野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

なぜ「文系」にも科学が必要なのか?

2012年06月22日 | 研究活動
リチャード・ドーキンス氏は、生物学者としてのみならず、科学の啓蒙者としても有名です。今回のブログのテーマである、科学教育の必要性についても、説得力のある主張を展開しています。

なぜ文系の学生も科学を学ぶべきなのか?その1つの理由は、ドーキンス氏によれば、「大人の環境に適応して生き抜くためだ」ということです。かれは、著書Unweaving the Rainbow, New York: Penguin, 1998(福岡伸一訳『虹の解体』早川書房、2001年)で、こう述べています。

「子ども時代は多くの人にとって、確実で安心できる失われた理想郷であり、一種の天国である。…〔他方〕大人の世界は冷たく虚しいようなものかもしれない。…きちんと成長しないということは、『幼虫』の性質を(それは長所だった)子ども時代から(それが短所になる)大人時代になるまで持ち続けることである。子どもの頃は何でも信じる性質が役に立った。…しかし時が経っても幼虫の性質から抜け出せなければ、〔インチキ家やだまそうとする者の〕格好の餌食となってしまう」(原著、142-143ページ、邦訳、184-195ページ〔〕内は引用者)。



では、どうすればよいのでしょうか?大人の世界で生きるのに必要なのが、「科学的思考」や「批判的思考」であり、しかも、それは意識して学ばないと、つまり教育しないと身につかないということです。再び、ドーキンス氏の主張に耳を傾けてみましょう。

「批判する能力が後に育つとすれば、それは子ども時代の傾向から出てくることはない。むしろ子ども時代の傾向に反するものなのだ。…われわれは、子どもの何でも信じる性質を、大人の科学に基づく建設的な懐疑主義に替えなければならない」(原著、142-143ページ、邦訳、195-196ページ)。

科学の批判的思考は、大学に入学したばかりの、多くの文系の学生のにとっては、自らの世界観を覆すものかもしれません(とりわけ、「科学的」リアリズムや進化生物学の唯物論など)。ですから、多くの若い学生が、科学を近寄りがたく受け入れがたいものとして遠ざけるのも分かる気がします。私自身も、「心やさしい」若者が、「科学」に対して、『虹の解体』の序文の冒頭にあるような反応を示すことを経験していますから。

しかし、そうした反応は、科学の一面だけを見ていることに由来するのではないでしょうか?ドーキンス氏が強調するように、科学は、われわれの「好奇心(the sense of wonder)」を喚起したり満たしたりしてくれるものでもあります。社会科学でも自然科学でも、それは同じでしょう。もちろん、「国際学」もそうだと私は言いたいのですが、そうは言っても、ピンと来ないかもしれません。そこで、私の言語による説明能力不足を補うために、Jared Diamond, Guns, Germs, and Steel: The Fates of Human Societies (New York: W. W. Norton, 1997). ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄』草思社、2012年をお勧めしたいと思います。

この本を読んでいただければ、このブログで言いたいことがスッキリと理解して頂けるでしょう。

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科学的思考法と「国際学」

2012年06月20日 | 研究活動
私が学生教育を行っている専門分野「国際学」は、科学的思考法と微妙な関係にあります。「国際学」は一般的に社会科学に分類されます。しかし、そのことを授業で学生に話しても、ほとんどの学生はピンときません。なぜでしょうか?その根本的理由は、どうやら「科学」という言葉にありそうです。おそらく学生たちが、「科学」から連想するのは、「難しい数式」、「フラスコなどを使った理科の実験」、「白衣を着た気難しい学者」なのでしょう。だから、それがなぜ「国際学」と結びつくのか、見当もつかないのでしょう。

(人文学は除き)文系であれ理系であれ、「科学」が大学教育の礎であることは、何十年も前から指摘されていました。高根正昭氏はロングセラーとなった良書『創造の方法学』講談社、1979年で、以下のように鋭く指摘していました。

