野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

核武装が招く「予防戦争」のリスク

2024年04月12日 | 研究活動
核兵器を開発したり、保有したり、配備したりしようとする国家は、「予防戦争」を誘発するリスクを負います。このことは国家安全保障上の重要なテーマであるにもかかわらず、我が国では、ほとんど議論されることがないようです。そうした日本の言論空間の隙間を埋めるために、私は、この記事を書くことにしました。国家は核武装する際、敵対国から、それを阻止したり遅らせたりするための「予防戦争」や「予防攻撃」を仕掛けられる恐れがあります。その一方で、現在の核兵器保有国は、そうした武力行使に妨害されることなく核武装を成功させました。はたして核拡散(核兵器を保有する国家が増えること)を封じようとする予防的な軍事介入は、どのような条件が整えば実行されるのでしょうか。

核武装、予防戦争と政治指導者の信念
これは現代世界における最も重要な問題の1つです。なぜならば、新たな核拡散と予防戦争が現実味を帯びているからです。伝えられるところによれば、イランの核兵器の開発は加速化しており、アメリカは同国の核保有を「許さない」と警告しました。そのイランは先日、イスラエルに対してドローンなどによる直接攻撃を行いました。これに対してイスラエルのネタニヤフ首相は、「我々に危害を加える者には反撃する」との声明を発表しました。もはや両国は「一触即発」の状態であり、かねてからイランの核開発を懸念していたイスラエルが、それを阻止するための「予防攻撃」へのインセンティブを高めそうな気配です。核不拡散を研究するシンクタンクの研究員であるアンドレア・ストリッカー氏は、イランが核兵器の製造に近づくと、イスラエルもしくはアメリカによる関連施設への「予防攻撃」を招きかねないと、かねてから警告していました。今回のイランによるイスラエル本土への武力行使は、この予防攻撃の実行を促す「触媒効果」として作用してしまうことが懸念されます。

それでは何が核拡散を阻止する予防攻撃を引き起こすのでしょうか。このパズル(謎)に取り組み、1つの答えをだしたのが、若手政治学者のレイチェル・エリザベス・ウィットラーク氏(ジョージア工科大学)による力作『あらゆる選択肢が検討されている—指導者、予防戦争、そして核兵器の拡散—』です。彼女によれば、政治指導者は、核兵器の拡散が国際システムを不安定化したり、抑止不能な核武装した敵国を台頭させたりすると恐れる、「核の悲観主義(nuclear pessimism)」 の信念を持つと、敵国の核武装を防ぐために軍事攻撃を行うか、少なくとも、そのようなオプションの実行を真剣に検討するということです。この仮説を検証するために彼女が取り上げた事例は、中国の核兵器開発計画に対するケネディ大統領とジョンソン大統領の対応、北朝鮮の核開発計画に直面したブッシュ(父)大統領、クリントン大統領とブッシュ(子)大統領の核拡散防止をめぐる政策決定、イスラエルの歴代首相によるイラク、シリア、パキスタンの核武装化に対する予防攻撃の意思決定過程です。



核兵器開発計画が引き起こした予防戦争の事例
核拡散について悲観的な信念を持っていたケネディ大統領は、中国が核兵器の保有に向かうことを深く憂慮して、その関連施設を破壊する軍事介入をかなり真剣に検討しました。しかしながら、その選択肢が実行されなかったのは、彼が大統領の任期の途中で暗殺されてしまい、後任のジョンソン大統領が中国の核武装をアメリカへの直接的な脅威とはみなさなかったからだと本書は論じています。イラクの核開発計画について、「核の楽観主義者(nuclear optimist)」だったブッシュ(父)大統領は、同国がクウェートに侵攻して国際秩序を脅かしたことに付随して懸念した程度であった一方で、クリントン大統領は核の悲観主義者であるがゆえに、イラクの大量破壊兵器関連施設に対する「砂漠の狐」作戦を実行したのみならず、北朝鮮の核兵器開発を阻止する外科手術的な予防攻撃も発動する寸前でした。後者が実行されなかったのは、カーター元大統領が電撃的に平壌を訪問して金日成国家主席と会談した結果、金氏が国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れる意思を示したことをきっかけとして、同国の核開発を凍結する「枠組み合意」が成立したからだということです。要するに、これで北朝鮮への核拡散を防ぐことができる目途が立ったので、軍事介入は不要になったということです。その後、ブッシュ(子)大統領は北朝鮮が密かに核兵器を開発していたことを知りましたが、2003年から始まったイラク戦争の泥沼化により、軍事オプションによる阻止を試みる余裕を持てなかったようです。

そのイラク戦争は、ブッシュ(子)大統領がサダム・フセイン政権の核保有を阻止するために行ったものでした。彼は父とは違い、核拡散の悲観主義者でした。そして9.11テロ事件は、イラクの核兵器がテロリストにわたり、それがアメリカの安全保障を脅かすことへの恐怖を増幅させました。テロリストと結びついた核兵器を持つサダムは、封じ込めることも抑止することもできないという判断が、ブッシュ政権をイラクに対する予防戦争へと駆り立てたのです。

本書では、さらにイスラエルのベギン政権とオルメルト政権が、それぞれイラクとシリアの原子炉を破壊する軍事作戦を決定して実行する過程も克明に分析されています。くわえて、ベギン政権はパキスタンの核武装を阻止する共同軍事行動をインドに打診しましたが、不首尾に終わりました。これはあまり知られていない事実でしょう。なお、イスラエルがパキスタンの核武装を恐れたのは、主要な直接の敵国だからということではなく、イスラマバードの核兵器が敵対するイスラム国家に渡るのを恐れてのことでした。その一方で、ラビン政権のイスラエルは、イラクの核関連施設を大胆に攻撃するより国防軍を強化することによる抑止を選好しました。なぜならば、ラビン首相は核拡散に対して、それほど悲観的ではなかったからだというのが、ウィットラーク氏の結論です。

予防戦争を招かなかった核武装の事例
このウィットラーク氏の理論は、敵国からの同じような核武装の脅威に直面したアメリカやイスラエルが、その政策決定に最も重要な影響力を行使できる大統領や首相の核兵器に関する信念により、対応が異なることをよく説明できます。すなわち、国家の最高指導者が「核の悲観論者」の時には、敵国の核施設を叩く「予防戦争」に走りやすい一方で、「核の楽観主義者」の時には、抑止政策を選択するということです。ただし、政治指導者の信念が国家の意思決定で果たす役割の程度については、かなり議論の余地を残しています。彼女自身も認めているように、この理論では、なぜアメリカやイスラエル以外の国家は敵の核武装を阻止する予防攻撃に傾きにくいのか、うまく説明できないのです。

大半の核拡散の事例では、予防戦争は起こっていません。ソ連やイギリス、フランスはもちろんのこと、イスラエルやインド、パキスタン、南アフリカも敵対国からの軍事攻撃により妨害されることなく核保有国になりました。こうした核拡散のパズルについて、アレキサンダー・デブス氏(イェール大学)と故ヌノ・モンテーロ氏は大著『核政治』において、すべての核拡散の事例を詳しく調べた結果、国家の核武装を成功させる必要条件が、それを阻止するための予防戦争を敵対国に躊躇させるだけのパワーを持つことであると結論づけています。確かに、彼らが言うように、ソ連やイギリス、フランスは国際システムにおける強力な主要国である一方で、核兵器の開発計画を予防攻撃で阻止されたり遅延させられたりしたイラクやシリアは、中級程度を下回る国家といえるでしょう。このことは核拡散の成否が国家間に配分されたパワーに左右されることを示しています。その一方で、国家の意思決定者に焦点を当てた理論には、核拡散の「母集団」の一部分しか説明できないという限界があるのです。

直視すべき核武装に伴う予防戦争のリスク
こうした核拡散といった核兵器をめぐる国際政治については、優れた学者たちによる研究が急速に進んでいます。この記事で取り上げたウィットラーク氏による学術書も、その1つです。これらの地道な実証研究の結果から今の段階で言えることは、ある国家が核武装を進めるにあたっては、①敵対国に軍事力といったパワーの指標で劣る場合、②敵対国の政治指導者が「核の悲観主義者」である場合、予防攻撃を受けやすくなるということでしょう。核兵器の保有に向けた計画とそれが引き起こすであろう予防戦争は、我が国にとっても他人事ではありません。

この記事の冒頭で述べたように、日本人の生活に不可欠な石油の輸出先である中東地域では、イランの核兵器開発計画がイスラエルの予防攻撃を招くリスクを高めてきました。①について、イランはアメリカとイスラエルの事実上の「同盟」に国力で劣ります。ただし、イランはイラクやシリアより国土が広く、軍事力も強力であるために、その核関連施設を武力行使により破壊することは、イラクやシリアの事例より明らかに困難であり、反撃されることに伴うコストも高くなります。このことはネタニヤフ氏やバイデン氏にイランへの予防攻撃をためらわせるよう働くでしょう。

②について、ウィットラーク氏は、「ネタニヤフが核拡散の悲観主義者であるのは明らかだ…バイデン大統領は歴史的に公の場で繰り返して、イランの核兵器を未然に防ぐ武力行使を支持してきた…彼はトランプやネタニヤフと同様、核拡散の悲観主義者である」と分析しています(『あらゆる選択肢が検討されている』、192ページ)。実際、かつてバイデン氏は、イランの核武装を阻止するための最後の手段として、武力行使を用意していると述べました。ただし、現在のアメリカはウクライナにおけるロシアとの「代理戦争」にかなりの国力を割いているだけでなく、台頭する中国を封じ込めなければならないために、イランを攻撃することには限られた戦略的資源しか投入できませんので慎重になっています。バイデン氏はイスラエルによるイランへの反撃作戦に参加せず、そうした作戦にも反対だとの考えをネタニヤフ氏に伝えたそうです。これにネタニヤフ氏も理解を示したということです。

