野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

独裁者の軍隊は弱いのか?(更新)

2024年08月28日 | 研究活動
戦争と平和は政治学の主要なテーマです。国際関係の研究者たちは、これまで熱心に戦争を研究してきましたが、大半は戦争の前後についてであり、戦争そのものはややもすれば「付属品」のような扱いでした。すなわち、戦争の原因(たとえばバランス・オブ・パワーの変化など)や戦争がもたらす帰結(たとえば和平交渉や戦後秩序の構築など)の探究に多大なエネルギーを注ぐ一方で、戦争の中身には深く触れてきませんでした。戦争を多面的に分析してきたのは戦略研究です。リチャード・ベッツ氏(コロンビア大学)が指摘するように、「大半の国際関係の学者たちは、戦争が重要な問題であることを認識しているものの、戦争前と戦争後すなわち戦争の原因と結果にのみ関心を示しており、戦争それ自体すなわち戦争の行為には興味を持たない…戦略研究は戦争の3つの側面に関わる…戦争あるいは平和の政治的側面における衝動や選択は、軍事的側面における制約や機会を理解することなしには理解できない」ということです("Should Strategic Studies Survive?" World Politics, Vol. 50, No. 1, October 1997, p.10)。

独裁国の軍隊は必然的に弱いわけではない
戦争の内面についての研究の蓄積は、戦争原因論などには相対的に劣りますが、少なからぬ政治学者は、そのメカニズムを明らかにしようとしてきました。とりわけ政治体制と戦争の因果関係に関する研究は、この数十年でかなり豊富になりました。これをザックリと分類すれば、第1に、民主主義国は戦争で勝利する傾向にあることが分かってきました。政治学者のダン・ライター氏(エモリー大学)とアラン・スタム氏(ヴァージニア大学)によれば、民主主義国の戦勝確率が高いのは、選挙で選ばれた政治家は国民からの厳しい反発を恐れて勝てそうな戦争しかしないこと、ならびに兵士は主体的にリーダーシップを発揮して戦うことなどが理由だということです(Democracies at War, Princeton University Press, 2002)。第2に、専制主義国家や独裁国家、権威主義国家は戦争に弱いというのが、ほぼ通説になっているようです。その主な1つの理由として、独裁者はクーデターを恐れて軍部が歯向かわないよう飼いならす結果、そのパフォーマンスを落してしまうことが指摘されています。要するに、専制主義国は政軍関係に病理を抱えているのです。ところが、専制主義国の軍隊が常に「弱い」とは限らないことが、新しい研究により分かってきました。

何が独裁国の軍事的有効性を左右するのか
カイトリン・タルマージ氏(マサチューセッツ工科大学)は、この問題について、興味深い研究論文を発表しています。彼女は「個人主義者のパフォーマンスのナゾ―イラン・イラク戦争におけるイラクの戦場効率性―("The Puzzle of Personalist Performance: Iraqi Battlefield Effectiveness in the Iran-Iraq War")」(Security Studies, Vol. 22, No. 2, April-June 2013)において、同戦争の単一事例内分析から注目すべき仮説を導いています。すなわち、イラク軍は戦争の末期において、それ以前には観察されなかった明らかな戦果を挙げており、それはイランからの高まる脅威を認識したサダム・フセイン大統領が、主に共和国防衛隊における昇進、訓練(演習)、指揮システム、情報管理を改善させたことに起因するというものです。もし、こうした説明が正しいとするならば、専制主義国の軍隊の強弱は外的な脅威に対する独裁者のパーセプションと軍事組織の様態に左右されることになります。戦争研究全般においては、武器や兵員、軍事費といった物質的要因が重視されがちなところ、「軍事組織の実行形態(military organizational practices)」という概念化や操作化が難しい非物質的要因から、独裁者が統治する国家の戦争内における行動を解明しようとした点で、この研究は希少性があり価値があると思います。

国家が保有する資源から生み出すパワーは、その有効性の観点から、戦争における戦略レベル、作戦レベル、戦術レベルに分けられます。タルマージ氏が研究対象とするのは、戦略レベルにおける戦争の勝敗ではなく、作戦もしくは戦術レベルにおける軍事的パフォーマンスです。これらのレベルの分析は、スティヴン・ビドゥル氏(コロンビア大学)の先行研究『軍事力』では混在していましたが、彼女は「有効性」と「勝利」を分けることが大切だと前置きしています。戦争の結果は戦闘に還元できないということです。その一方で、タルマージ氏はビドゥル氏の「近代システム」の概念を継承して、それを「基本戦術」と「複合作戦」に発展させています。前者は、兵器の操作や射撃技術、地形を利用した掩護や隠蔽といった兵士の熟練度から構成されます。後者は、歩兵と砲兵、地上軍と空軍の統合運用といった高度な任務を意味します。これらに影響を与えるのが、軍事組織における昇進、指揮統制システム、訓練、情報管理です。これら4つの要因が改善されると、軍隊は戦場における基本戦術を向上させ、統合作戦の実行ができるようになり、高い軍事的効率性すなわち戦果をあげられるということです。

イラン・イラク戦争の事例
タルマージ氏は、上記の理論をイラン・イラク戦争の事例から構築しています。同戦争において、イラクは優勢な戦力を持っており、イランに奇襲攻撃を行ったにもかかわらず、1980年から1986年の間、その軍事的パフォーマンスは貧弱なものでした。最初の数年間におけるイラク軍の惨状をアメリカのCIAは、「イラクはイランとの戦争に根本で負けてきた」と評価していました。軍事アナリストは、こうしたイラク軍の失敗をおそまつな統率や士気、戦術、インテリジェンスの弱さに帰していました。イラク軍は守勢に立たされた時でも、機動的な縦深防御さえできなかったのです。このような見通しの暗い戦況を打開するために、1983年にイラク軍は化学兵器まで使い始めるようになりました。それから数年間、両国の戦争はほとんどイラク領内で行われ、そこでは血みどろの膠着状態が続きました。戦争の転機が訪れたのは、1987-88年でした。この頃になると、それまで振るわなかったイラク共和国防衛隊と正規軍の部隊は、その軍事パフォーマンスを改善させたのです。イラクは要衝であるファオ半島をイランから奪還しました。そこで行われたイラク軍の作戦行動は、工兵の活動、爆撃、砲兵による射撃そして複数の機械化歩兵による複数方面からのイラン軍への統合された攻撃でした。このイラクの軍事的勝利は1981年以降で最大のものでした。そして、その後の戦闘においても、イラク軍は継続して戦術的熟練度と複合作戦の改善を実行して見せたのです。その結果、イランのイスラム革命防衛隊は事実上崩壊して、1988年に戦争は終わりました(前掲論文、191-199ページ)。

サダム・フセインは、イラン南部のスンニ派を扇動するとともに、先端的兵器や弾薬を購入して使えば、イランを倒せると思って戦争を始めたようです。そうした判断から、かれは軍人を職業的プロフェッショナリズムではなく、政治的忠誠心にもとづいて昇格させていました。また、イラク軍において軍事的訓練は厳しく制限されていました。指揮命令系統は中央集権化され、水平的コミュニケーションをとれない仕組みにされていました。インテリジェンスは、もっぱら国内における政府転覆やクーデターの兆候などを監視するために行われていました。つまり、イラクの軍事組織は、謀反やクーデターを起こせないようなものにされており、外国との戦争を効率的に行うようにはなっていなかったのです。しかしながら、サダム・フセインは戦況の悪化に伴い、イランが勝利して自分が大統領の座から引きずりおろされる恐怖と身内の将校たちからの批判により自らの地位が危うくなってきたことを自覚して、イラク軍がイラン軍に勝利できるよう軍の変革に着手します。上記のような共和国防衛軍に対する政策は、戦争が終わる頃までには、それまでとは異なり、あらゆる点において正反対に変えられたのです(前掲論文、200ページ)。

第1に、イラク軍の人事が変わりました。サダム・フセインは能力にもとづき将校を昇格させると共に、無能な士官を司令部から外しました。第2に、強力で現実的な軍事演習が小隊や大隊規模で実施されるようになりました。第3に、指揮統制系統が分権化しました。かれは野戦指揮官の行動の自由裁量を広げる指揮権の委譲などを実行したのです。第4に、指揮官同士のコミュニケーションが促されました。このことによりイラク軍は各部隊間での情報共有ならびに統合された作戦行動をとれるようになりました。こうしたイラク軍部隊の急速な改善が、戦術的熟練度を高めて、戦闘における成果をもたらしたのです(前掲論文、200-215ページ)。タルマージ氏は、こうしたイラク軍の変革を以下のように分析しています。

「この変化がもたらした便益は、1987-88年において明らかだった。初めて、異なるイラクの戦闘部隊―砲兵、航空支援、機甲部隊、機械化歩兵、揚陸部隊、工兵―が強固で調整された行動をとる能力を表わしたのだ…イラン・イラク戦争の終結における、この変化の影響は際立ったものだった」(前掲論文、215ページ)。

