー戦力による抑止の擁護者は、その成功例として、冷戦期にソ連が西ベルリンへ侵攻しなかったことを引き合いにだします。しかしながら、新しい研究が明らかにするところでは、1948年にスターリンは西ベルリンに侵攻するつもりはなかったのみならず、フルシチョフも1950年代から1960年代初め頃にかけて、ベルリンで攻勢に出る計画を立てていなかったのです。トリップワイヤーによる「抑止」がうまくいったように見えたのは、そもそもソ連に西ベルリンを軍事的に攻略する計画がなったにすぎないということです。トリップワイヤーによる抑止は、「神話」だったということでしょう。

つまり、トリップワイヤー戦力の展開は必ずしも抑止を向上させるわけではないことが分かります。抑止というのは、シグナルの信ぴょう性以上のものを必要とするのです。

では、抑止力を高めるには、どうしたらよいのでしょうか。かれらは、部隊の展開が局地的なバランス・オブ・パワーを侵略国にとって不利にするのに十分でなければならないと主張しています。このような条件では、挑戦国が侵攻を成功させる可能性は低くなり、少ないコストで迅速な勝利を収めるのも難しくなります。ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)の古典的な通常戦力の抑止研究が実証しているように、抑止は挑戦国が素早い勝利を収められると期待している場合、効きにくくなりますが、そうでない時には機能しやすいのです。抑止を失敗させる原因は、侵略国が防御国のコミットメントの信頼性を疑うことにあるというより、むしろ、その能力の評価にあるということです。ライター氏とポースト氏は、こうしたトリップワイヤーによる抑止失敗の仮説を朝鮮戦争や第一次世界大戦の事例で検証しています。ここではスペースの制約上、前者の事例だけを簡単に紹介します。北朝鮮は、1949年時点では、韓国に大規模な米軍の兵力が駐留していたために、朝鮮半島におけるバランス・オブ・パワーは不利だとして、韓国への侵攻を思いとどまっていました。この時点では、抑止が成立していたのです。ところが、その後、アメリカは韓国から大部分の兵力を撤退してしまいました。これにより、朝鮮半島のバランス・オブ・パワーは北朝鮮有利に傾いたのです。北朝鮮の金日成は、これで韓国を短期間で迅速に征服できると確信しました(くわえて、韓国で親共産主義の人民蜂起が起こると信じていました)。ソ連のスターリンも金の南侵計画にゴーサインをだしました。その結果、北朝鮮は韓国への電撃的な侵略を実行して、抑止は破綻しました。韓国に駐留していた小規模な米軍の部隊は、トリップワイヤーとして機能しなかったのです。



この研究が尖閣防衛に示唆することは、同諸島にトリップワイヤー部隊を展開するだけでは、局地的なバランス・オブ・パワーにほとんど影響しないので、抑止を高めることには、あまり期待できないということです。尖閣諸島をめぐる局地的なバランス・オブ・パワーを防御側に有利にすることが、抑止を成立させるには必要なのです。そこでライター氏とポースト氏は、以下のような政策提言をしています。

「東シナ海の尖閣(釣魚)諸島における日本とアメリカの部隊の事前展開ならびに平時における両国の合同軍事演習は、中国が当地で既成事実化を企図した攻撃を始めるのを思いとどまらせられるだろう」(52ページ)。

トリップワイヤー戦略は、費用便益計算の面では魅力的なのですが、この最新の研究は、その効果に疑問を呈しています。「安上がり」の抑止に幻想を抱くのは危険ということでしょうか。アメリカは公式には日米安保条約が尖閣諸島に適用されるといっていますが、ホンネでは、中国に対するカウンター・バランシングを日本にバックパス(責任転嫁)して、「オフショア・バランサー」として振舞おうとしているのかもしれません。そうであれば、今後、アメリカは上記のような尖閣諸島を積極的に防衛するための軍事協力にためらうことも予測されます。幸い、本年3月の日米安全保障協議委員会では、日米防衛当局者が、尖閣諸島有事を想定した両国の共同訓練を実施することで意見が一致しました。ただ、気になるのは、報道によれば、「米側にはどこまで関与するか慎重な意見があった」とのことです。

ライター氏とポースト氏の政策提言は、理論的には、尖閣諸島への侵攻を抑止する方法として魅力的です。また、日米両国が、こうした政策提言を実現する方向に動いていることは、東シナ海における抑止の強化に寄与するでしょう。他方、中国の相対的な軍事力の向上が継続するのであれば、それだけバランス・オブ・パワーは日米に不利になっていくので、米側の尖閣防衛へのコミットメントに対する慎重な意見が増すことも予想されます。日米中のパワー分布の変化が、抑止を少しずつ弱めてしまう懸念は残りそうです。