しかしながら、これでイランの核開発をめぐる予防戦争の危険が消えたわけではありません。そしてイランとイスラエルもしくはアメリカが戦火を本格的に交えることになれば、これが日本に悪影響を及ぼすのは必至です。

隣の韓国では、ある世論調査によれば、7割の国民が独自の核武装に賛成しています。同時に、韓国の核武装に関するデメリットとしては、厳しい経済制裁を招くとか、米韓同盟にヒビが入るとか、核拡散のドミノが起こる、といったことが指摘されていますが、予防攻撃を受けるリスクの評価までには、ほとんど話が及んでいないようです。しかし、核拡散に伴う最大の危険は、韓国のケースでも予防戦争の招来なのであり、そうなった場合、地理的に近い日本の安全保障は損なわれることになるでしょう。

ウクライナ戦争におけるロシアの核威嚇は、多くの人たちに核抑止の効用を再認識させているようですが、核抑止力を持つまでのプロセスにおける予防戦争のリスクとメカニズムは見過ごされているようです。この考えたくもない恐ろしい問題に正面から取り組むみ、核拡散に対する政治指導者の悲観的な信念が予防戦争と結びついていることを明らかにした『あらゆる選択肢が検討されている』は、我が国で、もっと広く読まれるべきだと私は強く思います

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畏友・宮下明聡氏の死を悼む

2024年02月07日 | 日記
私にとって、良き研究仲間であり、優しい友人であり、教師のような存在でもあった、政治学者の宮下明聡氏(東京国際大学)が急逝された。世界の政治学界/国際関係学界は、偉大な学者を失った。これは決して誇張ではない。彼はトップクラスの学者として日本国内にかぎらず海外でも活躍していたからである。宮下氏は、コロンビア大学政治学部博士課程を修了して、Ph.D.の学位を取得しており、同じ時期に大学院生だったポール・ミッドフォード氏(明治学院大学)が、Facebookに寄せた追悼メッセージには、世界中の政治学者から彼を悼む「コメント」が続々と寄せられている。これは宮下氏が、いかに世界中で評価されていたのかを示す、何よりの証拠であろう。

私が宮下氏と最初に会ったのは、今から30年以上も前のことである。当時、私は大学院生であり、海外から日本に留学していた博士候補生や若手の研究者と勉強会を持っていた。彼は博士論文の資料を収集するために日本に一時帰国した際に、この勉強会に顔を見せたのであった。この勉強会のメンバーは、2週間から1月に1回のペースで原宿や神楽坂のカフェに集まり、注目度の高い政治学や国際関係論の研究書や論文について意見交換するというものであった。勉強会は、資料を選んだメンバーが、その要約と評価を行い、その後で意見を交換するという流れで進められた。使用する言語はもちろん英語だ。私は、ここでどれほど学問的に鍛えられたか分からない。

宮下氏に対する私の最初の印象は、物静かな大学院生というものであった。世界中から俊英が集まり切磋琢磨しているであろう、コロンビア大学大学院の博士候補生にしては、おとなしい人という印象であった。しかし、彼が思慮深く、鋭い批判的思考の持ち主であることは、すぐに分かった。宮下氏は舌鋒鋭く批判を述べるタイプではなく、静かな口調で誰もが考えさせられるような問題提起や論理矛盾を淡々と述べる、高度に知的な人物だったのだ。

その後、宮下氏はコロンビア大学に戻り、博士論文を完成させた。彼の論文テーマは、当時、世界の政治学者が盛んに議論していた「外圧反応型国家」論争に関連づけられており、日本が国益を損なう時でさえ同盟国であるアメリカの圧力を受けて、その海外援助政策を変更してきたパズルを説明することであった。そして、この研究成果は、Limits To Power: Asymmetric Dependence and Japanese Foreign Aid Policy, Lexington Books, 2003として出版された。本書には、そうそうたる学者が賛辞を寄せている。T. J. ペンペル氏(カリフォルニア大学バークレー校)、渡邊昭夫氏(東京大学)、そして、彼の指導教授であったジェラルド・カーティス氏(コロンビア大学)である。

宮下氏は、その後も「外圧反応型国家」論争に関心を持ち続けて研究を進めた。圧巻なのは、この政治学の難問について、国際チームを結成して共同研究を行い、一定の答えを導き出したことだろう。彼は、佐藤洋一郎氏(立命館アジア太平洋大学)と編んだ高著『現代日本のアジア外交―対米協調と自主外交のはざまで―』ミネルヴァ書房、2004年(英語版は、Japanese Foreign Policy in Asia and the Pacific: Domestic Interests, American Pressure, and Regional Integration, Palgrave, 2001)において、「日本はアメリカと利害の一致する場合には協力を続けることもあろうが、そうでない場合にはより独立した外交政策を展開するであろう」(270頁)という結論を下している。なお、この研究には、国内外のトップクラスの学者が参加しており、それをまとめ上げた宮下氏の手腕がひときわ光ってる。

日本に帰国して母校の東京国際大学に職を得た宮下氏は、私に研究会を持とうと声をかけてくれた。もちろん、私が喜んで賛成したのはいうまでもない。そして私たちは、数名の知り合いを集めて定期的な研究会を開催することにした。そこで最初に資料として選んだのが、Colin Elman and Miriam Fendius Elman, eds., Bridges and Boundaries: Historians, Political Scientists, and the Study of International Relations, The MIT Press, 2001だった。本書は、国際関係を研究する歴史学者と政治学者が、両者の共通点や相違点などを探究する内容である。ここでは方法論的な多様性を擁護しつつも、著名な歴史学者と政治学者が、相互に激しく批判し合っていた。我が国の「国際政治学」は、歴史的アプローチと理論的アプローチが「共生」していると肯定的に評価されることがよくあるが、私は、それが「馴れ合い」のようにも感じられて、もやもやとした感情を抱いていた。エルマン夫妻が編集した本書は、国際関係研究における歴史学と政治学の相違点を明確に示していたので、私の頭の中にあった「わだかまり」を吹き飛ばしてくれた。これに衝撃を受けた私は、宮下氏に「本書を翻訳して、日本の読者に紹介しましょう」と提案した。彼は二つ返事で同意してくれた。こうして上記書の訳出が始まったのであるが、その後で、私は自分の翻訳の提案に半分後悔することになる。



宮下氏は「職業としての学問」(マックス・ウェーバー)において、仕事の「鬼」であった。私は、第9章「冷戦史研究における資料と方法」(デボラ・ウェルチ・ラーソン氏)、第10章「コメントー歴史科学と冷戦研究―」(ウィリアム・ウォールフォース氏)、第11章「国際関係史と国際政治学」(ロバート・ジャーヴィス氏)、第12章「国際関係史」(ポール・W.シュローダー氏)を担当した。どの論考も力作であり、それらを訳出することで、私の国際関係研究における歴史学と政治学への理解は深まった。しかしながら、訳文は簡単には訳書にはならなかった。宮下氏は私が訳出した日本語に、それこそ何十回も手を入れたのである。私が訳文を見せるたびに、それに彼は真っ赤になるほど修正の筆を入れたのであった。そうしたやり取りが延々と続いた。私は半分うんざりしてしまい、「完璧は無理です。ある程度で妥協しましょう」と申し出たが、彼はこれを断固拒否した。私が彼による代替訳文を受け入れなかった際には、「なぜそうしないのですか、納得のいくように説明してください」と、静かながら厳しい口調で言ってくるのである。彼を説得できる反論を持ち合わせていなかった私は、彼の示唆にしたがわざるを得なかった。というより、彼の指導に従うべきだったのだ。私が宮下氏を教師のような存在であったというのは、こうした理由からである。

この翻訳プロジェクトは、コリン・エルマン/ミリアム・フェンディアス・エルマン編『国際関係研究へのアプローチ—歴史学と政治学の対話—』東京大学出版会、2003年として公刊された。私は、この仕事に誇りを持っている。自画自賛といわれるかもしれないが、これはよい翻訳書になったと確信している。これも宮下氏のリーダーシップの賜物である。この仕事を彼と共同で行ったことにより、私がどれだけ「職業としての学問」を学んだことだろうか。彼には感謝してもしきれない。

宮下氏とは、その後も知的交流は続いた。防衛省海上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程が「政策と戦略」を全面改訂する際、私と宮下氏そして田中康友氏(北陸大学)で、新しいプログラムを作ったことが懐かしく思い出される。「一人で研究していても息苦しくなってしまい、生産性もあがらないでしょうから、勉強会を持ちませんか」と誘われて立ち上げた「国際関係理論研究会」は、今でも続いている。そこには、我が国の国際政治学界は社会科学の方法論や理論をより重視すべきであるという問題意識を共有する研究仲間が集い、数か月に1回のペースで、国際的に注目されている研究動向や自分の研究をまとめて発表して討論したり、トップ・ジャーナルに掲載された意欲的な学術論文を取り上げて議論したりしている。それまで必ず研究会に出席してきた宮下氏が、1月下旬の会合に無断で欠席したので、仲間と「どうしたのでしょうね」と話していた矢先に、彼の愛弟子の西舘崇氏(共愛学園前橋国際大学)から、彼が急逝したとの訃報を知らされたのである。その時、私は宮下氏の死をどうしても信じられなかった。私の頭に浮かぶのは、彼の温和な笑顔しかなかったからだ。

