野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

核時代において「和平」は「正義」より優先されなければならない

2024年06月06日 | 研究活動
ウクライナ戦争において、ロシアが核兵器を使用するリスクは高まっています。われわれは核戦争という最悪の結末を避けるための努力を惜しむべきではありません。なぜならば、ロシアがウクライナを戦術核で本格的に攻撃をしたら、ウクライナの無辜の大勢の市民が犠牲になるからです。さらに、それが全面核戦争にエスカレートしたら、ヨーロッパだけでなく、その域外に住む人々のおびただしい命も奪われるからです。そのような大惨事を防ぐためには、アメリカはウクライナが西側の兵器でロシア領内を攻撃することを抑制させるだけでなく、ロシアとの停戦に向けた交渉を直ちに始めるべきです。

リアリストが集まる「ディフェンス・プライオリティ」の上席研究員である米退役軍人のダニエル・デーヴィス氏は、プーチン大統領が核兵器の使用に言及したことの重大さをふまえて、以下のように最大限の警告を発しています。

「これは非常に大きな出来事だ。私たちは、上向く可能性がない代わりに、ロシアの報復による(核使用の)リスクを増大させ続けている。リスクばかりで得るものがない!ウクライナ戦争の政策を大転換するときだ。まだ時間があり、ロシアから攻撃を受けていないうちに、最善の条件で交渉による解決を模索するのだ」。

彼は、ウクライナによる昨年の「反転攻勢」が失敗に終わることを的確に予測していた一人なので、その発言には耳を傾けるべきでしょう。それにもかかわらず、このような主張は、「ロシアがウクライナから撤退すれば済むことだ」とか、「国際法に違反してウクライナを侵略した、邪悪な指導者プーチンを擁護するものである」とか、「ウクライナの占領地を確保したいプーチンの思うつぼにはまっている」とか、「これまでロシアは核恫喝を行うだけで実際には使用しなかったのだから、これはブラフ(こけおどし)だ」とか、「ウクライナは西側の兵器を使用することにより戦況を好転させられる」といった論拠で必ず反論されます。しかしながら、これらの批判は、どれも根拠に乏しく、検証を少し進めるだけで説得力に欠けることがわかります。

とりわけ、ロシアがウクライナから進んで撤退することは、まず考えられません。スティーブン・ヴァン・エヴェラ氏(MIT)が言うように、「正義の世界ならば、ロシアはウクライナとの戦争から何も得られません。その代わり、ロシア軍はウクライナから撤退させられ、ロシアの指導者はウクライナ国民に対する侵略罪と野蛮な戦争犯罪で裁かれ、処罰されるでしょう。残念ながら、ロシアにはそのような結果を拒否する力がある」ということです。このような権力政治の現実から目を逸らしても、戦争の結末は変わらないのです。

リアリストは「親露派」ではない
ロシアの戦術核の使用を防ぐためにロシア領内への攻撃を控え、停戦交渉を始めるように主張するリアリストは、ロシアのプロパガンダを拡散する者でもなければ、親露派でもありません。わたしたちは、ロシア政府の主張とリアリストの分析や政策提言が重なるので、それらは因果関係にあると勘違いしがちですが、そうではありません。リアリストがロシアのプロパガンダや偽情報に騙されて、その言説をモスクワの意向に沿うように変えて発信している根拠は何一つありません。

リアリストの代表格であるジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、ウクライナ戦争におけるロシアの核使用のリスクとウクライナが「機能不全の残存国家」になることに警鐘を鳴らし続けました。その彼は、ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダ拡散者」に指名されてしまいました。これに対して、アメリカのクインシー研究所はウクライナ政府に対して、「これは言論の自由を侵害する行為である」と抗議しました。ミアシャイマー氏が核戦争にエスカレートする危険を訴えるのは、国際政治や戦略のロジックを理解している研究者ならば当然なのです。

ロシアが西側とのバーゲニングで核威嚇を最大限に利用しようとするのは、クレムリンの合理的な政策決定の結果に過ぎません。また、戦争の行方や結果が交戦国に配分されたパワーを反映するのも必然的であり、「消耗戦」が続くウクライナ戦争で兵士を供給する能力や火力で優位性を持つロシアが、それらに劣るウクライナを弱体化させていくことも、残念ながら避けがたいことなのです。ですから、ミアシャイマー氏を代表とするリアリストの主張は、ウクライナ戦争の現実から導かれた客観的な分析であるに過ぎません。これはロシア擁護とは何の関係もないのです。

ロシアの核恫喝は「思うつぼ論」に矮小化できない
核時代における外交の特徴は、それが核兵器という究極の「相手を痛めつける力」と連動していることです。すなわち、核武装国は核恫喝により、自らの政治的意思を敵対国に受け入れさせようと、懸命に押してくるということです。ハーバード大学の名誉教授であるジョセフ・ナイ氏が的確に指摘したように、現在、ロシアとアメリカは「核威嚇に信ぴょう性をもたせて、相手を賭けから降ろそうとするチキンゲーム」に従事しています。

こうした見方は、標準的な戦略理論にもとづいています。核時代における国家間の駆け引きの特徴は、核戦略論の先駆者であるノーベル経済学賞受賞者のトーマス・シェリング氏により、半世紀以上前に明らかにされました。このことについて、彼は以下のように説明しています。

「大規模戦争がどうやって生起するのか—失敗、発端、あるいは誤認がどこで起こるのか—は予測できない…より重要なことは、われわれはいかにして全面戦争という感知される危険が突然増大するのを制御…するかということである…リスクの高まりの大部分は核兵器の帰趨が占めている…いったん核兵器が持ち込まれた戦争は、もはやそれまでの戦争と同じではありえない。そもそも戦争を律していた戦術上の目的や考慮事項はもはや支配的ではない…核が持ち込まれたなら、戦争は決して本来の経過を辿らない可能性がある…大敗北を喫するのを防ぐために何としても核使用が必要となるときには…核の使用を慎重に行う機会をおそらく逸している。一方、近い将来における核使用の軍事的な必要性が生じる可能性が高いことを戦術的な状況が示唆しているときには…外交と適切に連携した無差別ではない慎重な核の持ち出しの機会が残っている。その段階を越えて機会を待てば、おそらく単に戦術的核使用の可能性を高めるだけであ(る)」(『軍備と影響力』107-115頁、強調は引用者、引用文は一部修正)。

ウクライナ戦争でのロシアの核威嚇は、現時点において外交と連携しているので、この機会を逃すべきではありません。それを逸してしまうと、ウクライナ戦争は、われわれには予想さえできなかった要因が作用することで、坂道を転げるように、核兵器の応酬へとエスカレートするかもしれないのです。

実際、ウクライナによるロシアのアルマビルにある早期警戒レーダーサイトへの攻撃は、一歩間違えれば、核の大惨事になっていたかもしれません。核問題の専門家であるセオドア・ポストル氏(MIT)は、これにより「アメリカの核攻撃に対する防御の一つが崩れたと感じたロシア側が、報復のために激しく反撃するという危機を、ウクライナ側が無用に引き起こしていたかもしれなかった」と、その危険性を指摘しています。さらに驚くことに、「アルマビルのレーダーは、ウクライナの航空機、巡航ミサイル、ドローン、ATACMミサイルにとって監視上の脅威にはならない」のですから、ウクライナにとって、この攻撃には軍事的合理性がほとんどなかったのです。

残念ながら、このチキンゲームには、ロシアはアメリカやNATO加盟国より固い決意で臨んでいるようです。これはウクライナ支援国が「プーチンの思うつぼ」にはまっているからではありません。ロシアは国家の存亡とプーチン政権の生き残りを賭ける一方で、アメリカはウクライナ戦争に死活的国益を見ていません。米ロの利害は非対称なのです。チキンゲームの結末を左右する「決意のバランス」や「利益のバランス」は、ロシア有利に大きく傾いています。

ロシアはアメリカより固い決意で戦争に臨んでいる
ウクライナ戦争において、もちろんウクライナは必死でロシアの侵略に抵抗して国家を守ろうとしている一方で、ロシアも大きな利益を賭けています。このことはクレムリンの指導者が、相次いで、自らの核恫喝に信ぴょう性を持たせようと繰り返し発言してるうことから裏づけられます。

プーチン大統領は、ロシアが核使用を準備していることを以下のように明言しています。

「何らかの理由で、西側諸国はロシアが核兵器を使用することはないと信じている。我々には核ドクトリンがある。ロシアの主権と領土の一体性が脅かされれば、あらゆる手段を行使することが可能と考えている。これを軽々しく、表面的に受け止めるべきではない」。

ロシアの国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ元大統領は、NATOとの全面戦争も辞さない姿勢を示すことで、より直接的に威嚇しています。

「今日、誰も紛争の最終段階への移行を否定できない。ロシアは、ウクライナが使用する全ての長距離兵器をNATO諸国の軍人により直接管理されていると既に見ている。 これは軍事援助ではなく、我々への戦争の参加であり、こうした行動は開戦事由となる可能性が十分にある」。

ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官も、ウクライナとその支援国に以下のメッセージを発信しています。

「私はアメリカの指導者たちに、致命的な結果を招きかねない誤算を犯さないよう警告したい。彼らはなぜか、自分たちが受けるかもしれない反撃の深刻さを過小評価している。これは非常に重要な警告であり、最大の深刻さをもって、深刻に受け止めなければならない」。

