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野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

「システム憎んで、人を憎まず」―アマチュアスポーツ再考―

2025年08月19日 | 教育活動
私の大好きなマンガに『スラム ダンク』があります。バスケを題材にした作品です。後半に、こんなストーリーがあります。

バスケ全国大会での試合こと。インターハイ常連のT高校の南選手が、S高校のエース・流川選手に攻撃で肘打ちをして片目を「潰して」しまいます。南選手は、どうしても勝ちたかった。なぜなら、彼が慕っていた北野元監督の戦法「ラン&ガン」で勝てば、北野元監督が正しかったことが実証され、再び、T高校の監督に復帰できると期待していたからです。

その北野氏は、なぜ、監督を解任されたのか。T高校の理事長の説明は、こうです。「全国ベスト8くらいじゃ新聞もTVも扱ってくれへん。投資している意味がないやろ。私は経営者なんでね」。



このストーリーを読んだ読者は、何を思われたでしょうか。多くの人が、きっと悪者探しをしたのではないでしょうか。「理事長は教育者として失格だ!」、「いや、反則行為をした南選手が悪い」などなど。これらの倫理的判断は決して間違ってはいないでしょう。ひるがえって、では、悪者を批判すれば、こうしたスポーツに関する問題は、解決するのでしょうか。

人を動かす最も重要な1つの要因は、「インセンティブ」です。この理事長は、学校経営の最高責任者として、教育マーケットにおいて、バスケを利用して知名度を高めようとしました。当然のことでしょう。南選手は、試合に勝利しようとします。当然のことでしょう。そして、ダーディな肘打ちを使う誘惑に負けてしまったのです。どちらの行動にも、インセンティブがからんでいます。こうしたインセンティブを極力低めるか、もしくは、ディスインセンティブにしなければ、合理性の観点からすれば、こうした問題行為は繰り返されるでしょう。

要するに、スポーツにおけるさまざまな問題に対する、合理主義を重んじる政治学者からの1つの処方箋は、好ましくない行動を誘発しそうなインセンティブを下げるか、なくしてしまう「仕組み」、すなわち「システム」を作るということです。では、どうすればよいのか。よいお手本があります。それはアメリカのカレッジ・スポーツのシステムです。以下は、スタンフォード大学アメフト部アシスタントの河田剛氏の好著『不合理だらけの日本スポーツ界』からの引用です。どの指摘も傾聴に値すると思います。



・コンプライアンス
「学校側としては、勝ちたいがために現場の暴走で大きな問題が発生したり(することは)絶対に避けたい…また、教育機関として、学生アスリートがその道を逸脱するようなことがあってはならない。…それを監視・マネジメントするような部門(コンプライアント・オフィス)が存在するのは、必然なのである」(62-63ページ)。そして、アメリカには、全米大学体育協会(NCAA)があり、各大学の体育会を統括して、未然にスポーツ事故や障害につながる反則行為を防ぐためのシステムを構築しています。その歴史は、100年以上です。かのセオドア・ルーズベルト大統領が、この組織の創設のイニシアチブをとりました。ちなみに、ペンシルバニア州立大学は、コーチの不祥事で、NCAAから、約66億円の罰金を科せられたことがあったそうです。

また、スポーツ競技では勝利が最大の目的ですから、各選手は、高校や大学で練習を優先して勉強を疎かにしがちです。これも選手のインセンティブを考慮すれば、当然のことでしょう。勝利を義務づけられた監督も、そのような指導をするインセンティブを持ったとしても、仕方ないでしょう。学校も、体育会の勝利をマーケティングで利用するインセンティブを持つことでしょう。ですが、その結果、多くのスポーツエリートは、セカンドキャリで、その「つけ」を払うことになります。そうならないようにするには、スポーツ選手が勉強するインセンティブを高め、学校経営者そして監督には、勉強を二の次にして練習させる選手指導をやめさせたり、黙認することを許さないシステムを作らなければなりません。再び、河田氏の著書から引用します。