ただし、こうしたイラク軍の優れた戦闘能力は例外的で一時的なものでした。サダム・フセインは、戦争が終わると、イラク軍の組織的な実行形態を元に戻してしまったのです。イラク軍はクーデターができないような、戦前の非効率な軍事組織へと退化したのです。その結果が、1991年の湾岸戦争における多国籍軍に喫した大敗と2003年のイラク戦争におけるイラク軍の崩壊でした。もちろん、こうした出来事は、アメリカ軍を中心とする圧倒的に卓越した多国籍軍や有志連合の軍事力とイラク軍の戦力格差を抜きにしては説明できませんが、イラク軍の軍事的有効性の悪さも無視できない要因として指摘できるということです(前掲論文、180-221ページ)。

タルマージ氏による専制主義国家の軍隊の効率性やパフォーマンスの分析は、国際関係研究において看過されがちだった戦争内における行動の理論を、先行研究を踏まえて発展させた優れたものであると思います。専制主義国家や独裁国家の戦争行動に、軍事組織の実行形態という新しい視点から、通説に乗り越える知見を提供したことは高く評価されるべきです。また、彼女の研究デザインは、単一事例から新しい理論を構築するお手本のようなものでしょう。ただ、帰納的な方法から生み出された理論は、どこまで一般化できるかという必然的な課題を残すものです。専制主義国の独裁者は、外部からの脅威に直面すると、クーデターから身を守ることと軍事的効率性を求めることのトレードオフにおいて、後者を選択しようとするのでしょう。こうした因果推論は、構造的要因が権力者を動かすという国際関係論では馴染みのあるロジックである点で、軍事ドクトリンの変革に関するバリー・ポーゼン氏の先行研究と重なるところがあります。ここまでは、おそらく一般化できるでしょう。ただし、タルマージ氏が主張するように、戦争に負けそうになった独裁者が、自国の軍事組織を効率化して、そのパフォーマンスを短期間で向上させられるのであれば、専制主義国家は、少なくとも作戦レベルや戦術レベルでは敵対国に負けないと予測できてしまいます。しかしながら、数次にわたるアラブ・イスラエル戦争を一瞥しただけでも、専制主義体制あるいは権威主義体制をとるアラブ諸国は民主国であるイスラエルに、戦略レベル、作戦レベル、戦術レベルの全てにおいて、ことごとく敗北しています。つまり、タルマージ氏の「理論」は、内的整合性に矛盾があるのみならず、経験的証拠に合致しない欠点があるのです。



クーデターの脅威が弱い独裁国の軍隊は強い
タルマージ氏は、この論文を下敷きにして、独裁者が治める国家の軍事的パフォーマンスのばらつきを、ヴェトナム戦争の事例分析を加えて、さらに深く研究して学術書『独裁者の軍隊』(コーネル大学出版局、2015年)にまとめています。同書は、国際学会(ISA)の「国際安全保障研究部会」の最優秀賞(2017年)を獲得しています。また、H-Diploのラウンドテーブルでは、この記事の冒頭で紹介したベッツ氏らが同書の内容を議論しています。外交雑誌『フォーリン・アフェアーズ』などでも書評されているので、各方面から高く評価されていることが伺えます。

本書でタルマージ氏は、独裁国の軍隊の強さにバラツキがあることから、何がその違いを生み出すのかを考察しています。その結果、一般的にいって、個人主義の独裁制度の指導者は、一党独裁制が定着している国家より、クーデターに対して脆弱であるために、軍隊を対外戦争に備えたものではなく、クーデターをさせないような貧弱な組織にしがちであることが明らかになりました。このような仮説は、同じ独裁国の軍隊でも、なぜヒトラーのナチス・ドイツの国防軍や北ベトナム人民軍が強く、第二次世界大戦の緒戦でスターリンの赤軍やイランとの戦争で何年もの間、サダムのイラク軍が弱かったのかを説明でます。さらには、こうしたロジックは多かれ少なかれ、民主主義国の軍隊に当てはまります。以下は、軍事組織の慣行をまとめた表です。


(出典:Caitlin Talmadge, Dictator's Army, Cornell University Press, 2015, p. 15)

この研究から得られる政策上のインプリケーションとしては、中国人民解放軍(PLA)は、共産党一党独裁国家の軍隊なのですが、個人主義独裁に特有の政軍関係の病理に冒されていないと考えるべきでしょう。すなわち、能力主義で昇格した上級士官や将校が、大小の部隊を強力に訓練しながら、「戦争の霧」に対応しやすい分権型の指揮統制システムを構築した手ごわい軍隊であると考えられるのです。中国軍が弱いと侮る専門家もいますが、その根拠は毛沢東時代の個人崇拝からの推察のようですので、現在の中国には当てはまらないでしょう。いずれにせよ、中国軍の軍事的有効性は、共産党と人民解放軍の関係がカギを握りそうです。

このことが日本の安全保障政策に与えるインパクトは、かなり大きいでしょう。日中の軍事費の比率は、約1:6にまで広がりました。日本政府は防衛費を倍増することを目指して、その差を縮めようと努力をしていますが、日本の自衛隊と中国の人民解放軍の軍事バランスを保つのは、量的にも質的にも途方もないことであると、このような研究からの推論で分かります。われわれは中国人民解放軍を正しく恐れながら、最新の社会科学にうらづけられた根拠にもとづく軍事力の強化を着実に実行していくべきではないでしょうか。

政治学における事例研究の価値と重要性
最後に…。政治学/国際関係論において、主に安全保障分野での研究者を目指す若い人は、タルマージ氏がよいロールモデルになり、彼女の著書や論文もよい手本になると思います。彼女のスゴイところは、洗練された高度な統計分析にもとづく実験政治学が全盛である今の政治学界において、事例研究にもとづく伝統的な定性的手法で、政策立案にヒントを与える数多くの優れた知見を導き、それらが高く評価されていることです。政治学の本場であるアメリカでは、定量的分析の論文が大半を占めるトップジャーナルと呼ばれる、American Political Science Review, American Journal of Political Science, International Organization, International Studies Quarterlyに何本の論文を発表したかで評価されがちであり、日本の政治学者を同じような基準でランク付けするような動きもありますが、彼女は、それらではなく、International SecuritySecurity Studies, Journal of Conflict Resolutionに論文を発表しています。もちろん、これらも政治学の主要な学術誌ですが、一般的には前者に論文がないと、その学者の評価は下がる傾向にあるようです。そのために、若い政治学徒は、統計分析のテクニックを身につけるよう迫られる専門教育の流れがあります。もちろん、統計学を理解することは言うまでもなく大切ですが、彼女は、われわれに質的な事例研究の大切さとその有効性を思い出させてくれます。

タルマージ氏の独裁国における軍事的有効性の研究は、たった2つの事例すなわちベトナム戦争とイラン・イラク戦争の事例から、これまでよく分からなかった独裁的政治体制が、その軍隊の戦場でのパフォーマンスにどのような影響を与えるのか、これらの変数間にある因果関係を明らかにしたことです。このような事例研究の利点は、大標本による数理的分析(large-n)では、しばしば見過ごされるか軽視されてしまいます。事例研究による理論的発見について、ティモシー・マキューン氏(ノースカロライナ大学)が、以下のようにうまく説明しています。

「もしすべての科学的推論に定量的論理があるなら、物理学や生物学における、非実験状況下の数個の観察(またはアインシュタインの相対性理論にとっての唯一の観察である重力による光の屈折)には、より大きな理論的含意があると認識されることを、われわれはどのように理解すべきなのであろうか…判事や陪審員が単一事例によって有罪か無罪かを判断することは不可能だと論じる批判者はいない。同様に、前近代の科学者による実証研究を、定量的分析を行ううえで十分な数の標本を得るために観察を繰り返す必要性に十分留意しなかったとして批判する者はいない…単一事例が影響力をもつ最大の理由は、それまでに用いられたのとは異なる概念を利用するなどして、因果関係に関する異なる説明を示すことである…事例研究(には)それまで曖昧であった理論的関係を明確化する…価値がある」(ヘンリー・ブレイディ、デヴィッド・コリアー、泉川泰博、宮下明聡訳『社会科学の方法論争』勁草書房、2008年、165-173頁)。

個人的には、より多くの有望な日本の大学院生が、こうした伝統的なアプローチにより、よい研究成果をだしてほしいと切に願っています。とりわけ、アジアの重要な少なからぬ事例は海外の政治学では未開拓なので、日本の若手には、定量的手法に無理に走らなくても、世界レベルの政治学/国際関係論で活躍できるチャンスはあるのです。

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スキーが嫌になってきた人へ(更新)

2024年08月21日 | スポーツ
スキーのレベルを示す1つの基準として、SAJ(全日本スキー連盟)級別テストがあります。最高の1級をとった一般スキーヤーが、さらに上を目指す場合、テクニカル・プライズやクラウン・プライズを目指すことになります。プライズテストに合格するのは、かなり難しく、多くのスキーヤーは四苦八苦していることでしょう。そのプロセスで、スキーそのものが楽しめなくなったり、嫌になってきたりする人もいるようです。

私は、日本の基礎スキーやデモンストレーターの滑りを否定するつもりは全くありませんが、他方、プライズなどを目指すスキーヤーの多くは、日本の基礎スキーがスキーのすべてだと思い込んでいないでしょうか。日本のデモンストレーターのような滑りが、スキーの完成形であり、よりスキーが上手くなるには、そうした滑りに近づかなければならないと、頭から決め込んでいないでしょうか。そんなスキーヤーがいたら、ぜひ、以下の記事やレッスン・ビデオをみてください。

