野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

大学教授の資格と仕事

2012年02月19日 | 研究活動
大学のセンセイは、どんな人で何をしているのか、大学の外からは見えにくいとことでしょう。松野弘著『大学教授の資格』(NTT出版、2010年)は、現在における大学教授の資格や仕事について、アカデミズムの歴史や国際比較から読み解き、グローバル化時代における大学教授像を論じた、読みごたえのある書物です。

本書は、冒頭の以下の記述から始まります。

「大学教授になるための資格や免許が存在しないという事実は、世間一般ではあまり知られていない。…大学教授になるための法的な資格要件(国家資格)は何も存在しない」(2ページ)。

「エッ~」と驚いた方も多いことでしょう。しかし、だからといって、誰でも大学教授になれるわけではありません。法律で大学の専任教授・准教授・講師の資格要件(任用資格)は明記されています。その1つの項目として、「博士の学位を有し、研究上の業績を有する者」という規定があります(その他、「芸術、体育等については、特殊な技能に秀でていると認められる者」や「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認めれある者」など、五つ条項があります)。

「博士の学位」は、大学外の人も理解しやすいでしょう。「○○博士」や「博士(○○)」(○○は主に専攻分野)がそれにあたります。外国の大学の場合、主としてPh.D という称号が与えられます。ただし、博士号やPh.D は日本の大学教授の必要条件ではありません。松野氏の推定によれば、「文系では…(博士号取得者は)全体の教員数のうちの二、三割程度」(87ページ)だそうです。このあたりがややこしいのですが、詳しくは、同書の第3章を読んで下さい。

「研究上の業績」は、分かりにくいでしょう。一般的には、「学術書」や「学術論文」が、これに相当します。では、大学教授になるのは、どのくらいの学術書や論文が必要なのでしょうか?これに関する絶対の基準はありませんが、松野氏によれば、「文系では、学問分野にもよるが、基本的には教授クラス(五〇歳)では、単著三冊、編著五冊、論文数四〇本以上をこれまでの研究成果として出しているかどうか、がすぐれた学問的評価の基準」(53-54ページ)とのことです。ここで注意していただきたいのは、この数的ハードルは、松野氏が考える、「すぐれた」教授に求められる「すぐれた」学問的評価の基準だということです。現在、私は四十代ですが、五〇歳までに、「単著三冊」の基準を超えられそうにありません(苦笑)。

同書を読んで、考えさせられるところも多かったのですが、とりわけ、大学教育とキャリア支援については、大学の存在意義にかかわる難しい問題をはらんでいることを再認識させられました。松野氏は、こう指摘します。

「学生を大学が手取り足取り指導することにより、『就職に強い大学』をPRして、受験生を集めるというものである。しかし、大学は本来、就職のための準備の場ではない」(114ページ)。

「そもそも論」から言えば、その通りでしょう。同時に、大学を取り巻く環境の変化が、大学の教育的役割や大学教授の仕事に与える影響を考えると、ことは複雑です。現在、日本では大学進学率が50%を超えています。他方、大学新卒者の就職内定率は厳しい状況です。2011年末時点で70%程度という情報もあります。大学を卒業しても仕事に就けない人が多くなれば、大学の教育内容の見直しが求められ、大学にキャリア教育を求める声が大きくなるのは、自然なことだといえるでしょう。

大学が「就職のための準備の場」になればなるほど、「学問のプロ」としての大学教授の存在意義は薄れてしまう恐れがあります。逆に、大学が「キャリア教育」に直結しない「純粋な」学問に特化すればするほど、上記のような社会の「声」に応えにくくなります。これは深遠なジレンマです。では、このジレンマには、どのような「解」があるのでしょうか?「人生の先輩アドバイザー」としての大学教授、「古典教養教育の場としての大学」という答えもあるようですが…。いずれにしても、このジレンマは、「大学」という組織に生来する難題であるのは間違いなさそうです。

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アメリカの「新国防戦略」と日本の安全保障

2012年02月03日 | 研究活動
アメリカは「米国のグローバル・リーダーシップの持続を目指して―21世紀における国防の優先順位」と題する「新戦略」を、年明け早々の先月初めに発表しました。http://www.defense.gov/news/Defense_Strategic_Guidance.pdf 厳密にいえば、これは「戦略」というよりも、「ガイドライン」もしくは「方針」を示したものですが、とても重要な政策文書であるのは間違いありません。なぜなら、この文書は、アメリカの「世界戦略」の大転換を示唆しているからです。日本の安全保障政策にも少なからぬ影響を及ぼすのは必至でしょう。