宮下氏には、私が最近に共同研究の成果として出版した『インド太平洋をめぐる国際関係』芙蓉書房出版、2024年を献本したばかりであった。刊行する前に、本書に寄稿した拙論「構造的リアリズムと米中安全保障競争」の草稿を宮下氏に見せてコメントを依頼した際、彼らしい鋭いコメントが寄せられた。もし拙論が読むに耐えるものになっているとすれば、それは宮下氏の指導のおかげである。私は、研究論文を執筆した際には、そのほとんどすべての草稿を宮下氏に読んでもらいアドバイスを仰いできた。そのたびに、彼は貴重な時間を割いて読んで下さり、質の高いコメントや批判を戻してくれた。このような素晴らしい研究仲間を持てた私は、なんて幸運だったのだろうと、あらためて思わずにはいられない。それだけに、彼がこの世を去ってしまった喪失感はとてつもなく大きい。

私は宮下氏とは、国際関係研究における社会科学方法論と理論の大切さと有用性の意識を共有し続けた。そして、私たちは、我が国の国際政治学界に社会科学方法論に関する優れた学術書を紹介する努力を行ってきた。私は、渡邊紫乃氏(上智大学)とスティーヴン・ヴァン・エヴェラ『政治学のリサーチ・メソッド』勁草書房、2009年を翻訳した。宮下氏は泉川泰博氏(青山学院大学)とヘンリー・ブレイディ/デイヴィッド・コリアー『社会科学の方法論争(第2版)』勁草書房、2014年を翻訳した。とりわけ後者の巻末にある用語解説は、主要な社会科学のキーワードや概念を理解するには、きわめて便利で役に立つものである。これだけでも同書には高い価値がある。ここでも彼は素晴らしい仕事を成し遂げている。

国際関係研究を志す若い人は、宮下氏の遺志を継いでほしいと願わずにはいられない。この分野を目指す人たちには、少なくとも社会科学の方法論に立脚した研究を目指していただきたい。我が国の「国際政治学」は数理的・定量的研究は別にして、事例研究を用いる定性的研究では、歴史的アプローチや記述的アプローチなどが混然一体としており、はたして厳格な社会科学方法論にどれだけもとづいているだろうか。とりわけ、日本外交研究では、社会科学の方法論が置き去りにされがちではないだろうか。だからこそ、宮下氏は『現代日本のアジア外交』の結論において、「日本外交政策の研究に方法論上の厳格性を取り入れるという目的は、それなりに達成された」(273頁)と同書のオリジナリティと学術的意義を宣言したのである。もし、若手や大学院生が手本となりそうな宮下氏の方法論や理論に厳密な論文を示してほしいと言われたら、"Where Do Norms Come From? Foundations of Japan's Postwar Pacifism," International Relations of the Asia-Pacific, Vol. 7, No. 1, 2007を上げたい。これは、日本の「反軍主義」や「平和主義」は規範で説明されることが多かったところ、構造的・物質的要因に影響されていることを見事に論証した論文である。この論文の被引用回数は112件であり、とても高く評価されている。ご一読を強くお勧めしたい。

この場を借りて、宮下明聡氏のご冥福を心よりお祈りする次第である。

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世界は核武装国が好き勝手できるようになるのか

2023年11月15日 | 研究活動
ロシア・ウクライナ戦争や中東のガザ地区でのイスラエスとハマスとの「戦争」は、われわれに国際関係における利害対立や武力衝突の危険を再認識させました。こうした混沌とした世界の動きを読み解くためには、国際関係理論がとても役に立ちます。この知的ツールを利用すれば、世界で起こっていることを完全に理解できないまでも、世間の注目を集める国際的な出来事について、その都度、直観的に考えるより、はるかに正確な考察ができるでしょう。人間は「代表性ヒューリスティック」、すなわち、自分が注目した衝撃的なニュースなどを典型的で普遍的な事象の代表と勘違いしがちです。しかしながら、ある特定の出来事は、それを構成する母集団のほんの1つのサンプルに過ぎません、もしかしたら、例外的な事象(外れ値)かもしれません。こうした認知バイアスを避けるには、国家間の関係の一般的パターンを説明する理論を使うことが有効です。

核武装国と強制行動
国際関係にアプローチする際に、なぜ理論的分析が役に立つのか、1つの例を挙げて説明します。我が国では、ロシアがウクライナを侵攻するにあたり、核兵器の威嚇によりNATO(北大西洋条約機構)をけん制したことから、「ロシアを敗北させなければ、核武装国が好き勝手にできてしまう世界になる」という言説が一部でささやかれています。しかしながら、政治学の標準的な研究は、そのような主張を否定しています。トッド・セクサー氏(ヴァージニア大学)とマシュー・ファーマン氏(テキサスA&M大学)は、核武装国が行った強制外交、すなわち核恫喝により相手国の行動を意のままに動かそうとしたことを統計分析と事例研究で詳しく調べた結果、それらの試みは軒並み失敗してきたことを明らかにしています。

ここで注意していただきたいのは、強制外交とは、国家が軍事力の威嚇により、自らの政治的意思を相手国に戦争をせずに受け入れさせることです。これに失敗した場合、強制する側は、武力を引っ込めるか、それとも行使して戦争に訴えるかのどちらかを選択するよう迫られます。ロシアのプーチン大統領は、アメリカのバイデン大統領にウクライナがNATOに加盟させないことを約束するよう迫りましたが断られました。そこでクレムリンは、ウクライナ国境付近に大量のロシア軍を展開して、再度、NATOに同じ要求を書面で誓約するよう要求しました。しかしながら、NATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグ氏は、これを拒否しました。これによりプーチンらの指導者は、振り上げた拳を下すか振るうかの選択に直面して、後者、つまりウクライナ侵攻に至ったということです。要するに、ロシアは強制外交に失敗したから、戦争を決断したのです。

核恫喝を盾にした侵略
ロシアは核兵器でウクライナやその支援国を威嚇することにより、同国に供与される兵器の種類や量を制約させたり、NATO加盟国による直接の軍事介入を阻止したりしているようにみえます。これは核兵器による強制ではなく、抑止になります。抑止とは、相手国に望ましくない敵対的な行動を思いとどまらせることです。これは国家が相手国に既にとった特定の行動を自らの要求に従って変更させる強制とは異なります。

抑止は強制よりも成立しやすいというのが、政治学の常識です。なぜ、そうなるかといえば、人間は利得より損失に敏感だからです。プロスペクト理論が示唆するように、政治的指導者は損失を避けようとする際には、リスクを冒しても頑迷に抵抗する傾向があります。だから、国際関係では現状維持の方が現状変更より達成しやすいのです。

ロシアの核兵器による威嚇は、ウクライナ侵攻において、おそらく「シールド(盾)」のような役割を果たしたのでしょう。すなわち、モスクワは核兵器による懲罰の脅しを西側諸国にかけることで、その軍事介入やロシア本土への打撃を抑止する一方で、ウクライナへの通常戦力による侵略を実行しやすくしたということです。これは古くから「安定と不安定のパラドックス」(グレン・スナイダー氏)として、よく知られています。この理論は核戦争へのエスカレーションのリスクが全面戦争を防いでいる状況において、通常戦力による戦争の可能性がかえって高まってしまうという逆説的な現象を説明しています。近年の「核シールドの理論」は、これを肯定するものです。核武装国は相手国を破滅させられる核兵器の第二撃能力を持つと、究極の生き残りを確実にできるので、通常戦力を使った行動をとりやすくなるというのです。

それでは、この核シールド理論は、どの程度の一般性を持っているのでしょうか。前出のセクサー氏とファーマン氏によれば、この理論は「俗説」のようなものだということです。

「神話8:核兵器は侵略のシールド(盾)になる……これが正しければ、核武装国は既成事実化により現状を自国にとって有利に変更できる……2014年初め頃のロシアによるクリミア編入は、これがいかに上手くいくかを例証するものだ……我々は、このシールドの主張をテストしたところ、物足りないことが分かった。国家が核兵器を保有しても、(1)強制の威嚇を発したり(2)領土の現状維持に軍事力により挑戦したり(3)領土をめぐる現存する紛争を拡大したり(4)軍事力を使って領土紛争を有利に解決したり出来るようにはならない。核武装国による軍事力を使った領土の現状変更への挑戦は、大きな変更を生じさせることに7割がた失敗している……我々は1つや2つの事例を一般化する際には慎重になるべきだ……1999年のカーギル危機での冒険が領土の現状維持に変更をもたらさなかったことを思い出すのは大切だ」(同書、250ページ)。



そのカーギル危機において、核武装したパキスタンは核保有国のインドとの領土紛争を優位にしようと通常戦力に訴えましたが、結局のところ失敗しました。

核兵器による強制外交は、①政治目的を通常戦力で達成できるかどうか、②強制に賭けるものがどのくらい大きいものなのか、③強制を実行する際に支払うコストはどの程度になるのか、といった要因に左右されます。ロシアが核恫喝で西側をけん制しながらクリミア半島を編入して既成事実化したことや、1962年10月のキューバ・ミサイル危機において、ケネディ政権がソ連のフルシチョフ首相にキューバに配備した核ミサイルを強制的に撤去させたことは、②の条件を満たす稀な事例でしょう。