・セカンドキャリア
「日本を代表するプロスポーツにおいて、引退者が『華麗なる転身』をはたしたストーリーをどれほど聞いたことがあるだろうか」(17ページ)。「日本ではきわめてまれなことであるが、アメリカには腐るほどある」(138ページ)。なぜか?「(多くのアメリカの大学では)ある一定の成績を取らなければ、自分のライフワークとも言えるスポーツの練習や試合に参加することは許されない。つまり、勉強せざるを得ないシステムが存在する」(9ページ)。

今こそ、「ガラパゴス化」した日本の学生スポーツのシステムを全面的に刷新するときではないでしょうか。我が国にも、セオドア・ルーズベルト大統領のような人士がいることを信じたいです。

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鎌倉女学院での講演ー国際関係論入門ー

2025年01月03日 | 教育活動
新年明けましておめでとうございます。このブログをお読みいただき、ありがとうございます。皆さまにとって、本年が実りある時間になることを心より祈念いたします。

昨年12月には、鎌倉女学院の高校一年生を対象に国際学講座「世界はどのように動いているのか」を行いました。われわれは、海外で起こる出来事を理解しようとする際、詳しく知ろうとすると、どんどん細部にこだわるようになる結果、大きな枠組みを見失いがちです。しかし、国際政治・国際関係には一定のパターンがあり、国家は多かれ少なかれ特定の制約を受けて、その範囲内でしばしば行動します。例えば、どのような政治体制の国であれ、どの国が台頭しているのか、どの国が衰退しているのか、を気にします。そして、政治指導者が誰であれ、自国の生存を最大化するよう振る舞います。このことは、どれだけニュースを見ても、まず分かりません。だからこそ、国際関係論を学ぶべきなのです。

幸い、今では優れた国際関係論のテキストがあり、その多くは日本語で読めます。取り急ぎ、手軽に読めるエッセイを紹介します。スティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)による「トランプー北朝鮮時代に必読、5分で分かる国際関係」です。サクッと読める文量と内容なので、ぜひ、お目を通していただき、何が国家を動かしているのか、について広い視野で捉えるようにしてください。

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公開講座と出前授業(更新)

2024年11月12日 | 教育活動
われわれ大学教員は、社会貢献や地域貢献の活動として、所属先以外でも、自分の専門を活かした公開講座や出前授業などを行っています。9月から10月にかけて、私は以下のイベントの講師を務めました。

9月中旬には、令和6年度ぐんま県民カレッジ連携講座「世界の動きを理解するために―国際関係における対立と協調—」を担当しました。ご参加いただいた約100名の一般の方々に、アナーキーにおける国家間のバランス・オブ・パワーのダイナミズムを解説いたしました。これは国際政治のパターンやメカニズム理解するには欠かせない、最も重要なものでしょう。政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)は、「もし、あなたが大学で国際関係論入門の講義を受けて、講師が『バランス・オブ・パワー』について一度も触れなかったとしたら、(授業料の)返金を求めて母校に連絡しよう」と言うくらいです。

同月の下旬には、「激変する世界における日本」というテーマで、群馬県立太田東高等学校の1年生の生徒さんに出前授業を行いました。インド太平洋地域において米中二極化が進む中、日本がとるべき安全保障政策や同盟国・同志国との連携などについて話しました。授業の後、数名の生徒さんが、質問や相談に来てくれました。嬉しかったですね。10月下旬には、「激動する国際情勢と日本の戦略」というテーマで、群馬県立沼田女子高等学校の生徒さんに模擬授業も行いました。米中の覇権をめぐる激しい競争下にある日本がとり得る戦略について、パワーに関する基礎的なデータにもとづき解説しました。高校生には少し難しい内容だったかもしれませんが、皆さん、熱心に聞いてくれました。



もし、この記事を読んでインド太平洋における国際関係に関心をお持ちになったならば、ぜひ以下の書籍をご一読ください。私は、同書に「構造的リアリズムと米中安全保障競争」を寄稿しています。



さらに、10月は早稲田大学エクステンションセンターにおいて、オンライン公開講座「世界の動きを理解する―国際関係の競争と協調」を毎週、金曜日13:00~14:30に実施しました。「アナーキー(無政府状態)」、「バランス・オブ・パワー(勢力均衡)」、「経済的相互依存と比較優位、国際分業」、「誤認と誤解」をキーワードに、国際関係のメカニズムに迫りました。

これらの講座や授業が、老若男女を問わず、より多くの人たちに国際関係/国際政治を理解する知的ツールを提供できるならば、それにまさる喜びはありません。

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続・続・続・読書は大切!

