野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

東南アジア諸国とヘッジング戦略

2021年12月29日 | 研究活動
国際関係の主要な大理論は概して大国の行動を説明することに主眼があるため、中小国がとる戦略の分析に、うまくあてはまらないことがあります。国家の行動を教科書的に分類すれば、それらは主に①バランシング行動(台頭国への対抗行動)、②バンドワゴニング行動、③バックパッシング行動(対抗措置をとる「責務」を他国に転嫁する行動)となるでしょう。もちろん、これらのカテゴリーが、中小国の行動をまったく説明できないわけではありません。大国の脅威に直面した小国は、有効な同盟パートナーを見つけられない場合、その生き残り戦略として、大国の慈悲に期待して、脅威の源泉となる大国と連携する行動をとることがあります。こうした対外政策は、バンドワゴニング行動として説明できます。たとえば、第二次世界大戦後、フィンランドが採用した対ソ戦略は、バンドワゴニング行動として理解できます。他方、この数十年で、東南アジア諸国の行動原理を説明する概念として「ヘッジング戦略」という用語がしばしば使われるようになりました(ヘッジングについては、John D. Ciorciari and Jürgen Haacke, "Hedging in International Relations: An Introduction," International Relations of the Asia-Pacific, Vol. 19, Issue. 3, September 2019が先行研究をレヴューしてまとめています。なお同号はヘッジングを特集しています)。このヘッジング行動は、大国間競争が繰り広げられる国際政治の世界において、中小国が存立を維持するために英知を結集して構築した賢い戦略であると評価できます。

ヘッジング行動は、バランシング行動とバンドワゴニング行動の中間に位置づけられるようです。このようにヘッジング行動は記述的には説明できます。しかしながら、これを理論的に首尾一貫したロジックで説明するのは、かなり難しい作業ではないでしょうか。このあいまいな理論的に位置づけになる国家行動は、いったいどのようなロジックで解明したらよいのでしょうか。いうまでもなく、国家がとる行動は複合的な要因から成り立っているため、バランシング行動やバンドワゴニング行動といった「理念型」にピッタリと当てはまる事例は、むしろ少ないのかもしれません。その一方で、社会科学としての国際関係論が、複雑な事象をできるだけ単純化して明らかにすることを主な使命としているのであれば、国家の戦略は、より簡潔な理論やモデルで説明されるべきでしょう。どうしても既存の簡潔な理論では説明できない「逸脱事例」を観察した場合、その理論に別の変数を加えて複雑化することで、こうした事例を説明するのが方法論上の一般的な研究手続きといえます。

それでは、東南アジア諸国の対外政策は、国際関係の典型的な行動パターンにあてはまらないのでしょうか。デーヴィッド・シャンボー氏(ジョージ・ワシントン大学)は、そうだと主張しています。かれは論文「東南アジアにおける米中ライバル関係」("U.S.-China Rivalry in Southeast Asia: Power Shift or Competitive Coexistence?" International Security, Vol. 42, No. 4, Spring 2018)において、こういっています。

「いくつかの指標は、特定の問題に関するバンドワゴニング行動を含めて、中国が東南アジア地域全般により食い込んできていることを示しているが、わたしは、この地域における全体的な戦略バランスは流動的で競合的だと主張したい…(ASEAN)諸国は長い間、ワシントンと北京の両方とのつながりをうまく調整しようと努める『ヘッジング政策』を追求してきたのだ。ただし、2016-17年以来、ほとんどのASEAN諸国は北京にかなり接近していることが明らかになってきた」(上記論文、86-87ページ)。

シャンボー氏は中国やアジア国際関係研究の専門家です。とりわけ、中国の対外関係に関する注目すべき論文を数多く執筆しています(たとえば、「中国のシンクタンク」の分析など)。地域研究は、簡潔性をある程度は犠牲にしてでも、観察の対象をできるだけ詳細かつ正確に分析する傾向にあります。ですから、かれが地域研究者として、ASEAN諸国の行動を上記のように説明するのは理解できます。ただ、こうしたあいまいな説明には代償がつきものです。

シャンボー氏は、ASEAN10カ国の行動の特徴を複数の理念型で記述的に説明しています。かれは、これらの国々が中国にどのくらい近いかの尺度で、その政策を6つに分類しています。①「降伏主義」がカンボジアです。中国の「クライアント国家」ということです。②「チェーファー」がミャンマーとラオスになります。これは中国にかなり依存せざるを得ない国家ということです。③「連携的便宜主義」がマレーシアとタイになります。これは中国と極めて緊密な関係にあるものの、アメリカとの関係も同時に維持している国家のタイプです。④「チルター」がフィリピンとブルネイです。中国に傾いている国家ということです。⑤「均衡的ヘッジャ―」がヴェトナムとシンガポールです。アメリカと防衛でつながる一方、中国とも広範な関係を維持している国家になります。⑥「外れ値」がインドネシアです。わが道を進む国家ということのようです。このように東南アジア諸国は、6つの国家行動のカテゴリーに収められています(上記論文、100-103ページ)。