ダビデがゴリアテを倒す世界
現代における国際関係は、核武装した大国が中小国の抵抗にあったり振り回されたりするストーリーに満ちています。セクサー氏とファーマン氏によれば、核武装国の強制は、第二次世界大戦から2001年までの全ての事例において、40件も失敗しています。核兵器を持たない小国でも核大国に平気で歯向かうのです。プエブロ号事件において、超大国のアメリカは小国の北朝鮮に振り回されました。1968年、アメリカの情報収集艦プエブロが北朝鮮に拿捕され、乗組員のアメリカ人は人質にとられました。アメリカは原子力空母や戦略爆撃機を北朝鮮周辺に展開して、同号の返還と人質の解放を要求する「瀬戸際外交」を展開しました。しかしながら、北朝鮮は強硬な態度を貫きました。結局、アメリカは人質を解放させるだけにとどまり、北朝鮮に対して謝罪することに追い込まれただけでなく、プエブロ号を取り戻せませんでした。その他、マヤグエース号事件のカンボジア、米大使館員人質事件のイランなどもアメリカに盾付き、武力の威嚇による要求も受け入れず抵抗しました。

日本が尖閣諸島を国有化した際に、中国は核兵器で脅して、この問題を自国にとって有利にしようとしましたが、日本政府にはまったく効きませんでした。多くの事例では、核による強制は、それを成立させる条件が満たされないので、その威嚇は信頼性に欠けてしまいます。その結果、国家は核兵器で恫喝しても、相手はそう簡単には言うことを聞かないのがしばしばなのです。

要するに、政治学の常識は、核兵器による強制を否定しているのです。このことについて、ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)とセバスチャン・ロザート氏(ノートルダム大学)は、「核兵器による強制の理論は、核兵器を持つ国家が、それを使って非核国を脅して……その行動を変えさせられるという……しかし、この理論を経験的に検証したところ、学者のコンセンサスは、これには信ぴょう性がないということであった」(John J. Mearsheimer and Sebastian Rosato, How States Think: The Rationality of Foreign Policy, New Haven: Yale University Press, 2023, p. 58)と結論づけています。

強制外交だけでなく戦争においても、核武装した大国は小国に何度も敗れています。冷戦の二極システムにおいて、アメリカはベトナム戦争で北ベトナムに敗れました。これはソ連と中国というパトロン大国がクライアント国である北ベトナムを支援したからだと説明できるかもしれません。それでは、ニクソン政権は核兵器による脅しを北ベトナムにかけて屈服させようとした強制外交は、どうだったでしょうか。これはハノイ政権には全く効きませんでした。アメリカの核恫喝は北ベトナムから何の譲歩も引き出せなかったのです。冷戦後の単極時代には、アメリカはアフガニスタンとイラクに侵攻しましたが、これらの「永久戦争」において、アメリカは事実上、敗北しました。アメリカ以外の大国も小国に対する戦争で何度も苦戦もしくは敗退しています。1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻しましたが、これはみじめな失敗に終わりました。中国はベトナムに対して「懲罰戦争」を行いましたが、その結果は「勝利」とは程遠いものでした。

羊飼いのダビデが巨人兵士のゴリアテを倒す物語は、『旧約聖書』に載っている有名なものです。国際政治の世界において、このストーリーさながらのことは、私たちの直観に反して何度も起こっているのです。国際関係の分析において、感覚的な思考や判断はあまり当てにできないからこそ、信頼性のある理論(=政治学の常識)が必要になるのです。こうした点について、政治学者の河野勝氏(早稲田大学)は次のように主張しています。「メディアに登場するコメンテーターや評論家たちが、何の根拠もなく、また政治学の常識からすると明らかに間違った解説を平気で述べていることに対しては、『プロ』としてチェックの目を働かせ、時には憤りを感じて彼らを批判し、学生たちに対してはそうした素人たちの誤りを見抜くリタラシーを高めよ、と教育する(のだ)」(河野勝『政治を科学することは可能か』中央公論社、2018年、ivページ)。私がどれだけ能力のある「プロ」なのかはさておき、この指摘には頷くしかありません。核武装国が中小国に対して無理難題を強要できるようになるという言説は少なくとも、核兵器を使用することのコストとリスクを軽視しているだけではなく、損失を回避するためにリスクを顧みずに死に物狂いで抵抗する中小国の行動を理解していない「俗説」、すなわち「政治学の常識」に反するといってよいでしょう。




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ウクライナ戦争の倫理的判断を問う

2023年09月28日 | 研究活動
政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)がアメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』に寄稿した記事「ウクライナ戦争をめぐる倫理は、とても陰鬱なものである」は波紋を広げています。彼は、リアリストが伝統的に重視する「結果(責任)倫理」の基準から、今や「通説」として定着しつつある「ウクライナ軍によるロシア軍への反攻は正しい」という言説をこう批判しました。

「もし友人が何か不用心なことや危険だと思うことをしようとする場合、その友人がどんなに強い意志を持っているとしても、あなたには、その努力を助ける道徳的義務はない。それどころか、彼らが望んだとおりに行動するのを手助けし、その結果が悲惨なものである場合、あなたは道徳的にとがめられることになる。

強硬派には、戦争に対する彼らの妥協なきアプローチが、長期的にはウクライナにより甚大な害を及ぼしうることを認めてほしい。それは強硬派が望んでいるからではなく、彼らの政策提言が生み出すものであるかもしれない。プーチンには戦争を始めた責任が…ある一方、この悲劇の責任の一端は、(NATO拡大などの)自分たちの政策がどのような事態を招くかについての以前の警告をすべて拒否した西側諸国の人々にもある。

同じような人々の多くが、戦争を継続し、賭け金を高めて、西側の支援を強化するよう声高に訴えていることを考えれば、彼らの助言がウクライナにとって過去と同じように今日も害を及ぼすかどうか、疑問に思うのは当然だろう」。

ここでウォルト氏が主張したいことのポイントは、次のようになるでしょう。①ウクライナ軍が「反転攻勢」を続けてもロシア軍を占領地から完全に撤退させられる見込はほとんどなく、むしろ、さらに多くの犠牲者を生み出すことになるだろう。こうした結果になることが分かっているにもかかわらず、それを後押しすることは倫理的に正当化できない。②国際法を破ってウクライナを侵略したロシアが悪いのは当然であるが、ロシアの言い分を無視して同国を追い詰めたのみならず、外交による戦争回避のチャンスを活かせなかったアメリカやその同盟国にも道義的責任はある。

私は、ウォルト氏の主張がもっともだと判断したので、彼のX(旧ツイッター)のアカウントに賛同する旨の投稿をしたところ、これに同意する人はほぼ皆無であるどころか、猛烈に罵倒されました。ウォルト氏や私に対する非難のパターンは、おなじみのものです。すなわち、ウクライナのロシアに対する「徹底抗戦」に少しでも疑問をはさむ人間は、恥ずべき「親ロシア派」であるということです。ご参考までに、ウォルト氏のXのアカウントに寄せられた「イイね」の数は約1200件である一方、コメントもほぼ同数です。コメントにざっと目を通したところ、大半が彼に対する批判のようでした。

正義の戦争と不正な戦争
国家間の関係をみるレベルは、4つに分けることができます。すなわち、①国際関係の基本的ロジックの「理解」、②国際関係の現象の一般的原因の「説明」、③国際関係の歴史の「記述」、④国際関係の出来事に対する倫理的「判断」、です(中本義彦「規範理論」吉川直人・野口和彦編『国際関係理論(第2版)』勁草書房、2015年、296頁)。ロシア・ウクライナ戦争の言論空間では、これら4つの次元で、さまざまな議論が展開されています。国際関係論のリアリズムやリベラリズムといった理論的パラダイムは①に関するものです。「なぜロシアがウクライナを侵略したのか」という疑問は、②についてのことです。リアリストは主としてNATO拡大、リベラル派は、民主主義の波及やプーチン大統領の帝国主義的野心とか失地回復主義の野望などに原因があると主張しています。戦争の経緯の報道は、主に③の領域になります。そして、多くの人たちは、ウクライナ戦争について、①~③の議論だけではなく、④の倫理的判断も下そうとしているのです。

われわれは、国際関係の出来事を説明したり理解したりする際に何らかの理論に頼るのと同じように、倫理的判断をする際にも、何らかの基準を必ず用いています。その際、ほとんどの人たちは、その基準を明確に意識していないようです。しかしながら、国際政治の世界にも、倫理に関する「規範理論」があり、多くの研究者が長い時間をかけて、それを発展させてきました。その代表的なものが「正戦論」でしょう。正戦論では、戦争は「正義の戦争」と「不正な戦争」に分類されます。国境を越えて武力で他国の領土に侵攻する行為は、原則として「不正な戦争」、わかりやすく言えば「侵略戦争」になります。したがって、道義的に正当化はできません。ロシアのウクライナ侵略は、もちろん「不正な戦争」として批判されるべき悪い行為です。その一方で、国家の独立や主権を守るために侵略国に武力で立ち向かうことは「正義の戦争」、わかりやすく言えば「自衛戦争」です。したがって、ウクライナがロシアの侵略に対して占領地を取り戻そうとして戦っていることは、「正義の戦争」として擁護されるべき行為ということになります。これにはリアリストもリベラル派も、ほとんど全員が同意するでしょう。もちろん、私もこの判断に異論はありません。