2024年10月14日 | 教育活動
私が担当する「国際関係論ゼミナール」では、ゼミ生に以下のリストから毎月1冊を選んで読んで、ブックリポート(書評)を書いてもらっています。リストに挙げる本は毎年、入れ替えますが、それほど多くは変えません。この記事では、皆さんへの読書案内の参考にしていただきたく、2024年度のリストをブログで公開します。ここに挙げらえている図書は、社会科学としての国際関係論/国際政治学へアプローチする学生を念頭においたものが中心ですが、何冊かは「啓蒙書」のジャンルに入るでしょう。

国際関係論の重要書
・ケネス・ウォルツ『人間・国家・戦争』勁草書房、2013年〔原著1959年〕。
 戦争の原因を個人、国内構造、国際システムの3つのレベルから分析した記念碑的著作。
・ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』勁草書房、2010年〔原著1979年〕。
 無政府状態での国家間関係を簡潔な理論で説明する傑作。世界で最も読まれている国際関係論のテキストの1冊。
・ジョン・ミアシャイマー『大国政治の悲劇』五月書房新社、2019年〔原著2014年〕。
 攻撃的リアリズムの理論を確立した国際関係論のテキスト。大国間のパワー競争を重視しています。
・スティーヴン・ウォルト『同盟の起源』ミネルヴァ書房、2021年〔原著1987年〕。
 国際関係論の現代の古典。勢力均衡論に代わって脅威均衡論を構築・実証したリアリストの名著。
・トーマス・シェリング『軍備と影響力』勁草書房、2018年〔原著1966年〕。
 ノーベル経済学賞を受けた著者が、核時代における暴力と外交の関係を鋭く解く戦略論の傑作。
・S.セーガン、K.ウォルツ『核兵器の拡散』勁草書房、2017年〔原著2013年〕。
 核兵器はその保有国間の平和を促進すると説くウォルツと核の危険性を主張するセーガンの論争。
・スティーブン・ピンカー『暴力の人類史(上)(下)』青土社、2015年。
  戦争を含め人類が暴力に訴えなくなってきていることを実証。圧倒的な読み応え。
・ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄(上)(下)』草思社、2012年〔原書1999年〕。
  なぜ南北アメリカの原住民はヨーロッパ人に征服され、その逆は起こらなかったのか。人類史の壮大な謎に挑んだ刺激的な大著。
・ロバート・ギルピン『覇権国の交代』勁草書房、2022年〔原著1981年〕。
  覇権戦争が発生するメカニズムを明らかする。パワーの不均等成長による危機は戦争で解決されてきました。
・サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』集英社、2000年。
  多発する民族紛争や対立の根源を文明の視点から分析します。
・クリストファー・ブラットマン『戦争と交渉の経済学』草思社、2023年〔原書2022年〕。
  国家やギャングの間で戦争や抗争が起こらない理由を最新の国際関係研究により明らかにしています。
・ロバート・ジャーヴィス『核兵器が変えた軍事戦略と国際政治』芙蓉書房出版、2024年〔原書1989年〕。
 核兵器は大戦争での勝利の不可能にした結果、平和や現状を維持しやすくしたことを綿密に分析。