「理論と方法とが、すべての学科の中心を構成しているという学問に仕組みが、私にはいわば空気のように当然のことになってしまった。…科学的思考法、科学的研究法の根本原理を学ぶことこそが、今日の大学教育の根本機能に他ならないのではないか」(同書、186-187ページ)。



それから33年が経ちました。高根氏の指摘したように、理論と方法を学ぶことは、はたして、日本の大学で空気のように当然になったのでしょうか?手元に、これに関する調査データを持ち合わせていないので、確かなことは言えませんが、私が知る限り、そうでもないようです。

科学について素晴らしい啓もう書を書いておられる谷岡一郎氏(大阪商業大学)は、科学的な社会調査の方法を分かりやすく説いた著書『データはウソをつく』筑摩書房、2007年で、日本における「科学的思考」の欠如をこう憂慮しています。

「してみると、日本という国は、学問に向いていない人が大半のような気がしてきました。…罪のない慣習やアソビにすら真剣に悩む人が多い。ましてやかなり(私から見て明らかに)アヤシゲな…言動を信じる人も少なくありません。…もう一度、科学とは何か、事実とは何かを見つめなおす時間が必要なのだと思います」(同書、161、164ページ)。



最後の谷岡氏の一言は、約30年前の高根氏の指摘に重なります。「科学」は大切だということです。今日では、大学進学率が50%を越えました。大学がマス化・大衆化したからこそ、「科学的思考法」を学生に教え、それを学生が学ぶことは、ますます重要ではないでしょうか。

進化生物学者のスティーヴン・グールド氏は、「科学はつねに社会の影響を受けている」と喝破しました(スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来』早川書房、1995年、359ページ)。この言葉は意味深長です。そして、私は、ついこう考えてしまいます。文系≠科学という誤った日本独特の社会通念が、社会科学としての「国際学」に影響しているのだろうか、と。そして、この通念が広く日本の高等教育の文化として定着して、再生産されていく…。そうだとすれば、誠に由々しきことだと思います。


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児玉源太郎と旅順攻略

2012年06月15日 | 研究活動
国民的歴史小説『坂の上の雲』に登場する重要人物の一人が、児玉源太郎氏です。ここで描かれる児玉のイメージは、「天才的戦術家」です。確かに、児玉の来歴を見れば、彼の軍事センスがずば抜けているのは、誰も否定できないでしょう。政治学者の永井陽之助氏は、児玉のことを「時代を超絶した天才」とまで評価するほどです。

最近、その児玉に「新しい歴史像」を見出そうとする研究が発表されました。小林道彦『児玉源太郎』ミネルヴァ書房、2012年です。同書は、「等身大の児玉」に迫ろうとする意欲的な学術書といってよいでしょう。



小林氏は、「天才軍人」としての児玉像から距離を置き、次のように述べています。

「(乃木は「愚将」という)評価と表裏一体の形で、児玉は『戦術的天才』として華々しく返り咲いた。だが…乃木や伊地知幸介の作戦にも相当の軍事的合理性があったし、児玉総参謀長も多くの判断ミスを犯している」(同書、327ページ)。

確かに、この小林氏の指摘は納得できるものです。では、児玉が指揮権を得て、乃木が成し遂げられなかった二○三高地の攻略を成功させたことは、どのように解釈できるのでしょうか?小林氏は、こう説明しています。

「乃木の威信は傷つけられていた。軍司令部の攻撃命令を隷下部隊では真面目に受け取ろうとしない…この暗澹たる雰囲気を一掃できる人物は、もはや児玉しかいなかった。…二○三高地攻略の成功は、児玉の『天才的な戦術眼』によるものではなく、むしろ、組織的昏迷状態に陥りつつあった第三軍司令部と隷下部隊を、児玉がその強烈な意志力によって、『正気に戻らせた』ことにあると思われる」(278、283-284ページ)。