こうした記述的な分析は、東南アジア諸国の行動パターンを分類して理解するには役立ちますが、そこには因果的推論がほとんど欠如しています。すなわち、シャンボー氏の論文は、ASEAN諸国の対米中戦略を整理したにすぎず、何がヘッジング政策の源泉なのかは不明なままだということです。さらには、ヘッジング行動の先行条件や拡大条件も明示されていません。こうした理論的な欠落は、ASEAN諸国がどのような行動をとるのかを予測する際に混乱をきたすのみならず、アメリカがとるべき戦略の提言も矛盾したものになります。たとえば、シャンボー氏は、アメリカは東南アジア地域から離れていることが、中国との競争において不利に働いていると指摘しています。そうであれば、アメリカはASEAN諸国に「接近」するべきでしょう。しかしながら、かれはこうもいっています。「多くの東南アジア諸国は、オフショア・バランサーとしてのアメリカに視線を向けており、これはアメリカができる、とるべき1つの役割なのだ」(上記論文、127ページ)。オフショア・バランシングは、一種のバックパッシングです。つまり、アメリカがオフショア・バランシング戦略をとるということは、中国が地域覇権を打ち立てるのを阻止する「責任」を東南アジア諸国は多かれ少なかれ引き受けるということです。アメリカは沖合に引いたまま東南アジア諸国に近づくことなくして、どうやって、これらの諸国に対中バランシング行動をとらせるのでしょうか。

さらに、シャンボー氏は「(ワシントンは)東南アジア地域において、中国を封じ込める調整された戦略を構築する、いかなる誘惑も避けるべきだ。なぜなら、どの東南アジア諸国もそのような動きには、ついて行かないだろう」(上記論文、126ページ)と警告しています。ところが、その直後に、「中国が東南アジア地域で過剰拡張して自己主張をあまりに強めてきた場合、その時は、アメリカは物理的プレゼンスを提供するとともに、東南アジア諸国にとって信頼できるパートナーとして認識される必要がある」(上記論文、127ページ)とも助言しています。これは両立しない政策提言ではないでしょうか。第1に、なぜ東南アジア諸国は、中国にバンドワゴンしないで、突然、アメリカに「ついて行く」ことになるのか不明です。このような政策を提言するには、まず中国のパワーの上昇がASEAN諸国の政策選好に及ぼす因果効果を定式化しなければなりません。すなわち、東南アジアにおけるバランス・オブ・パワーが、ASEAN諸国にとって著しく不利に傾いた場合、これらの諸国は「ヘッジング戦略」を放棄して、アメリカとの「同盟」を模索するという仮説を立て、それが妥当であることを実証するということです。しかしながら、上記の論文では、こうした理論的な作業は行われていません。第2に、こうしたアドバイスは論理的に矛盾しています。東南アジア地域におけるアメリカの「物理的プレゼンス」は、軍の前方展開のことでしょう。これは「対中封じ込め戦略」の推奨とも理解できますが、にもかかわらず、かれは東南アジア諸国の同意を得られない「封じ込め政策」は、アメリカのとるべき戦略ではではないともいっているのです。ジョーゼフ・ヘラーの小説『キャッチ22』のようです。

こうした政策提言の混乱は、どうやら東南アジア諸国の戦略的行動を説明する一貫した理論が、シャンボー氏の上記の研究で欠如していることに求められそうです。「ヘッジング政策」という概念は、東南アジア諸国の行動を描写するには便利な道具かもしれません。しかしながら、そのロジックには因果関係が欠けているために、残念ながら、東南アジア諸国の行動を分析できる「科学的な」ツールにはなっていないと思います。「ヘッジング」を国家行動の「理論」とするためには、その因果メカニズムをまずは明確にすることが必要ではないでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主政治vs専制政治

2021年12月24日 | 研究活動
今日の国際政治において、大国間の競争が復活しています。すなわち、国際システムの支配的国家であるアメリカと新興大国である中国の対立です。この新しい米中関係は、「新冷戦」とも呼ばれています。ネオリアリストや攻撃的リアリストからすれば、アナーキーにおいて、パワーを追求する大国が競合するのは、予測できることであり、説明できることです。なぜならば、国家は自助努力により、自らの安全を相手よりも大きなパワーをつけて確保しなければならないからです。現在、アメリカは中国の台頭を封じ込めようとする一方で、中国はアメリカが構築した国際秩序に挑戦しています。こうした大国間の安全保障をめぐる競争は、標準的なリアリズムでは、国家を一元的アクターとみなす「システム・レベル」から分析されるのが一般的です。