政治の世界における倫理的パラドックス
水戸黄門の時代劇のように、正義に立った者が常に悪者を倒すのであれば、世界の出来事は単純な倫理的規準で判断しても問題ないでしょう。人は正しいと思うことを素直に実行すればよいということになります。しかしながら、政治の世界は、必ずしも、そうなりません。すなわち、善いと思う行為が悪い結果になったり、悪いと思う為が善い結果になったりすることが珍しくないのです。たとえば、人々が平等に暮らせる世界は望ましいものであると、多くの人は考えるでしょう。共産主義国は、こうした平等な社会の建設を目指しました。その結果は、どうだったでしょうか。旧ソ連や中国、カンボジアといった国家では、特権階級あるいはブルジョワジーに属すると判断された人たちが、徹底的に弾圧されたのです。

毛沢東が始めた「大躍進政策」では、ブルジョワ階級の人たちは強制的に農業に従事させられました。だれもが農作業をやれば平等であるというわけです。しかしながら、素人が突然に農業を始めたところで、その生産力は向上しません。むしろ、大躍進は大飢饉を招きました。その結果、中国では約4500万人もの人が非業の死を遂げたのです(フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉』草思社、2011年)。しかも、こうした悲劇は中国だけに限られたものではありません。いわゆる「共産主義国」では、誰もが平等で幸せに暮らせる社会が創られるどころか、国家の官僚機構が国民生活を統制することにより人々の自由が奪われ、共産主義体制を脅かすという理不尽な理由などにより、反体制派に対する徹底した弾圧が断行されたのです。その結果、おびただしい無辜の市民の命が理不尽に奪われました。共産主義政権の圧政下で失われた命は、ソ連では約2000万人、中国では約6500万人、北朝鮮では約200万人、カンボジアでは約200万人といった想像を絶する数に上るのです(ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書』恵雅堂出版、2001年、12頁)。

「地獄への道は善意で舗装されている」という格言があります。これは政治の世界を倫理的に考える際には、決して忘れるべきではない言葉です。

逆に、悪いと思われる行為が善い結果をもたらすこともあります。その1つが相互核抑止でしょう。私が居住する周辺地域の自治体は、こんなことを言っています。「私たちは、平和を愛するすべての国の人々とともに、真の永久平和を実現することを決意し、ここに『核兵器廃絶平和都市』を宣言します」。核兵器は、ヒロシマ・ナガサキで20万人以上の市民の命を奪いました。これは文字通りの「悪魔の兵器」でしょう。その一方で、核兵器は第二次世界大戦後の「長い平和」を維持する大きな役割を果たしたと言われています。冷戦史の大家であるジョン・ルイス・ギャディス氏(イェール大学)は以下のように主張しています。

「(冷戦期に)どれほど多くの危機が米ソ関係に振りかかったことか。これが他の時代、他の敵対国間のことであれば、遅かれ早かれ戦争になっていたであろう。戦争にならなかったのは……核抑止の作用から生まれた……戦後国際システムの安定化効果……である。核兵器は、かつてならば戦争になってもおかしくないエスカレーション・プロセスを(米ソの政治指導者に)思いとどまらせた」(ギャディス『長い平和』芦書房、2002年、396-398頁)。

要するに、究極の殺戮道具である核兵器は、それが使用された場合のコストがあまりにも大きいために、核武装した国家の指導者は、相互に戦争になるような行為を避けるようになった、ということです。その結果、冷戦は国際政治史上、最も長い間、大国間戦争が起こらなかったという意味で「平和」だったのです。もちろん、核抑止は「恐怖の均衡」と呼ばれるように、核武装国同士が「絶対兵器」で脅し合うことで戦争を防ぐのですから、これを拒絶したい感情を持つ人は少なくないでしょう。相互核抑止は「過剰殺戮」という手段に訴えるものである以上、人道に反するのだから、倫理的に正当化できないという主張は、正しいように思えます。しかし、よく考えると、そうとも言えないことが分かります。なぜなら、悪である核兵器を廃絶した世界が、今よりも安全であるとは思えないからです。このことについて、ジョセフ・ナイ氏(ハーバード大学)は、核抑止をこう擁護しています。

「核兵器の恐怖につきまとう精神的な苦痛といったものは存在する。それは、いってみれば抑止の利益にたいして課せられたコストなのである……核時代の憤怒は高いものにつくかもしれない……反核十字軍運動が、かえって破局的結果を招くことにもなりかねない……絶対主義の類推にもとづく(核廃絶)政策は、核戦争の危険を小さくするよりもむしろ大きくするであろう……ある国がごまかしをやろうとしたばあい、いったいどうするのか……核廃絶に調印したからといって、そのような行動をなくせるとでもおもっているのだろうか」(ナイ『核戦略と倫理』同文舘、1988年、115、138-141頁)。

核軍縮が極度に進んだ世界は、皮肉なことに、核兵器の政治的価値を吊り上げてしまいます。そして、ある国家が少数の核兵器であれ単独で保有することになれば、それを脅しの手段として利用して、他国を支配しようとするかもしれません。そのような事態になることを恐れる国家は、敵対国の核保有を阻止するために予防戦争に訴えるインセンティブを高めるでしょう。こうして核廃絶に近づく世界は、核抑止が効いている世界より、はるかに不安定で戦争が起きやすくなると容易に予測できるのです。そして、こうした危険を避けること、すなわち、相互核抑止を維持することは、道義的に正しいと判断することができます。

結果倫理と信条倫理
政治の世界における倫理的パラドックスは、われわれに厳しい道義的判断を要求します。すなわち、いかなる政治問題であれ、国家や人間の行為がもたらす結果は、慎重に考慮すべきということです。このことの重要性を100年以上前に厳しく説いたのが、偉大な社会科学者であるマック・ウェーバーでした。かれは社会主義を目指す過激な暴力革命運動に陶酔する学生や知識人たちをこう諭したのです。少し長くなりますが、大切な部分なので引用して紹介します。

「信条倫理的な原則にしたがって行動するか(宗教的に表現すれば、キリスト教徒として正しく行動することだけを考え、その結果は神に委ねるということです)、それとも責任倫理的に行動して、自分の行動に(予測される)結果の責任を負うかどうかは、深淵に隔てらえているほどに対立した姿勢なのです……信条倫理の側は最終的には破綻せずにはいられないと思います……ドイツ軍の将校は、前線に攻撃にでかけるたびに兵士たちに……これで勝利すれば平和が訪れると言い聞かせたものでしたが、それと同じことです。

政治に携わる者……は悪の権力と手を結ぶ者であること、政治家の行動については、『善からは善だけが生まれる』というのは正しくなく、その反対に『善からは悪が生まれる』ことのほうが多いことを熟知していたのです。これを知らない人は、政治の世界では幼児のようなものなのです。

わたしが計り知れないほどの感動をうけるのは、結果にたいする責任を実際に、しかも心の底から感じていて、責任倫理のもとで行動する人が、あるところまで到達して『こうするしかありません、わたしはここに立っています』と語る場合です。これは人間として純粋な姿勢であり……誰もがいつか、このような立場に立たされることもありうるからです」(ウェーバー『職業としての政治/職業としての学問』日経BP、2009年、131-153 頁)。

もしわれわれが、ウクライナ戦争を信条倫理すなわちウクライナは正義の戦争を行っているのだから、倫理的判断はそれだけで済むと考えるのであれば、それで話は終わるでしょう。この戦争の結果がどうなろうと、ウクライナ人にどれだけの犠牲者がでようと、これがエスカレートして第三次世界大戦あるいは核戦争になろうと、正しい戦争を行っているのだから構わないという結論になります。私には、多くの人が、このように考えているように見えます。世の中には「善人」と「悪人」がいて、善人の行為は何でも正当化でき、悪人の行為は何でも不当であるという世界観です。これは信条倫理が支配する世界では、間違いなく正しいでしょう。

結果を見すえた倫理的判断の重要性
もしわれわれがウェーバーの主張を受け入れて、ウクライナ戦争を結果倫理から判断するのであれば、話は全く違ってきます。第1に、ウクライナ軍がロシア軍に勝利できる実行可能な戦略を持たないまま「反転攻勢」を続ける結果は、うまく行ったとしても、ごく狭い範囲の占領地の奪還である一方で、おびただしい戦死者をだすことになると高い確度で予測できるならば、それは必ずしも倫理的に正しい行為であるとは言えないということです。

今年の6月から本格化したウクライナ軍の反攻は、失敗に終わったと言ってよいでしょう。『ワシントン・ポスト』紙(2023年9月8日付)の記事に掲載された下のグラフを見れば分かる通り、この4か月間の「反転攻勢」でウクライナがロシアから奪還した占領地は1%未満に過ぎません。その反面、戦死者は約5万人にも達しました。そして、このような結果になることは、リアリストらが正確に予測すると同時に警鐘を鳴らしていたのです。残念ながら、こうした警告は、ことごとく無視されました。そして、このグラフの線が、今後、突如として下降することなど、「ブラック・スワン」が登場しない限り、そうならないだろうと予測するのが妥当でしょう。



