野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

書評: G. John Ikenberry, ed., Power, Order and Change in World Politics

2015年06月30日 | 研究活動
国際安全保障学会の機関紙『国際安全保障』に書評を発表しました。



書評した図書は、以下の論文集です。



同書では、ロバート・ギルピンの名著『世界政治における戦争と変容』出版30周年を記念して、世界をリードする国際関係研究者たちが、彼の偉業をさまざまな角度から論じています。

この論文集に対する私の評価は…。『国際安全保障』誌の書評をご笑覧いただければ幸いです。

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エレガントな理論とは何か

2015年06月29日 | 研究活動
6月28日のIPE研究会に討論者として参加してきました。テーマは「グローバル化時代の国際関係理論の課題と展望―政策・学際領域・教育現場を踏まえ―」、発表者は、杉山知子氏(愛知学院大学)でした。論点の1つは、以前からブログで取り上げている「イズム(主義)」をどう捉えるか、ということでした。さまざまな議論が行われましたが、結局、研究会で答えが出たわけではありません。

ところで、進化生物学のリチャード・ドーキンス氏は、理論の冗長性を削除することの重要性を指摘したうえで、次のように述べています。

「ある理論をエレガントにする要素の一部は、なるべく少ない仮定のもとで多くのことを説明する力にある」(ブロックマン『知のトップランナー』21ページ)



そしてドーキンスをはじめ多くの自然科学者は、この基準からすれば、「ダーウィニズム」が圧勝だと主張しています。ここで私の独断と偏見を述べることをお許しいただけるのであれば、ウォルツ流のリアリズムも「理論に深淵でエレガント」であるがゆえに、国際関係論において「圧勝」だと判断します(異論が噴出することは覚悟しています、苦笑)。

もっとも、理論の良しあしを判断する基準が、「簡潔性」だけではないことは、私も十分に理解しています。行動形態学者の長谷川眞理子氏がいうように、「私たちの認知能力には限界があるので、ある程度の単純さによって、かなり深くまで説明できるとわかったとき、それを『美しい』と感じているだけかもしれません」(同書、490ページ)。

話をIPE研究会に戻します。私にとって、この研究会の最もよいところの1つは、国際関係論のみならず物理学や人工知能などを研究されている方と、意見交換できるところです。もちろん、国際関係分野の研究者との交流も有意義なのですが、それ以外の学問領域の研究者の見解を本音ベースで聞かせていただける機会はめったにないので、それだけでも貴重です。しかも、それぞれのコメントは刺激的なので、自分の専門分野を異なる角度から見つめ直すのに役立ちます(今回は、物理学における理論構築と実験について、多くを教えていただきました)。

参加者の皆様に、この場を借りて、心より御礼申し上げます。






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国際関係研究の将来

2015年06月23日 | 研究活動
国際関係研究は、今、さまざまな意味で行き詰まっているようです。「イズム」論争の衰退は、その1つの兆候と言えるかもしれません。このような国際関係研究の現状をメタ理論で分析して、将来展望を示そうとする大胆でスケールの大きな論文が発表されました。芝崎厚士著「国際関係研究の将来―国際関係の研究からグローバル関係の研究へ―(『年報政治学』2015年-Ⅰ)です。

この論文で私が注目した彼の主張は、国際関係論に理論は1つしかなかったというものです。

「国家学的・平和学的動機にもとづきそれ以外は継ぎ足しで処理し、主権国家と主権国家間関係に領域を限定してそれ以外は建て増しで処理し、主権・アナーキー・権力政治を原則としそれ以外は例外として処理するという理論である」(157ページ)。

これは鋭い指摘です。国家をアクターとする権力政治のパラダイムは、それを批判するリベラリズムもコンストラクティヴィズムも、結局は、国家中心主義に代わるパラダイムを確立できずにいます。その意味で、メタレベルにおいて、これらは1つの「理論」に包摂されるといえるかもしれません。

では、こうした閉塞を打破するには、どうしたらよいのでしょうか。現在の国際関係理論の研究では、「仮説の厳密な検証」が1つの知的流行になっていると言われています。そして、このことは「『仮説と検証のループ』をタコツボ状に増殖させること」(159ページ)につながりかねません。そうなるとディシプリン(学問体系)としての国際関係論は、確かに、その統一性を保ちにくくなりますが、通常の科学の手続きからすれば、進歩といえなくもありません。

ただし、ここで注意すべきは、「仮説と検証のループ」モデルそのものが、学問領域を問わず、果たしてうまく働くかどうかということです。既存の研究が示すところによれば、残念ながら、そうもいかないようです。科学ジャーナリストのウィリアム・ブロードとニコラス・ウェイドによれば、「伝統的な科学観が大きく道を踏みはずすのは、科学の過程に焦点を置くあまり、科学者の動機や欲求といったものを考慮しないためである」(『背信の科学者たち』29ページ)と喝破しています。「反証」という行為は、自然科学においてさえ、たとえ、その証拠があったとしても、簡単ではありません。



「事実に基づく証拠がその唯一の道標となるならば、より大きな証拠が十分な説得力をもって示されたとき、科学者は即座に新しい考えを受け入れ、古い考えを捨て去ることができよう。しかし、現実には科学者は古い考えが無効とされた後でも、それに固執することが少なくない」(201ページ)