トップスキーヤーだった平沢岳さんが、自身のブログで「日本のテクニック・うそほんと」という記事を書いています。既にお読みのスキーヤーもいるでしょうが、未読の悩めるスキーヤーは、平沢さんが解説する滑り方を読んで、ゲレンデで実行してみてください。きっと、驚くほど楽にスキーが操作できることでしょう。さらに、滑走の安定感やキレも実感できるので、スキーがより楽しく感じると思います。

海外のデモンストレーターやトップレーサーは、上下運動をシッカリと使って滑っています。えっ「上下運動」と思った人は、論より証拠!まずは、スイスのデモチームの滑りをご覧ください。私からすると、このデンマークのデモの滑りは、これぞ、お手本でしょう。内倒せずに、高いポジションから、しっかりと両スキーに体重をのせて、板をたわませています。谷回りで山手が上がっていません。アルペン女王のミカエラ・シフリン選手の滑走も、YouTubeなどで見て下さい。上下動を巧みに使って、スキーの推進力をだしているのがわかるでしょう。これらもお手本にすべきスキーだということです。

自分もかつては上下動をなるべく使わずに滑ろうとして、うまくいきませんでした。ゲレンデでも、かがんで窮屈そうに滑っているスキーヤをよく見かけます。でも、ストレッチングの動作をすれば、スキーは、より性能を発揮することでしょう。オーストリアのスキースクールの小回りレッスンビデオでは、極端な上下運動をウォーミングアップで行うことを推奨しているくらいですから。

これでうまく滑ることができない場合、TDK スキーレーシングのトムさんのアドバイスを試すのもよいと思います。リンク先から彼のレッスンをビデオで受けられます。このテクニックは、むしろ上下運動を使わずに、カービング・スキーの性能を最大限に引き出して、キレのあるターンをすることを可能にします。ターンの切り替え時には、洋式トイレに座るような低姿勢になり、谷回りからターン・マキシマムにかけて脚を伸ばすことで、あたかも短距離走の選手がスタート時に最大の推進力を引き出そうとするのと同じように、外スキーの中心に圧を伝えるのです。これによりスキーがたわみ、エッジが雪面をかむことにより、キレイで推進力のあるターンになります。ただし、この滑り方をするには、ある程度の脚力が必要になります。

このテクニックを使って滑走する際に一般スキーヤーが注意することは、①内倒しないこと、②足首を緩めないで、常にスキーをタテに押し続けること、です。スキーを廻旋させようとする(ひねろうとすると)と内倒しやすくなるので、それは禁物です。スキーはあくまでもタテに使うものなのです。くわえて、外スキーへの荷重が弱まると、転倒するリスクが高くなりますので注意してください。また、切り替え時に足首が緩んでしまうと、後傾になってしまうので注意しましょう。ポジションが後ろになると、谷回りからターン・マキシマムにかけてスキーの中心に圧をかけられなくなり、気持ちよくスキーが曲がらなくなります。

2024年度も半分以上が過ぎました。暑い日が続きますが、そろそろスキーが恋しくなってきた人もいるのではないでしょうか。来たるスキーシーズンも、もっと自由に楽しみましょう!




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ウクライナのクルスク侵攻が意味するもの

2024年08月21日 | 研究活動
ロシアに対して苦戦を強いられてきたウクライナは、ロシア領内のクルスクに侵攻しました。現在、ウクライナが支配しているロシア領は、ロシアが占拠しているウクライナ領の面積に比べると、ごく狭い範囲にとどまっています。相手の国土をどれだけ広く侵食するかという「領土戦争」の観点からすれば、下に示した戦況図を見れば分かるように、この戦争におけるロシアのウクライナに対する圧倒的な優位性は、今でも変わりません。それと同時に、われわれはウクライナが核武装国のロシアの本土に越境攻撃を行ったことをさまざまな角度から検討することにより、長期化するウクライナ戦争をより深く理解できるでしょう。この記事では、①消耗戦に対するクルスク攻勢のインパクト、②ロシアの核抑止の失敗、③クルスク攻撃とバーゲニング・パワーという3つの視点から、ウクライナの大胆な軍事行動の意味を考えてみることにします。



消耗戦に対する人口の影響
ウクライナ戦争の特徴は「消耗戦」です。これは交戦国の双方が、相手の国力や戦力をすり減らす戦いだということです。消耗戦の行方を左右する重要な要因は、戦闘で死傷する大量の兵士や武器をどれだけ補充できるか、ということです。これらのファクターでは、クルスク攻勢前後でも、ロシアがウクライナに対して圧倒的な優位性を保ち続けています。ロシアの人口は約1億4千万人です。他方、ウクライナの人口は約4.1千万人です。ロシアは人口において、ウクライナに約3.5倍の優位性を持っているということです。

さらにウクライナにとって悪いことは、キーウが動員できる人口が、実際には、これよりもグッと少なくなることです。なぜならば、ウクライナの総人口の内、約4分の1が国内外に避難しているからです。ウクライナの総人口から避難民を引くと、動員可能な人口は3000万人程度になってしまいます。したがって、現実には、兵士の潜在的な供給元である人口の比率において、ロシアはウクライナに対して約4.7倍も有利なのです。他の条件が等しければ、消耗戦が長引けば長引くほど、ウクライナはロシアよりも、戦闘の従事できる兵士と人口の数を相対的に減らすことになるので、より敗北に追い込まれることになります。

消耗戦に対する豊かさの影響
戦争を遂行するために必要な兵器は、国家の富に大きく依存します。なぜならば、交戦国の政府は、より豊かであれば、その財力を兵器の生産や購入により多く充てられるからです。つまり、消耗戦の勝敗は、国家の経済力にも大きく依存するということです。それでは、ロシアとウクライナの豊さは、どうなっているでしょうか。経済力を計る際に最もよく使われるGDP(国内総生産)では、やはりロシアがウクライナを圧倒しています。戦争直前のロシアとウクライナのGDP比は約9対1でした。その後、この不均等な比率は、欧米各国やEU、日本などからの莫大な経済支援がウクライナに実施されているにもかかわらず、さらに高くなってしまいました。



このグラフは、開戦当時のロシアとウクライナのGDPを100として計算した時系列的な推移です。アメリカの著名なシンクタンクであるブルッキングス研究所で上席研究委員を務めるロビン・ブルックス氏が作成しました。ここから分かることは、G7諸国から厳しい経済制裁を受けたロシアは、ウクライナ侵攻後もGDPをほぼ堅調に伸ばしていることです。他方、G7諸国などのから多額の経済支援を受けているウクライナは、昨年あたりから少し持ち直したものの、GDPを大きく下げたということです。現在のウクライナのGDPは、開戦時の約7割程度まで下がっています。現在のロシアとウクライナの経済力の差は、10倍以上に開いてしまったのです。

限定的な探りとしてのクルスク侵攻
ウクライナがロシアの核兵器による抑止の脅しに怯まずに、ロシア領のクルスクに逆侵攻したことは、多くの人々を驚かせました。この事実から、ロシアの核抑止戦略は機能しておらず、破綻していると考える人もいるようですが、それは間違いです。抑止は敵国に望まない行動を全くさせなくする「万能薬」ではありません。抑止がいくつかのパターンで失敗することは、既存の研究で解明されています。その1つが、抑止で脅されている国家が、リスクをコントロールしながら、限定的な探りを敵国に入れることです。この事例としては、1958年の第二次台湾海峡危機があります。毛沢東は中国が圧倒的に不利であることを承知の上で、核武装国アメリカと事実上の同盟関係にある台湾が支配する金門島を砲撃しました。その目的は、アメリカの台湾を守るという約束の確かさを明らかにすることでした。また、北京はワシントンの反応にしたがい、この危機を拡大したり終息したりするイニシアティブを握っていました(Alexander L. George and Richard Smoke, Deterrence in American Foreign Policy, Columbia University Press, 1974, pp. 540-543)。

ウクライナも、あえて核報復を受ける危機的状況をつくることで、ロシアの核抑止に対するコミットメントを明らかにしようとしたのでしょう。幸い、ロシアはウクライナから領土を攻撃されても、核兵器を使う準備も見せなければ、実際にも使いませんでした。ロシアは、核ドクトリンにおいて、敵国からの通常兵器による侵略から国家の存立を脅かされた場合、核兵器を使用すると宣言していましたが、この程度の本国への攻撃では核兵器で反応しないことが明らかになったに過ぎません。

くわえてロシアが抑止の失敗を放置するとは考えにくいです。おそらく、ロシアはクルスク侵攻で受けるダメージを最小化するために、コントロールを効かせながら、ウクライナに対して軍事的圧力を少しづつ強めていくでしょう。戦争が核兵器の使用にエスカレートするまでには、何段ものハシゴのステップがあるのです。ウクラナによるクルスク攻勢の遂行をロシアの核威嚇がブラフ(ハッタリ)であることの証明だと早合点する人は、戦争のエスカレーションの段階的なメカニズムを理解していないと言わざるを得ません。ウクライナやその支援国がエスカレーションのハシゴを登れば、それだけロシアが核兵器を使うインセンティブとリスクは高くなるのです。