それどころか、ウクライナは今よりも悪くなるかもしれません。戦争の行方は彼我の物質的な軍事バランスに大きく左右されます。ロシアとウクライナの兵力、火力といった要因を比較考量すれば、前者が後者に優位性を持っていることは否定できません。このことについて、これまでもウクライナ戦争について的確な分析を行ってきた、アメリカ陸軍の退役軍人であるダニエル・デーヴィス氏は、こう予測しています。

「主要な戦争の大半は……最も基本的な戦闘力を保持している側が勝利してきた。今回の場合、それはロシアを意味する……ロシアは、ウクライナの戦力より多くの兵力、戦車、大砲を保有している(航空戦力と防空能力における永続的な優位性は言うまでもない)。単刀直入に言えば、ロシアとの消耗戦でウクライナを支援し続けることは、さらに何万人、何十万人ものウクライナ人の命を奪い、さらに多くのウクライナの都市の破壊を招き、最終的にはプーチンに軍事的勝利をもたらす可能性が高い……道義的には、西側諸国はウクライナの勝利という軍事的に達成不可能な目的を達成するための虚しい努力を続けるべきでない。特に、そのような支援は、ウクライナの人命と領土を無意味に失う結果にしかならない可能性が高い場合には妥当ではない」。

この地図は、今年1月からの9か月間で、ウクライナの戦況がどのように推移したのかを示したものです(New York Times, 2023. 9. 28)。オレンジ色はロシアが拡大した占領地であり、水色はウクライナが奪還した領土です。ロシアは全ドンバス地方の掌握に失敗しましたが、占領地をほぼ維持してきました。その一方で、ウクライナの反攻はほとんど成果を挙げていません。ロシアの進軍は、我が国ではほどんど報道されていないようですが、実際には、このように占領地をわずかながら拡大しています。継続する膠着状態は西側のウクライナへの支援を減らすことになりそうなので、そうなるとロシアがウクライナにさらに深く攻め入る事態にもなりかねません。


こうしうた陰鬱な予測は信じたくないという気持ちも理解できますが、現実から目を背けても現実は変わりません。ウクライナは破壊されていくであろうことが分かったうえで、ウクライナ人に戦争の継続を勧めることは、はたして倫理的に正しい行為なのでしょうか。ウォルト氏は、そうではないと批判を恐れずに主張しているのです。

第2に、ウクライナ戦争は、アメリカや同盟国の外交により避けることが可能であった悲劇だということです。世界には善人と悪人が存在している、アメリカや西側諸国は「善人」であり、ロシアは「悪人」であるという「常識」は、われわれが受け入れやすい世界観ですが、そこには落とし穴があります。そもそもロシアをウクライナへの侵略へと駆り立てた1つの有力な原因は、善玉であるアメリカが主導する軍事同盟であるNATO拡大でした。だからこそ、こうした戦争原因論は「悪玉ロシアのプロパガンダに冒された陰謀論」であると広く信じられてきました。しかし、それは違います。ストルテンベルグNATO事務総長は、この戦争とNATO拡大の因果関係を最近になって遠回しに認めました。

「プーチン大統領は2021年秋に宣言して、NATOをこれ以上拡大しないとNATOが約束して署名することを求めた条約案を実際に送ってきた……そして、それがウクライナに侵攻しない前提条件だった。もちろん、私たちはそれに署名しなかった」。

ロシアによるウクライナのNATO非加盟の要求は理不尽である、NATOに入るかどうかはウクライナとその加盟国が決めることであり、ロシアにとやかく言われる筋合いはない、と多くの人は思うかもしれません。これは典型的な信条倫理による判断でしょう。しかし、その結果は、ロシアによるウクライナ侵攻であり、ウクライナの領土の約18%が占領されて、数百万人の国外難民が発生しただけでなく、約7万人のウクライナ人の戦死者をだしたということです。もちろん、これはロシアの悪行ですが、こうした悲惨な結果は、アメリカやその同盟国が、NATO拡大に対するロシアの警告に耳を傾けて、それを外交努力により妥結へともっていけたならば避けられた可能性が大いにあったのです。これは一種の「悪魔の取引」であり、信条的には受け入れがたいでしょう。ですが、これで戦争が回避できたならば、果たして、こうした妥協さえも不要であり不当であったと退けてもよいのでしょうか。ウォルト氏が、この戦争の責任は西側の人たちにもあるというのは、そういうことなのです。

最悪の事態を避ける政治的英知
ウクライナ戦争は核戦争にエスカレートする危険性を孕んでいます。これは決して考えられないことではありません。軍事や安全保障に関する世界屈指のシンクタンクであるランド研究所は、最近、この戦争が核戦争に拡大することを警告する報告書を発表しました。そこにはこう書かれています。

「ウクライナを停戦に追い込むようNATOを強制するために、ロシアは核兵器を使用できる。その目的は、戦況を安定させなければ、全面核戦争に発展するリスクが高まるとのシグナルをウクライナとNATOに送ることだ……ロシアがウクライナ国内で核兵器の使用を決定した場合、その数や種類は制限されないかもしれない。ロシアの指導部は、少数の核兵器や小型の核兵器しか使用しない場合のコストやリスクは、より多くの核兵器や大型の核兵器を使用する場合のコストやリスクと劇的に変わらないと認識する可能性がある」。

我が国には、ロシアの核の威嚇は「ブラフ」であることが分かったとか、それに怯むことは「プーチンの思うつぼ」であると主張する専門家と言われる人がいるのには、私は本当に驚かされます。なぜなら、そうした人たちは、核兵器を用いたバーゲニングやエスカレーションのメカニズムの本質を全く理解していないように思われるからです。核兵器による威嚇は、トーマス・シェリング氏が、60年以上前に「偶然性に委ねられた脅し」として説明しています。すなわち、核兵器で脅す側も脅される側も、それが暴発するかどうか、確実に分からないから威嚇として機能するということなのです(シェリング『紛争の戦略』勁草書房、2008年、第8章)。

ですから、核時代における鉄則は、正義が平和に道を譲ることに他なりません。実際、冷戦期において、米ソの指導者が核武装国への十字軍的な行動を抑制してきたからこそ、大国間戦争を起こさずに済んだのです。アメリカはソ連の勢力圏を尊重して、ハンガリー動乱もチェコスロバキアにおけるプラハの春も黙認して自重しました。ソ連も、アメリカが地域覇権の握る西半球に足を踏み入れたことにより起こったキューバ危機において、最終的には引き下がりました。こうした自制心や警戒心がウクライナ戦争に関与する核武装国の指導者には弱いように見えることは、たいへん心配です。

核戦争へのエスカレーションを避けなければならないという主張には、「ロシアの不当な侵略を許すというのか」という反論や、「ウクライナのことはウクライナ人が決めるべきである」という批判が必ず寄せられます。信条倫理は結果がどうなろうと、侵略国ロシアを罰するべきであり、ウクライナが徹底抗戦することは正しいとわれわれに告げます。しかし、このような判断は、核戦争へのリスク判断が甘いだけではなく、ウクライナが今よりも、さらにロシアに蚕食されて、最悪の場合、「破綻国家」になることを考慮に入れていません。この点について、前出のデーヴィス氏の以下の指摘は、傾聴に値すると思います。

「ウクライナの人々のために、戦争未亡人のために、日々生み出される父親のいない子供たちのために、ウクライナの街全体が無分別に破壊されることを悲しんでいる。もし自分の国が侵略されたら、私は悪魔のように戦うだろう。

しかし、抵抗を続けることが完全な敗北を招くのであれば……。

その時は、別の道を選ぶ英知が必要だ。ウクライナが豊かな未来を手に入れるためには、現在の厳しい試練を乗り越えなければならない。私は、キーウ、ワシントン、ブリュッセルの指導者たちが、ウクライナを存続させるために必要な厳しい選択をする知恵と能力を持つことを祈る」。

要するに、政治の世界では、より少ない悪を選択する高度な判断が、時に必要になるということです。それでも「ウクライナのことはウクライナ人が決めるべきだ!」という主張もあるでしょう。もしウクライナが単独でロシアと戦っているのであれば、これは政治的にも倫理的にも全く正しいといえます。しかしながら、ウクライナは、日本を含めた西側諸国の莫大な支援を得て、ロシアと戦争を行っています。株主が当該会社の経営に対して発言権があるように、ウクライナの要請を受けて税金から財政支援を行っている国家の国民にも発言権が認められるというのは、当然のことではないでしょうか。とりわけ、ウクライナ戦争が万が一、核戦争に発展してしまったら、我が国も無傷ではいられないでしょう。アメリカがウクライナに集中して資源を投入すれば、その分、アジアへの備えはおろそかになります。その結果、中国はより大胆な行動をとるようになり、日本の安全保障を脅かすかもしれません。ですから、そうした予測される悪い結果を避けようとするのは、決して批判されることではありません。われわれには、将来のある我が国の子供たちを守る義務があります。

マックス・アブラハム氏(ノースイースタン大学)は、「(ウクライナ戦争の)エスカレーションを防ぐために全力を尽くすべきだと考える人は、今や裏切り者なのだ。そして、新しいマントラはこうだ。われわれは、核兵器が炸裂した爆風を顔に感じるまでにならなければ、ウクライナでは十分に努力していないということになる」と、この戦争をめぐる異様な言説を皮肉っています。核のホロコーストを防ごうとするリアリストは、なぜ「裏切り者」の烙印を押されなければならないのでしょうか。こうした戦争拡大の危機感がほとんど共有されずに、信条倫理の判断だけが広く受け入れられる世界は、誠に恐ろしいものではないでしょうか。冒頭に紹介したウォルト氏の主張は、ウクライナ戦争をめぐる政治的現実を冷厳に見すえた政治学者による、倫理的に妥当で勇気のある発言であることをわれわれはもっと理解すべきでしょう。