国際関係論の古典的名著
・E. H. カー『危機の二十年』岩波書店(文庫)、1980年〔原書1939年〕。
  国際関係論発祥のきっかけにもなった書物。難しいが読む価値あり。
・ハンス・モーゲンソー『国際政治(上)(中)(下)』岩波書店(文庫)、2013年〔原書1948年〕
・カント『永遠平和のために/ほか』光文社(文庫)、2006年〔1795年〕。
  平和論の古典中の古典。全ての平和論の原点はここにあります。
・マキアヴェリ『君主論』中央公論新社、1975年〔原書1532年〕。
  国家のみならず全ての組織の指導者に参考なるリーダーシップ論の珠玉の名作。
・中江兆民『三酔人経綸問答』岩波書店(文庫)、1965年。
  3名の対話形式で国家の政策のあるべき姿や外交とは何かを考えさせられます。読み応えアリ。

科学の啓蒙書(けいもうしょ)や方法論の良書。
・リチャード・ランガム『善と悪のパラドックス』NTT出版、2020年。
  なぜ心優しい人が大量虐殺に手を染めてしまうのか。人間本性の善悪を進化の過程から読み解きます。
・マシュー・サイド『失敗の科学』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年。
  失敗こそが人間社会の諸問題を改善する好機となることを豊富な事例を使って説く素晴らしい本。
・S. スローマン、P. ファーンバック『知っているつもり—無知の科学』早川書房、2018年。
  賢さとは知識があることではなく、自分が無知であることを自覚することだと痛感させられます。
・外山滋比古『思考の整理学』筑摩書房(ちくま文庫)、1986年。
  いわずとしれた超ロングセラー。昔から広く大学生に読まれている定番本。
・高根正昭『方法の創造学』講談社(学術新書)、1979年。
  科学的方法論の重要性を分かりやすく説く名著。原因があるから結果が生じるという、あたりまえの思考の大切さを訴えています。
・谷岡一郎『「社会調査」のウソ』文藝春秋(新書)、2000年。
・――――『データはウソをつく』筑摩書房(新書)、2007年。
  いいかげんな世論調査など、日常のニュースの落とし穴を豊富な例を使って教えてくれます。
・カール・セーガン『悪霊にさいなまれる世界(上)(下)』早川書房(文庫)、1997年。
  宇宙人による誘拐、交霊術、超能力など、エセ科学を論破して、トンデモ話に警鐘をならしています。
・リチャード・ドーキンス『虹の解体』早川書房、2001年。
  天才ドーキンスの科学の啓蒙書。人間がいかに騙されやすいかを身近な例を使って解説します。
・秦郁彦『昭和史の謎を追う(上)(下)』文藝春秋(文庫)、1999年。
  当代一流の歴史家による読み物。昭和の重大な出来事の「神話」を一刀両断にしています。
・リチャード・ワイズマン『超常現象の科学』文芸春秋、2012年。
  占い、幽霊、超能力等などを信じている人は、この本を読まなくてはなりません。
・ダン・ガードナー『専門家の予測はサルにも劣る』飛鳥新社、2012年。
  なぜ専門家は予測を外しまくるのか。その理由を説明して、よい予測をするヒントを与えてくれます。
・ジェフリー・ローゼンタール『運は数学にまかせなさい』早川書房、2010年。
 自分が何かの選択をする際に、運にまかせず賢い意思決定をするヒントが満載。数学の本ではありません。
・渡辺健介『世界一やさしい問題解決の授業』ダイヤモンド社、2007年。
  問題解決の方法を具体的に分かりやすく解説しています。薄い本ですが、中身は充実しています。
・山本七平『空気の研究』文藝春秋(文庫)、1983年。
  なぜ日本人はその場の「空気」に左右されるのか?日本文化論の金字塔的な名著。

政治学の重要書
・マックス・ウェーバー『職業としての政治/ほか』日経BP社、2009年〔原著1919年〕。
  結果を重視するか心情を重んじるべきか。国際問題における倫理のジレンマに鋭く迫ります。
・カール・シュミット『政治的なものの概念』岩波書店、2022年〔原著1933年〕。
  政治の本質は、「敵・友関係」だと説く論争的な書籍。主流のアメリカ政治学とは異なる視点を提供。
・B. B. デ・メスキータ、A.スミス『独裁者のためのハンドブック』亜紀書房、2013年〔原書2011年〕。
  政治指導者は政権の維持するために、その選出集団に手厚く利益を配分することを簡潔に説明しています。