このようなロシアの強硬な姿勢とは対照的に、アメリカはかなり腰が引けているように見えます。第1に、アメリカのウクライナ戦争に対する基本政策は、ロシアとの直接戦争を回避することです。これはロシアのウクライナ侵攻直後から現在まで全く変わっていません。そのために、バイデン政権はロシアとの交戦に至る事態を恐れて、ウクライナに「飛行禁止区域」を設けることに反対しました。第2に、ワシントンはモスクワに、戦争のエスカレーションを本心では望んでいないというシグナルを送っています。

バイデン政権は、攻勢を続けるロシア軍が戦線を拡大することを恐れて、ウクライナ軍にアメリカの兵器によるハルキウ近辺のロシア領内の拠点を攻撃することを許可しました。ただし、アメリカ政府のこの決定は、ロシアに対して強い決意を示すものではなく、むしろ、なし崩し的な政治的妥協の産物でした。5月末の時点で、国防省のサブリナ・シン副報道官は、ワシントンの政策に変更はなくキーウに提供している安全保障支援はウクライナ国内で使われるべきだと述べていました。ところが、次の日に、ブリンケン国務長官は、バイデン大統領がウクライナ側の要請を受けて、アメリカが供与した兵器でロシア領内の国境沿いに集結するロシア軍部隊などを攻撃することを許可したと訪問先のチェコで言明したのです。こうして、ワシントンはロシア領内の一部の地域への攻撃をウクライナに認める方針に転換したのですが、バイデン政権内では、これに消極的な国防省と積極的な国務省が対立しており、国家としての一貫した戦略が欠如しているようです。

その後、アメリカは戦争のエスカレーションを恐れて、ロシアを刺激しないよう懸命にシグナルを送っています。ジョン・カービー報道官は、アメリカがロシア縦深への攻撃を禁止する方針を数週間以内に再考することはなく、バイデン政権は、ウクライナがより射程の長い強力なATACMSをロシアに向けて発射することも禁止したと明らかにしました。このようなアメリカ政府の発信は、ロシアの攻勢には、より強力な軍事的行動で応じるというものではありません。このことはアメリカのエスカレーションへの覚悟が、ロシアより劣っていることを示しています。要するに、ウクライナ戦争における相手を先に降ろすチキンゲームでは、ロシアはアメリカより優位に立っているのです。

ロシアの核威嚇は「ブラフ」と扱うべきでない
ロシアは先日、戦術核の使用を想定した軍事演習を実施しました。これはロシアが核使用への「エスカレーション・ラダー(核のはしご)」を一歩、上ったことを意味します。この事態の深刻さをランド研究所のマイケル・メイザー氏は、こう分析しています。

「2022年2月時点でアメリカの利益では(ロシアとの)戦争に突入することが正当化されなかったのなら、今日でも正当化されない。あらゆるエスカレーションのステップには、その原則に反する『ある程度の』リスクがあるのだ。『プーチンは我々を恐れており、エスカレートしない』と主張するのは単純すぎるし、行動と反応のサイクルの触媒的力学を無視している」。

こうした警告は、「ウクライナがクリミアの黒海艦隊司令部を攻撃しても、ロシアは核で反撃しなかったから、ロシア国内に対する攻撃を受けても核使用を自制し続ける」と批判されます。しかしながら、この反論は間違いです。ロシアは外交的メッセージを一段階強い戦術核演習により、ウクライナと西側に伝えようとしているだけなのです。そして、ロシアの次の一歩が何になるのかは、もしかしたらプーチンを含めて、誰にも分からないかもしれません。

ヒロシマ・ナガサキの悲劇を除き、核武装国が戦争で核兵器を使用しなかったのは、国家の安全保障が深刻に脅かされなかったからに他なりません。このことはポール・エイヴィ氏(バージニア工科大学)が、力作『数奇な運命』で論証しています。しかしながら、ウクライナ戦争は核武装国が関与した過去の戦争とは違い、核大国ロシアの国土がアメリカの武器により攻撃されているのです。これをロシアが国家安全保障上の危険だと思わない明確なエビデンスは、はたしてあるのでしょうか。さらに悪いことに、国家の指導者は敵の意図を受けた情報の「鮮明さ(vividness)」で推察することも、最新の政治学の研究で明らかにされています。

ウクライナ軍がロシア国内の拠点をアメリカ産のハイマース(HIMARS)で攻撃したことは、おそらく、クレムリンの指導者に強烈な印象を与えたでしょう。そして、プーチンたちが、このことをアメリカと同盟国のロシアを滅ぼうそうとする意図の表れだと判断したかもしれません。彼らがそう考えることは、我々には「パラノイア」にしか映りませんが、それはロシアの指導者がそう考えない論拠にはなりません。万が一、クレムリンがそう判断したならば、「NATOとの戦争は今やった方が、後に敵国の軍事態勢が整った際の戦争よりマシ」という恐ろしいロジックが、プーチンたちの思考を支配するかもしれません。つまり、ロシアは不利になる前に先にNATOの軍事拠点を叩く、あるいは、NATOのウクライナ戦争への参戦を抑止するために、戦術核を示威目的でウクライナに使用するインセンティブを高めかねないということです。

「ゲームチェンジャー」という幻
ウクライナがアメリカなどの支援国から供給された武器をロシアに使えば、戦況を好転させられることに期待できるので、核戦争のリスクを冒しても、ロシア領内を攻撃すべきであるという反論もあるでしょう。残念ながら、この主張にも、ほとんどエビデンスがありません。クインシー研究所の最新の論文は、過去に「ゲームチェンジャー」になると言われた兵器が、ことごとく期待を裏切った事実を明らかにしました。スイッチブレードドローン、 M-1エイ​​ブラムス戦車、M777榴弾砲、エクスカリバー誘導155mm砲弾、HIMARS精密ミサイル、GPS誘導爆弾など、次々と登場した「ゲーム・チェンジャー」といわれるシステムは、いずれも期待に応えられなかった、ということです。

そもそも単一の武器や兵器が戦争の行方を変えることは、核兵器以外にはありえないでしょう。なぜ、通常兵器では戦況を大きく変えられないのでしょうか。確かに、「HIMARSの長距離ミサイルは、弾薬庫のようなロシアの高価値な標的に致命的な効果をもたらしましたが、ロシア軍はそのような弾薬庫や他の可能性の高い標的を分散させ、カモフラージュすることで適応した」からです。要するに、ウクライナ軍が特定の兵器でロシア領内を攻撃しても、ロシア軍は対抗策を講じるので決定的な打撃につながりにくいのです。

こうした攻撃と防御の永続する関係は、戦略や軍事の専門家が何度も明らかにしてきました。スティーブン・ビドル氏(コロンビア大学)は、「攻撃側が成功するのは難しく、何世代でも変わらな(い)…これはドローン…の結果ではないし、変革でもない。テクノロジーと人間の適応の間の長年の傾向と関係が、わずかに延長しただけだ」と、ウクライナ軍の苦戦を正確に予測していました。戦略家のコリン・グレイ氏は著書『兵器は戦争を形成しない』において、戦争や戦略を武器に還元することを戒めて、「個々の兵器や兵器システム…は、歴史の流れを方向づけるものではありません…兵器が戦争の勝敗を決めるわけではありません」(176頁)と主張していました。要するに、あたかも専門性があるかのような「ゲームチェンジャー」なるバズワードは、われわれを間違った判断に導くということです。

危機管理の鉄則
核時代のおける危機を管理する際の原則は、核戦争について、それが起こる確率ではなく、それがもたらす損害で対応を決めることです。言い換えれば、これまで起こらなかった核戦争という「黒い白鳥」が突如として出現する可能性はどれだけ低くても、そうなる事態を何があろうとも避ける政策を最優先するということです。こうした確率と危険の避けがたいジレンマについて、ナシーム・ニコラス・タレブ氏は、ベストセラー『ブラック・スワン』で、こう説明しています。

「現代のリスクには…安全保障などがある…将来を左右する大きなことで予測に頼るのは避ける…信じることの優先順位は、確からしさの順ではなく、それで降りかかるかもしれない損害の順につけるのだ…深刻な万が一のことには、全部備えておくのだ」(66-67頁)。

それでは万が一、ウクライナ戦争が不幸にして米ロの核戦争にエスカレートしたら、世界はどうなるのでしょうか。ラトガース大学の研究によれば、そうなると約50億人が死亡することになります。だから、この研究に携わったアラン・ロボック氏は「データがわれわれに伝えようとしているのは、核戦争を絶対に起こさせてはならないという一点だ」と力説するのです。

われわれは今こそケネディ大統領が遺した教訓を思い出す時です。彼は「キューバ危機の究極的な教訓は…相手国の立場になってみることの重要さである…(ケネディ)大統領は…ソ連の安全保障をおびやかす…立場、屈辱をうける立場にソ連を追い込んだら、われわれは本当に戦争に突入するだろうとの事実を強調しつづけた」(ロバート・ケネディ『13日間』107, 109頁)のです。バイデン大統領は、後世の歴史家にロシアの核使用を防げなかった「愚か者」と描かれないために、この危険な核の「チキンレース」から降りて、ウクライナ戦争の停戦に向けた交渉を開始すべきです。核戦争を防ぐための譲歩は「宥和」ではありません。そして、日本の岸田政権も、同盟国としてアメリカが外交により事態を打開することを積極的に支援しなければなりません。戦略の要諦は、国家に与えれらた選択肢の優先順位を間違えないことです。