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ロシア・ウクライナ戦争は、中国の対外政策にどのような影響をおよぼすのか?(更新)

2023年08月22日 | 研究活動
「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」という有名なセリフは、岸田文雄総理大臣が昨年の5月に述べたものです。彼の念頭にあった懸念は、ウクライナに侵攻したロシアを懲らしめずに放置してしまうと、これをみた中国が東アジアにおいて、挑戦的な現状打破行動を加速化させることになりかねないということでした。確かに、中国の意思決定者がウクライナ戦争の成り行きを注意深く観察していることは間違いないでしょう。しかし、ロシアのウクライナへの侵略が「成功」したのだから、自分たちも台湾への侵攻をうまくやれるだろうと単純に学習して行動することなど、ほとんどあり得ません。侵略の連鎖が世界で起こるという「ドミノ理論」は、それが私たちの心に恐怖を与えるためにアピール力がありますが、これまでの国際政治研究は、特別な条件が整わない限り、こうした現象が起こることはなく、むしろ、侵略した国家に対しては周辺国が対抗行動をとることにより、その拡大を阻止しようとするバランシング行動がより一般的であることを明らかにしています。

戦争が起こる2つのパターン
国際政治の標準的なリアリスト理論が正しければ、国家の行動は関係国とのバランス・オブ・パワーに左右されます。このバランス・オブ・パワーと戦争の因果関係は、2つのパターンに整理することができます。第1に、コーナーにどんどん追い込まれている国家は、自国にとって不利に変化するパワー・シフトを止めるために戦争に訴えることがあります。衰退する国家の指導者が、自国の生存を脅かすように事態が変化しているという恐怖心を持つと、この運命から逃れる手段を戦争に見いだしうるのです。このような動機を高めている政策立案者は、国家としての生き残りを賭けて、手遅れになる前に劣勢を挽回することにより自国のパワー・ポジションを回復するチャンスを戦争に時に託してしまうのです。

これが「予防戦争」の発生メカニズムです。ロシアのウクライナ侵攻は、リアリストからすれば典型的な予防戦争です。アメリカが主導するNATO拡大はロシアの安全保障を脅かして低下させるものでした。このことはプーチン大統領の予防戦争への動機を高めてしまったと、ほとんどのリアリスト政治学者は推論しています。

第2に、国際的な地位をどんどん高めている国家が、自国にとって有利に変化するパワー・シフトを加速するか維持するために戦争に訴えることがあります。台頭する国家の指導者が、現状の変更は自らの安全保障や国益を高めることにつながると期待すれば、武力を巧妙に使って自国の影響圏を広げようとします。私は、これを「機会主義的戦争」と呼んでいます。そこでよく用いられるのが、「既成事実化」という現状を少しずつ変更していく戦術です。1970年代中頃から、中国は南シナ海におけるパラセル諸島やスプラトリー諸島を段階的に武力で占領して、軍事化を進めてきました。これは典型的な既成事実化による領土の拡大です。

若手政治学者のダン・アルトマン氏によれば、「既成事実化とは、敵の犠牲の下で限定された一方的利益を相手に押し付けるもので、敵が報復をエスカレートせず折れることを選んだ時に、その利益でもって逃げ切る試み」のことです。彼の調査によれば、1918年から2016年までの112件の領土掌握は、既成事実化によるものでした。この100年間でこれだけ多くの領土の征服が発生したにもかかわらず、私たちの記憶にあまり残らないのは、既成事実化という「侵略」を行う国家が、周辺国への領土の侵食を少しずつ行うことにより、外部に与える刺激を極小化するからです。国際秩序論者は、戦間期に国際連盟規約やパリ不戦条約などにもとづき誕生した領土保全規範が、この100年間で国際社会に定着してきたと主張していますが、上記のデータは、彼らが信奉する仮説を否定しています。つまり、領土征服行為は消滅しつつあるのではなく、より巧妙なものになってきたということです。

中国による台湾侵攻のシナリオ
現在、東アジアで最も懸念されているのは、中国による台湾侵攻です。習近平国家主席が、中国人民解放軍に対して、2027年までに台湾侵攻を成功させるために準備するよう命じたことは、広く知られています。もちろん、中国の指導者が何を考えているのか、その本当のところを確実に知ることはできません。私たちにできることは、台湾有事が起こるシナリオを想定して、それを防ぐことになりそうな手段をよく考えて実行することでしょう。中国が台湾に武力を行使することにより、日本周辺で戦争が勃発することなど想像したくありませんが、その可能性が決して低くないのであれば、私たちは「考えられないことを考える」必要があるでしょう。

「台湾有事」を最も強く懸念する識者が、トランプ政権で国防次官補代理を務めたエルブリッジ・コルビー氏です。彼はアメリカがウクライナ戦争に資源を集中して投入することにより、アジアへの備えが疎かになっているために、対等な競争相手国となった中国にアジアでの軍事的な優位性を与えているとみています。そして、これが中国に台湾侵攻の機会を与えてしまうことになりかねないというのです。

「端的に言って、我々には、ウクライナ戦争の明確な終結を待ってから、アジアに集中する余裕などない。我々はアジアで既に大きく出遅れており、時すでに遅しである。そして現在、広く共通する見方は、ウクライナでの戦争が何年も続くということだ。待つということは、アジアに決して集中しないことなのである」。

このような見方は、コルビー氏に限ったものではありません。ジェームズ・ウィンフェルド元提督とマイケル・モレル元CIA長官代行によれば、中国は既にワシントンが対応を決める前に台湾で既成事実をつくる能力を持っています。オバマ政権の国防次官だったミッシェル・フロノイ氏は、「台湾有事では、アメリカが航空、宇宙、海上の優勢を迅速に達成することには、もはや期待できない」と悲観的な分析をしています。そのフロノイ氏はマイケル・ブラウン氏との共著論文「台湾を防衛する時間は無くなりつつある」において、台湾をめぐる紛争では、中国は数日の内に既成事実を作ろうとするだろうから、アメリカは抑止を劇的に強化して、台湾征服を成功させる能力への北京の自信を掘り崩す必要があると訴えています。

長期化するウクライナ戦争
ウクライナ戦争はアメリカに対して、ウクライナ支援に資源や労力を割くよう促す一方で、中国の台湾侵攻を抑止するための備えを疎かにさせるトレード・オフ(一方が成立すると他方が成立しなくなる関係)を生み出しています。このトレードオフは、ウクライナ戦争が長引くと、より深刻なものになっていきます。バイデン大統領は昨年、「我々は台湾を守る」と宣言しました。しかし、その公約を軍事的に支えるアメリカの動きは、ウクライナ情勢に足元をすくわれているために、うまく行ってないようです。ブラフマー・チャラニー氏は、バイデン政権が、インド太平洋戦略は明らかに失敗しているにもかかわらず、それを修正できていないと以下のように批判しています。

「現在消耗戦となっている戦争へアメリカが関与を深めることは、西側の軍事資源を消耗させるだけである。インド太平洋地域で安全保障上の課題が増大しているときに、アメリカの力を削ぐことになる。実際、ウクライナへのアメリカの武器の氾濫は、すでにアジアにおけるアメリカの軍事力を弱めているのだ」。

そのウクライナ戦争は長々と続きそうな気配です。なぜならば、ウクライナ軍がロシア軍を2014年のクリミア侵攻前どころか2022年2月の開戦以前までに原状復帰できる見込みは、ほとんどないからです。クラウゼビッツの警句を引くまでもなく、戦争とは、偶然性に広く支配される人間の営為なので、その行方を正確に予測することは極めて困難です。しかしながら、入手できる情報を総合すれば、ウクライナがロシアに戦争で早々に勝利を収める可能性は低いでしょう。言い換えれば、ロシア軍をウクライナ領土から早期に撤退させられそうにないのです。

これはアジア情勢だけでなく、交戦国にとっても懸念すべきことでしょう。戦争は平均すると4か月程度で終わります。しかしながら、ロシア・ウクライナ戦争は、発生してから1年半が過ぎました。この戦争は既に長期戦なのです。戦争の犠牲者は、恐ろしいことに「べき乗則」で増えます。先日、惜しくも急逝されたビアー・ブラウメラー氏とその弟子であるマイケル・ロパト氏の研究によれば、全戦争の半数での死者の平均は約3000人ですが、残り半数の戦争では平均死者数が一気に約65万人まで上がるのです。ウクライナ戦争は、数十万人から数百万人の犠牲者をだすような大規模な戦争になってしまうかもしれません。

初夏から本格化したウクライナ軍によるロシア軍への「反転攻勢」は、北大西洋条約機構(NATO)の訓練や武器供与を受けたものでした。新兵器、新訓練、大砲弾薬の投入で武装したウクライナ編成部隊は、ロシア軍の陣地に侵入して大きく前進するというのが、NATOのシナリオでした。しかしながら、諸兵科連合作戦といった西欧流の機動戦を遂行するための複雑な訓練を施すことは、ロシアの砲撃に次ぐ砲撃を前にしたウクライナ兵を救うことにはなりませんでした。そこでウクライナ軍は小規模部隊によりロシアの防衛ラインを個別に突破することを目指す戦術に変更しました。このウクライナの戦術変更を決断は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事によれば、NATOの目論見が実現しなかったことを示す明確なシグナルだということです。