こうした読書案内には感慨深いものがあります。というのも、国際関係論の重要書の邦訳が、この約10年間で急速に進んだ結果、英語の原書で読まなくて済むようになったからです。そして、このことは、私が大学生や大学院生だった時より、この分野を取り巻く日本の教育環境を劇的に改善しました。

私は政治学者の故・猪木正道先生から「現代の古典」は三読四読するように勧められました。四読どころか十読くらい、私が徹底して熟読したのは、ウォルツ『国際政治の理論』とウェーバー『職業としての政治』です。前者は私が学生時代には日本語訳はなかったので、原書を十読くらいしました。後者は、どこに何が書いてあるのかを暗記するくらい読み込みました。

この記事を読んだ皆さまには、ぜひ、できる限り多くの国際関係論さらには科学の良書を手に取っていただき、そのエッセンスを取り入れ、世界で起こる出来事を理解するのに役立ててほしいと願っています。

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国際関係論のすすめ

2023年04月18日 | 教育活動
ロシア・ウクライナ戦争には、多くの日本人が高い関心を持ったこともあり、メディアでは、連日のように「国際政治」を専門にする学者や識者と言われる人たちが、この戦争のさまざまな側面や展開を解説しています。我が国において、いわゆる「国際政治学者」が、これほど世間に注目されたことは、これまでなかったでしょう。

日本の国際政治学・アメリカの国際関係論
日本の「国際政治学」は、同学の本場ともいえるアメリカの「国際関係論」に比べると、学問的に多様であるところに特徴があります。すなわち、日本の国際政治学には、人文科学の側面が強い「国際政治史」や「政治外交史」と社会科学の手法に依拠する「理論研究」、さらには「地域研究」や「政治思想史」といった、さまざまな専門分野が共存しているのです。これは学問の方法論上の多様性を擁護する上では好ましいことなのでしょうが、市民や学生が国際政治学を体系的に理解することを難しくしているかもしれません。

国際政治学は、アメリカでは「国際関係論(IR: International Relations)」と呼ばれています。この国際関係論は、政治学の自立した分野として発展してきました。ですから、国際関係論はアメリカの大学では、例外的な場合を除いて、ほとんど政治学部(Department of Political Science/Politics)や行政学部(Department of Government)で教えられています。日本では「国際政治学者」という肩書が流通していますが、アメリカでは「政治学者」あるいは「国際関係研究者(IR scholar)」が一般的です。

国際関係論は、かつて「アメリカの社会科学」といわれたことがありました。この学問は、スタンレー・ホフマン氏によれば「圧倒的にアメリカで研究されてきたために、国際関係論は本質的にアメリカ的な特徴を帯びてきたし、他国で真剣な研究対象になりつつあるか定かではない」という状態でした(『スタンレー・ホフマン国際政治論集』119ページ)。今から約45年前のことです。



そのために、国際政治学はアメリカ以外の国家では役に立たないと勘違いされることがあります。ある日本の学者は、「国際政治学は…アメリカ的な特徴を持つ。それを日本に輸入してみたところで…アメリカとその関係国との相互作用の理解には有用であっても、日本が直面する固有の課題についてまで、解答を用意するものではない」(『日本の国際関係論』勁草書房、2016年、180ページ)と断言するくらいです。確かに、50年くらい前の国際政治学は、アメリカの政治学者による、アメリカの対外政策のための学問だったかもしれません。しかしながら、その後、社会科学としての国際関係論は、世界の動きを説明する学問として、アメリカのみならず世界各国の政治学界で鍛えられました。国際政治学/国際関係論がアメリカ国籍の研究者に「独占」されていた時代は、とっくに終わっています。

世界の国際関係論
今では、世界の多くの国々で国際関係論は教育・研究されると共に、アメリカ人以外の研究者が、この学問に参入しています。このことをジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、以下のように的確に指摘しています。

