高坂正堯氏の『海洋国家日本の構想』(中央公論社、1965年)は、日本のグランド・ストラテジー(大戦略)を示した戦略論の古典ともいえる著作です。本書は約半世紀前の1965年(私が生まれた年!)に書かれたものですが、現在でも通用すると思われる重要な主張がいくつも展開されています。本書が現代の古典たるゆえんは、ここにあります。
現在、日本の立場は「日米同盟」と「東アジア共同体」の間で、揺れ動いているようです。単純化して言えば、アメリカにつくか、それとも中国につくか、ということです。もちろん、実際の外交はそう単純ではありません。日米同盟と東アジア共同体は必ずしも相互に排他的ではありません。ですから、日米同盟の深化と東アジアの制度化を同時に追求することは、日本の国益にとって必ずしもマイナスではないでしょう。その反面、古典的な戦略論は、戦略目標のあいまいさを戒めています。こうした戦略の教訓に従えば、日本は自国の立場を明確にしなくてはなりません。
戦後日本の立ち位置は明確でした。すなわち、アメリカ側についたということです。この点に関する高坂氏の説明は、簡潔で説得力があります。
「太平洋戦争は…日本とアメリカの間の太平洋の争覇戦を終了させ、日本をアメリカの勢力圏のなかに入れた。一方、中国が共産化し、アメリカがこれに対して不承認政策をとるようになった結果として、日本と中国のつながりは絶たれた。…かくて、日本にとって残された道はひとつしかなかった。それは『脱亜』を徹底させ、『極西』の国としてその発展に全力をあげることであった」(中公クラッシック版、193ページ)。
すなわち、日本は「太平洋の海洋国家(極西の国)」として、太平洋の「覇権国」アメリカと同盟を維持することにより、国家を運営してきたということです。これが日本のグランド・ストラテジーの根幹でした。ところが、近年、こうした戦略を揺るがすような変化が、東アジアで起こっています。それは言うまでもなく中国の台頭です。中国の軍事力や経済力の急速な強化は、日米中のバランス・オブ・パワーを変動させています。この国際構造の変化を抜きにして、日本外交の迷走はもちろんのこと、東アジア共同体構想の浮上や沖縄米軍基地の普天間移設問題の本質は見えてこないでしょう。
驚くことに、高坂氏は、現在の日本が直面している、こうした戦略上のジレンマを約半世紀も前に明確に論じていました。
「中国の台頭によって、防衛・外交をアメリカに依存するという戦後日本の政策の前提が崩れ始めている…中国の台頭は、日本にふたたび『極東』の国としての性格を与え始め、それによって、東洋と西洋の間のアンビバレンス(両面性)という悩みを復活させた」(213ページ)。
卓見と言うほかはありません。この悩みこそが、今の日本外交を漂流させているわけです。では、こうした漂流から抜け出すには、どうすればよいのでしょうか?再度、高坂先生の議論の核心部分に耳を傾けてみましょう。
「日本の安全保障を支えるもっとも基本的なものは海洋の支配であり、そして今日、世界の海はアメリカの支配下にある。そのアメリカ海軍に逆らって、日本は安全保障を獲得することはできない」(242ページ)。
ただし、高坂氏の主張は「対米追従」ではありません(米軍の本土撤退にも言及しています)。地政学上の与件から、日本の戦略を組み立てているのです。国際環境は日本の選択肢を制約します。こうした制約の下、日本は巧みに行動せざるを得ません。この前提にたって、高坂氏は、個別の日本の対米・対中関係について、かなり洗練された議論を展開しています。それゆえ政策提言はややあいまいです。詳しくは、『海洋国家日本の構想』の第四部「海洋国のための施策」を読んでほしいのですが、それでも「海洋勢力」としての日本の立場は、こと安全保障に関しては、あくまでも日米同盟に軸足を置くということのようです。
高坂氏の『海洋国家日本の構想』は論争的な著作かもしれません。彼が主張する「グランド・ストラテジー」には賛否両論あることでしょう。それでもなお、本書が戦略論の優れた著作であることに、多くの人は異論を唱えないでしょう。海外で活躍する数少ない日本の国際政治学者の1人である川剛氏は、日本の戦略論の根本問題をこう指摘しています。日本人が「世界政治のグローバル・パースペクティブ」の素養を蓄えようにも、「世界規模での権力政治の性質を解説した日本語の著作が少ない」(川剛「国際権力政治の論理と日本」原貴美恵編『「在外」日本人研究者がみた日本外交』藤原書房、2009年、246ページ)。本書は、そのための貴重な1冊と言えるのではないでしょうか。