*中国の尖閣諸島に対する戦略については、Alession Patalano, "What Is China's Strategy in the Senkaku Islands," War on the Rocks, September 10, 2020 が詳しく分析しています。

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心理バイアスと戦争

2021年11月16日 | 研究活動
近年の国際関係論における戦争の研究では、個人レベルの心理特性にその原因を求める分析が注目されています。その代表的な学者の1人が、ドミニク・ジョンソン氏(オックスフォード大学)です。かれは社会科学と自然科学の両方に精通している数少ない研究者の1人であり、オックスフォード大学で進化生物学の博士号を取得したのち、スイスのジュネーブ大学で政治学の博士号を授与されています。こうした学問的背景を持つジョンソン氏は、戦争原因を探求するにあたり、進化生物学や心理学の知見をふんだんに取り込んでいます。ここで取り上げる、かれの主著『自信過剰と戦争ー自己肯定の錯覚による混乱と栄光―』(ハーバード大学出版局、2004年)は、文字通り、学際的なものです。学問は他の学問体系から知識を「輸入」することにより、画期的な成果を生むといわれます。ジョンソン氏は、国際関係論に生物学(そして心理学)を導入することにより、戦争研究に新たな角度から光を当てただけでなく、斬新な仮説や理論を生み出しています。その1つが、政策決定者の「自信過剰(overconfidence)」と戦争に関する因果関係を立証しようとした上記の研究書です。



『自信過剰と戦争』は、今では国際関係論でなじみ深くなった「戦争のパズル」から議論を始めます。合理的選択のバーゲニング理論によれば、戦争は国家の指導者が、本当に「合理的」であれば起こらないはずです。なぜならば、双方の国家は相対的なパワーを反映した取引を成立させることにより、戦争のコストやリスクを避けられるからです。言い換えれば、当事国は戦争のコストを支払わずリスクも冒すことなく、戦争をした時と同じ結果をバーゲニングで得られるはずです。にもかかわらず、戦争が起こるのは、当事国のどちらか、もしくは両方が、自らの相対的パワーと戦勝の確率を実際より高く見積もっているからに他なりません。こうした「誤算」や「誤認」をもたらす最大の源泉の1つが、かれによれば、国家の指導者の自信過剰ということです。こうした自信過剰と戦争との因果理論は、ジェフリー・ブレイニー氏が戦争の原因を「楽観主義(optimism)」に求めた古典的なロジックをアップデートしたものだといえるでしょう(Geoffrey Blainey, The Causes of War, 3rd. ed., Free Press, 1988, pp. 35-56)。

ジョンソン氏によれば、人間の心理の基底には、自己肯定の錯覚(positive illusion)に導かれる自信過剰があります。こうした心理的バイアスは、人間が進化の過程で得たものであり、現在でも人々に広く認められるものだと、かれは主張しています。自然選択(natural selection)の長期的過程において、自己肯定の錯覚という心理的属性を持った人間が生き残り、繁殖して今日に至ったのです。この心理特性を持つ「楽観的な」人間は、自分の行動や将来展望を悲観視してあきらめてしまう人より、目標を達成できる見込みが高いと考えられます。自分に自信を持つ兵士や司令官、政治家が評価される所以です。

自信過剰は人間が環境に適応する際、有利に働いた一方で、残念なことに、人々の「合理的計算」をゆがめることになります。それが戦争の意思決定に働くと、時には破滅的な結末をもたらします。国家の政策決定者は、事態を楽観視する心理的バイアスに縛られてしまうと、戦争で勝利したり、戦争を簡単に終わらせられる蓋然性を過大評価してしまいます。その結果、交渉による紛争の解決より戦争がしばしば選好されることになります。すなわち、国家の指導者がもつ自己肯定の錯覚や自信過剰は、戦争の可能性を高めてしまうのです。