誠に残念ですが、ウクライナがアメリカの兵器でロシア領内を限定的に攻撃しても、戦況を大きく好転させることを見込めないどころか、むしろ、核戦争の危険を高めてしまいます。したがって、アメリカの政策転換は二重に意味がありません。今、私たちに求められることは、ウクライナ戦争の和平が不正義で不満足であろうとも、核戦争のリスクより優先する苦渋の選択ではないでしょうか。

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ウクライナ戦争をめぐるコープランド教授との対話

2024年05月22日 | 研究活動
ロシアのウクライナ侵攻の原因や帰結をめぐっては、さまざまな分析や見解がさまざまな媒体に発表されています。戦争と平和を実証的に研究する論文を掲載する専門誌にも、ウクライナ戦争の原因を究明する手堅い論考が発表されるようになってきました。たとえば、若手の政治学者であるブラッドレー・スミス氏(バンダービルト大学)は、『紛争管理と平和研究』誌において、「コミットメント問題」(国家が約束を遵守するかどうかの問題)の観点から、この戦争の原因を以下のように説明しています。

「交渉は、衰退する国家が、将来的に弱い立場から取引するよりも、強い立場から戦う方が望ましいと考え、即座に軍事行動を選択することで決裂し得る。重要なのは、この論理を侵攻前夜のプーチンの計算と結びつけることだ。 プーチンは、ウクライナがいつかNATO(北大西洋条約機構)の一員になることを予期して、将来の交渉力が低下すると考えていたのだろう。 プーチンは、NATOが自分の意志をウクライナに武力行使で押しつけられなくなってしまう未来を恐れ、現在の軍事作戦を最も有利な選択だと考えたのかもしれない」。

要するに、ウクライナ戦争はプーチンとNATOの主要な指導者がバーゲニング、すなわち、ウクライナのNATO加盟をめぐり、さまざまな交渉や駆け引きを行ったにもかかわらず、それが解決策に結びつくことなく決裂した結果であるということです。こうした分析は一定の説得力を持っていますが、ウクライナ戦争の原因をめぐる議論が依然として収斂しない1つの決定的な論点は、それがプーチン大統領という個人の属性に帰することができるのか、それともロシアを取り巻く国際環境の変化がプーチンを戦争へと促したのか、ということです。前者は、プーチンが「帝国主義者」であり、旧ソ連帝国の再来を目指す「失地回復主義者」であると見なします。だから、NATO拡大といった外的要因は、戦争の原因ではないと退けられます。他方、大半のリアリストは、ウクライナ戦争を典型的な「予防戦争」であると判断しています。すなわち、NATO拡大によりウクライナが西側の「防波堤」に組み入れられることは、ロシアの生存を脅かしてしまった結果、プーチンは、そうなることを「予防」するためにウクライナ侵攻に踏み切ったということです。

ウクライナ戦争の原因をめぐるリアリストの意見対立
興味深いことに、予防戦争としてのウクライナ侵攻論は、全てのリアリストに受け入れられているわけではありません。デール・コープランド氏(バージニア大学)は、代表的なリアリストであるジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)やスティーブン・ウォルト氏(ハーバード大学)の指導を受けたリアリストであるにもかかわらず、自分の師匠たちの「予防戦争論」を受け入れていません。彼は、主著『大戦争の起源』において、戦争の原因はパワー・シフトにより衰退国がライバル国に対して決定的に不利な立場に追い込まれることを恐れて、それを防ごうとする国家の行動にあると主張していました。この研究書は世界的に注目されて、中国語訳も出版されたほどです。私も拙著『パワー・シフトと戦争』を執筆した際には、同書を先行研究として重視しました。しかしながら、コープランド氏は、この自分自身の理論を使って、ウクライナ戦争を説明することに反対しています。彼は、何がウクライナ戦争を引き起こしたのかについて、NATO拡大によるパワー・シフトではなく、プーチンの「保身」や「野心」に、その原因を求めているのです。

私は、コープランド氏の主張に納得できなかったので、X(旧ツイッター)上で、意見交換を何度も行いました。こうした日米間の研究者による知的交流が、この記事を読む皆さまの参考になることを願って、ここで、その1部を紹介します。なお、コープランド氏には、私とのやり取りを公開することに同意していただきました。

ウクライナ支援か外交的妥協か
コープランド氏(一部省略)「(政治を専門に扱う)『ポリティコ』誌でさえ、T氏(トランプ氏のこと)がホワイトハウス(での大統領の地位)を獲得できれば、エルブリッジ・コルビーが国家安全保障担当補佐官になる可能性が高いと示唆しているのだから、BC(コルビー氏のこと。彼はBridgeの愛称で呼ばれているので、その最初の文字Bをとっています)の中途半端なシニカルな世界の見方は暴露されなければならないと私は強く信じている…あなたのシニシズムと、T政権であなたに地位を与えてくれるかもしれない共和党の人々を喜ばせたいという願望は、その後、ウクライナ軍がここ1カ月で実際に劣勢に立たされているという事実を祝うほど強いものなのでしょうか(私には疑問だ)」。

*ご参考までに、私はコルビー氏と何度もメッセージをやり取りしてきました。

野口「こんにちは、デールさん。実現可能な目的もなく、重要な国益もなく、現実的な手段も出口戦略もない遠い地域での戦争に60億ドルもの大金を(アメリカが)投じることに、良識ある人なら誰もが重大な疑問を呈するのは道理ではないでしょうか。それよりも、ウクライナの犠牲者を最小限に抑えるために、あなたは、なぜ停戦を提案しないのですか。それとも、アメリカからの財政的・軍事的支援が増えれば、ウクライナがロシアを1991年ラインまで追い詰めることができると本気で信じているのですか。それが事実上不可能であるなら、満足のいかない妥協をするしかないでしょう。

あなた以外のほとんどのリアリストは、ウクライナでの戦争を終わらせるための外交を提唱しています。先日あなたへの返信で引用した若手のリアリストたちや、ヴァン・エヴェラやポーゼンといった長老のリアリストたちも、停戦交渉の開始を求めています。ウクライナのロシアに対する抵抗力がこれ以上弱まれば、停戦条件はますます悪化するでしょう。これはウクライナにとって悪夢です。消耗戦の結果を左右する最大の要因のひとつが、死傷者に代わる新たな兵士を供給するマンパワーであることはご存じの通りです。ウクライナはロシアに比べてこの能力が低い。

もし、結果倫理が、実現可能性の低いロシアの敗北より、ウクライナの犠牲者を最小限に抑えることを優先する選択を支持するならば、戦争継続を支持するのではなく、外交こそが今なすべき道徳的要請でしょう」。

スティーブン・ヴァン・エヴェラ氏やバリー・ポーゼン氏はマサチューセッツ工科大学の政治学教授であり、著名なリアリストです。ウクライナ戦争に関する彼らの主張はMITのウェブサイトに掲載されています。ここで私が引いた若手のリアリストは、エマ・アシュフォード氏(スチムソン・センター)やジョシュア・イツハク・シフリンソン氏(メリーランド大学)らのことであり、『フォーリン・ポリシー』誌において、ウクライナ戦争を「永遠戦争」にしないための停戦交渉を始めるよう、強く訴えています。

停戦は成立するのか
コープランド氏「和彦さん、コメントありがとうございます。 まず、ウクライナに関する私の投稿をすべて読むと、私は常にウクライナの強い反発姿勢(つまり、ロシアのさらなる進出を阻止すること)と外交的解決の必要性を結びつけています。 私が言及し続けているのは、ダン・ライターの著書『How Wars End(戦争はいかにして終わるか)』であり、そこで彼は、戦争は双方が膠着状態に陥り、戦争を続けることで『それ以上』の利得を望める可能性がなくなると見るまで終わらないという貴重な経験的指摘をしているのです。

つまり現在、ロシアは、特にハリコフに向けて、さらなる利益を得ることを許されている。まさにBC(コルビー氏のこと)のような人々が、ウクライナにさらなる援助を与えるべきではないと共和党の極右に主張してきたからです。 HIMARやATACMSなどのハイテク兵器を使えば、アメリカはウクライナの後方攻撃を支援し、ロシアの兵站構造を劇的に混乱させることができます。これこそが遅れていることであり、これこそがロシアにウクライナの領土をさらに獲得する希望を与えているのです。したがって、『戦線を維持する』ことが短期的な急務であり、アメリカの援助とEUの援助だけがこれを可能にするのです。

また、私は1991年の国境線が交渉による和平の出発点だと言ったことは一度もありません。私が言ったのは、もしウクライナ人がこれ以上のロシアの前進を阻止し、ロシア人が戦争を続けることが自分たちの利益にならないと考えるほど押し返すことができれば、停戦やプーチンのためのある種の『面目を保つ逃げ道』が用意されるかもしれないということです (例えば、クリミア半島とドンバスの一部を名目上『独立』させ、ロシアと『提携』させるが、正式にはロシアの一部にはしないという『主権提携』の取り決めが、そのような『面目を保つ逃げ道』になるかもしれない、と私は言ったのです)。