「国際関係論の研究者はアメリカ中心主義で、視野を広げる必要があるとよく言われる。私はそう思わない…国際学会(ISA)の年次大会のプログラムに目を通しただけでも、国際関係研究者が地球村に住んでいることは明らかである。このような多様性は世界中の若者が大学に進学し、国際関係論を学ぶようになるにつれ、時間の経過とともに大きくなっていくと思われる。つまり、アメリカの学者は、その数の多さゆえに大きな影響力を持っているわけではない…国際関係論におけるアメリカの優位性は、世界中から多くの優秀な大学院生がアメリカにやってきて、アメリカのキャンパスで知的な状況を支配している理論や手法が一流の研究者になるための不可欠なツールであると教えられるという事実によって強化されている。そして、(アメリカの)大学院で学んだことを活かして、アメリカだけでなく他の国でも活躍する人が多いのである」。

現在の国際関係論はアメリカの社会科学ではありません。国際関係論は、世界を動きや国家行動の普遍的なパターンを発見して説明しようとするとする知的営為であり、れっきとした「科学」なのです。アメリカの大学で学んだ半導体の物理学的知識が、日本では役立たないなど、ありえないでしょう。同じことは国際関係論にも言えます。アメリカで発達した現在の国際関係論は、それ以外の国家でも通用するということです。このことは、我が国では、あまり理解されていないような印象があります。

国際関係論の5つのキー概念
4月から新しい学年が始まり、大学で国際政治学や国際関係論を履修する学生も少なくないでしょう。また、ロシア・ウクライナ戦争で、この学問に興味を持った方も多くいらっしゃるでしょう。そこで、この記事では、国際関係論の概要を理解するのに役立つエッセーを紹介します。

最も手短で分かりやすい国際関係論の解説は、スティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)が外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌に寄せた「5分で国際関係論の学士号を取得する方法」でしょう。このエッセーで、彼は国際関係論のキー概念を5つに集約しています。それらは①アナーキー(無政府状態)、②バランス・オブ・パワー(勢力均衡)、③比較優位、④誤算と誤認、⑤社会構成です。これを読めば、あなたも、たったの5分で国際関係論のエッセンスが理解できるということです。

アナーキーは、国家を統べる上位の中央権威が存在しないことです。こうした国際構造は国家に生き残りとパワーをめぐる競争を強いるということです。バランス・オブ・パワーは、さまざまな意味がありますが、国家はどの国が台頭しており、どの国が衰退しているのかを常に気にしながら行動するということです。比較優位(比較生産費説)は、国家が国際分業に基づく貿易をすれば富を増やせることの理解を促します。誤認や誤算は、国家の指導者が時として愚かな決断をする要因になっています。社会構成は、アイディアやアイデンティティ、規範といった非物質的要因が国際関係に影響していることに、我々を気づかせてくれます。海賊や奴隷制度の衰退は、こうした人間の行為が野蛮で非人道的であるという考えが、世界に広まった結果であるということです。

これら5つの概念はどれも大切なのですが、国際関係を説明したり理解したりするために、最も重要であるにもかかわらず、最も軽視されているのは、バランス・オブ・パワーでしょう。ウォルト氏は、別のエッセーで、こんな冗談めいたことまで言うくらいです。「もし、あなたが大学で国際関係論の入門コースを受講し、担当教員が『バランス・オブ・パワー』について言及しなかったとしたら、授業料の返金を求めて母校に連絡してください」と。

バランス・オブ・パワーのロジックは、以下に紹介するように非常に簡潔です。にもかかわらず、この理論は国家のバランシング行動のパターンを明らかにできるのです。

「バランス・オブ・パワーの基本的な論理は単純である。国家を互いに保護する『世界政府』が存在しないため、征服されたり、強制されたり、その他の形で危険にさらされるのを避けるために、それぞれが自国の資源と戦略に頼らざるを得ない。強大な脅威になる国家に直面したとき、不安な国は自国の資源をより多く動員したり、同じ危険に直面する他の国家との同盟を求めたりして、より有利にバランスを変化させられるということだ」。

