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野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

「システム憎んで、人を憎まず」―アマチュアスポーツ再考―

2025年08月19日 | 教育活動
私の大好きなマンガに『スラム ダンク』があります。バスケを題材にした作品です。後半に、こんなストーリーがあります。

バスケ全国大会での試合こと。インターハイ常連のT高校の南選手が、S高校のエース・流川選手に攻撃で肘打ちをして片目を「潰して」しまいます。南選手は、どうしても勝ちたかった。なぜなら、彼が慕っていた北野元監督の戦法「ラン&ガン」で勝てば、北野元監督が正しかったことが実証され、再び、T高校の監督に復帰できると期待していたからです。

その北野氏は、なぜ、監督を解任されたのか。T高校の理事長の説明は、こうです。「全国ベスト8くらいじゃ新聞もTVも扱ってくれへん。投資している意味がないやろ。私は経営者なんでね」。



このストーリーを読んだ読者は、何を思われたでしょうか。多くの人が、きっと悪者探しをしたのではないでしょうか。「理事長は教育者として失格だ!」、「いや、反則行為をした南選手が悪い」などなど。これらの倫理的判断は決して間違ってはいないでしょう。ひるがえって、では、悪者を批判すれば、こうしたスポーツに関する問題は、解決するのでしょうか。

人を動かす最も重要な1つの要因は、「インセンティブ」です。この理事長は、学校経営の最高責任者として、教育マーケットにおいて、バスケを利用して知名度を高めようとしました。当然のことでしょう。南選手は、試合に勝利しようとします。当然のことでしょう。そして、ダーディな肘打ちを使う誘惑に負けてしまったのです。どちらの行動にも、インセンティブがからんでいます。こうしたインセンティブを極力低めるか、もしくは、ディスインセンティブにしなければ、合理性の観点からすれば、こうした問題行為は繰り返されるでしょう。

要するに、スポーツにおけるさまざまな問題に対する、合理主義を重んじる政治学者からの1つの処方箋は、好ましくない行動を誘発しそうなインセンティブを下げるか、なくしてしまう「仕組み」、すなわち「システム」を作るということです。では、どうすればよいのか。よいお手本があります。それはアメリカのカレッジ・スポーツのシステムです。以下は、スタンフォード大学アメフト部アシスタントの河田剛氏の好著『不合理だらけの日本スポーツ界』からの引用です。どの指摘も傾聴に値すると思います。



・コンプライアンス
「学校側としては、勝ちたいがために現場の暴走で大きな問題が発生したり(することは)絶対に避けたい…また、教育機関として、学生アスリートがその道を逸脱するようなことがあってはならない。…それを監視・マネジメントするような部門(コンプライアント・オフィス)が存在するのは、必然なのである」(62-63ページ)。そして、アメリカには、全米大学体育協会(NCAA)があり、各大学の体育会を統括して、未然にスポーツ事故や障害につながる反則行為を防ぐためのシステムを構築しています。その歴史は、100年以上です。かのセオドア・ルーズベルト大統領が、この組織の創設のイニシアチブをとりました。ちなみに、ペンシルバニア州立大学は、コーチの不祥事で、NCAAから、約66億円の罰金を科せられたことがあったそうです。

また、スポーツ競技では勝利が最大の目的ですから、各選手は、高校や大学で練習を優先して勉強を疎かにしがちです。これも選手のインセンティブを考慮すれば、当然のことでしょう。勝利を義務づけられた監督も、そのような指導をするインセンティブを持ったとしても、仕方ないでしょう。学校も、体育会の勝利をマーケティングで利用するインセンティブを持つことでしょう。ですが、その結果、多くのスポーツエリートは、セカンドキャリで、その「つけ」を払うことになります。そうならないようにするには、スポーツ選手が勉強するインセンティブを高め、学校経営者そして監督には、勉強を二の次にして練習させる選手指導をやめさせたり、黙認することを許さないシステムを作らなければなりません。再び、河田氏の著書から引用します。

・セカンドキャリア
「日本を代表するプロスポーツにおいて、引退者が『華麗なる転身』をはたしたストーリーをどれほど聞いたことがあるだろうか」(17ページ)。「日本ではきわめてまれなことであるが、アメリカには腐るほどある」(138ページ)。なぜか?「(多くのアメリカの大学では)ある一定の成績を取らなければ、自分のライフワークとも言えるスポーツの練習や試合に参加することは許されない。つまり、勉強せざるを得ないシステムが存在する」(9ページ)。

今こそ、「ガラパゴス化」した日本の学生スポーツのシステムを全面的に刷新するときではないでしょうか。我が国にも、セオドア・ルーズベルト大統領のような人士がいることを信じたいです。

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博士と教授の実態

2025年08月08日 | 日記
ある調査によると、小学生男子がなりたい職業の第1位は、「学者・博士」のようです。確かに、メディアには、〇〇大学教授といった「学者」を肩書にする人物がしばしば登場して、さまざまな問題にコメントをよせたり、意見を発したりしています。優れた研究成果を残した学者は、社会から高い尊敬を集めます。こうしたことから、小学生が「学者・博士」に憧れても、不思議ではありません。