だから、私の投稿をよく読んでほしい。 戦時下での交渉は最もやっかいなものです。感情が高ぶり、何十万人もの軍隊を失ったり傷つけられたりした後では、誰も自分たちの望むものがすべて手に入らなかったとは認めたくないからです (1914年から18年にかけての第一次世界大戦を思い浮かべてほしい。塹壕戦が続いていた1915年半ばまで、なぜ終結しなかったのでしょうか?)。 これで少しはわかってもらえましたか」。

ダン・ライター氏(エモリー大学)は、著名な政治学者です。彼の戦争終結に関する著書については、私のブログ記事を参考にしてください。

野口「デールさん、思慮深い返事をありがとうございます。特に停戦が成立しうる条件に関して、あなたはいくつかの有効な指摘をしていますが、私はあなたの主張の大部分には同意できません。

第1に、モスクワが戦場で前進できると信じている限り、ロシアの停戦へのインセンティブが低いのは事実かもしれません。しかし、その論理はウクライナにも当てはまります。なぜゼレンスキー政権は停戦合意案であるイスタンブール・コミュニケを進めなかったのでしょうか。アメリカをはじめとするNATO加盟国からの大量の軍事物資は、ロシアを敗戦寸前まで追い詰めることができるという、キーウにいるゼレンスキーの期待を高めたのかもしれません。しかし、双方は現在、ほとんど前進できない消耗戦を戦っています。この戦争は1年以上も行き詰まっているのですから、ロシアとウクライナの間に停戦を実現する可能性があるはずだということを忘れないでください。さらに、あなたが言及したダン・ライター氏は、2022年9月に『ニューヨーカー』誌で『ウクライナは防衛可能だ、彼らはそれを証明している』とまで述べています。

第2に、『HIMARやATACMSなどのハイテク兵器を使えば、アメリカはウクライナの後方攻撃を支援し、ロシアの兵站構造、ひいては前線部隊への補給能力を劇的に混乱させることができる』というあなたの核心的主張は、あまりにも危険で説得力も乏しいです。急逝したブラウメラーが警告したように、どんな戦争も些細な事件や未知の小さな要因によって、急激かつ不意にエスカレートする可能性があります。その結果、誰も予測できなかったような大惨事が起こるかもしれません。サラエボでのたった一発の銃声が、1500万人以上の死傷者を出す大戦争に発展するとは、当時誰が予想できましたか。さらに悪いことに、ウクライナ、アメリカ、西ヨーロッパ諸国は、世界最大の核保有国と戦っているのです。ケネディ大統領が言ったように、核時代の鉄則は、正義の前に平和を守ることなのです。

第3に、既存の実証的研究は、少数の特定の兵器が戦争の結果に大きな影響を与えないことを示しています。私たちは、M1エイブラムス戦車のようなアメリカの兵器が『ゲームチェンジャー』であり、ウクライナに戦術的優位をもたらすと言われ続けてきましたが、果たしてそうだったのでしょうか。戦争における戦術レベルでの勝敗は、特定の兵器そのものではなく、部隊の運用方法に大きく左右されるのです。残念ながら、AFU(ウクライナ軍)は、ビドルの言う『近代的なシステム』を運用することができません。上記の分析が正しければ、HIMARやATACMSのようなアメリカの兵器は、ウクライナでの戦争の最終結果を変えることはなく、ロシアの停戦への動機付けにほとんど影響を与えないでしょう。

繰り返しになりますが、あなたからの反論を大いに歓迎いたします」。

ビア・ブラウメラー氏は、戦争研究の第一人者であり、亡くなられる前に、ウクライナ戦争のエスカレーション・リスクを警告していました。スティーブン・ビドル氏(コロンビア大学)は、軍隊の効率性について傑出した研究成果をだした、この分野の第一人者です。彼の言う「近代システム」については、私のブログ記事をお読みください。

エスカレーションのリスクをどう考えるのか
コープランド氏「和彦さん、ご丁寧なコメントとお返事をありがとうございます。どちらも注意深く読ませていただきました。全体的に、同意できる部分が多いです。 そして、あなたの重要なポイントである、少なくとも戦場においては、核兵器を持ち込むようなエスカレーションのリスクが高まっているということは確かです。

私の重要なポイントはこれです。すなわち、プーチンは、単に『国家安全保障』のためにこうしているのではないことを、疑いの余地なく示しました(大国の指導者は自国の安全保障を合理的に向上させるために行動するというのがリアリズムの基本的な前提なので、そう信じたいのは山々ですが)。このような長期的な戦争は、ロシアの安全保障を向上させるものではありません。今年、ロシアのGDPが短期的には3%上昇するという『ケインズ主義的』な効果があったにせよ、全体としては、この戦争によってロシアは今年末までに、戦争が起こらなかった場合より、R自身の統計によれば、GDPが14%減少することになります (これは私の以前の投稿から引いています。基本的には、Rで計算した戦前の成長率は5%であり、2022年[戦後]の成長率は-5%であったことを指摘しました。したがって、戦争と制裁による純損失は-14%ということになります)。

さらに、ここで1980年代のソ連問題が非常に高い軍事費によって引き起こされたことを思い出す必要がありますが、『大砲』のためにバターや投資を犠牲にすることで、ロシアは長期的な経済基盤を弱めています。要するに、プーチンがこの戦争を続けることは(リアリズム的な国家安全保障の観点からは)合理的ではないのです。ウクライナの主要都市を『占領』しながら破壊すればなおさらです。

私は、彼がこの戦争を続けているのは、自分自身の国内での生き残りのためであり、彼が考える『歴史における自国の地位』(1914年以前のロシア帝国の一部を回復する手助けをしたこと)のためだと考えています。この時点で、彼がまだ『NATOの拡大を恐れている』という考えは、もっともらしさを失います。彼の行動によってスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟し、自国の包囲網が拡大したのだからです。

なぜこれが重要なのでしょうか。 それは、(a)例えばラトビアやリトアニアを狙うことのコストとリスクを彼に示すことで、(必ずしも2022年以前の現状にさえ押し戻されないにしても)彼が実際に『止めなければ』ならないこと、(b)Rで算出された長期的な衰退を悪化させている混乱から抜け出すための面子をかけた交渉を始めなければならないことを意味するからです。

さて、エスカレーションのリスクについてです。 たしかにリスクはあります。しかし、それはかなり誇張されていると思います。まず、ウクライナは2年前からロシアの艦船や兵站施設を攻撃ししたが、モスクワはエスカレートしていません。だから、HIMARSやATACMがウクライナ国内や黒海にあるロシアの補給施設に命中しても、モスクワが『エスカレート』することはありません。では、ウクライナがアメリカの兵器を使ってロシア領内の補給基地や軍事組織を攻撃したらどうなるでしょうか。 そう、その方がより『リスキー』です。しかし、プーチンは合理的な国内的理由から、アメリカとの戦争を望んでいません。自軍を攻撃する兵器がウクライナからもたらされ、ウクライナ人によって発射されるのであれば、プーチンはワシントンとチキンゲームになる道を歩むつもりはないでしょう。

今、アメリカはウクライナの本土に米軍を駐留させるべきでありません。『発砲』するかどうかは、常に、常に、常に、ウクライナ人次第にしなければなりません。プーチンがエスカレートする唯一の方法は、本当に戦争に負けたと思った場合だけです。しかし、クリミアとドンバスの一部に名目だけの『主権』を与えることで面目を保ち、2022年の現状に押し戻せば、プーチンは戦術核兵器にさえ頼らなくなるでしょう。長くなりすぎましたが、この投稿が首尾一貫したものであることを願っています」。

ウクライナ戦争の原因をどこに求めるのか
野口「こんにちは、デールさん。ウクライナ戦争の原因と結果に関するあなたの広範かつ詳細な分析は、私自身の考えに見直しを迫りました。あなたの議論を注意深く読み、納得できる点をいくつか見つけました。例えば、国家の行動は、国際システムレベルの要因だけでなく、国内レベルや個人レベルの要因によっても形成されるということを再認識させられました。一方、サム・ハンティントンがかつて主張したように、社会科学者の主な仕事は、重要な出来事を引き起こしたであろう単一または複数の強力な要因を見つけ出し、それをできるだけ単純に説明することです。構造的リアリズムは、この目的のための優れた分析ツールです。この観点で説得力を持って戦争の原因を説明すべきならば、他のレベルの複数の原因を取捨選択することは、方法論的に問題ないでしょう。

第1に、NATOの拡大がロシアのウクライナ侵略の主因であるという十分な証拠があります。プーチン大統領はバイデン大統領と会談した際、ウクライナがNATOに加盟しないとの確約を求めましたが拒否されました。プーチンは再びストルテンベルグNATO事務総長に、ウクライナがNATOに加盟しないという確約書を求めましたが、同様に拒否されました。バーンズはワシントンへの機密文書で、ロシアにとってウクライナのNATO加盟はモスクワのレッドラインだと警告しました。にもかかわらず、アメリカはウクライナを自国の同盟構造に事実上組み入れる『戦略的パートナーシップ』を進めたのです。そしてロシアはしばらくしてウクライナに侵攻しました。

