野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

スキーのトップとテールの使い方

2012年11月23日 | スポーツ
今冬は暖冬が予想されていましたが、雪の便りは、昨年より早いようです。この連休で、スキー場も続々とオープンするとのこと。いよいよ本格的なスキーシーズンに突入しますね。

ところで、今シーズンのマテリアルは、アトミックからヘッドに替えることにしました。これまでは、Atomic D2 Demo Type-a (2012モデル) を使っていましたが、12-13シーズンは Head i Supershape Speed (2012) で勝負です。



Atomic D2 Demo Type-a は、とても評価の高いスキーなのですが、残念ながら、私の滑り方では、同スキーの性能を十分に引き出すことができませんでした。私は、谷回りからトップを雪面に食い込ませようと意識して滑る傾向にありました。柔軟なトップのAtomic D2 Demo Type-aは、こうした運動において、切り替えからトップが予想以上にグニャと曲がってしまい、板全体も思うようにたわまない。その結果、板が雪をよく噛まず、安定性に欠けるというのが、この板に対する私の評価でした。

しかし、私は間違っていました。Atomic D2 Demo Type-aが悪いのではなく、私の未熟な技術がこの板に追いつかなかったのです!

Atomic D2 Demo Type-aでうまく滑れないことを知り合いのスキー・プロスタッフに相談したところ、帰ってきた答えは、私にとって意外なものでした。彼曰く、最近のスキーはアトミックを含め、柔軟なトップに対して堅めのテールを使うことが、板の性能を引き出すのに必須だとのこと。すなわち、ターンの切り返しから、カカトをつかってテールをたわませることができれば、あえてトップへの荷重を意識しなくても、トップがしなって雪面をとらえるということのようです(アドバイス、ありがとう!)。こうした滑りができれば、Atomic D2 Demo Type-aは、素晴らしいパフォーマンスを発揮するのでしょう。

要するに、Atomic D2 Demo Type-a の設計に反する滑りをしていたから、このスキーが私の言うことを聞かなかったのです。他方、長年、自分の身体に染みついたスキースタイルは、そう簡単に変えられません。そこで、自分の技術を改善するトレーニングをすると同時に、自分に少しでも合いそうなスキーに、マテリアルも替えることにしました。その結果として選んだのが、Head i Supershape Speed です。

このスキーは、以前にブランシュたかやまスキー場(ヘッドスポーツステーション併設)で試乗した時、雪面に張り付き、堅いバーンでも安定する感覚があり、とても気に入っていました。そして先日、軽井沢プリンスホテルスキー場にて、Head i Supershape Speed で滑っってみたところ、やはり自分のスタイルに合っているように思いました。さらに今回は、トップに重心を乗せるような「タテの運動」ではなく、切り替えから、カカト荷重と「ヨコ運動」を使った「角づけ」を意識したところ、なるほど、このスタイルは、なめらかで安定したターンを可能にするように思います。

今後、ロッカースキーが主流になるかもしれない「過渡期」に、昨シーズンモデルのカービングスキーに替えることが得策なのか迷いましたが、Head i Supershape Speed には満足しています。

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大学新設不認可騒動が意味するもの

2012年11月11日 | 教育活動
田中真紀子文部科学大臣が引き起こした「大学新設申請の不認可騒動」は、大学人の1人として、関心を持って、その推移を見ていました。この騒動は、結局、大学設置の認可でおさまりましたが、田中大臣の問題提起自体は、今後、日本の大学のあり方に、大きな影響を与えるでしょう。

日本の大学が抱える問題について、エコノミストの池田信夫氏は、その本質が「補助金で支えられた大学バブルの終わり」にあると見ています。池田氏はこう指摘しています。

「学校教育は今や…補助金産業であり、今年度は国立大学法人と私立大学に合計1兆4800億円の補助金が支給されている。…(にもかかわらず)今の大学がそういう(人材育成の)役割を果たしているかどうか疑わしい。…日本でも、学齢期人口が減少している中で大学が20年で260校も増えたのはバブルである。…法科大学院は廃校が相次いでバブルの崩壊が始まっている」。

そして、大学のバブル崩壊が起こるというわけです。すなわち、「劣化した大学は人材育成に役立た(ず)」、「『大学教授』という非生産的な労働に多くの知的労働者を囲い込んで人的資本にマイナスになっている」大学は、次々と教育市場で淘汰されるだろう、ということです。