私は小学生の「夢」を壊したいと思いませんが、「学者・博士」の実態が、どれだけ世間で理解されているのか、とても気になっています。おそらく、ほとんど理解されてないのでしょう。

第1に、博士号を取得しても、大学で学問を生業にできる研究者は、ごく一部です。ある教育社会学者によれば、大学教員のポストは、今や博士24人に1人です。とても狭き門をくぐらないと、大学教授にはなれません。いわゆる文系では、アカポスをめぐる競争率は、理系より高くなります。その結果、一生涯「フリーター」の博士もは珍しくないのです。これには多くの人達は驚くでしょうが、偽らざる実態です。

第2に、大学教員の最高位である教授は、世の中の多くの人がイメージするほど、給与が高くありません。大学教授(60歳)の平均年収は、大手企業の課長クラスと指摘されています。しかも、大学教員の就職は、一般企業や公務員より、はるかに遅い。博士号を取得するまでに時間がかかり、さらに、専任教員や研究員のポストを得るための「就活期間」も決して短くありません。30歳代半ばから40歳前後といったところでしょう。20歳代で正職がみつかる学者は、そうとうな幸運に恵まれいます。したがって、生涯賃金は、大手企業のビジネスパーソンに比べると、さらに下がります。さらに、多くの「学者」は、大学院時代に受けていた奨学金を返済しなければなりません。

運良く大学教員のポストを得たとしても、その仕事の実際はどうでしょうか。興味のある人は、櫻田大造『大学教員採用・人事のカラクリ』中公新書、2011年を読んで下さい。

キャリア教育は、今では子どもの時からから行われています。果たして、「職業としての学問」は、どのくらい小学生に教えられているのでしょうか。わたしは学者を目指して大学院に進学する際、ゼミナールの先生から「一生、定職につけず、フリーターで終わる覚悟がなければやめるべきだ」とアドバイスされました。これはとてもよい助言でした。

わたしは、かなり悲壮な覚悟で研究者を目指したのです。そして大学での正規の仕事すなわち正教授職に就けたのは幸運以外のなにものでもありません。社会学の巨人であるマック・ウェーバーでさえ「この世の中で大学の教師ほど、偶然によって決まる仕事をわたしはほかに知らないほどです。実際のところわたしがかつてごく若い頃に、一つの学科の正教授に就任できたのも、まったくの偶然によるものでした…わたしが選ばれたのは僥倖のおかげだったので、これをとくに強調したいのです」と言っているくらいです(マックス・ウェーバー『職業としての政治/職業としての学問』中山元訳、日経BP、2009年、168-169頁)。

現在、学者を目指して大学院やポスドクで頑張っている若い人たちは、こうしたアドバイスを受けているのか、気になるところです。「こんなはずではなかった」と後悔していなければよいのですが…。





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鎌倉女学院での講演ー国際関係論入門ー

2025年01月03日 | 教育活動
新年明けましておめでとうございます。このブログをお読みいただき、ありがとうございます。皆さまにとって、本年が実りある時間になることを心より祈念いたします。

昨年12月には、鎌倉女学院の高校一年生を対象に国際学講座「世界はどのように動いているのか」を行いました。われわれは、海外で起こる出来事を理解しようとする際、詳しく知ろうとすると、どんどん細部にこだわるようになる結果、大きな枠組みを見失いがちです。しかし、国際政治・国際関係には一定のパターンがあり、国家は多かれ少なかれ特定の制約を受けて、その範囲内でしばしば行動します。例えば、どのような政治体制の国であれ、どの国が台頭しているのか、どの国が衰退しているのか、を気にします。そして、政治指導者が誰であれ、自国の生存を最大化するよう振る舞います。このことは、どれだけニュースを見ても、まず分かりません。だからこそ、国際関係論を学ぶべきなのです。

幸い、今では優れた国際関係論のテキストがあり、その多くは日本語で読めます。取り急ぎ、手軽に読めるエッセイを紹介します。スティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)による「トランプー北朝鮮時代に必読、5分で分かる国際関係」です。サクッと読める文量と内容なので、ぜひ、お目を通していただき、何が国家を動かしているのか、について広い視野で捉えるようにしてください。

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学術雑誌の編集とメディアへのコメント

2024年11月13日 | 研究活動
私が編集責任者を担当した戦略学会の機関誌『戦略研究』の第35号が刊行されました。本号は「進化政治学」と「軍事的有効性(military effectiveness)」を特集しています。おかげさまで、これらのテーマに関連する力作を何本も掲載することができました。執筆者の方には、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。



国家の戦略的行動は、主に、①国際システム、②国内政治、③個人(政治指導者など)の3つのレベルから分析されます。これまでの研究の潮流を大雑把にまとめると、1970年代後半に国際システムの構造(アナーキー、パワー分布)が国家に与える影響を理論化したネオ・リアリズムが台頭しました。その後、民主主義国同士がほとんど戦争しないという国際関係の「法則」の発見は、多くの研究者をデモクラティック・ピース理論の研究へと導きました。これは国内政治レベルの典型的な研究です。このような国際関係論の学術的展開において、個人に着目した研究は、ややもすれば埋没していたといえるでしょう。