第2に、NATOの拡大はロシアと西側のパワー配分を劇的に変化させました。冷戦終結後、NATO加盟国の数はほぼ倍増したのです。その結果、ロシアは相対的に深く衰退しました。これは、あなたが前作で大戦争の原因を特定した際に強調した、典型的な「予防戦争」の原因です。そもそもプーチンは、冷戦後のヨーロッパにおける現状維持を選好していました。にもかかわらず、なぜプーチンは戦争の動機を高めたのでしょうか。外部からの刺激なしに、プーチンが帝国主義に転じたと説明するのは不可能に近いでしょう。むしろロシアは、ウクライナのNATO加盟を自国の存亡にかかわる脅威だと認識したのです。プーチンはそれを防ぐために戦争を始めたのであり、侵攻直後の声明でもそう述べています。これが彼のプロパガンダだという証拠はあるのでしょうか。要するに、(戦争になるのであれば)『早いに越したことはない』という論理が、プーチンをはじめとするクレムリンの主要な指導者たちを突き動かしたのです。

第3に、北欧諸国が開戦後にNATO加盟を申請したことは、戦争の原因とは何の関係もありません。これは、シカゴ大学であなたの指導教官だったスティーブ・ウォルトが構築した『脅威の均衡理論』で説明できます。繰り返しますが、ロシアにとってのレッドラインは、ウクライナのNATO加盟への動きだったのです。

上記の私の主張があなたを完全に納得させることにはならないでしょうが、ロシアのウクライナ侵攻が『予防戦争』であったことを否定するならば、戦争の原因に関するあなた自身の理論の妥当性にも疑念が投げかけられることになります」。

*「脅威の均衡理論」とは、攻撃的意図を持つ強力な国家に地理的に近かければ、それらの国家は、軍備増強や同盟形成といった対抗策を講じるようになるという有力な国際関係理論のことです。サミュエル・ハンチントン氏は、ハーバード大学の著名な比較政治学者でした。

批判的思考の欠如と論壇の貧困
長い記事になってしまいましたが、これらはコープランド氏と交わした意見のほんの1部です。こうしたやり取りを読んだ皆さまは、どのような感想をお持ちになったでしょうか。私が彼との意見交換をあえて投稿したのは、民主主義における「開かれた議論」と「建設的な相互批判」の大切さを訴えたかったからです。「言論の自由」は、民主主義を支える根幹です。にもかかわらず、われわれはウクライナ戦争に関する言論空間で、道徳的な自己検閲をかけたり、声の大きな人たちに忖度したりしていないでしょうか。そうであれば、我が国の現在の論壇は、誠に不健全であると言わざるを得ません。

私は、ウクライナ戦争の継続を擁護する学者や識者の主張、すなわち、「ロシアがウクライナに勝ってしまうと、独裁者たちがあちこちで侵略を企てる、恐ろしいジャングルのような世界になる」とか、「リベラル国際秩序を守るために、何としてもロシアを敗北させなければならない」とか、「ウクライナへの支援は、民主主義を守ることである」とか、「ロシアのウクライナ侵攻の原因をNATO拡大に求めるのは、プーチンを擁護する親露派の言い分だ」とか、「ロシアを敗北させないと、中国が大胆になって台湾に侵攻する可能性が高まる」といった言説には、真正面から反論してきました。なぜならば、私は、それらが論理も根拠も弱いと判断したからです。くわえて、たとえ、それらの反論が結果的にロシアを利する内容を含んでいるとしても、事実ならば、それに口をつぐんではいけないのです。事実こそが、学術論議や政策論議の基盤を提供することは、誰でも認めるでしょう。なお、偽情報を無分別に警戒してしまうと、人々はデジタル空間での言論統制に肯定的になることも分かってきました。「ロシアからの発信は全て偽情報でありプロパガンダである」というステレオタイプは、言論の自由を侵食してしまうのです。重要なことは、ロシアに関する数多くの情報から、シグナル(信号=事実)を拾い上げて、ノイズ(雑音=偽情報)を排除することです。

誠に残念なことに、我が国の「国際政治学者」たちとは、コープランド氏と交わしてきたような意見交換はできませんでした。大半の日本人の「国際政治学者」や「軍事専門家」とは、相互の議論が成立しないのです。この根本原因の1つは、おそらく社会科学の基礎的な方法、とりわけ「価値中立」に立脚して事実や真実を出来る限り客観的に追究するという職業上の行動規範が、我が国の「国際政治界隈」に定着していないからでしょう。

学問の世界では、学者仲間の友情を深めることより、真実の探求が優先されなければなりません。同時に、上記の学問的な作法を共有している学者同士ならば、どれだけ激しく相互に批判したとしても、それが論理と根拠にもとづくものであれば知的交流を保てるのです。私は、コープランド氏以外の海外の学者(例えば、「核使用のタブー論」で有名なニナ・タネンワルド氏など)と何度も率直な意見交換をしています。それにより相手との関係が崩れたことは、ほとんどありません。われわれは素直に、アメリカを中心として活躍する優れた政治学者の学問的営為をもっと見習うべきだと強く思います。

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核武装が招く「予防戦争」のリスク

2024年04月12日 | 研究活動
核兵器を開発したり、保有したり、配備したりしようとする国家は、「予防戦争」を誘発するリスクを負います。このことは国家安全保障上の重要なテーマであるにもかかわらず、我が国では、ほとんど議論されることがないようです。そうした日本の言論空間の隙間を埋めるために、私は、この記事を書くことにしました。国家は核武装する際、敵対国から、それを阻止したり遅らせたりするための「予防戦争」や「予防攻撃」を仕掛けられる恐れがあります。その一方で、現在の核兵器保有国は、そうした武力行使に妨害されることなく核武装を成功させました。はたして核拡散(核兵器を保有する国家が増えること)を封じようとする予防的な軍事介入は、どのような条件が整えば実行されるのでしょうか。

核武装、予防戦争と政治指導者の信念
これは現代世界における最も重要な問題の1つです。なぜならば、新たな核拡散と予防戦争が現実味を帯びているからです。伝えられるところによれば、イランの核兵器の開発は加速化しており、アメリカは同国の核保有を「許さない」と警告しました。そのイランは先日、イスラエルに対してドローンなどによる直接攻撃を行いました。これに対してイスラエルのネタニヤフ首相は、「我々に危害を加える者には反撃する」との声明を発表しました。もはや両国は「一触即発」の状態であり、かねてからイランの核開発を懸念していたイスラエルが、それを阻止するための「予防攻撃」へのインセンティブを高めそうな気配です。核不拡散を研究するシンクタンクの研究員であるアンドレア・ストリッカー氏は、イランが核兵器の製造に近づくと、イスラエルもしくはアメリカによる関連施設への「予防攻撃」を招きかねないと、かねてから警告していました。今回のイランによるイスラエル本土への武力行使は、この予防攻撃の実行を促す「触媒効果」として作用してしまうことが懸念されます。

それでは何が核拡散を阻止する予防攻撃を引き起こすのでしょうか。このパズル(謎)に取り組み、1つの答えをだしたのが、若手政治学者のレイチェル・エリザベス・ウィットラーク氏(ジョージア工科大学)による力作『あらゆる選択肢が検討されている—指導者、予防戦争、そして核兵器の拡散—』です。彼女によれば、政治指導者は、核兵器の拡散が国際システムを不安定化したり、抑止不能な核武装した敵国を台頭させたりすると恐れる、「核の悲観主義(nuclear pessimism)」 の信念を持つと、敵国の核武装を防ぐために軍事攻撃を行うか、少なくとも、そのようなオプションの実行を真剣に検討するということです。この仮説を検証するために彼女が取り上げた事例は、中国の核兵器開発計画に対するケネディ大統領とジョンソン大統領の対応、北朝鮮の核開発計画に直面したブッシュ(父)大統領、クリントン大統領とブッシュ(子)大統領の核拡散防止をめぐる政策決定、イスラエルの歴代首相によるイラク、シリア、パキスタンの核武装化に対する予防攻撃の意思決定過程です。



核兵器開発計画が引き起こした予防戦争の事例
核拡散について悲観的な信念を持っていたケネディ大統領は、中国が核兵器の保有に向かうことを深く憂慮して、その関連施設を破壊する軍事介入をかなり真剣に検討しました。しかしながら、その選択肢が実行されなかったのは、彼が大統領の任期の途中で暗殺されてしまい、後任のジョンソン大統領が中国の核武装をアメリカへの直接的な脅威とはみなさなかったからだと本書は論じています。イラクの核開発計画について、「核の楽観主義者(nuclear optimist)」だったブッシュ(父)大統領は、同国がクウェートに侵攻して国際秩序を脅かしたことに付随して懸念した程度であった一方で、クリントン大統領は核の悲観主義者であるがゆえに、イラクの大量破壊兵器関連施設に対する「砂漠の狐」作戦を実行したのみならず、北朝鮮の核兵器開発を阻止する外科手術的な予防攻撃も発動する寸前でした。後者が実行されなかったのは、カーター元大統領が電撃的に平壌を訪問して金日成国家主席と会談した結果、金氏が国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れる意思を示したことをきっかけとして、同国の核開発を凍結する「枠組み合意」が成立したからだということです。要するに、これで北朝鮮への核拡散を防ぐことができる目途が立ったので、軍事介入は不要になったということです。その後、ブッシュ(子)大統領は北朝鮮が密かに核兵器を開発していたことを知りましたが、2003年から始まったイラク戦争の泥沼化により、軍事オプションによる阻止を試みる余裕を持てなかったようです。