『自信過剰と戦争』が提供した行動論的な戦争原因の研究は、これまでややもすれば見過ごされがちだった、国際関係論における個人レベルの分析を再考することになりました。古典的な政治学では、戦争を引き起こす権力欲(animus dominandi)を備えた「人間本性」は固定化されたものだと論じられることがありました。人間本性は変わらないと。その一方で、戦争は起こったり起こらなかったりします。前者が一定で後者が変化するのであれば、両者に共変は認められないため、戦争は人間が引き起こすという直感に反して、それらは関係ないと結論づけらてしまいます。しかしながら、こうした通念は、ジョンソン氏によれば間違いであり、個人が抱く自己肯定の錯覚が高くなれば、人は自信過剰になるため、それだけ戦争を選択しやすくなるのです。人間の「本性」を「心理的バイアス」に置き換えるれば、個人レベルにおいて戦争の発生を説明できるようになるということです。そして、かれは、自信過剰と戦争の因果理論を構築します。その際、自己肯定の錯覚というバイアスが強まったり弱まったりする、理論の先行条件を特定しています。それらが「政治体制のタイプ」と「議論の開放性」です。一般的に、自由民主主義国では、政治指導者は政策を立案する過程で、さまざまな情報や批判的意見にさらされるために、自信過剰の心理バイアスが修正されやすくなります。ただし、民主体制下でも、政治的意思が閉ざされた環境で決定される場合、自信過剰な判断は是正されにくくなり、指導者は愚行に走りかねません。

ジョンソン氏は、上記の仮説を第一次世界大戦におけるドイツの戦争指導者の意思決定、ミュンヘン危機におけるヒトラーを取り巻く政治的状況、キューバ危機における米ソの対応、ヴェトナム戦争へのアメリカの軍事介入、さらには2003年のアメリカのイラク侵攻の事例により検証しています。その結果、戦争に至った全ての事例において、かれは、意思決定者が自己肯定の錯覚による自信過剰に陥っていたことを発見しました。第一次世界大戦では、ドイツの戦争指導者は「8月の危機」において、戦争の早期終結に過剰な自信を抱いていました。ミュンヘン危機において、ヒトラーが戦争を踏みとどまったのは、意外に思えるかもしれませんが、その当時のドイツの政策決定が「開放的」だったことが影響しています。「ヒトラーはチェコスロバキアへの軍事攻撃を望んだ…が、かれのアドバイザーたちは、ドイツが引き続き負けそうだったので、侵略に反対した…ヒトラーの計画は…将軍や助言者と共に実行され、主要なインテリジェンス情報は隠し立てせずに議論された」のです(上記書、95-96ページ)。この段階では「ヒトラーは合理的に行動した」(上記書、95ページ)ということです。

キューバ危機では、ケネディー大統領は国家安全保障会議のエクスコムにおいて、アメリカがとるべき複数の選択肢を側近たちと忌憚なく議論しました。こうした開放的な議論は、ケネディーが自己肯定の錯覚による自信過剰に陥るのを戒めて、キューバにおけるソ連の核ミサイルを空爆で叩く、核戦争を招きかねない危険な軍事オプションを退けたのです。ところが、ベトナムへの軍事介入の政策決定では、ジョンソン政権は閉ざされた議論を行ってしまった結果、戦争の行方に悲観的な情報を排除してしまい、楽観的な展望に惑わされて泥沼の戦争にはまってしまいました。2003年のアメリカのイラク侵攻も、同じように意思決定がブッシュ大統領の側近を中心に、閉ざされたメンバーで行われてしまったために、戦争と戦後のイラクの民主化を楽観的に見立てて、体制転換(regime change)のために軍事力を行使したということです。

こうした画期的な学術成果を図書として刊行した後、ジョンソン氏は、ドミニク・ティアニー氏(スワ―スモア大学)と共著で、今度は、「否定的バイアス(negativity bias)」に関する新しい研究を発表しました(Dominic D.P. Johnson and Dominic Tierney, "Bad World: The Negativity Bias in International Politics," International Security, Vol. 43, No. 3, Winter 2018/2019, pp. 96-140)。ここでいう否定的バイアスとは、望まない悪い結果が生じる潜在性を示す情報や出来事、信条を過大に評価することです。簡単にいえば、悪いニュースは良いニュースより人々に強く影響するということです。この否定的バイアスも、自己肯定の錯覚と同様に、人間の進化の長い歴史から生じました。日常生活における危険(否定的出来事)は、生死に直結しかねないため、人間は自然選択の過程で、外部環境の危難に敏感になったということです。

人間が持っている否定的バイアスは、上記の自信過剰の肯定的バイアスと矛盾するように思われますが、かれらは、これら2つのバイアスが、人間の心理において共存すると主張しています。すなわち、人は外部の環境を判断する時は否定的バイアスに支配されやすくなる一方で、自分自身の判断や選択、行動を評価する際には自信過剰になりやすいのです。その結果、こうしたバイアスがかかった国家の指導者は、二重に戦争を引き起こしやすくなります。