しかしながら、この十数年では、国際関係のミクロ基盤に関する研究が盛んになってきたのです。これについてジャニス・グロス・スタイン氏(トロント大学)は、「心理学や行動経済学の概念を取り入れ、新たな手法を用いた個人レベルの研究が、国際関係論における学問の波を生み出している」と力強く宣言しました。国家の政策選好や信条体系、意思決定などを実証的に分析する研究の台頭は、「国際関係論における行動革命」とさえ言われました。進化政治学は、これに沿う研究であり、人間本性の素因などについて、進化生物学の知見からアプローチすることで、この分野をより科学的なものにしているのです。

国際関係論/戦略研究において進化政治学を積極的に取り入れている学者の代表格としては、ドミニク・ジョンソン氏(オックスフォード大学)が挙げられます。かれは近著『戦略的直観(Strategic Instincts)』において、「従来の常識では、人間の認知バイアスは、政策の失敗、災厄、戦争へと必然的につながる不幸なエラーや間違いであるとされてきた。ところが、そうではなく、バイアスは適応的なヒューリスティクス(近道)思考であり、私たちが悪い決断を下すのではなく、良い決断を下すために進化した結果なのである。適切な条件下では、こうした『戦略的直観』は国際関係において競争力を発揮し続ける」と主張しています。

軍事的有効性の研究とは、国家が自らの資源を軍事力に転換するメカニズムを明らかにすることを目指しています。このテーマは、「オックスフォード研究百科事典」に解説文が掲載されるくらい、一般的に認められています。ここでは軍事力研究の第一人者であるスティーヴン・ビドル氏(コロンビア大学)が、その内容を紹介しています。そして、主に北米の研究者たちが、この数十年で次々と画期的な成果を発表してきました。他方、日本では、このような研究はそれ自体が、今日まで皆無に近いという惨状でした。誤解を恐れず率直にいえば、我が国の安全保障/戦略研究は、軍事的有効性という重要なテーマについて沈黙し続けてきたのです。こうした学問的な停滞を打ち破る1つの取り組みが、本号に掲載された論文ということです。これをきっかけにして、このテーマに関する北米と日本の研究ギャップが、少しずつ埋められることに期待したいところです。

最後に、先日の衆議院議員選挙が日本の安全保障にどのような影響を及ぼすのかについて、群馬県のローカル紙『上毛新聞』(2024年10月28日付)に識者談話「国際情勢 課題解決を」を寄稿しました。ここでは、新しく発足した石破政権は、中国の台頭に対して、日米同盟の強化とインド太平洋における多国間安全保障ネットワークの構築に乗り出すことになる、という主旨のコメントを寄せました。

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公開講座と出前授業(更新)

2024年11月12日 | 教育活動
われわれ大学教員は、社会貢献や地域貢献の活動として、所属先以外でも、自分の専門を活かした公開講座や出前授業などを行っています。9月から10月にかけて、私は以下のイベントの講師を務めました。

9月中旬には、令和6年度ぐんま県民カレッジ連携講座「世界の動きを理解するために―国際関係における対立と協調—」を担当しました。ご参加いただいた約100名の一般の方々に、アナーキーにおける国家間のバランス・オブ・パワーのダイナミズムを解説いたしました。これは国際政治のパターンやメカニズム理解するには欠かせない、最も重要なものでしょう。政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)は、「もし、あなたが大学で国際関係論入門の講義を受けて、講師が『バランス・オブ・パワー』について一度も触れなかったとしたら、(授業料の)返金を求めて母校に連絡しよう」と言うくらいです。

同月の下旬には、「激変する世界における日本」というテーマで、群馬県立太田東高等学校の1年生の生徒さんに出前授業を行いました。インド太平洋地域において米中二極化が進む中、日本がとるべき安全保障政策や同盟国・同志国との連携などについて話しました。授業の後、数名の生徒さんが、質問や相談に来てくれました。嬉しかったですね。10月下旬には、「激動する国際情勢と日本の戦略」というテーマで、群馬県立沼田女子高等学校の生徒さんに模擬授業も行いました。米中の覇権をめぐる激しい競争下にある日本がとり得る戦略について、パワーに関する基礎的なデータにもとづき解説しました。高校生には少し難しい内容だったかもしれませんが、皆さん、熱心に聞いてくれました。



もし、この記事を読んでインド太平洋における国際関係に関心をお持ちになったならば、ぜひ以下の書籍をご一読ください。私は、同書に「構造的リアリズムと米中安全保障競争」を寄稿しています。



さらに、10月は早稲田大学エクステンションセンターにおいて、オンライン公開講座「世界の動きを理解する―国際関係の競争と協調」を毎週、金曜日13:00~14:30に実施しました。「アナーキー(無政府状態)」、「バランス・オブ・パワー(勢力均衡)」、「経済的相互依存と比較優位、国際分業」、「誤認と誤解」をキーワードに、国際関係のメカニズムに迫りました。

これらの講座や授業が、老若男女を問わず、より多くの人たちに国際関係/国際政治を理解する知的ツールを提供できるならば、それにまさる喜びはありません。

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