そのイラク戦争は、ブッシュ(子)大統領がサダム・フセイン政権の核保有を阻止するために行ったものでした。彼は父とは違い、核拡散の悲観主義者でした。そして9.11テロ事件は、イラクの核兵器がテロリストにわたり、それがアメリカの安全保障を脅かすことへの恐怖を増幅させました。テロリストと結びついた核兵器を持つサダムは、封じ込めることも抑止することもできないという判断が、ブッシュ政権をイラクに対する予防戦争へと駆り立てたのです。

本書では、さらにイスラエルのベギン政権とオルメルト政権が、それぞれイラクとシリアの原子炉を破壊する軍事作戦を決定して実行する過程も克明に分析されています。くわえて、ベギン政権はパキスタンの核武装を阻止する共同軍事行動をインドに打診しましたが、不首尾に終わりました。これはあまり知られていない事実でしょう。なお、イスラエルがパキスタンの核武装を恐れたのは、主要な直接の敵国だからということではなく、イスラマバードの核兵器が敵対するイスラム国家に渡るのを恐れてのことでした。その一方で、ラビン政権のイスラエルは、イラクの核関連施設を大胆に攻撃するより国防軍を強化することによる抑止を選好しました。なぜならば、ラビン首相は核拡散に対して、それほど悲観的ではなかったからだというのが、ウィットラーク氏の結論です。

予防戦争を招かなかった核武装の事例
このウィットラーク氏の理論は、敵国からの同じような核武装の脅威に直面したアメリカやイスラエルが、その政策決定に最も重要な影響力を行使できる大統領や首相の核兵器に関する信念により、対応が異なることをよく説明できます。すなわち、国家の最高指導者が「核の悲観論者」の時には、敵国の核施設を叩く「予防戦争」に走りやすい一方で、「核の楽観主義者」の時には、抑止政策を選択するということです。ただし、政治指導者の信念が国家の意思決定で果たす役割の程度については、かなり議論の余地を残しています。彼女自身も認めているように、この理論では、なぜアメリカやイスラエル以外の国家は敵の核武装を阻止する予防攻撃に傾きにくいのか、うまく説明できないのです。

大半の核拡散の事例では、予防戦争は起こっていません。ソ連やイギリス、フランスはもちろんのこと、イスラエルやインド、パキスタン、南アフリカも敵対国からの軍事攻撃により妨害されることなく核保有国になりました。こうした核拡散のパズルについて、アレキサンダー・デブス氏(イェール大学)と故ヌノ・モンテーロ氏は大著『核政治』において、すべての核拡散の事例を詳しく調べた結果、国家の核武装を成功させる必要条件が、それを阻止するための予防戦争を敵対国に躊躇させるだけのパワーを持つことであると結論づけています。確かに、彼らが言うように、ソ連やイギリス、フランスは国際システムにおける強力な主要国である一方で、核兵器の開発計画を予防攻撃で阻止されたり遅延させられたりしたイラクやシリアは、中級程度を下回る国家といえるでしょう。このことは核拡散の成否が国家間に配分されたパワーに左右されることを示しています。その一方で、国家の意思決定者に焦点を当てた理論には、核拡散の「母集団」の一部分しか説明できないという限界があるのです。

直視すべき核武装に伴う予防戦争のリスク
こうした核拡散といった核兵器をめぐる国際政治については、優れた学者たちによる研究が急速に進んでいます。この記事で取り上げたウィットラーク氏による学術書も、その1つです。これらの地道な実証研究の結果から今の段階で言えることは、ある国家が核武装を進めるにあたっては、①敵対国に軍事力といったパワーの指標で劣る場合、②敵対国の政治指導者が「核の悲観主義者」である場合、予防攻撃を受けやすくなるということでしょう。核兵器の保有に向けた計画とそれが引き起こすであろう予防戦争は、我が国にとっても他人事ではありません。

この記事の冒頭で述べたように、日本人の生活に不可欠な石油の輸出先である中東地域では、イランの核兵器開発計画がイスラエルの予防攻撃を招くリスクを高めてきました。①について、イランはアメリカとイスラエルの事実上の「同盟」に国力で劣ります。ただし、イランはイラクやシリアより国土が広く、軍事力も強力であるために、その核関連施設を武力行使により破壊することは、イラクやシリアの事例より明らかに困難であり、反撃されることに伴うコストも高くなります。このことはネタニヤフ氏やバイデン氏にイランへの予防攻撃をためらわせるよう働くでしょう。

②について、ウィットラーク氏は、「ネタニヤフが核拡散の悲観主義者であるのは明らかだ…バイデン大統領は歴史的に公の場で繰り返して、イランの核兵器を未然に防ぐ武力行使を支持してきた…彼はトランプやネタニヤフと同様、核拡散の悲観主義者である」と分析しています(『あらゆる選択肢が検討されている』、192ページ)。実際、かつてバイデン氏は、イランの核武装を阻止するための最後の手段として、武力行使を用意していると述べました。ただし、現在のアメリカはウクライナにおけるロシアとの「代理戦争」にかなりの国力を割いているだけでなく、台頭する中国を封じ込めなければならないために、イランを攻撃することには限られた戦略的資源しか投入できませんので慎重になっています。バイデン氏はイスラエルによるイランへの反撃作戦に参加せず、そうした作戦にも反対だとの考えをネタニヤフ氏に伝えたそうです。これにネタニヤフ氏も理解を示したということです。

しかしながら、これでイランの核開発をめぐる予防戦争の危険が消えたわけではありません。そしてイランとイスラエルもしくはアメリカが戦火を本格的に交えることになれば、これが日本に悪影響を及ぼすのは必至です。

隣の韓国では、ある世論調査によれば、7割の国民が独自の核武装に賛成しています。同時に、韓国の核武装に関するデメリットとしては、厳しい経済制裁を招くとか、米韓同盟にヒビが入るとか、核拡散のドミノが起こる、といったことが指摘されていますが、予防攻撃を受けるリスクの評価までには、ほとんど話が及んでいないようです。しかし、核拡散に伴う最大の危険は、韓国のケースでも予防戦争の招来なのであり、そうなった場合、地理的に近い日本の安全保障は損なわれることになるでしょう。

ウクライナ戦争におけるロシアの核威嚇は、多くの人たちに核抑止の効用を再認識させているようですが、核抑止力を持つまでのプロセスにおける予防戦争のリスクとメカニズムは見過ごされているようです。この考えたくもない恐ろしい問題に正面から取り組むみ、核拡散に対する政治指導者の悲観的な信念が予防戦争と結びついていることを明らかにした『あらゆる選択肢が検討されている』は、我が国で、もっと広く読まれるべきだと私は強く思います

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畏友・宮下明聡氏の死を悼む

2024年02月07日 | 日記
私にとって、良き研究仲間であり、優しい友人であり、教師のような存在でもあった、政治学者の宮下明聡氏(東京国際大学)が急逝された。世界の政治学界/国際関係学界は、偉大な学者を失った。これは決して誇張ではない。彼はトップクラスの学者として日本国内にかぎらず海外でも活躍していたからである。宮下氏は、コロンビア大学政治学部博士課程を修了して、Ph.D.の学位を取得しており、同じ時期に大学院生だったポール・ミッドフォード氏(明治学院大学)が、Facebookに寄せた追悼メッセージには、世界中の政治学者から彼を悼む「コメント」が続々と寄せられている。これは宮下氏が、いかに世界中で評価されていたのかを示す、何よりの証拠であろう。

私が宮下氏と最初に会ったのは、今から30年以上も前のことである。当時、私は大学院生であり、海外から日本に留学していた博士候補生や若手の研究者と勉強会を持っていた。彼は博士論文の資料を収集するために日本に一時帰国した際に、この勉強会に顔を見せたのであった。この勉強会のメンバーは、2週間から1月に1回のペースで原宿や神楽坂のカフェに集まり、注目度の高い政治学や国際関係論の研究書や論文について意見交換するというものであった。勉強会は、資料を選んだメンバーが、その要約と評価を行い、その後で意見を交換するという流れで進められた。使用する言語はもちろん英語だ。私は、ここでどれほど学問的に鍛えられたか分からない。

宮下氏に対する私の最初の印象は、物静かな大学院生というものであった。世界中から俊英が集まり切磋琢磨しているであろう、コロンビア大学大学院の博士候補生にしては、おとなしい人という印象であった。しかし、彼が思慮深く、鋭い批判的思考の持ち主であることは、すぐに分かった。宮下氏は舌鋒鋭く批判を述べるタイプではなく、静かな口調で誰もが考えさせられるような問題提起や論理矛盾を淡々と述べる、高度に知的な人物だったのだ。

その後、宮下氏はコロンビア大学に戻り、博士論文を完成させた。彼の論文テーマは、当時、世界の政治学者が盛んに議論していた「外圧反応型国家」論争に関連づけられており、日本が国益を損なう時でさえ同盟国であるアメリカの圧力を受けて、その海外援助政策を変更してきたパズルを説明することであった。そして、この研究成果は、Limits To Power: Asymmetric Dependence and Japanese Foreign Aid Policy, Lexington Books, 2003として出版された。本書には、そうそうたる学者が賛辞を寄せている。T. J. ペンペル氏(カリフォルニア大学バークレー校)、渡邊昭夫氏(東京大学)、そして、彼の指導教授であったジェラルド・カーティス氏(コロンビア大学)である。