こうした新しい戦術は、ウクライナ軍にどの程度の力をあたえるのでしょうか。残念ながら、ウクライナにとって戦況の行方は依然として暗いようです。イギリスの安全保障情報会社ジェーンズのアナリスト、ジャン・ルカ・カポヴィン氏とアレクサンダー・ストロネル氏は、小規模部隊によるウクライナ軍の攻撃は、「大量の死傷者、装備の損失、最小限の領土獲得に終わる可能性が極めて高い」との見通しを示しています。

ウクライナ戦争を長期させる別の要因は、関係各国が出口戦略を描けていないことにもあります。マルカス・ウォーカー氏は、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に寄稿した記事において、その理由を次のように述べています。

「ロシアの対ウクライナ戦争は、あと数年続く長期戦になる危険性がある。その理由は、前線での戦闘が遅々として進まないということだけでなく、(モスクワやキーウ、ワシントンにいる)主要なアクターがいずれも明確で達成可能な政治目標を持っていないからである」。

この予測通りにウクライナ戦争が長期化してしまえば、アメリカは東アジアの平和と安定にとって重要な役割を果たせなく恐れがあります。なぜならば、継続するウクライナ戦争がアメリカに軍事関与を促す結果、それだけワシントンは中国の膨張行動を拒否することにリソースを割けなくなるからです。もちろん、ワシントンが戦略の優先順位をヨーロッパからアジアに移す可能性はあります。最新の世論調査によれば、アメリカ国民の半数以上は、ロシアとの戦争に突入したウクライナを支援するための追加資金を議会が承認することに反対しています。全体として、55%がアメリカ議会はウクライナ支援のための追加資金を承認すべきではないと答えているのに対し、議会はそのような資金を承認すべきだと答えているのは45%です。また、51%が「アメリカはすでにウクライナ支援に十分なことをしている」と答え、48%が「もっとすべき」と答えています。ワシントンは、こうしたアメリカ国民の意向を受けて、ウクライナ支援を段階的に縮小するかもしれません。そうなればアメリカには、アジアにより注力できる余地が生まれます。

ウクライナ戦争への中国の見方
肝心な中国はウクライナ戦争をどのようにみているのでしょうか。北京の指導者の本音を知ることはできませんが、中国の識者の見解から、それをある程度は推測できるでしょう。このことについて、政治誌『ポリティコ』のヨーロッパ版が貴重な調査結果を記事にしています、それによれば、中国は以下のように考えているようです。

第1に、中国はウクライナ戦争を重視していません。中国からすれば、ウクライナ戦争は米中の「代理戦争」にすぎないのです。アメリカはウクライナ、中国はロシアを「代理人」として戦っているということです。むしろ中国が重視していることは、あくまでも将来にやってくるであろう大国アメリカとの対決なのです。

第2に、中国はロシアの側に立つことで、失うものより得るものの方が大きいと感じているようです。そして、モスクワは今や、せいぜい北京のジュニア・パートナーであるという明確な感情が中国で生まれつつあります。ロシアの軍事的パフォーマンスについては、中国の専門家のほとんど全員が、明らかな嘲笑の反応を示したそうです。そして、ロシアはもはや大国の地位には値しないと考えている人がかなりいるということです。

第3に、中国の識者には、ウクライナ紛争によって台湾での戦争の可能性が高くなったと考える人もいれば、低くなったと考える人もいるということです。「ウクライナは台湾ではない」というのが中国政府の公式見解ですが、中国の学者たちは、台湾をめぐり西側諸国が中国との直接的な交戦を必ずしも計画するわけではなく、台湾を武装させ、日本のような地域の大国を支援する、「ヤマアラシ戦略」を採用するだろうと考えているようです。

第4に、ウクライナ戦争は北京にとっては、西側の弱点を突いて中国を国際的により安全な国家にする機会を提供するもののようです。中国は、グローバル・サウスとの関係を拡大し、平和の仲介者としてのイメージを高めて、経済的に自立する努力を加速させているということです。

このようにウクライナ戦争は、中国にとって、ライバル大国であるアメリカの国力を弱体化させる機会であり、その国際的な地位を高めるチャンスを提供しているのです。ここにウクライナ戦争の最大の勝者は中国であるという意味があります。ただし、私たちにとって幸いなことは、対中強硬派といわれる人たちが懸念するほど、中国は、アメリカがウクライナ戦争に集中してアジアに軸足を移せないことで、台湾侵攻を成功させる可能性が高まったとは必ずしも判断していないことです。中国の台湾侵攻を抑止することに使える時間は、まだ残っているようです。

対中バランシング行動の必要性
アナーキー(無政府状態)の世界では、安全保障は不足しています。なぜならば、国家には生存を保証する公的な保護が提供されないからです。国家には世界110番通報する先がありません。したがって、国家は原則として自分の面倒は自分で見なければならないのです。そのために頼りになるのが、軍事力や経済力といったパワーにほかなりません。だから、国家はその極大化を目指すのです。中国がアジアで他国をパワーで圧倒する地域覇権国になろうとするのは、その意図に悪意があるからではなく、最大の安全を求める結果であると考えるべきでしょう。

その一方で、中国が安全保障を強化して覇権的地位に近づけば、周辺に存在する日本や台湾の安全は自動的に低下してしまいます。したがって、日本や台湾の安全保障は、中国が地域覇権国になることを阻止できるかどうかに大きく左右されます。しかしながら、今や超大国の地位に到達しつつある中国の覇権確立への挑戦は、日本や台湾だけで抑え込むことができませんので、同盟国であるアメリカの力を借りることが必要不可欠です。要するに、「東アジアを明日のウクライナ」にしないためには、日米などの主要国がバランシング行動をとることにより、中国に現状維持行動を強いなければならないのです。はたして、その試みはうまく行っているのでしょうか。このことについて、スティーブン・ウォルト氏は以下のように評価しています。

「バランス・オブ・パワー/脅威均衡理論が予測するように、アメリカとアジアのパートナーは今日、積極的に中国とのバランスをとっている。しかし、それらの国が正しいことを十分に行っているのか、予断を許さない。もし正しいことをやっているのであれば、アジアにおける中国の覇権の可能性はかなり低くなり、戦争のリスクは低下する。そうでない場合は、もう少し心配する必要があるだろう。この場合、アメリカは潜在的に分裂含みである(対中反覇権)連合を率いることができるか、やりすぎとやりなさすぎの間にスイート・スポットを見つけられるかどうかに、多くのことがかかっている」。

アメリカや日本といった主要国が、中国に対してスイート・スポットというにふさわしい対抗行動をとっているかどうかは、専門家の間でも判断が分かれるでしょう。私は、米中覇権争いのフラッシュ・ポイントである台湾をめぐる現在のバランス・オブ・パワーは、台湾海峡という「水の制止力」(敵国への揚陸作戦を著しく困難にする海洋の障害)が働くこともあり、中国に侵攻を思いとどまらせるように引き続き作用していると判断しています。しかしながら、ウクライナ戦争の長期化は、これに深く関与しているアメリカの注意を東アジアから逸らしてしまう決定的な要因であるために、時間の経過は中国に味方することになるでしょう。ホワイトハウスが台北への3億4500万ドルの軍事援助パッケージを発表した後、中国はアメリカが台湾を「弾薬庫」にしていると非難しました。それだけ中国は、アメリカが台湾を「ヤマアラシ」にするのを嫌がっているということです。台湾は190億ドル相当の兵器を購入しましたが、その多くはまだ台湾に納入されていません。ワシントンは台湾に携帯型防空システムに必要なミサイルを送る予定ですが、それがどの程度円滑に進むのか予断を許しません。

国際システムの要請に対応できない国家は、懲罰を受けることになります。現在の国際システムのパワー分布は、中国が台頭する一方でアメリカが衰退する方向に動いています。ロシアは中国の経済力の10分の1程度の「黄昏の大国」にすぎません。このような国際構造の変化が国家に求める行動は明確です。中国は地域覇権を目指すことになる一方で、アメリカは中国の封じ込めに力を注ぐべきだということです。二極化する国際システムにおいて、アメリカは「単極の瞬間」の残滓であるリベラル覇権主義を追求しても失敗するでしょう。なぜならば、アメリカにはヨーロッパとアジアの二方面で同時にロシアと中国を相手にできるパワーがないからです。購買力平価で比較すると、中国の国防費はアメリアの軍事費に肉薄しています。

アメリカも日本も限られた資源を効率的に配分するためには、戦略的な優先順位をきちんと定めなければなりません。それは台頭する中国とのバランス・オブ・パワーを保つことに注力するということに他なりません。コルビー氏がずっと言い続けてきた主張は戦略の核心をついています。すなわち、「アメリカは世界の潜在的紛争のすべてを単独でも同時にも処理できない。アメリカはアジアに集中し、ヨーロッパはロシアからの脅威に対する独自の防御を強化できるようにするべきなのだ。そこで中心的役割を果たさなければならないのはドイツである」ということです。最近、日米韓が「キャンプデービッド原則」に基づき「新たな同盟関係」に入ったことは、中国とのバランス・オブ・パワーを維持することを追求する、戦略的に正しい「第一歩」といってよいでしょう。日本政府には、くれぐれも戦略の優先順位を間違った政策をとらないようにしてほしいものです。


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