クルスク侵攻とバーゲニング・パワー
ウクライナが危険を冒してロシア領内への越境攻撃を実施した最大の狙いは、ロシアに対するバーゲニング・パワーを高めることでしょう。キーウの声明は、これを裏づけています。ウクライナ外務省のヘオルヒイ・ティキ報道官は8月14日、記者団に対して「公正な平和の回復」に合意するよう、ロシア政府に圧力をかけることが、ロシア領内であるクルスクへの侵攻の目的だと話しました。残念ながら、短期的には、この目的は果たされないでしょう。なぜならば、ロシアのプーチン大統領は、クルスク州で民間人を標的にしているような敵(ウクライナ)との交渉はあり得ないと言及したからです。ロシアのウシャコフ大統領補佐官も8月19日、ウクライナ軍がロシア西部クルスク州を越境攻撃しているため、和平交渉は当面見送ると述べました。ただし、ロシアが先に提示した和平案は撤回していないとも語り、将来の交渉に含みを持たせています。

多くの専門家が指摘するように、この戦争は交渉により終結する可能性が高いと思われます。その際、どのような条件で戦争を終わらせるかは、ロシアとウクライナの相対的なバーゲニング力(交渉力)で決まります。このパワーの相対的な配分こそが、戦争の結果を左右するのです。戦争にはコストがともなうので、交戦国は、それを少なくしようとするインセンティブを持ちます。そして、そのコストは「相手を痛めつける力」(トーマス・シェリング)の程度が生み出します。敵対国からより強く痛めつけられそうな国家は、そのコストを減らすために、交渉でより多くの不利な妥協を強いられます。逆にいえば、相手国をより強く痛めつけられる国家は、戦争を終わらせる際の交渉において、相手国から、より多くの妥協や譲歩を引き出せるのです。ウクライナは、ロシアを痛めつける力があることをクルスク攻勢で実際に示したことにより、バーゲニング力を高めたといえるでしょう。これがウクライナによるクルスク侵攻の最大の成果なのです。

クルスク侵攻はペイするのか
しかしながら、クルスク侵攻の代償は少なくありません。これはウクライナにとって戦術レベルや作戦レベルでは成功だったのかもしれませんが、戦略レベルでは失敗に終わる可能性が高いからです。この侵攻で得たバーゲニング力は、消耗戦を続けることにより、ウクライナの国力のさらなる低下により相殺されてしまい、最終的には、その力をますます落としかねないのです。ウクライナ戦争について積極的に発言しているジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、ウクライナのクルスク攻勢は大失敗だったと以下のように分析しています。

「ウクライナの(クルスクへの)侵攻は大きな戦略的失策であり、敗北を加速させるだろう。消耗戦の成功の鍵を握るのは死傷者数であり、西側の論者がこだわる領土の獲得ではない。クルスク攻防戦における死傷者の交換比率は、2つの理由からロシアに決定的に有利である。第1に、ウクライナ軍が無防備な領土を効果的に制圧したため、ロシア側の死傷者が比較的少なかったこと。第2に、モスクワは攻撃を察知すると、進撃してくるウクライナ軍に対して大規模な航空戦力を迅速に投入した。当然のことながら、攻撃軍は多くの兵士と装備の大部分を失った…クルスク侵攻がいかに愚考であるかを考慮すれば、ロシアが意表を突かれたとしても不思議ではない」。

その後も、ウクライナはクルスクでの戦闘で戦力を消耗しています。ウクライナに好意的な記事を掲載する傾向にある『フォーブス』誌でさえ、次のような悲観的な主旨の記事を掲載しています。すなわち、「クルスクでロシア側よりもウクライナ側の装備の損失が多いというのは異例だ。ロシアがウクライナで拡大して2年半近くたつこの戦争では概して、ロシア軍の車両の損失のほうがウクライナ軍の車両の損失を大幅に上回ってきたからだ。ウクライナ軍はクルスクにおいて、戦車や歩兵用車両をロシア軍のドローン(無人機)攻撃や砲撃、待ち伏せ攻撃にさらしている…ウクライナ側は戦車を4両、歩兵用車両を41両も失った。これには希少なイギリス製チャレンジャー2の戦車や、アメリカから供与されたストライカー装甲車の数両が含まれる」と、その損害の大きさを報道しています。

結論としていえることは、ウクライナのクルスクへの侵攻は、それでキーウが得るものと失うものを足すと、後者の方が大きいということでしょう。わたしたちは、クルスク攻勢のような衝撃的で注目を集める出来事に目を引かれがちであるからこそ、ウクライナ戦争の全体像を見失わないように気を付けるべきです。そうしないとウクライナ戦争に対する評価や判断を誤ることになってしまうからです。


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核時代において「和平」は「正義」より優先されなければならない

2024年06月06日 | 研究活動
ウクライナ戦争において、ロシアが核兵器を使用するリスクは高まっています。われわれは核戦争という最悪の結末を避けるための努力を惜しむべきではありません。なぜならば、ロシアがウクライナを戦術核で本格的に攻撃をしたら、ウクライナの無辜の大勢の市民が犠牲になるからです。さらに、それが全面核戦争にエスカレートしたら、ヨーロッパだけでなく、その域外に住む人々のおびただしい命も奪われるからです。そのような大惨事を防ぐためには、アメリカはウクライナが西側の兵器でロシア領内を攻撃することを抑制させるだけでなく、ロシアとの停戦に向けた交渉を直ちに始めるべきです。

リアリストが集まる「ディフェンス・プライオリティ」の上席研究員である米退役軍人のダニエル・デーヴィス氏は、プーチン大統領が核兵器の使用に言及したことの重大さをふまえて、以下のように最大限の警告を発しています。

「これは非常に大きな出来事だ。私たちは、上向く可能性がない代わりに、ロシアの報復による(核使用の)リスクを増大させ続けている。リスクばかりで得るものがない!ウクライナ戦争の政策を大転換するときだ。まだ時間があり、ロシアから攻撃を受けていないうちに、最善の条件で交渉による解決を模索するのだ」。

彼は、ウクライナによる昨年の「反転攻勢」が失敗に終わることを的確に予測していた一人なので、その発言には耳を傾けるべきでしょう。それにもかかわらず、このような主張は、「ロシアがウクライナから撤退すれば済むことだ」とか、「国際法に違反してウクライナを侵略した、邪悪な指導者プーチンを擁護するものである」とか、「ウクライナの占領地を確保したいプーチンの思うつぼにはまっている」とか、「これまでロシアは核恫喝を行うだけで実際には使用しなかったのだから、これはブラフ(こけおどし)だ」とか、「ウクライナは西側の兵器を使用することにより戦況を好転させられる」といった論拠で必ず反論されます。しかしながら、これらの批判は、どれも根拠に乏しく、検証を少し進めるだけで説得力に欠けることがわかります。

とりわけ、ロシアがウクライナから進んで撤退することは、まず考えられません。スティーブン・ヴァン・エヴェラ氏(MIT)が言うように、「正義の世界ならば、ロシアはウクライナとの戦争から何も得られません。その代わり、ロシア軍はウクライナから撤退させられ、ロシアの指導者はウクライナ国民に対する侵略罪と野蛮な戦争犯罪で裁かれ、処罰されるでしょう。残念ながら、ロシアにはそのような結果を拒否する力がある」ということです。このような権力政治の現実から目を逸らしても、戦争の結末は変わらないのです。

リアリストは「親露派」ではない
ロシアの戦術核の使用を防ぐためにロシア領内への攻撃を控え、停戦交渉を始めるように主張するリアリストは、ロシアのプロパガンダを拡散する者でもなければ、親露派でもありません。わたしたちは、ロシア政府の主張とリアリストの分析や政策提言が重なるので、それらは因果関係にあると勘違いしがちですが、そうではありません。リアリストがロシアのプロパガンダや偽情報に騙されて、その言説をモスクワの意向に沿うように変えて発信している根拠は何一つありません。

リアリストの代表格であるジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、ウクライナ戦争におけるロシアの核使用のリスクとウクライナが「機能不全の残存国家」になることに警鐘を鳴らし続けました。その彼は、ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダ拡散者」に指名されてしまいました。これに対して、アメリカのクインシー研究所はウクライナ政府に対して、「これは言論の自由を侵害する行為である」と抗議しました。ミアシャイマー氏が核戦争にエスカレートする危険を訴えるのは、国際政治や戦略のロジックを理解している研究者ならば当然なのです。

ロシアが西側とのバーゲニングで核威嚇を最大限に利用しようとするのは、クレムリンの合理的な政策決定の結果に過ぎません。また、戦争の行方や結果が交戦国に配分されたパワーを反映するのも必然的であり、「消耗戦」が続くウクライナ戦争で兵士を供給する能力や火力で優位性を持つロシアが、それらに劣るウクライナを弱体化させていくことも、残念ながら避けがたいことなのです。ですから、ミアシャイマー氏を代表とするリアリストの主張は、ウクライナ戦争の現実から導かれた客観的な分析であるに過ぎません。これはロシア擁護とは何の関係もないのです。

ロシアの核恫喝は「思うつぼ論」に矮小化できない
核時代における外交の特徴は、それが核兵器という究極の「相手を痛めつける力」と連動していることです。すなわち、核武装国は核恫喝により、自らの政治的意思を敵対国に受け入れさせようと、懸命に押してくるということです。ハーバード大学の名誉教授であるジョセフ・ナイ氏が的確に指摘したように、現在、ロシアとアメリカは「核威嚇に信ぴょう性をもたせて、相手を賭けから降ろそうとするチキンゲーム」に従事しています。