宮下氏は、その後も「外圧反応型国家」論争に関心を持ち続けて研究を進めた。圧巻なのは、この政治学の難問について、国際チームを結成して共同研究を行い、一定の答えを導き出したことだろう。彼は、佐藤洋一郎氏(立命館アジア太平洋大学)と編んだ高著『現代日本のアジア外交―対米協調と自主外交のはざまで―』ミネルヴァ書房、2004年(英語版は、Japanese Foreign Policy in Asia and the Pacific: Domestic Interests, American Pressure, and Regional Integration, Palgrave, 2001)において、「日本はアメリカと利害の一致する場合には協力を続けることもあろうが、そうでない場合にはより独立した外交政策を展開するであろう」(270頁)という結論を下している。なお、この研究には、国内外のトップクラスの学者が参加しており、それをまとめ上げた宮下氏の手腕がひときわ光ってる。

日本に帰国して母校の東京国際大学に職を得た宮下氏は、私に研究会を持とうと声をかけてくれた。もちろん、私が喜んで賛成したのはいうまでもない。そして私たちは、数名の知り合いを集めて定期的な研究会を開催することにした。そこで最初に資料として選んだのが、Colin Elman and Miriam Fendius Elman, eds., Bridges and Boundaries: Historians, Political Scientists, and the Study of International Relations, The MIT Press, 2001だった。本書は、国際関係を研究する歴史学者と政治学者が、両者の共通点や相違点などを探究する内容である。ここでは方法論的な多様性を擁護しつつも、著名な歴史学者と政治学者が、相互に激しく批判し合っていた。我が国の「国際政治学」は、歴史的アプローチと理論的アプローチが「共生」していると肯定的に評価されることがよくあるが、私は、それが「馴れ合い」のようにも感じられて、もやもやとした感情を抱いていた。エルマン夫妻が編集した本書は、国際関係研究における歴史学と政治学の相違点を明確に示していたので、私の頭の中にあった「わだかまり」を吹き飛ばしてくれた。これに衝撃を受けた私は、宮下氏に「本書を翻訳して、日本の読者に紹介しましょう」と提案した。彼は二つ返事で同意してくれた。こうして上記書の訳出が始まったのであるが、その後で、私は自分の翻訳の提案に半分後悔することになる。



宮下氏は「職業としての学問」(マックス・ウェーバー)において、仕事の「鬼」であった。私は、第9章「冷戦史研究における資料と方法」(デボラ・ウェルチ・ラーソン氏)、第10章「コメントー歴史科学と冷戦研究―」(ウィリアム・ウォールフォース氏)、第11章「国際関係史と国際政治学」(ロバート・ジャーヴィス氏)、第12章「国際関係史」(ポール・W.シュローダー氏)を担当した。どの論考も力作であり、それらを訳出することで、私の国際関係研究における歴史学と政治学への理解は深まった。しかしながら、訳文は簡単には訳書にはならなかった。宮下氏は私が訳出した日本語に、それこそ何十回も手を入れたのである。私が訳文を見せるたびに、それに彼は真っ赤になるほど修正の筆を入れたのであった。そうしたやり取りが延々と続いた。私は半分うんざりしてしまい、「完璧は無理です。ある程度で妥協しましょう」と申し出たが、彼はこれを断固拒否した。私が彼による代替訳文を受け入れなかった際には、「なぜそうしないのですか、納得のいくように説明してください」と、静かながら厳しい口調で言ってくるのである。彼を説得できる反論を持ち合わせていなかった私は、彼の示唆にしたがわざるを得なかった。というより、彼の指導に従うべきだったのだ。私が宮下氏を教師のような存在であったというのは、こうした理由からである。

この翻訳プロジェクトは、コリン・エルマン/ミリアム・フェンディアス・エルマン編『国際関係研究へのアプローチ—歴史学と政治学の対話—』東京大学出版会、2003年として公刊された。私は、この仕事に誇りを持っている。自画自賛といわれるかもしれないが、これはよい翻訳書になったと確信している。これも宮下氏のリーダーシップの賜物である。この仕事を彼と共同で行ったことにより、私がどれだけ「職業としての学問」を学んだことだろうか。彼には感謝してもしきれない。

宮下氏とは、その後も知的交流は続いた。防衛省海上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程が「政策と戦略」を全面改訂する際、私と宮下氏そして田中康友氏(北陸大学)で、新しいプログラムを作ったことが懐かしく思い出される。「一人で研究していても息苦しくなってしまい、生産性もあがらないでしょうから、勉強会を持ちませんか」と誘われて立ち上げた「国際関係理論研究会」は、今でも続いている。そこには、我が国の国際政治学界は社会科学の方法論や理論をより重視すべきであるという問題意識を共有する研究仲間が集い、数か月に1回のペースで、国際的に注目されている研究動向や自分の研究をまとめて発表して討論したり、トップ・ジャーナルに掲載された意欲的な学術論文を取り上げて議論したりしている。それまで必ず研究会に出席してきた宮下氏が、1月下旬の会合に無断で欠席したので、仲間と「どうしたのでしょうね」と話していた矢先に、彼の愛弟子の西舘崇氏(共愛学園前橋国際大学)から、彼が急逝したとの訃報を知らされたのである。その時、私は宮下氏の死をどうしても信じられなかった。私の頭に浮かぶのは、彼の温和な笑顔しかなかったからだ。

宮下氏には、私が最近に共同研究の成果として出版した『インド太平洋をめぐる国際関係』芙蓉書房出版、2024年を献本したばかりであった。刊行する前に、本書に寄稿した拙論「構造的リアリズムと米中安全保障競争」の草稿を宮下氏に見せてコメントを依頼した際、彼らしい鋭いコメントが寄せられた。もし拙論が読むに耐えるものになっているとすれば、それは宮下氏の指導のおかげである。私は、研究論文を執筆した際には、そのほとんどすべての草稿を宮下氏に読んでもらいアドバイスを仰いできた。そのたびに、彼は貴重な時間を割いて読んで下さり、質の高いコメントや批判を戻してくれた。このような素晴らしい研究仲間を持てた私は、なんて幸運だったのだろうと、あらためて思わずにはいられない。それだけに、彼がこの世を去ってしまった喪失感はとてつもなく大きい。

私は宮下氏とは、国際関係研究における社会科学方法論と理論の大切さと有用性の意識を共有し続けた。そして、私たちは、我が国の国際政治学界に社会科学方法論に関する優れた学術書を紹介する努力を行ってきた。私は、渡邊紫乃氏(上智大学)とスティーヴン・ヴァン・エヴェラ『政治学のリサーチ・メソッド』勁草書房、2009年を翻訳した。宮下氏は泉川泰博氏(青山学院大学)とヘンリー・ブレイディ/デイヴィッド・コリアー『社会科学の方法論争(第2版)』勁草書房、2014年を翻訳した。とりわけ後者の巻末にある用語解説は、主要な社会科学のキーワードや概念を理解するには、きわめて便利で役に立つものである。これだけでも同書には高い価値がある。ここでも彼は素晴らしい仕事を成し遂げている。

国際関係研究を志す若い人は、宮下氏の遺志を継いでほしいと願わずにはいられない。この分野を目指す人たちには、少なくとも社会科学の方法論に立脚した研究を目指していただきたい。我が国の「国際政治学」は数理的・定量的研究は別にして、事例研究を用いる定性的研究では、歴史的アプローチや記述的アプローチなどが混然一体としており、はたして厳格な社会科学方法論にどれだけもとづいているだろうか。とりわけ、日本外交研究では、社会科学の方法論が置き去りにされがちではないだろうか。だからこそ、宮下氏は『現代日本のアジア外交』の結論において、「日本外交政策の研究に方法論上の厳格性を取り入れるという目的は、それなりに達成された」(273頁)と同書のオリジナリティと学術的意義を宣言したのである。もし、若手や大学院生が手本となりそうな宮下氏の方法論や理論に厳密な論文を示してほしいと言われたら、"Where Do Norms Come From? Foundations of Japan's Postwar Pacifism," International Relations of the Asia-Pacific, Vol. 7, No. 1, 2007を上げたい。これは、日本の「反軍主義」や「平和主義」は規範で説明されることが多かったところ、構造的・物質的要因に影響されていることを見事に論証した論文である。この論文の被引用回数は112件であり、とても高く評価されている。ご一読を強くお勧めしたい。

この場を借りて、宮下明聡氏のご冥福を心よりお祈りする次第である。

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世界は核武装国が好き勝手できるようになるのか

2023年11月15日 | 研究活動
ロシア・ウクライナ戦争や中東のガザ地区でのイスラエスとハマスとの「戦争」は、われわれに国際関係における利害対立や武力衝突の危険を再認識させました。こうした混沌とした世界の動きを読み解くためには、国際関係理論がとても役に立ちます。この知的ツールを利用すれば、世界で起こっていることを完全に理解できないまでも、世間の注目を集める国際的な出来事について、その都度、直観的に考えるより、はるかに正確な考察ができるでしょう。人間は「代表性ヒューリスティック」、すなわち、自分が注目した衝撃的なニュースなどを典型的で普遍的な事象の代表と勘違いしがちです。しかしながら、ある特定の出来事は、それを構成する母集団のほんの1つのサンプルに過ぎません、もしかしたら、例外的な事象(外れ値)かもしれません。こうした認知バイアスを避けるには、国家間の関係の一般的パターンを説明する理論を使うことが有効です。