4年制大学の教授である私にとって、この池田氏の鋭い指摘は、耳の痛い話です。ですが、こうした社会の大学に対する厳しい意見には、真摯に耳を傾けなければなりません。なぜなら、大学は外部の社会から完全に独立した存在では、あり得ないからです。

では、「バブル崩壊期」の大学は、何をすべきなのでしょうか。再び、池田氏の主張に耳を傾けてみましょう。

「大部分の大学はアカデミズムの飾りを捨て、実務教育に徹するべきだ。人材育成のためには…大学に一律に補助金を投入するのではなく、学生に対して成績に応じた奨学金としてだすことが望ましい」。

大学が実務教育を行うべきだとの主張は、確かに、一定の説得力を持っていると思います。実際、多くの大学は、既に経済産業省が推進する「社会人基礎力」の育成に力を注いでいます。また、学生といえども人間であるかぎり、多かれ少なかれインセンティブで動くことを考えれば、成績がよければ奨学金が増える制度の導入は、学生を(少なくとも今より)勉強へと向かわせるでしょう。また、「まじめに勉強しない学生」は、減っていくでしょう。

ですが、はたして大学が「実務教育」に徹すれば、上手くいくのでしょうか。確かに、大半の大学は、アカデミズムに特化した組織では、ありえないでしょう。他方、アカデミズムなき実務教育の教育組織は、もはや「大学」ではありません。

そもそも学問を「職業」としてきた大学教授に、実務教育を一律に強要したところで、うまくいかないでしょう。なぜなら、学問のプロは、必ずしも実務のプロではないからです。学者が、実務のノウハウを理解した上で、企業のような利潤追求の仕事をするのは、そう簡単ではありません。同じように、実務家が、学問の最先端を理解した上で、学問の発展に貢献する学術論文を書くのも、そう簡単ではありません(ある学者は、博士論文の執筆をエベレスト登頂に例えるほどです)。学者には学者の、実務家には実務家の「比較優位」があります。それを無視するようなやり方を大学教育に強引に導入しても、生産性の向上にはつながらないでしょう。

「日本の大学は人材育成に役割を果たせない」という汚名を返上するには、知的労働者としての大学教授の人的資本を最大限に活用する方法を見つけることだと思います。そのための1つの方法は、たとえば、優れた米国の大学のリベラル・アーツ教育の仕組みを日本の大学に導入することです。そうすれば、学者としての「大学教授」は、不慣れな実務教育を行うよりも、はるかに素晴らしい仕事をすることでしょう。

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『国際政治理論とゾンビ』の邦訳

2012年11月01日 | 教育活動
ダニエル・ドレズナー著『国際政治理論とゾンビ』の邦訳が出版されました。以前に同書をブログを紹介した際、私は次のように書きました。

日本の名門大学出版会が、『国際政治理論とゾンビ』なる図書の出版を引き受けることは、はたしてあるでしょうか?同書の翻訳が出版されるとしたら、どこが引き受けるでしょうか?

翻訳を引き受けた出版社がありました!白水社です。同書は、ダニエル・ドレズナー、谷口功一・山田高敬訳『ゾンビ襲来―国際政治理論で、その日に備える』白水社、2012年として、最近、出版されました。同社の英断(?)ならびに翻訳の労をとってくださった先生方に、国際政治研究者の1人として、感謝したいと思います。



スティーヴン・ウォルト氏も指摘しているように、楽しく愉快に読める国際政治関連の図書は、残念ながら、少ないと言わざるを得ません。もちろん、われわれの知的興奮を掻き立てる良書はたくさんあるのですが、初学者である学部生が、眉間にしわを寄せることなく、面白がって読める国際政治の啓蒙書は希少です。ドレズナー著『ゾンビ襲来』は、その貴重な1冊でしょう(ただし、ゾンビそのものやゾンビ映画は、私は興味もなければ見たいとも思いませんし、気味が悪いと不快に思う読者もいるでしょう)。

邦訳『ゾンビ襲来』の刊行は、我が国における国際政治学の教育や啓蒙に対する重要な貢献です。今後、私も国際政治関係の授業やゼミなどで、同書を活用したいと思っています。




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