こうした見方は、標準的な戦略理論にもとづいています。核時代における国家間の駆け引きの特徴は、核戦略論の先駆者であるノーベル経済学賞受賞者のトーマス・シェリング氏により、半世紀以上前に明らかにされました。このことについて、彼は以下のように説明しています。

「大規模戦争がどうやって生起するのか—失敗、発端、あるいは誤認がどこで起こるのか—は予測できない…より重要なことは、われわれはいかにして全面戦争という感知される危険が突然増大するのを制御…するかということである…リスクの高まりの大部分は核兵器の帰趨が占めている…いったん核兵器が持ち込まれた戦争は、もはやそれまでの戦争と同じではありえない。そもそも戦争を律していた戦術上の目的や考慮事項はもはや支配的ではない…核が持ち込まれたなら、戦争は決して本来の経過を辿らない可能性がある…大敗北を喫するのを防ぐために何としても核使用が必要となるときには…核の使用を慎重に行う機会をおそらく逸している。一方、近い将来における核使用の軍事的な必要性が生じる可能性が高いことを戦術的な状況が示唆しているときには…外交と適切に連携した無差別ではない慎重な核の持ち出しの機会が残っている。その段階を越えて機会を待てば、おそらく単に戦術的核使用の可能性を高めるだけであ(る)」(『軍備と影響力』107-115頁、強調は引用者、引用文は一部修正)。

ウクライナ戦争でのロシアの核威嚇は、現時点において外交と連携しているので、この機会を逃すべきではありません。それを逸してしまうと、ウクライナ戦争は、われわれには予想さえできなかった要因が作用することで、坂道を転げるように、核兵器の応酬へとエスカレートするかもしれないのです。

実際、ウクライナによるロシアのアルマビルにある早期警戒レーダーサイトへの攻撃は、一歩間違えれば、核の大惨事になっていたかもしれません。核問題の専門家であるセオドア・ポストル氏(MIT)は、これにより「アメリカの核攻撃に対する防御の一つが崩れたと感じたロシア側が、報復のために激しく反撃するという危機を、ウクライナ側が無用に引き起こしていたかもしれなかった」と、その危険性を指摘しています。さらに驚くことに、「アルマビルのレーダーは、ウクライナの航空機、巡航ミサイル、ドローン、ATACMミサイルにとって監視上の脅威にはならない」のですから、ウクライナにとって、この攻撃には軍事的合理性がほとんどなかったのです。

残念ながら、このチキンゲームには、ロシアはアメリカやNATO加盟国より固い決意で臨んでいるようです。これはウクライナ支援国が「プーチンの思うつぼ」にはまっているからではありません。ロシアは国家の存亡とプーチン政権の生き残りを賭ける一方で、アメリカはウクライナ戦争に死活的国益を見ていません。米ロの利害は非対称なのです。チキンゲームの結末を左右する「決意のバランス」や「利益のバランス」は、ロシア有利に大きく傾いています。

ロシアはアメリカより固い決意で戦争に臨んでいる
ウクライナ戦争において、もちろんウクライナは必死でロシアの侵略に抵抗して国家を守ろうとしている一方で、ロシアも大きな利益を賭けています。このことはクレムリンの指導者が、相次いで、自らの核恫喝に信ぴょう性を持たせようと繰り返し発言してるうことから裏づけられます。

プーチン大統領は、ロシアが核使用を準備していることを以下のように明言しています。

「何らかの理由で、西側諸国はロシアが核兵器を使用することはないと信じている。我々には核ドクトリンがある。ロシアの主権と領土の一体性が脅かされれば、あらゆる手段を行使することが可能と考えている。これを軽々しく、表面的に受け止めるべきではない」。

ロシアの国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ元大統領は、NATOとの全面戦争も辞さない姿勢を示すことで、より直接的に威嚇しています。

「今日、誰も紛争の最終段階への移行を否定できない。ロシアは、ウクライナが使用する全ての長距離兵器をNATO諸国の軍人により直接管理されていると既に見ている。 これは軍事援助ではなく、我々への戦争の参加であり、こうした行動は開戦事由となる可能性が十分にある」。

ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官も、ウクライナとその支援国に以下のメッセージを発信しています。

「私はアメリカの指導者たちに、致命的な結果を招きかねない誤算を犯さないよう警告したい。彼らはなぜか、自分たちが受けるかもしれない反撃の深刻さを過小評価している。これは非常に重要な警告であり、最大の深刻さをもって、深刻に受け止めなければならない」。

このようなロシアの強硬な姿勢とは対照的に、アメリカはかなり腰が引けているように見えます。第1に、アメリカのウクライナ戦争に対する基本政策は、ロシアとの直接戦争を回避することです。これはロシアのウクライナ侵攻直後から現在まで全く変わっていません。そのために、バイデン政権はロシアとの交戦に至る事態を恐れて、ウクライナに「飛行禁止区域」を設けることに反対しました。第2に、ワシントンはモスクワに、戦争のエスカレーションを本心では望んでいないというシグナルを送っています。

バイデン政権は、攻勢を続けるロシア軍が戦線を拡大することを恐れて、ウクライナ軍にアメリカの兵器によるハルキウ近辺のロシア領内の拠点を攻撃することを許可しました。ただし、アメリカ政府のこの決定は、ロシアに対して強い決意を示すものではなく、むしろ、なし崩し的な政治的妥協の産物でした。5月末の時点で、国防省のサブリナ・シン副報道官は、ワシントンの政策に変更はなくキーウに提供している安全保障支援はウクライナ国内で使われるべきだと述べていました。ところが、次の日に、ブリンケン国務長官は、バイデン大統領がウクライナ側の要請を受けて、アメリカが供与した兵器でロシア領内の国境沿いに集結するロシア軍部隊などを攻撃することを許可したと訪問先のチェコで言明したのです。こうして、ワシントンはロシア領内の一部の地域への攻撃をウクライナに認める方針に転換したのですが、バイデン政権内では、これに消極的な国防省と積極的な国務省が対立しており、国家としての一貫した戦略が欠如しているようです。

その後、アメリカは戦争のエスカレーションを恐れて、ロシアを刺激しないよう懸命にシグナルを送っています。ジョン・カービー報道官は、アメリカがロシア縦深への攻撃を禁止する方針を数週間以内に再考することはなく、バイデン政権は、ウクライナがより射程の長い強力なATACMSをロシアに向けて発射することも禁止したと明らかにしました。このようなアメリカ政府の発信は、ロシアの攻勢には、より強力な軍事的行動で応じるというものではありません。このことはアメリカのエスカレーションへの覚悟が、ロシアより劣っていることを示しています。要するに、ウクライナ戦争における相手を先に降ろすチキンゲームでは、ロシアはアメリカより優位に立っているのです。

ロシアの核威嚇は「ブラフ」と扱うべきでない
ロシアは先日、戦術核の使用を想定した軍事演習を実施しました。これはロシアが核使用への「エスカレーション・ラダー(核のはしご)」を一歩、上ったことを意味します。この事態の深刻さをランド研究所のマイケル・メイザー氏は、こう分析しています。

「2022年2月時点でアメリカの利益では(ロシアとの)戦争に突入することが正当化されなかったのなら、今日でも正当化されない。あらゆるエスカレーションのステップには、その原則に反する『ある程度の』リスクがあるのだ。『プーチンは我々を恐れており、エスカレートしない』と主張するのは単純すぎるし、行動と反応のサイクルの触媒的力学を無視している」。

こうした警告は、「ウクライナがクリミアの黒海艦隊司令部を攻撃しても、ロシアは核で反撃しなかったから、ロシア国内に対する攻撃を受けても核使用を自制し続ける」と批判されます。しかしながら、この反論は間違いです。ロシアは外交的メッセージを一段階強い戦術核演習により、ウクライナと西側に伝えようとしているだけなのです。そして、ロシアの次の一歩が何になるのかは、もしかしたらプーチンを含めて、誰にも分からないかもしれません。

ヒロシマ・ナガサキの悲劇を除き、核武装国が戦争で核兵器を使用しなかったのは、国家の安全保障が深刻に脅かされなかったからに他なりません。このことはポール・エイヴィ氏(バージニア工科大学)が、力作『数奇な運命』で論証しています。しかしながら、ウクライナ戦争は核武装国が関与した過去の戦争とは違い、核大国ロシアの国土がアメリカの武器により攻撃されているのです。これをロシアが国家安全保障上の危険だと思わない明確なエビデンスは、はたしてあるのでしょうか。さらに悪いことに、国家の指導者は敵の意図を受けた情報の「鮮明さ(vividness)」で推察することも、最新の政治学の研究で明らかにされています。

ウクライナ軍がロシア国内の拠点をアメリカ産のハイマース(HIMARS)で攻撃したことは、おそらく、クレムリンの指導者に強烈な印象を与えたでしょう。そして、プーチンたちが、このことをアメリカと同盟国のロシアを滅ぼうそうとする意図の表れだと判断したかもしれません。彼らがそう考えることは、我々には「パラノイア」にしか映りませんが、それはロシアの指導者がそう考えない論拠にはなりません。万が一、クレムリンがそう判断したならば、「NATOとの戦争は今やった方が、後に敵国の軍事態勢が整った際の戦争よりマシ」という恐ろしいロジックが、プーチンたちの思考を支配するかもしれません。つまり、ロシアは不利になる前に先にNATOの軍事拠点を叩く、あるいは、NATOのウクライナ戦争への参戦を抑止するために、戦術核を示威目的でウクライナに使用するインセンティブを高めかねないということです。