国際関係理論の真骨頂は、より少ない要因でより多くの出来事を説明することです。この点では、バランス・オブ・パワー理論は優れています。日本政府は防衛費を二倍にすることを約束しました。バランス・オブ・パワーは、この日本の決定について、強大化する中国の脅威が日本に自国の資源を防衛により多く投入することを強いたとシンプルに説明できるのです。なお、このエッセーは、地政学者の奥山真司氏が、ご自身のブログで日本語に訳して紹介しています。興味のある方は、ぜひ、こちらでお読みください。

国際関係理論により明らかになる危険な世界
国際関係研究や教育、政策提言で大活躍しているマシュー・クローニグ氏(ジョージタウン大学)が、『フォーリン・ポリシー』誌に寄稿した入門エッセー「大国間戦争の到来を示唆する国際関係理論」は、読む価値が十分にあるでしょう。彼は日本での知名度は低いかもしれませんが、核兵器をめぐる国際政治や大国間政治における民主主義国の優位性ついて、斬新で意欲的な研究成果を次々に発表している、注目すべきアメリカの政治学者です。幸いなことに、この記事は『ニューズウィーク日本版』が、「国際関係論の基礎知識で読む『ウクライナ後』の世界秩序」というタイトルになおして、その日本語訳を掲載しました(ここでは著者の名前がクレイニグと記載されていますが、同一人物です)。

彼によれば、現在の世界はますます危険になっています。なぜ、そのように判断できるかといえば、以下のように、戦争を抑制する要因が弱まっていると理論的に言えるからです。

「国際関係論のリアリズム(現実主義)によれば、冷戦下の二極世界と冷戦後のアメリカが支配する一極世界は比較的単純なシステムで、誤算による戦争は起きにくい。核兵器は紛争のコストを引き上げて、大国間の戦争を考えられないものにした。一方、リベラリズムは、制度、相互依存、民主主義の3つの変数が協力を促進し、紛争の緊張を緩和すると考える。第2次大戦後に設立され、冷戦後も拡大し、信頼されている国際機関や協定(国連、WTO、核拡散防止条約など)は主要国が平和的に対立を解決する場を提供してきた。さらに経済のグローバル化によって、武力紛争はあまりにもコストが高くなった。商売が順調で誰もが豊かなのに、なぜ争うのか。この理論でいけば、民主主義国はあまり争わずに協力することが多い。過去70年間に世界で起きた民主化の大きな波が、地球をより平和な場所にした。そして社会構成主義(コンストラクティヴィズム)は、新しい考えや規範、アイデンティティーが国際政治をよりポジティブな方向に変えてきたとする。かつては海賊行為や奴隷、拷問、侵略戦争が日常的に行われていた。だが大量破壊兵器の使用に関する人権規範が強まり、タブー視されるようになり、国際紛争に歯止めを設けた。とはいえ残念ながら、平和をもたらすこれらの力のほぼ全てが、私たちの目の前でほころびつつあるようだ。国際関係論において、国際政治の主要な原動力は米中ロの新たな冷戦が平和的に行われる可能性が低いことを示唆している」。

国際関係論は、ざっくり言うと、パワーと安全保障をめぐる国家間の競争に注目するリアリズム、ルールや規範といった制度の役割や民主主義、経済のグローバル化といった要因から国家間の協力の可能性を模索するリベラリズム、アクターのアイディアやアイデンティティが社会を構成するとみるコンストラクティヴィズムという主要な理論から構成されています。クローニグ氏によれば、リアリズムでは多極世界が不安定であると説明されていること、リベラリズムで国際協調の指摘される国際制度が大国間の競争の場所になっていること、コンストラクティヴィズムで強調される平和の国際規範が脆いものであることをから推論すれば、今後、米中あるいは米ロが軍事的に衝突しても不思議ではないということです。

国際関係論の多様な理論
国際関係論をもっと詳しく勉強したい、国際関係理論を深く理解して、現実世界を分析するツールとして使いたい方には、ウォルト氏による広く読み継がれている古典的エッセー「国際関係論―1つの世界、多くの理論―」がおススメです。これは4半世紀前に書かれたものですが、今でも通用します。ここで彼は、リアリズムについては、古典的リアリズム、防御的リアリズム、攻撃的リアリズムといった学派を分かりやすく解説するとともに、今ではすっかり衰退してしまったマルクス主義に依拠した従属論をラディカル派のアプローチとして紹介しています。