「否定的バイアスは人々を周囲の環境に存在する潜在的脅威に警戒するよう仕向ける一方で、肯定的バイアスは人々が生じた危険を頑張って克服する手助けをする」(同上論文、119ページ)。

要するに、国家の指導者は外部の脅威を過大評価して危機感を募らせる一方で、その危険を戦争によって乗り越えることに過度な自信を持ちがちになるのです。ジョンソン氏とティアニー氏は、この仮説を第一次世界大戦のドイツの意思決定の事例で例証しています。カイザーは、フランスやロシアのドイツに対する意図を攻撃的なものだとみなし警戒していました。その一方で、ドイツの政策決定者は、前述したように、自らの軍事力や戦争における早期の勝利に過剰な自信を抱いてしまったのです。

戦争原因研究の個人レベル分析への「回帰」は、生物学や心理学の研究成果を取り入れることにより、戦争のパズルの解明を前進させました。その結果、国際関係論における戦争原因研究は、より幅が広くなり、より奥行きが深くなりました。その一方で、人間の心理バイアスに焦点を当てた個人レベルでの戦争原因へのアプローチに、問題がないわけではありません。最大の疑問の1つは、パワーという物質的要因が政治指導者の心理にどのような影響を及ぼしているのかが、個人レベルの生物学的解析や心理学的分析のみでは分からないことです。たとえば、ミュンヘン危機において、ドイツは再軍備の途上にあり、相対的な軍事バランスが必ずしも優勢ではなく、戦争で勝てる見込みが薄かったことが、ヒトラーをはじめとする指導者に開戦を思いとどまらせたとされています(なお、ミュンヘン危機におけるドイツの政策決定については、いくつかの歴史解釈がありますが、ここでは、それに触れないことにします)。ジョンソン氏自身が著書で認めているように、この時、ヒトラーは「合理的に」行動したということです。そうだとすれば、このことはシンプルな合理的選択理論で説明できそうです。この事象が合理的選択の「逸脱事例」ではなく、このロジックで簡潔に説明できるのであれば、わざわざ追加の心理的属性の変数を理論に追加して、説明を複雑にする必要はないでしょう。第一次世界大戦の勃発も、当時の列強に配分されたパワー構造と無関係ではなさそうです。ドイツは、ロシアの軍事動員がなくても、あるいは独露間の予想されるパワー・バランスの変化がなくても、上記の心理的バイアスに影響されて、戦争を行っただろうと推論できるでしょうか。キューバ危機における米ソの指導者の慎慮ある行動は、はたして「核革命」と無縁なのでしょうか。戦争原因の説明において、心理的バイアスが独立変数(原因)として戦争という従属変数(結果)に及ぼす因果効果は無視できないでしょうが、パワーといった物質的要因と心理的バイアスという非物質的要因の関係を明らかにすることは、依然、重要な研究解題として残されているように思います。

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拙著『パワー・シフトと戦争』を紹介していただきました

2021年11月15日 | 研究活動
小田切確氏(関西外国語大学)が、編著『戦争と平和ブックガイドー21世紀の国際政治を考える—』(ナカニシヤ出版、2021年)で、わたしが執筆した単著『パワー・シフトと戦争—東アジアの安全保障―』(東海大学出版会、2010年)を紹介してくださいました。同書Chapter 01 「力の分布」の文献解題において、国際システムにおけるパワー・バランスの変化と戦争の因果関係を説明する学術書の代表文献と位置づけられています。



こうして拙著を刊行書でピックアップして、フィードバックをいただけるのは、研究者みょうりに尽きます。この場を借りて、御礼申し上げます。

そういえば、先日、わたしが英語で書いた書評に対して、当代一流の政治学者であるブルース・ブエノ・デ・メスキータ氏(ニューヨーク大学)からコメントをメールでいただきました。しかも、この書評は、ブエノ・デ・メスキータ氏の著書についてではなく、かれが構築した「政治的生き残り」論理(The Logic of Political Survival) を援用して、日本の歴代首相の靖国参拝のパターンを分析した研究書についてのものです。この学術書は、ブエノ・デ・メスキータ氏の研究と関連するとはいえ、まさか、かれが、わたしの書評を読んで、わざわざコメントをくださるとは、夢にも思わなかったので、メールを見たときにはビックリしました。

こうして他の研究者が、自分の研究成果に目を通して、ご意見を寄せてくださるのは、とてもありがたく嬉しいことです。

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領土の征服は過去の遺物なのか?

