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政治学は現実に答えうるか

2017年09月04日 | 研究活動
大手出版社の雑誌に掲載された、かなり刺激的な文言を含んだエッセーに、思わず目が留まりました。

「ケインズ以降の経済学がたどった道程は、数理化を過度に重視した虚構への道だったと言えないこともない。一流雑誌に掲載される経済学の論文は、高度な微分方程式や位相数学を使って書かれ、どこでどのように現実の経済問題の解決と関わっているのか…。経済学は頭の良い若者の知的遊戯に成り下がった感があった」(『書斎の窓』第653号、2017年9月、53ページ)。

ある経済学者の述懐です。

他方、政治学や国際関係論(国際政治学)はどうでしょうか。以下は、高等数学を使ったゲーム理論の英語テキストの監訳者のあとがきの一部です。

「経済学を革新しつつあったゲーム理論が、(主に米国において)政治学や国際政治学にも積極的に応用されるようになった。…日本の政治学や国際政治学には、はたしてゲーム理論を受け入れるだけの学問的土壌があるだろうか。…1990年代以降…最近では、欧米に留学した若手・中堅の研究者によって多くの論文がかかれるようになってきた。…しかし…ゲーム理論を主要な研究手法としているのはきわめて少ないのではなかろうか」(J.モロー、石黒馨監訳『政治学のためのゲーム理論』勁草書房、2016年、436ページ)

私はここで、数理的な社会科学研究の是非を論じるつもりはありません。また、その能力や資格が、私に十分備わっているかどうかも疑問です。ただ、この二つの対照的な議論を読んで、日本の政治学や国際関係論が進むべき方法や現状をどう考えたらよいのだろうか、と思わざるを得ませんでした。

私に1つの答えを提供してくれるのが、国際関係論のトップジャーナル(一流雑誌)の1つである、International Security誌です。この雑誌の編集方針は、近年、明らかに変わったように感じます。すなわち、政策に関連した論文を前にもまして積極的に掲載するということです。もちろん、この雑誌にも数理的手法を用いた論文が掲載されることもあります。しかしながら、最新号は、戦時における米国の敵国への核兵器使用の可能性を実証分析した論文を掲載しています(この論文の概要は、フレッド・カプラン「世論調査に見る米核攻撃の現実味」2017年8月、「ニューズウィーク日本版ウェブサイト」で知ることができます)。これは朝鮮半島有事も想定したものでしょう。前々号には、サイバー攻撃に対する抑止の論文が載っていました。

日本の国際関係論における理論研究の方法論的強靭性や論理的な実証手続きの弱さを批判したり不満を持ったりする若手や中堅の「頭の良い」研究者もいるようです。こうした主張は分からなくもありませんが、現実に直面する社会科学における学問の過度な数理化(統計学とかは除き)が、「知的遊戯」と揶揄されるまでになってしまっては、行きすぎではないでしょうか。方法論上の多様性を擁護する立場からすれば、日本の政治学や国際関係論は、その成熟度は別にして、純粋に方法論の観点だけでみれば、それなりに健全なのかもしれません。