同文書は、アメリカの安全保障上の優先課題が、引き続きテロリズムや非正規戦争への対応にあることを宣言する一方で、アジア太平洋地域重視の姿勢をよりハッキリと示しており、米国の戦力をアジア太平洋地域へ転換することを強調しています。同時に、名指しでインドとの連携強化をうたっています。こうした戦略的判断を促した最大の要因が、中国であることは明らかでしょう。

中国への警戒感は、慎重な言い回しのなかに見て取れます。同文書では、「中国やイランのような国家は、われわれの戦力投射能力に対抗する非対称的手段を追求し続けるだろう」(4ページ)と分析していますが、中国をイランと並置していることから、米国の中国に対する脅威認識の高さがうかがえます。そして、新戦略では、中国の「近接阻止/領域拒否(A2/AD)」戦略に対して、アメリカは、「統合軍」による効果的な作戦行動を展開できる能力を構築するそうです。

さて、われわれは、このアメリカの新戦略をどうみればよいのでしょうか?ここでは、安全保障研究および政策論からの2つの分析を紹介したいと思います。「オフショア・バランシング」戦略を擁護するスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)は、1月9日付ブログにおいて、まだアメリカの介入主義が払しょくされていないとしながらも、同文書は、アメリカが「オフショア・バランサー」の方向に進むステップを示すものであると、一定の肯定的な評価を与えています。同時に、米軍のアジア太平洋地域への転置は、「安全保障のジレンマ」を引き起こす恐れもあると警告しています。http://walt.foreignpolicy.com/

日本への影響については、谷口智彦氏(慶応義塾大学)が、注目すべき指摘をしています。コメント記事「米国同盟戦略『ネットワーク型』へ」(『東亜』2012年1月)において、谷口氏は以下のような分析を行っています。

「(これからの)同盟モデルとは…ハブ・スポーク型ではあり得ない。…ハワイ、東京(とソウル)、キャンベラにデリーを加え(た)…『ネットワーク型』だ。…(ゆえに米国にとって日本が)比類しようのない重要相手国だった時代は公式に終わりを告げた…(日本が米国の)保険料にプレミアを払わなくてはならない時期が来た」(3ページ)。

アメリカの戦略転換と中国の台頭は、日本に潜在していた地政学上の戦略的ジレンマを表面化しました。その最たるものが、「同盟のジレンマ」(「巻き込まれ」と「見捨てられ」のジレンマ)でしょう。もちろん、これまでも日本は「同盟のジレンマ」を経験しましたが、今回は別次元の深刻さでしょう。なぜなら、地理的に近接している「昇龍」中国と同盟パートナーである米国との狭間で悩まされるからです。日本は今後、難しい外交上の舵取りをせまられそうです。

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英語は大切だけど…

2012年02月01日 | 日記
『読売新聞』2012年1月28日(朝刊)の記事「英語『将来役立つ』7割、でも…」は、ある意味、衝撃的な内容でした。

文部科学省の調査によれば、中学3年生の7割が、英語の勉強は将来の仕事に役立つと考えているそうです。にもかかわらず、英語を生かした仕事をしたい、と答えた(と強く願う)生徒は、わずか11%にとどまり、43%が「英語を生かした仕事をしたくない」とのことです。

同記事には、この調査結果を分析した研究者の「(英語を)勉強したくない、面倒との思いが強い」ことを反映しているとのコメントが紹介されていました。確かに、語学の習得には、地道な勉強の積み重ねが必要です。何百、何千の英単語を覚えることに苦痛を感じる気持ちは、私もよく分かります。人間は「合理的な」生き物ですから、面倒なことを避けようとするのは、むしろ当然なのかもしれません。問題は、英語が必要なスキルであり、有用であることを知っているにもかかわらず、それから逃げようとしていることです

以前のブログで言及しましたが、私の研究分野では、日本語にくわえ、英語のみならず中国語やコリア語など、3ヶ国語を自由に操れる若手研究者が増えています。中学生と学者を比較するのはナンセンスかもしれませんが、こうした学界の動向と上記の調査結果は、あまりに鮮やかなコントラストを描いており、思わず考えさせられてしまいました。もう一つ、私が奉職する国際学科は、英語教育を1つの柱にしています。記事にある中3の世代が大学に入学する頃には、英語教育プログラムのより一層の工夫が必要になることを予感させられた次第です。


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