2021年11月12日 | 研究活動
戦争の最大の原因の1つは、領土をめぐる対立です(Kalevi J. Holsti, Peace and War: Armed Conflicts and International Order 1648-1989, Cambridge University Press, 1991 参照)。なぜ国家は領土にこだわるのかについては、古典的リアリストに強い影響を与えた、神学者のラインホルド・ニーバー氏が、このようなことをいっています。「より大きな領土支配権の欲求…これらすべてが一時的なものではなくて、永続的にくり返される国際的紛争の原因であ(る)」(ラインホルド・ニーバー、大木英夫訳『道徳的人間と非道徳的社会』白水社、2014年〔原著1932年〕、35ページ)。ある研究によれば、こうした領土紛争は、さまざまなタイプの紛争の中で、戦争に発展する蓋然性が最も高いと報告されています(Paul D. Sense and John A. Vasquez, The Steps to War: An Empirical Study, Princeton: Princeton University Press, 2008, p. 42)。ある国家が他国の領土を征服すれば、戦争になりやすいでしょう。逆に、国家が他国の領土を征服しなければ、それだけ戦争は起こりにくくなります。つまり、征服という国家の行為が「過去の遺物」になったのであれば、世界の「平和」は、より維持されやすいといえます。はたして、われわれは、国際政治における征服という「病理」を克服したのでしょうか。

この政治的課題に正面から取り組んだ研究者の1人が、ピーター・リバーマン氏(ニューヨーク市立大学)です。かれは著書『征服は割に合うのか』(プリンストン大学出版局、1996年)において、征服は長期的にはバランシング行動(防衛のための同盟結成)によって挫かれることもあるが、短期的には「割が合う(ペイする)」と主張しています。第一次世界大戦のドイツのベルギー征服はイギリスの参戦を招きました。第二次世界大戦におけるナチス・ドイツや日本の対外拡張行動は、連合国の手痛い反撃にあいました。しかしながら、この研究は、無慈悲な征服国が侵略により短期的な利益をえられることを、「大日本帝国」や「ソ連帝国」などの事例により実証しています。リバーマン氏によれば、征服行為は国家にとって賢い選択とはいえないが、征服は割に合わなくなったわけではないので、楽観主義者が考えるよりも、国際システムは依然として戦争の危険をはらんでいると警鐘しています。



征服に関する研究は、その後、バーゲニング理論の知見などを取り入れることにより大きく発展しました。最近、現状打破国がとる「征服」戦略に焦点を当てた画期的な学術成果が提出されました。新進気鋭の若手の政治学者であるダン・アルトマン氏(ジョージア州立大学)による「既成事実(the fait accompli)戦略」に関する一連の研究です。かれは、征服や侵略は国際政治において起こり続けており、その仕方が「進化」して小規模で巧妙になったといいます。挑戦国は他国の領土を征服する際、戦争を招きかねないリスクのある剝き出しの暴力を行使して相手の領土を広く奪おうとするのではなく、戦争にならない程度の武力の限定的な使用により、相手の領土の一部を占領する既成事実化を試みるのが主流となったということです。この既成事実化とは、限定された一方的な利得を相手に犠牲を強いて得ることであり、防御側が報復へと行動をエスカレートするより、仕方ないとあきらめてしまうことに乗じて、利得をかすめ取る試みです。すなわち、既成事実化は、相手国が行動をエスカレートさせるより、そのまま放置する程度の小さな利益を得ることが目的なのです(Dan Altman, "The Evolution of Territorial Conquest After 1945 and the Limits of the Territorial Integrity Norm," International Organization, Vol. 74, No. 3, Summer 2020, pp. 490-522)。

既成事実化は、これまでの国際関係研究において、強制外交の陰に隠れてしまい、近年まであまり注目されませんでした。もちろん、既成事実化の先行研究はあります。その端的な例が、アレキサンダー・ジョージ氏とリチャード・スモーク氏による抑止失敗の1つの原因として既成事実化を位置づけた研究です。(Alexander L. George and Richard Smoke, Deterrence in American Foreign Policy: Theory and Practice, NY: Columbia University Press, 1974, pp.536-540)。しかしながら、これは既成事実戦略を全面的に扱ったものではありませんでした。既成事実化が看過され、強制の方に研究の注目があつまったのは、戦争を招くことなく強制的に領土を奪取した「ミュンヘン危機」、すなわち、ヒトラーがチェコスロバキアのズデーデン地方の割譲を「脅し」により成功させた事例が、歴史の教訓として強烈だからかもしれません。