こうした記述から得られる児玉像は、私見では、「カリスマ的リーダー」に近いような気がします。そうだとすれば、国力の限界に達していた当時の日本は、「時代を超絶した」かどうかは別にしても、「人並み外れた意思力」という「天与の資質」(M.ウェーバー)をもつカリスマたる児玉に救われたということになります。では、旅順攻略が日露戦争のターニング・ポイントだとすれば、一人の人物が「歴史」を大きく動かしたことになるのでしょうか?ひるがえって、第七師団の投入による日露間の局地的戦力の変化は、戦局にどのような影響を与えたのか?不発弾が異常に多い二八珊榴弾砲の効果は、どの程度だったのか?理論家の悲しい性(さが)なのでしょう、同書の読後感として、こうした疑問が残りました。

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K. ウォルツ『国際政治の理論』と日本の国際政治学

2012年06月11日 | 研究活動
Kenneth N. Waltz, Theory of International Politics (McGraw-Hill, 1979)は、国際政治学における最も重要なテキストの1つです。同書の日本語訳は、2年前、岡垣知子氏(獨協大学)と河野勝氏(早稲田大学)の尽力により、原著発行から30年を経て、ようやくケネス・ウォルツ『国際政治の理論』(勁草書房、2010年)として、刊行されました。岡垣氏と河野氏が、時間をかけて丁寧に翻訳されたこともあり、邦訳『国際政治の理論』は原著を正確で忠実に訳しているにみならず、訳文も読みやすいと思います。



ケネス・ウォルツ氏(カリフォルニア大学名誉教授)は、国際政治学の「発展」に多大な影響を与えた世界的な学者です。ご参考までに、ある調査によれば、この20年間で国際政治学に最も影響を与えた学者のトップ3は、第1位がロバート・コヘイン氏(プリンストン大学)、第2位がでアレキサンダー・ウェント氏(オハイオ州立大学)、第3位が、ケネス・ウォルツ氏となっています(TRIP around the Worldより)。にもかかわらず、ウォルツ氏は、日本の国際政治学界では、今ひとつ、受け入れられていないようです。

試しに、Googleにおける「ケネス・ウォルツ」「国際政治の理論」をキーワードとした検索は、邦訳『国際政治の理論』が大学のシラバス指定されているケースが、非常に少ないことを示しています。これで最初にヒットしたのは、国際政治学の授業ではなく、経済学の授業のシラバスであり、そこで『国際政治の理論』が必読文献として挙げられていました。そのほかとしては、同訳書は、いくつかの大学の国際政治関連の授業の参考文献等のリストにポロポロと掲載されている程度でした。ウォルツをググってヒットした情報の中で興味深かったのは、ある内科医が読書ブログで、同書を高く評価していたことでした…。

かつてハンス・モーゲンソー氏の名著Politics among Nations (邦訳『国際政治』)がそうであったように、私は、ウォルツの書籍は、日本語訳がでれば、日本の国際政治関連の授業でもっと扱われると思っていました。しかし、今のところは、そうでもないようです。なぜ、ウォルツは日本で高い関心をひかないのか?この疑問に対しては、「かれのシステム理論は、日本では素人っぽく見えた」とか、「現実からかい離しているように見えた」、といった理由が指摘されていますが(田中明彦「日本の国際政治学」『学としての国際政治』有斐閣、2009年、12ページ参照)、私はさらに根深いものがあるように思います。もっとも、それが何かは、まだよく分かりません。

訳者の岡垣氏が「訳者あとがき」で述べているように、「ウォルツは、理論的な敷居を突破したもののみが知っている美しい世界と科学的探究の醍醐味を示すことによって、国際政治学に新しい学問的見地を開いた」のは、まさしく、その通りでしょう。ウォルツ著『国際政治の理論』は、新しい古典にふさわしく刺激的で奥深いものです。同書は、世界中で賛否両論を巻き起こしてきましたが、だからこそ読む価値があるテキストであり学術書であると思います。


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