「ゲームチェンジャー」という幻
ウクライナがアメリカなどの支援国から供給された武器をロシアに使えば、戦況を好転させられることに期待できるので、核戦争のリスクを冒しても、ロシア領内を攻撃すべきであるという反論もあるでしょう。残念ながら、この主張にも、ほとんどエビデンスがありません。クインシー研究所の最新の論文は、過去に「ゲームチェンジャー」になると言われた兵器が、ことごとく期待を裏切った事実を明らかにしました。スイッチブレードドローン、 M-1エイ​​ブラムス戦車、M777榴弾砲、エクスカリバー誘導155mm砲弾、HIMARS精密ミサイル、GPS誘導爆弾など、次々と登場した「ゲーム・チェンジャー」といわれるシステムは、いずれも期待に応えられなかった、ということです。

そもそも単一の武器や兵器が戦争の行方を変えることは、核兵器以外にはありえないでしょう。なぜ、通常兵器では戦況を大きく変えられないのでしょうか。確かに、「HIMARSの長距離ミサイルは、弾薬庫のようなロシアの高価値な標的に致命的な効果をもたらしましたが、ロシア軍はそのような弾薬庫や他の可能性の高い標的を分散させ、カモフラージュすることで適応した」からです。要するに、ウクライナ軍が特定の兵器でロシア領内を攻撃しても、ロシア軍は対抗策を講じるので決定的な打撃につながりにくいのです。

こうした攻撃と防御の永続する関係は、戦略や軍事の専門家が何度も明らかにしてきました。スティーブン・ビドル氏(コロンビア大学)は、「攻撃側が成功するのは難しく、何世代でも変わらな(い)…これはドローン…の結果ではないし、変革でもない。テクノロジーと人間の適応の間の長年の傾向と関係が、わずかに延長しただけだ」と、ウクライナ軍の苦戦を正確に予測していました。戦略家のコリン・グレイ氏は著書『兵器は戦争を形成しない』において、戦争や戦略を武器に還元することを戒めて、「個々の兵器や兵器システム…は、歴史の流れを方向づけるものではありません…兵器が戦争の勝敗を決めるわけではありません」(176頁)と主張していました。要するに、あたかも専門性があるかのような「ゲームチェンジャー」なるバズワードは、われわれを間違った判断に導くということです。

危機管理の鉄則
核時代のおける危機を管理する際の原則は、核戦争について、それが起こる確率ではなく、それがもたらす損害で対応を決めることです。言い換えれば、これまで起こらなかった核戦争という「黒い白鳥」が突如として出現する可能性はどれだけ低くても、そうなる事態を何があろうとも避ける政策を最優先するということです。こうした確率と危険の避けがたいジレンマについて、ナシーム・ニコラス・タレブ氏は、ベストセラー『ブラック・スワン』で、こう説明しています。

「現代のリスクには…安全保障などがある…将来を左右する大きなことで予測に頼るのは避ける…信じることの優先順位は、確からしさの順ではなく、それで降りかかるかもしれない損害の順につけるのだ…深刻な万が一のことには、全部備えておくのだ」(66-67頁)。

それでは万が一、ウクライナ戦争が不幸にして米ロの核戦争にエスカレートしたら、世界はどうなるのでしょうか。ラトガース大学の研究によれば、そうなると約50億人が死亡することになります。だから、この研究に携わったアラン・ロボック氏は「データがわれわれに伝えようとしているのは、核戦争を絶対に起こさせてはならないという一点だ」と力説するのです。

われわれは今こそケネディ大統領が遺した教訓を思い出す時です。彼は「キューバ危機の究極的な教訓は…相手国の立場になってみることの重要さである…(ケネディ)大統領は…ソ連の安全保障をおびやかす…立場、屈辱をうける立場にソ連を追い込んだら、われわれは本当に戦争に突入するだろうとの事実を強調しつづけた」(ロバート・ケネディ『13日間』107, 109頁)のです。バイデン大統領は、後世の歴史家にロシアの核使用を防げなかった「愚か者」と描かれないために、この危険な核の「チキンレース」から降りて、ウクライナ戦争の停戦に向けた交渉を開始すべきです。核戦争を防ぐための譲歩は「宥和」ではありません。そして、日本の岸田政権も、同盟国としてアメリカが外交により事態を打開することを積極的に支援しなければなりません。戦略の要諦は、国家に与えれらた選択肢の優先順位を間違えないことです。

誠に残念ですが、ウクライナがアメリカの兵器でロシア領内を限定的に攻撃しても、戦況を大きく好転させることを見込めないどころか、むしろ、核戦争の危険を高めてしまいます。したがって、アメリカの政策転換は二重に意味がありません。今、私たちに求められることは、ウクライナ戦争の和平が不正義で不満足であろうとも、核戦争のリスクより優先する苦渋の選択ではないでしょうか。

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ウクライナ戦争をめぐるコープランド教授との対話

2024年05月22日 | 研究活動
ロシアのウクライナ侵攻の原因や帰結をめぐっては、さまざまな分析や見解がさまざまな媒体に発表されています。戦争と平和を実証的に研究する論文を掲載する専門誌にも、ウクライナ戦争の原因を究明する手堅い論考が発表されるようになってきました。たとえば、若手の政治学者であるブラッドレー・スミス氏(バンダービルト大学)は、『紛争管理と平和研究』誌において、「コミットメント問題」(国家が約束を遵守するかどうかの問題)の観点から、この戦争の原因を以下のように説明しています。

「交渉は、衰退する国家が、将来的に弱い立場から取引するよりも、強い立場から戦う方が望ましいと考え、即座に軍事行動を選択することで決裂し得る。重要なのは、この論理を侵攻前夜のプーチンの計算と結びつけることだ。 プーチンは、ウクライナがいつかNATO(北大西洋条約機構)の一員になることを予期して、将来の交渉力が低下すると考えていたのだろう。 プーチンは、NATOが自分の意志をウクライナに武力行使で押しつけられなくなってしまう未来を恐れ、現在の軍事作戦を最も有利な選択だと考えたのかもしれない」。

要するに、ウクライナ戦争はプーチンとNATOの主要な指導者がバーゲニング、すなわち、ウクライナのNATO加盟をめぐり、さまざまな交渉や駆け引きを行ったにもかかわらず、それが解決策に結びつくことなく決裂した結果であるということです。こうした分析は一定の説得力を持っていますが、ウクライナ戦争の原因をめぐる議論が依然として収斂しない1つの決定的な論点は、それがプーチン大統領という個人の属性に帰することができるのか、それともロシアを取り巻く国際環境の変化がプーチンを戦争へと促したのか、ということです。前者は、プーチンが「帝国主義者」であり、旧ソ連帝国の再来を目指す「失地回復主義者」であると見なします。だから、NATO拡大といった外的要因は、戦争の原因ではないと退けられます。他方、大半のリアリストは、ウクライナ戦争を典型的な「予防戦争」であると判断しています。すなわち、NATO拡大によりウクライナが西側の「防波堤」に組み入れられることは、ロシアの生存を脅かしてしまった結果、プーチンは、そうなることを「予防」するためにウクライナ侵攻に踏み切ったということです。

ウクライナ戦争の原因をめぐるリアリストの意見対立
興味深いことに、予防戦争としてのウクライナ侵攻論は、全てのリアリストに受け入れられているわけではありません。デール・コープランド氏(バージニア大学)は、代表的なリアリストであるジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)やスティーブン・ウォルト氏(ハーバード大学)の指導を受けたリアリストであるにもかかわらず、自分の師匠たちの「予防戦争論」を受け入れていません。彼は、主著『大戦争の起源』において、戦争の原因はパワー・シフトにより衰退国がライバル国に対して決定的に不利な立場に追い込まれることを恐れて、それを防ごうとする国家の行動にあると主張していました。この研究書は世界的に注目されて、中国語訳も出版されたほどです。私も拙著『パワー・シフトと戦争』を執筆した際には、同書を先行研究として重視しました。しかしながら、コープランド氏は、この自分自身の理論を使って、ウクライナ戦争を説明することに反対しています。彼は、何がウクライナ戦争を引き起こしたのかについて、NATO拡大によるパワー・シフトではなく、プーチンの「保身」や「野心」に、その原因を求めているのです。

私は、コープランド氏の主張に納得できなかったので、X(旧ツイッター)上で、意見交換を何度も行いました。こうした日米間の研究者による知的交流が、この記事を読む皆さまの参考になることを願って、ここで、その1部を紹介します。なお、コープランド氏には、私とのやり取りを公開することに同意していただきました。

ウクライナ支援か外交的妥協か
コープランド氏(一部省略)「(政治を専門に扱う)『ポリティコ』誌でさえ、T氏(トランプ氏のこと)がホワイトハウス(での大統領の地位)を獲得できれば、エルブリッジ・コルビーが国家安全保障担当補佐官になる可能性が高いと示唆しているのだから、BC(コルビー氏のこと。彼はBridgeの愛称で呼ばれているので、その最初の文字Bをとっています)の中途半端なシニカルな世界の見方は暴露されなければならないと私は強く信じている…あなたのシニシズムと、T政権であなたに地位を与えてくれるかもしれない共和党の人々を喜ばせたいという願望は、その後、ウクライナ軍がここ1カ月で実際に劣勢に立たされているという事実を祝うほど強いものなのでしょうか(私には疑問だ)」。