領土の征服や割譲に関するデータ(1918-2016年)を見てみると、強制より既成事実化の事例の方が、圧倒的に多いことがわかります。前者が13件であるのに対して、後者は84件に達しているのです。その中には、1954年に韓国が竹島を「征服」した事例も含まれています。そして、こうした小規模な領土の征服は、2014年のロシアによるウクライナのクリミヤ半島併合がそうだったように、多くのケースで戦争に至っていません。国土の占拠が戦争にスカレートしたのは、84件中27件であり、その確率は32%にすぎません(Dan Altman, "By Fait Accompli, Not Coercion: How States Wrest Territory from Their Adversaries," International Studies Quarterly, Vol. 61, No. 4, December 2017, pp. 881-891)。領土紛争が戦争の主要な原因であることを考えると、この確率は低いといえるのではないでしょうか。逆にいえば、現代世界において、現状打破国は既成事実化による小規模な領土の征服をかなりの割合で首尾よく成功させているということです。

では、どうすれば既成事実化による領土の征服を抑止できるのでしょうか。その1つの方策が「トリップワイヤー戦略」です。これが抑止を強化するメカニズムは、トーマス・シェリング氏が、古典的な名著『軍備と影響力』(イェール大学出版局、1966年)で以下のように説明しています。



「不確実性をなくするには、戦争による抑止の威嚇はトリップワイヤーの形式をとることになるだろう。(抑止の)コミットメントを課すということは、明確に目に見えるトリップワイヤーを仕掛けることであり…戦争という装置に明白な形でつなげるのである…一方の側がそれを超えて押し進まない限り、これらの仕掛けはうまく機能する。しかしながら、押し進める側は、どこまでが限界かわかるので、それ以上、押し進めようとしないだろう…こうした結果、世界から不確実性が取り払われ、主導するより受け身でいる方が有利であることを決定づける。抑止が強要より容易になるということだ」(同書、99-100ページ)。

最新の征服に関する研究成果は、東アジアにおいて、日本が直面している現実の安全保障問題に応用できます。その1つが、尖閣諸島の領土保全です。アルトマン氏によれば、既成事実化による小規模な領土の奪取は、無人で兵士が駐屯していない土地を対象にする傾向にあります。そして島の占領だけなら、その成功確率は75%に達っしており、アメリカが、こうした島の主権を守るために軍事介入した例はないと、かれは述べています。そして、尖閣諸島をめぐる日中の対立の行方について、以下のようなシナリオを提示して警告しています(ダン・アルトマン「グレーゾーン事態と小さな戦略—台湾・尖閣・スプラトリーー」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2021年11月号)。

「『領有権論争のある島を攻略しても、大きな問題にならない』と中国は考えているかもしれない…日本はよりパワフルだが、尖閣諸島をめぐっては不利な状況にある。これらの島には誰もいない。抑止力を強化するためのトリップワイヤー戦力としての日本の部隊は駐屯していない。民間人も暮らしていない。この条件なら、戦争を避けながら、中国が尖閣を占領できる見込みはあるし、占領後にそれを日本に対して既成事実としてみせつけることもできる…日本は、中国軍がもっと弱体だった時代に尖閣に部隊を展開し、駐留させなかったことを後悔するかもしれない」(同上、10-11ページ)。

新しく選出された岸田文雄首相は、アメリカのバイデン大統領との電話会談で、尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用範囲であることを確認しました。こうしたアメリカの尖閣諸島の防衛へのコミットメントは、同国が日本に提供する拡大抑止を強化するものです。他方、最新の征服に関する研究成果は、それだけで日本の尖閣諸島の実効支配が継続して確実になるとは限らないことを示唆しています。アルトマン氏の一連の研究は、無人の海洋の島嶼を保全するための抑止が、既成事実戦略による小規模な略奪の企てに脆いことを示しています。こうした抑止の破綻を避けるには、かれが推奨するトリップワイヤー戦略が効果的かもしれません。もちろん、この戦略は武力衝突のリスクを操作することにより抑止の実効性を高めるものであるため、挑戦国の反発を招くデメリットがあります。その一方で、トリップワイヤーによる抑止が、当事国間のバーゲニングの不確実性を解消すること、すなわち、小規模な既成事実化を進めても「相手が折れるだろう」との期待を挑戦国が抱く余地をなくすることにつながれば、現状維持はより保たれやすくなると結論づけられるでしょう。

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