産褥熱の悲劇は、当時の医者が古い医療の常識に固執したことにより生じ、本来なら助かった多くの命が失われました。それ以外にも、ヤング(光の波動)、パスツール(発酵)、メンデル(遺伝の法則)、ヴェーゲナー(大陸移動説)らが、科学の先達たちから、いかに頑迷な抵抗に受けたかも想起されます。

ひるがえって、社会科学としての国際関係研究ではどうなのでしょうか。学問がタコツボ化して「針の穴から世界をみるような状況」(芝崎:157ページ)になることの問題もさることながら、そもそも国際関係研究は、科学手続きに内在する「反証を頑迷に拒否する性向」と無縁なのでしょうか。以前、研究仲間たちと「反証されたことにより、自らの理論を破棄した国際関係学者はいるのか」という話をした時に、「そのような学者は思いつかない」との結論になったことを思い出します(私がその存在を知らないだけかもしれませんが…)。

閑話休題。

芝崎氏の指摘でもう1つ重要だと思うのは、他の学問のと交流による国際関係論の「科学革命」(トマス・クーン)の可能性に言及していることです(芝崎:163-165ページ)。「学問を進歩させる独創的な考えに貢献するのは、たいていその学問領域における確立された教義に洗脳されていない部外者か、もしくは他の学問領域から来た新参者である」(ブロード、ウェード:204ページ)。国際関係論自体がそうでした。法律学をドイツで学んだハンス・モーゲンソーが、米国でリアリズムを体系化したことにより、国際関係論は飛躍的に発展したのです。

では、これからの国際関係論は何が進歩させるのでしょうか。芝崎氏も示唆しているように、その1つの候補は「心理学」かもしれません。認知科学者で進化心理学者のスティーヴン・ピンカー氏は、戦争などの暴力が減少していることについて、多くの国際関係研究者が軽視していた個人レベル(第1イメージ)に焦点を当てながら、雄弁にこう主張しました。

「平和化…長い平和…。これらは捕食や支配、復讐、サディズム、イデオロギーが自制や共感、道徳、理性を凌駕してきたことの表れのはずだ」(Pinker:671-672、邦訳『暴力の人類史(下)』青土社、2015年、537ページ)。



つまり、人間がより理知的になってきたからこそ、世界は平和にむかっているのだということです。

もちろん、これまでも人間本性と戦争について分析した研究書はありましたが、本書が類書と決定的に違うのは、神経科学や認知心理学、生物学などの知見をフルに動員して、豊富なデータで自説の妥当性を裏づけようとしていることです。くわえてて、国際関係論の「相互核抑止論」や「民主的平和論」などの代替仮説は、ここで徹底的に棄却されています。

ピンカーは慎重にも、自分の研究が統一されたグランドセオリーにまとまることに期待すべきではないと、一言、くぎを刺していますが、それでも彼の研究が停滞する国際関係論が進むべき1つの道を示しているように私は感じました。


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予測、政策、理論

2015年06月05日 | 研究活動
4年のゼミ生たちに、拙稿「国際関係理論は将来を予測できるのか―政策とインテリジェンスへの含意を探る―」を読んでもらったところ、あるゼミ生から「ガッカリした」と言われました。何でも、そのゼミ生曰く、「国際関係理論は実践でもっと役に立つものだと思っていた」とのこと…。

そこで今日は、「予測」に関するいくつかの重要な文献を紹介することにします。これらを読めば、予測がいかに難しいかを分かってもらえると思います。

・ダン・ガードナー(川添節子訳)『専門家の予測はサルにも劣る』飛鳥新社、2012年。

刺激的なタイトルの図書です。著者は、その道の「プロ」による予想には悲観的です。

なぜ予測が難しいのか。ガードナー曰く、「世界は複雑なのだ。予測するには複雑すぎる。…予測できない世界を、間違いを起こしやすい脳を使って予測すれば、失敗を重ねて当然だろう」(同書、34ページ)とのことです。

・Philip E. Tetlock, Expert Political Judgement: How Good Is It? How Can We Learn? (Princeton: Princeton University Press, 2005).

私がもっとも刺激を受けた研究の1つです。テットロックは、専門家の予測の失敗の「バラツキ」をさらに詳しく分析しました。そして本書は、キツネのような「狡猾な」思考を持つ専門家の方が、予測の成績が良かったと結論づけています。

・ネイト・シルバー(川添節子訳)『シグナル&ノイズ』日経BP、2013年。

情報に含まれるシグナル・ノイズの観点から、データによる予測可能性を探求した意欲作です。シルバーは、「予測できないものを受け入れる冷静さ」と「予測できるものを予測する勇気」を持つことの意義を説いています。

では、国際関係の予測は、どうなのでしょうか。シルバーはこう言っています。

「私が(戦略国際問題研究所主催の)会議で説明した方法が、国家の安全保障を分析するにあたって大いに役立つとは思わない。野球や政治の予測で納得できる答えが出せるのは、豊富なデータがあるからだ。…ところがテロはそうはいかない。…テロの計画を見つけるのは、干し草の山から一本の針を見つけだすよりずっと難しい」(同書、471-472ページ

国際関係理論は思ったよりも役立たないと考えている人は、ぜひ上記の3冊をお読みください。



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