核武装国と強制行動
国際関係にアプローチする際に、なぜ理論的分析が役に立つのか、1つの例を挙げて説明します。我が国では、ロシアがウクライナを侵攻するにあたり、核兵器の威嚇によりNATO(北大西洋条約機構)をけん制したことから、「ロシアを敗北させなければ、核武装国が好き勝手にできてしまう世界になる」という言説が一部でささやかれています。しかしながら、政治学の標準的な研究は、そのような主張を否定しています。トッド・セクサー氏(ヴァージニア大学)とマシュー・ファーマン氏(テキサスA&M大学)は、核武装国が行った強制外交、すなわち核恫喝により相手国の行動を意のままに動かそうとしたことを統計分析と事例研究で詳しく調べた結果、それらの試みは軒並み失敗してきたことを明らかにしています。

ここで注意していただきたいのは、強制外交とは、国家が軍事力の威嚇により、自らの政治的意思を相手国に戦争をせずに受け入れさせることです。これに失敗した場合、強制する側は、武力を引っ込めるか、それとも行使して戦争に訴えるかのどちらかを選択するよう迫られます。ロシアのプーチン大統領は、アメリカのバイデン大統領にウクライナがNATOに加盟させないことを約束するよう迫りましたが断られました。そこでクレムリンは、ウクライナ国境付近に大量のロシア軍を展開して、再度、NATOに同じ要求を書面で誓約するよう要求しました。しかしながら、NATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグ氏は、これを拒否しました。これによりプーチンらの指導者は、振り上げた拳を下すか振るうかの選択に直面して、後者、つまりウクライナ侵攻に至ったということです。要するに、ロシアは強制外交に失敗したから、戦争を決断したのです。

核恫喝を盾にした侵略
ロシアは核兵器でウクライナやその支援国を威嚇することにより、同国に供与される兵器の種類や量を制約させたり、NATO加盟国による直接の軍事介入を阻止したりしているようにみえます。これは核兵器による強制ではなく、抑止になります。抑止とは、相手国に望ましくない敵対的な行動を思いとどまらせることです。これは国家が相手国に既にとった特定の行動を自らの要求に従って変更させる強制とは異なります。

抑止は強制よりも成立しやすいというのが、政治学の常識です。なぜ、そうなるかといえば、人間は利得より損失に敏感だからです。プロスペクト理論が示唆するように、政治的指導者は損失を避けようとする際には、リスクを冒しても頑迷に抵抗する傾向があります。だから、国際関係では現状維持の方が現状変更より達成しやすいのです。

ロシアの核兵器による威嚇は、ウクライナ侵攻において、おそらく「シールド(盾)」のような役割を果たしたのでしょう。すなわち、モスクワは核兵器による懲罰の脅しを西側諸国にかけることで、その軍事介入やロシア本土への打撃を抑止する一方で、ウクライナへの通常戦力による侵略を実行しやすくしたということです。これは古くから「安定と不安定のパラドックス」(グレン・スナイダー氏)として、よく知られています。この理論は核戦争へのエスカレーションのリスクが全面戦争を防いでいる状況において、通常戦力による戦争の可能性がかえって高まってしまうという逆説的な現象を説明しています。近年の「核シールドの理論」は、これを肯定するものです。核武装国は相手国を破滅させられる核兵器の第二撃能力を持つと、究極の生き残りを確実にできるので、通常戦力を使った行動をとりやすくなるというのです。

それでは、この核シールド理論は、どの程度の一般性を持っているのでしょうか。前出のセクサー氏とファーマン氏によれば、この理論は「俗説」のようなものだということです。

「神話8:核兵器は侵略のシールド(盾)になる……これが正しければ、核武装国は既成事実化により現状を自国にとって有利に変更できる……2014年初め頃のロシアによるクリミア編入は、これがいかに上手くいくかを例証するものだ……我々は、このシールドの主張をテストしたところ、物足りないことが分かった。国家が核兵器を保有しても、(1)強制の威嚇を発したり(2)領土の現状維持に軍事力により挑戦したり(3)領土をめぐる現存する紛争を拡大したり(4)軍事力を使って領土紛争を有利に解決したり出来るようにはならない。核武装国による軍事力を使った領土の現状変更への挑戦は、大きな変更を生じさせることに7割がた失敗している……我々は1つや2つの事例を一般化する際には慎重になるべきだ……1999年のカーギル危機での冒険が領土の現状維持に変更をもたらさなかったことを思い出すのは大切だ」(同書、250ページ)。



そのカーギル危機において、核武装したパキスタンは核保有国のインドとの領土紛争を優位にしようと通常戦力に訴えましたが、結局のところ失敗しました。

核兵器による強制外交は、①政治目的を通常戦力で達成できるかどうか、②強制に賭けるものがどのくらい大きいものなのか、③強制を実行する際に支払うコストはどの程度になるのか、といった要因に左右されます。ロシアが核恫喝で西側をけん制しながらクリミア半島を編入して既成事実化したことや、1962年10月のキューバ・ミサイル危機において、ケネディ政権がソ連のフルシチョフ首相にキューバに配備した核ミサイルを強制的に撤去させたことは、②の条件を満たす稀な事例でしょう。

ダビデがゴリアテを倒す世界
現代における国際関係は、核武装した大国が中小国の抵抗にあったり振り回されたりするストーリーに満ちています。セクサー氏とファーマン氏によれば、核武装国の強制は、第二次世界大戦から2001年までの全ての事例において、40件も失敗しています。核兵器を持たない小国でも核大国に平気で歯向かうのです。プエブロ号事件において、超大国のアメリカは小国の北朝鮮に振り回されました。1968年、アメリカの情報収集艦プエブロが北朝鮮に拿捕され、乗組員のアメリカ人は人質にとられました。アメリカは原子力空母や戦略爆撃機を北朝鮮周辺に展開して、同号の返還と人質の解放を要求する「瀬戸際外交」を展開しました。しかしながら、北朝鮮は強硬な態度を貫きました。結局、アメリカは人質を解放させるだけにとどまり、北朝鮮に対して謝罪することに追い込まれただけでなく、プエブロ号を取り戻せませんでした。その他、マヤグエース号事件のカンボジア、米大使館員人質事件のイランなどもアメリカに盾付き、武力の威嚇による要求も受け入れず抵抗しました。

日本が尖閣諸島を国有化した際に、中国は核兵器で脅して、この問題を自国にとって有利にしようとしましたが、日本政府にはまったく効きませんでした。多くの事例では、核による強制は、それを成立させる条件が満たされないので、その威嚇は信頼性に欠けてしまいます。その結果、国家は核兵器で恫喝しても、相手はそう簡単には言うことを聞かないのがしばしばなのです。

要するに、政治学の常識は、核兵器による強制を否定しているのです。このことについて、ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)とセバスチャン・ロザート氏(ノートルダム大学)は、「核兵器による強制の理論は、核兵器を持つ国家が、それを使って非核国を脅して……その行動を変えさせられるという……しかし、この理論を経験的に検証したところ、学者のコンセンサスは、これには信ぴょう性がないということであった」(John J. Mearsheimer and Sebastian Rosato, How States Think: The Rationality of Foreign Policy, New Haven: Yale University Press, 2023, p. 58)と結論づけています。

強制外交だけでなく戦争においても、核武装した大国は小国に何度も敗れています。冷戦の二極システムにおいて、アメリカはベトナム戦争で北ベトナムに敗れました。これはソ連と中国というパトロン大国がクライアント国である北ベトナムを支援したからだと説明できるかもしれません。それでは、ニクソン政権は核兵器による脅しを北ベトナムにかけて屈服させようとした強制外交は、どうだったでしょうか。これはハノイ政権には全く効きませんでした。アメリカの核恫喝は北ベトナムから何の譲歩も引き出せなかったのです。冷戦後の単極時代には、アメリカはアフガニスタンとイラクに侵攻しましたが、これらの「永久戦争」において、アメリカは事実上、敗北しました。アメリカ以外の大国も小国に対する戦争で何度も苦戦もしくは敗退しています。1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻しましたが、これはみじめな失敗に終わりました。中国はベトナムに対して「懲罰戦争」を行いましたが、その結果は「勝利」とは程遠いものでした。

羊飼いのダビデが巨人兵士のゴリアテを倒す物語は、『旧約聖書』に載っている有名なものです。国際政治の世界において、このストーリーさながらのことは、私たちの直観に反して何度も起こっているのです。国際関係の分析において、感覚的な思考や判断はあまり当てにできないからこそ、信頼性のある理論(=政治学の常識)が必要になるのです。こうした点について、政治学者の河野勝氏(早稲田大学)は次のように主張しています。「メディアに登場するコメンテーターや評論家たちが、何の根拠もなく、また政治学の常識からすると明らかに間違った解説を平気で述べていることに対しては、『プロ』としてチェックの目を働かせ、時には憤りを感じて彼らを批判し、学生たちに対してはそうした素人たちの誤りを見抜くリタラシーを高めよ、と教育する(のだ)」(河野勝『政治を科学することは可能か』中央公論社、2018年、ivページ)。私がどれだけ能力のある「プロ」なのかはさておき、この指摘には頷くしかありません。核武装国が中小国に対して無理難題を強要できるようになるという言説は少なくとも、核兵器を使用することのコストとリスクを軽視しているだけではなく、損失を回避するためにリスクを顧みずに死に物狂いで抵抗する中小国の行動を理解していない「俗説」、すなわち「政治学の常識」に反するといってよいでしょう。




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