現在、日本の立場は「日米同盟」と「東アジア共同体」の間で、揺れ動いているようです。単純化して言えば、アメリカにつくか、それとも中国につくか、ということです。もちろん、実際の外交はそう単純ではありません。日米同盟と東アジア共同体は必ずしも相互に排他的ではありません。ですから、日米同盟の深化と東アジアの制度化を同時に追求することは、日本の国益にとって必ずしもマイナスではないでしょう。その反面、古典的な戦略論は、戦略目標のあいまいさを戒めています。こうした戦略の教訓に従えば、日本は自国の立場を明確にしなくてはなりません。
戦後日本の立ち位置は明確でした。すなわち、アメリカ側についたということです。この点に関する高坂氏の説明は、簡潔で説得力があります。
「太平洋戦争は…日本とアメリカの間の太平洋の争覇戦を終了させ、日本をアメリカの勢力圏のなかに入れた。一方、中国が共産化し、アメリカがこれに対して不承認政策をとるようになった結果として、日本と中国のつながりは絶たれた。…かくて、日本にとって残された道はひとつしかなかった。それは『脱亜』を徹底させ、『極西』の国としてその発展に全力をあげることであった」(中公クラッシック版、193ページ)。
すなわち、日本は「太平洋の海洋国家(極西の国)」として、太平洋の「覇権国」アメリカと同盟を維持することにより、国家を運営してきたということです。これが日本のグランド・ストラテジーの根幹でした。ところが、近年、こうした戦略を揺るがすような変化が、東アジアで起こっています。それは言うまでもなく中国の台頭です。中国の軍事力や経済力の急速な強化は、日米中のバランス・オブ・パワーを変動させています。この国際構造の変化を抜きにして、日本外交の迷走はもちろんのこと、東アジア共同体構想の浮上や沖縄米軍基地の普天間移設問題の本質は見えてこないでしょう。
驚くことに、高坂氏は、現在の日本が直面している、こうした戦略上のジレンマを約半世紀も前に明確に論じていました。
「中国の台頭によって、防衛・外交をアメリカに依存するという戦後日本の政策の前提が崩れ始めている…中国の台頭は、日本にふたたび『極東』の国としての性格を与え始め、それによって、東洋と西洋の間のアンビバレンス(両面性)という悩みを復活させた」(213ページ)。
卓見と言うほかはありません。この悩みこそが、今の日本外交を漂流させているわけです。では、こうした漂流から抜け出すには、どうすればよいのでしょうか?再度、高坂先生の議論の核心部分に耳を傾けてみましょう。
「日本の安全保障を支えるもっとも基本的なものは海洋の支配であり、そして今日、世界の海はアメリカの支配下にある。そのアメリカ海軍に逆らって、日本は安全保障を獲得することはできない」(242ページ)。
ただし、高坂氏の主張は「対米追従」ではありません(米軍の本土撤退にも言及しています)。地政学上の与件から、日本の戦略を組み立てているのです。国際環境は日本の選択肢を制約します。こうした制約の下、日本は巧みに行動せざるを得ません。この前提にたって、高坂氏は、個別の日本の対米・対中関係について、かなり洗練された議論を展開しています。それゆえ政策提言はややあいまいです。詳しくは、『海洋国家日本の構想』の第四部「海洋国のための施策」を読んでほしいのですが、それでも「海洋勢力」としての日本の立場は、こと安全保障に関しては、あくまでも日米同盟に軸足を置くということのようです。
高坂氏の『海洋国家日本の構想』は論争的な著作かもしれません。彼が主張する「グランド・ストラテジー」には賛否両論あることでしょう。それでもなお、本書が戦略論の優れた著作であることに、多くの人は異論を唱えないでしょう。海外で活躍する数少ない日本の国際政治学者の1人である川剛氏は、日本の戦略論の根本問題をこう指摘しています。日本人が「世界政治のグローバル・パースペクティブ」の素養を蓄えようにも、「世界規模での権力政治の性質を解説した日本語の著作が少ない」(川剛「国際権力政治の論理と日本」原貴美恵編『「在外」日本人研究者がみた日本外交』藤原書房、2009年、246ページ)。本書は、そのための貴重な1冊と言えるのではないでしょうか。