*ご参考までに、私はコルビー氏と何度もメッセージをやり取りしてきました。

野口「こんにちは、デールさん。実現可能な目的もなく、重要な国益もなく、現実的な手段も出口戦略もない遠い地域での戦争に60億ドルもの大金を(アメリカが)投じることに、良識ある人なら誰もが重大な疑問を呈するのは道理ではないでしょうか。それよりも、ウクライナの犠牲者を最小限に抑えるために、あなたは、なぜ停戦を提案しないのですか。それとも、アメリカからの財政的・軍事的支援が増えれば、ウクライナがロシアを1991年ラインまで追い詰めることができると本気で信じているのですか。それが事実上不可能であるなら、満足のいかない妥協をするしかないでしょう。

あなた以外のほとんどのリアリストは、ウクライナでの戦争を終わらせるための外交を提唱しています。先日あなたへの返信で引用した若手のリアリストたちや、ヴァン・エヴェラやポーゼンといった長老のリアリストたちも、停戦交渉の開始を求めています。ウクライナのロシアに対する抵抗力がこれ以上弱まれば、停戦条件はますます悪化するでしょう。これはウクライナにとって悪夢です。消耗戦の結果を左右する最大の要因のひとつが、死傷者に代わる新たな兵士を供給するマンパワーであることはご存じの通りです。ウクライナはロシアに比べてこの能力が低い。

もし、結果倫理が、実現可能性の低いロシアの敗北より、ウクライナの犠牲者を最小限に抑えることを優先する選択を支持するならば、戦争継続を支持するのではなく、外交こそが今なすべき道徳的要請でしょう」。

スティーブン・ヴァン・エヴェラ氏やバリー・ポーゼン氏はマサチューセッツ工科大学の政治学教授であり、著名なリアリストです。ウクライナ戦争に関する彼らの主張はMITのウェブサイトに掲載されています。ここで私が引いた若手のリアリストは、エマ・アシュフォード氏(スチムソン・センター)やジョシュア・イツハク・シフリンソン氏(メリーランド大学)らのことであり、『フォーリン・ポリシー』誌において、ウクライナ戦争を「永遠戦争」にしないための停戦交渉を始めるよう、強く訴えています。

停戦は成立するのか
コープランド氏「和彦さん、コメントありがとうございます。 まず、ウクライナに関する私の投稿をすべて読むと、私は常にウクライナの強い反発姿勢(つまり、ロシアのさらなる進出を阻止すること)と外交的解決の必要性を結びつけています。 私が言及し続けているのは、ダン・ライターの著書『How Wars End(戦争はいかにして終わるか)』であり、そこで彼は、戦争は双方が膠着状態に陥り、戦争を続けることで『それ以上』の利得を望める可能性がなくなると見るまで終わらないという貴重な経験的指摘をしているのです。

つまり現在、ロシアは、特にハリコフに向けて、さらなる利益を得ることを許されている。まさにBC(コルビー氏のこと)のような人々が、ウクライナにさらなる援助を与えるべきではないと共和党の極右に主張してきたからです。 HIMARやATACMSなどのハイテク兵器を使えば、アメリカはウクライナの後方攻撃を支援し、ロシアの兵站構造を劇的に混乱させることができます。これこそが遅れていることであり、これこそがロシアにウクライナの領土をさらに獲得する希望を与えているのです。したがって、『戦線を維持する』ことが短期的な急務であり、アメリカの援助とEUの援助だけがこれを可能にするのです。

また、私は1991年の国境線が交渉による和平の出発点だと言ったことは一度もありません。私が言ったのは、もしウクライナ人がこれ以上のロシアの前進を阻止し、ロシア人が戦争を続けることが自分たちの利益にならないと考えるほど押し返すことができれば、停戦やプーチンのためのある種の『面目を保つ逃げ道』が用意されるかもしれないということです (例えば、クリミア半島とドンバスの一部を名目上『独立』させ、ロシアと『提携』させるが、正式にはロシアの一部にはしないという『主権提携』の取り決めが、そのような『面目を保つ逃げ道』になるかもしれない、と私は言ったのです)。

だから、私の投稿をよく読んでほしい。 戦時下での交渉は最もやっかいなものです。感情が高ぶり、何十万人もの軍隊を失ったり傷つけられたりした後では、誰も自分たちの望むものがすべて手に入らなかったとは認めたくないからです (1914年から18年にかけての第一次世界大戦を思い浮かべてほしい。塹壕戦が続いていた1915年半ばまで、なぜ終結しなかったのでしょうか?)。 これで少しはわかってもらえましたか」。

ダン・ライター氏(エモリー大学)は、著名な政治学者です。彼の戦争終結に関する著書については、私のブログ記事を参考にしてください。

野口「デールさん、思慮深い返事をありがとうございます。特に停戦が成立しうる条件に関して、あなたはいくつかの有効な指摘をしていますが、私はあなたの主張の大部分には同意できません。

第1に、モスクワが戦場で前進できると信じている限り、ロシアの停戦へのインセンティブが低いのは事実かもしれません。しかし、その論理はウクライナにも当てはまります。なぜゼレンスキー政権は停戦合意案であるイスタンブール・コミュニケを進めなかったのでしょうか。アメリカをはじめとするNATO加盟国からの大量の軍事物資は、ロシアを敗戦寸前まで追い詰めることができるという、キーウにいるゼレンスキーの期待を高めたのかもしれません。しかし、双方は現在、ほとんど前進できない消耗戦を戦っています。この戦争は1年以上も行き詰まっているのですから、ロシアとウクライナの間に停戦を実現する可能性があるはずだということを忘れないでください。さらに、あなたが言及したダン・ライター氏は、2022年9月に『ニューヨーカー』誌で『ウクライナは防衛可能だ、彼らはそれを証明している』とまで述べています。

第2に、『HIMARやATACMSなどのハイテク兵器を使えば、アメリカはウクライナの後方攻撃を支援し、ロシアの兵站構造、ひいては前線部隊への補給能力を劇的に混乱させることができる』というあなたの核心的主張は、あまりにも危険で説得力も乏しいです。急逝したブラウメラーが警告したように、どんな戦争も些細な事件や未知の小さな要因によって、急激かつ不意にエスカレートする可能性があります。その結果、誰も予測できなかったような大惨事が起こるかもしれません。サラエボでのたった一発の銃声が、1500万人以上の死傷者を出す大戦争に発展するとは、当時誰が予想できましたか。さらに悪いことに、ウクライナ、アメリカ、西ヨーロッパ諸国は、世界最大の核保有国と戦っているのです。ケネディ大統領が言ったように、核時代の鉄則は、正義の前に平和を守ることなのです。

第3に、既存の実証的研究は、少数の特定の兵器が戦争の結果に大きな影響を与えないことを示しています。私たちは、M1エイブラムス戦車のようなアメリカの兵器が『ゲームチェンジャー』であり、ウクライナに戦術的優位をもたらすと言われ続けてきましたが、果たしてそうだったのでしょうか。戦争における戦術レベルでの勝敗は、特定の兵器そのものではなく、部隊の運用方法に大きく左右されるのです。残念ながら、AFU(ウクライナ軍)は、ビドルの言う『近代的なシステム』を運用することができません。上記の分析が正しければ、HIMARやATACMSのようなアメリカの兵器は、ウクライナでの戦争の最終結果を変えることはなく、ロシアの停戦への動機付けにほとんど影響を与えないでしょう。

繰り返しになりますが、あなたからの反論を大いに歓迎いたします」。

ビア・ブラウメラー氏は、戦争研究の第一人者であり、亡くなられる前に、ウクライナ戦争のエスカレーション・リスクを警告していました。スティーブン・ビドル氏(コロンビア大学)は、軍隊の効率性について傑出した研究成果をだした、この分野の第一人者です。彼の言う「近代システム」については、私のブログ記事をお読みください。

エスカレーションのリスクをどう考えるのか
コープランド氏「和彦さん、ご丁寧なコメントとお返事をありがとうございます。どちらも注意深く読ませていただきました。全体的に、同意できる部分が多いです。 そして、あなたの重要なポイントである、少なくとも戦場においては、核兵器を持ち込むようなエスカレーションのリスクが高まっているということは確かです。

私の重要なポイントはこれです。すなわち、プーチンは、単に『国家安全保障』のためにこうしているのではないことを、疑いの余地なく示しました(大国の指導者は自国の安全保障を合理的に向上させるために行動するというのがリアリズムの基本的な前提なので、そう信じたいのは山々ですが)。このような長期的な戦争は、ロシアの安全保障を向上させるものではありません。今年、ロシアのGDPが短期的には3%上昇するという『ケインズ主義的』な効果があったにせよ、全体としては、この戦争によってロシアは今年末までに、戦争が起こらなかった場合より、R自身の統計によれば、GDPが14%減少することになります (これは私の以前の投稿から引いています。基本的には、Rで計算した戦前の成長率は5%であり、2022年[戦後]の成長率は-5%であったことを指摘しました。したがって、戦争と制裁による純損失は-14%ということになります)。