リベラリズムについても、民主主義や国際制度、相互依存という3本の柱を中心にコンパクトな解説を施しています。さらに、政策決定者や政府に焦点を当てた国家の政策決定理論にも言及しています。コンストラクティヴィズムは、リアリズムやリベラリズムに比べてとっつきにくいと感じる人が少なくないようですが、彼の以下の解説が多くの人の理解を促進すると思います。

「冷戦の終わりはコンストラクティヴィストの理論を正統化するという意味で重要な役割を果たすことになった。なぜならリアリズムとリベラリズムは双方とも冷戦の終結を予測できなかったし、その理論からこの現象を説明することも困難だったからだ。ところがコンストラクティヴィストたちはこれを説明できたのである。具体的には、元ソ連代表のミハイル・ゴルバチョフが新たに『共通の安全保障(common security)』というアイディアを出したおかげでソ連の対外政策に革命を起こしたというものだ」。

ありがたいことに、このエッセーも奥山氏が日本語に訳して、ご自身のウェブサイトで公開しています。国際関係論の世界に足を踏み入れたけれども躓いてしまったら、基本に戻って、ウォルト氏の解説を読み直すとよいでしょう。

国際関係論と政策提言
社会科学としての国際関係論に与えられた最大の役割は、世界がどのように動いているのかを説明することです。国際関係理論は国家行動に観察されるパターンや法則を明らかにすることを主な目的としており、残念ながら、国際事象を正確に予測するツールとしては弱いと言わざるを得ません。主要な国際関係理論が大国間戦争のリスクの上昇を警告しているからと言って、必ず、大戦争が起こるわけではありません。国際関係論が語る将来の世界は、より危険であるだろうということです。

同時に、国際関係論は政策立案に役立てることもできます。我々は「日本はこうすべきだ」といった政策提言をよく語りますが、こう発言する時には、必ず、自分が信じる「理論」に頼っています。「Xを実行すれば、Yという成果を得られるだろう」という推論です。これこそが理論なのです。理論を使っているにもかかわらず、自分がどのような理論を頼りにしているのか、それがどれほど高い説得力があるのか、他の理論の方が妥当ではないのか、といった問いを自覚している人は、はたしてどれくらいいるでしょうか。

実は、専門家の政治予測は必ずしもあてにならないことが、大規模な長期的調査から明らかになっています。フィリップ・テトロック氏(ペンシルバニア大学)の研究によれば、衝撃的なことに、専門家の政治予測の的中率は、ダーツを投げるチンパンジーすなわち当てずっぽうの予測と成績はほとんどかわらず、メディアでの露出度が高い自信過剰な識者ほど、予測が当たらない傾向にあるということです。彼は「うまくいくと自信ありげに言いきったことがうまくいかなかったことを示す数々のエビデンスを前にしながら、まちがいを認める政治オブザーバーがめったにいないことにうんざりしていた」と語ったうえで、複雑な世界における政治予測の精度を高めるカギは、データに基づき、自分とは違う考えを持つ相手の長所を認める「キツネ」型の思考にあると結論づけています。



間違った理論による政策を実行する国家は、大きな代償を払うことになります。だからこそ、政策を導く理論が何であるかを明らかにして、それが国家の利益や安全保障に最適な選択につながるものであるのかを厳しく検証することが必要です。国際関係論は、一般市民が世界の動きを理解するのみならず、国家の指導者が政策立案や決定をする際にも役立つ、力強い知的ツールなのです。国家の政策決定は、あまりにも重要なので、「国際政治学者」だけに任せるわけにはいきません。「キツネ型」の独立した市民は、国際政治学者や地域研究者、外交官OBといった「専門家」の発言を鵜呑みにすることなく、自分とは違う意見に耳を傾けながら、間違った分析をただす「集団知」の形成に臆することなく参加すべきでしょう。


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