さらに、ここで1980年代のソ連問題が非常に高い軍事費によって引き起こされたことを思い出す必要がありますが、『大砲』のためにバターや投資を犠牲にすることで、ロシアは長期的な経済基盤を弱めています。要するに、プーチンがこの戦争を続けることは(リアリズム的な国家安全保障の観点からは)合理的ではないのです。ウクライナの主要都市を『占領』しながら破壊すればなおさらです。

私は、彼がこの戦争を続けているのは、自分自身の国内での生き残りのためであり、彼が考える『歴史における自国の地位』(1914年以前のロシア帝国の一部を回復する手助けをしたこと)のためだと考えています。この時点で、彼がまだ『NATOの拡大を恐れている』という考えは、もっともらしさを失います。彼の行動によってスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟し、自国の包囲網が拡大したのだからです。

なぜこれが重要なのでしょうか。 それは、(a)例えばラトビアやリトアニアを狙うことのコストとリスクを彼に示すことで、(必ずしも2022年以前の現状にさえ押し戻されないにしても)彼が実際に『止めなければ』ならないこと、(b)Rで算出された長期的な衰退を悪化させている混乱から抜け出すための面子をかけた交渉を始めなければならないことを意味するからです。

さて、エスカレーションのリスクについてです。 たしかにリスクはあります。しかし、それはかなり誇張されていると思います。まず、ウクライナは2年前からロシアの艦船や兵站施設を攻撃ししたが、モスクワはエスカレートしていません。だから、HIMARSやATACMがウクライナ国内や黒海にあるロシアの補給施設に命中しても、モスクワが『エスカレート』することはありません。では、ウクライナがアメリカの兵器を使ってロシア領内の補給基地や軍事組織を攻撃したらどうなるでしょうか。 そう、その方がより『リスキー』です。しかし、プーチンは合理的な国内的理由から、アメリカとの戦争を望んでいません。自軍を攻撃する兵器がウクライナからもたらされ、ウクライナ人によって発射されるのであれば、プーチンはワシントンとチキンゲームになる道を歩むつもりはないでしょう。

今、アメリカはウクライナの本土に米軍を駐留させるべきでありません。『発砲』するかどうかは、常に、常に、常に、ウクライナ人次第にしなければなりません。プーチンがエスカレートする唯一の方法は、本当に戦争に負けたと思った場合だけです。しかし、クリミアとドンバスの一部に名目だけの『主権』を与えることで面目を保ち、2022年の現状に押し戻せば、プーチンは戦術核兵器にさえ頼らなくなるでしょう。長くなりすぎましたが、この投稿が首尾一貫したものであることを願っています」。

ウクライナ戦争の原因をどこに求めるのか
野口「こんにちは、デールさん。ウクライナ戦争の原因と結果に関するあなたの広範かつ詳細な分析は、私自身の考えに見直しを迫りました。あなたの議論を注意深く読み、納得できる点をいくつか見つけました。例えば、国家の行動は、国際システムレベルの要因だけでなく、国内レベルや個人レベルの要因によっても形成されるということを再認識させられました。一方、サム・ハンティントンがかつて主張したように、社会科学者の主な仕事は、重要な出来事を引き起こしたであろう単一または複数の強力な要因を見つけ出し、それをできるだけ単純に説明することです。構造的リアリズムは、この目的のための優れた分析ツールです。この観点で説得力を持って戦争の原因を説明すべきならば、他のレベルの複数の原因を取捨選択することは、方法論的に問題ないでしょう。

第1に、NATOの拡大がロシアのウクライナ侵略の主因であるという十分な証拠があります。プーチン大統領はバイデン大統領と会談した際、ウクライナがNATOに加盟しないとの確約を求めましたが拒否されました。プーチンは再びストルテンベルグNATO事務総長に、ウクライナがNATOに加盟しないという確約書を求めましたが、同様に拒否されました。バーンズはワシントンへの機密文書で、ロシアにとってウクライナのNATO加盟はモスクワのレッドラインだと警告しました。にもかかわらず、アメリカはウクライナを自国の同盟構造に事実上組み入れる『戦略的パートナーシップ』を進めたのです。そしてロシアはしばらくしてウクライナに侵攻しました。

第2に、NATOの拡大はロシアと西側のパワー配分を劇的に変化させました。冷戦終結後、NATO加盟国の数はほぼ倍増したのです。その結果、ロシアは相対的に深く衰退しました。これは、あなたが前作で大戦争の原因を特定した際に強調した、典型的な「予防戦争」の原因です。そもそもプーチンは、冷戦後のヨーロッパにおける現状維持を選好していました。にもかかわらず、なぜプーチンは戦争の動機を高めたのでしょうか。外部からの刺激なしに、プーチンが帝国主義に転じたと説明するのは不可能に近いでしょう。むしろロシアは、ウクライナのNATO加盟を自国の存亡にかかわる脅威だと認識したのです。プーチンはそれを防ぐために戦争を始めたのであり、侵攻直後の声明でもそう述べています。これが彼のプロパガンダだという証拠はあるのでしょうか。要するに、(戦争になるのであれば)『早いに越したことはない』という論理が、プーチンをはじめとするクレムリンの主要な指導者たちを突き動かしたのです。

第3に、北欧諸国が開戦後にNATO加盟を申請したことは、戦争の原因とは何の関係もありません。これは、シカゴ大学であなたの指導教官だったスティーブ・ウォルトが構築した『脅威の均衡理論』で説明できます。繰り返しますが、ロシアにとってのレッドラインは、ウクライナのNATO加盟への動きだったのです。

上記の私の主張があなたを完全に納得させることにはならないでしょうが、ロシアのウクライナ侵攻が『予防戦争』であったことを否定するならば、戦争の原因に関するあなた自身の理論の妥当性にも疑念が投げかけられることになります」。

*「脅威の均衡理論」とは、攻撃的意図を持つ強力な国家に地理的に近かければ、それらの国家は、軍備増強や同盟形成といった対抗策を講じるようになるという有力な国際関係理論のことです。サミュエル・ハンチントン氏は、ハーバード大学の著名な比較政治学者でした。

批判的思考の欠如と論壇の貧困
長い記事になってしまいましたが、これらはコープランド氏と交わした意見のほんの1部です。こうしたやり取りを読んだ皆さまは、どのような感想をお持ちになったでしょうか。私が彼との意見交換をあえて投稿したのは、民主主義における「開かれた議論」と「建設的な相互批判」の大切さを訴えたかったからです。「言論の自由」は、民主主義を支える根幹です。にもかかわらず、われわれはウクライナ戦争に関する言論空間で、道徳的な自己検閲をかけたり、声の大きな人たちに忖度したりしていないでしょうか。そうであれば、我が国の現在の論壇は、誠に不健全であると言わざるを得ません。

私は、ウクライナ戦争の継続を擁護する学者や識者の主張、すなわち、「ロシアがウクライナに勝ってしまうと、独裁者たちがあちこちで侵略を企てる、恐ろしいジャングルのような世界になる」とか、「リベラル国際秩序を守るために、何としてもロシアを敗北させなければならない」とか、「ウクライナへの支援は、民主主義を守ることである」とか、「ロシアのウクライナ侵攻の原因をNATO拡大に求めるのは、プーチンを擁護する親露派の言い分だ」とか、「ロシアを敗北させないと、中国が大胆になって台湾に侵攻する可能性が高まる」といった言説には、真正面から反論してきました。なぜならば、私は、それらが論理も根拠も弱いと判断したからです。くわえて、たとえ、それらの反論が結果的にロシアを利する内容を含んでいるとしても、事実ならば、それに口をつぐんではいけないのです。事実こそが、学術論議や政策論議の基盤を提供することは、誰でも認めるでしょう。なお、偽情報を無分別に警戒してしまうと、人々はデジタル空間での言論統制に肯定的になることも分かってきました。「ロシアからの発信は全て偽情報でありプロパガンダである」というステレオタイプは、言論の自由を侵食してしまうのです。重要なことは、ロシアに関する数多くの情報から、シグナル(信号=事実)を拾い上げて、ノイズ(雑音=偽情報)を排除することです。

誠に残念なことに、我が国の「国際政治学者」たちとは、コープランド氏と交わしてきたような意見交換はできませんでした。大半の日本人の「国際政治学者」や「軍事専門家」とは、相互の議論が成立しないのです。この根本原因の1つは、おそらく社会科学の基礎的な方法、とりわけ「価値中立」に立脚して事実や真実を出来る限り客観的に追究するという職業上の行動規範が、我が国の「国際政治界隈」に定着していないからでしょう。

学問の世界では、学者仲間の友情を深めることより、真実の探求が優先されなければなりません。同時に、上記の学問的な作法を共有している学者同士ならば、どれだけ激しく相互に批判したとしても、それが論理と根拠にもとづくものであれば知的交流を保てるのです。私は、コープランド氏以外の海外の学者(例えば、「核使用のタブー論」で有名なニナ・タネンワルド氏など)と何度も率直な意見交換をしています。それにより相手との関係が崩れたことは、ほとんどありません。われわれは素直に、アメリカを中心として活躍する優れた政治学者の学問的営為をもっと見習うべきだと強く思います。

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