リアリズムの大国間政治の理論に抜け落ちていることは、そもそも大国のパワーは何によって生み出されるのか、どのような特質の大国が競争に勝利を収めやすいのか、といった視点です。もちろん、リアリズム理論はパワーを構成する要因をある程度は特定化していますが、何がパワーを形成するのかについては、多くを語ってくれません。こうした既存の研究における空白を埋め合わせる、スケールの大きな研究が発表されました。マシュー・クローニグ氏(ジョージタウン大学)が著した『大国のライバル関係の復活—古代世界から米中関係までの民主政治対専制政治—』(オックスフォード大学出版局、2020年)です。



本書におけるクローニグ氏の主張は直截です。理論的にも経験的にも、民主政治の国家は専制政治の国家よりも、政治や経済、軍事等において有利であり、大国間競争において、前者が後者に勝利してきたし、今後もそうなるだろうということです。大国のパワーの源泉は、民主体制から生じるものであり、専制政治体制の大国は、短期的に優勢になることがあっても、長期的にはパワーを継続的に増強することはできないのです。すなわち、かれは大国間の競争を「システム・レベル」ではなく、「ユニット・レベル(国内体制)」から分析しているのです。大国がパワーを向上させる民主的制度をとっているかどうかが、国際政治における競争を勝ち抜けるかどうかのカギを握っているのです。リベラル・デモクラシーのアメリカは、共産党による一党独裁国家である中国、あるいはプーチン大統領による「専制主義国」であるロシアより、優れた民主主義という政治制度を採用しています。したがって、「アメリカは予見しうる将来において、世界の主導的な国家であり続けるだろう」(同書、7ページ)というのが、かれの結論です。

クローニグ氏によれば、民主的体制は、国力を生み出すさまざまな要因において、専制的体制より有利です。第1に、民主主義国は自由主義的な経済制度をとります。こうした制度は、人々に労働意欲を与え、生産的活動を後押しし、自分自身そして国家を豊かにするよう促します。その結果、国家が経済的に成長するのです。第2に、民主国は持続的で信頼性の高い同盟体制を築けます。民主体制の国家は、国際的公約を国内法制化することにより、国際レジームに埋め込まれるのみならず、政策決定過程の透明性が高いために外部に脅威を与えにくいので、他国の対抗措置を招きにくいのです。第3に、民主体制の国家は軍事的に強力です。民主国の戦勝確率は、専制主義国よりも高いのです。民主国が戦争に勝利しやすいのは、政治家が負ける戦争をしたがらないからです。戦争に敗れると、政治家は、国民から、その責任を糾弾されたり、政権の座から引きずりおろされたりするので、慎重に負け戦を避けようとします。さらに、多様性や異論を重んじる民主体制からは、イノベーションが生まれやすく、それが軍事力の強化につながります。要するに、独立変数である民主的制度が、これら3つの媒介変数を通して、国家のパワーと影響力を生み出すのです。

こうした民主体制の優位理論は、本書において、定量的ならびに定性的なデータによって検証されています。この理論が正しければ、民主国は専制国に対して、国力で圧倒するはずです。「CINC(Correlations of War Composite Index of National Capabilities)」スコアーによれば、2017年において、7つの大国のうち5カ国が民主国であり、その割合は71%ということです。さらに、1816年以降において民主国が8割以上の期間で最強のパワーを獲得しています(同書、55-56ページ)。つまり、これらの計量データは、民主国の卓越した相対的パワーを示しているのです。他方、こうした数的なデータは、民主制度とパワーの相関関係を示しているに過ぎません。いうまでもなく、相関は因果ではありませんので、かれはさらに歴史の事例研究を行って、民主政治とパワーの因果仮説を検証しています。

ここでは、古代世界におけるアテネ対ペルシャおよびスパルタ、ローマ共和国対カルタゴおよびマケドニア、ベネチア共和国対ビザンチン帝国およびミラノ公国、オランダ共和国対スペイン帝国、大英帝国対フランス、イギリス対ドイツ、アメリカ対ソ連という、民主国対専制国の闘争の歴史が分析の俎上に上げられています。これらの時代や場所に富んだ歴史的データは、「開かれた国家が大国間競争において、継続的で構造的な優勢を保持している」(同書、214ページ)ことを示しています。独裁者であったクレスクセス、フィリップ2世、ルイ14世、ナポレオン、ヒトラー、スターリンは、世界的な支配を幾度となく目指したものの、かれらの前に立ちはだかった民主的なライバルに敗れたということです。そして、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領も、同じ運命を辿るだろうとクローニグ氏は予測しています。歴史に詳しい人は、上記の事例において、民主国が専制国に敗れたケースを見つけることでしょう。民主国アテネはペロポネソス戦争において、専制国スパルタに負けています。これはクローニグ氏によれば、アテネが直接民主制により性急な決定をしてしまったからだと説明しています。ローマ共和国とベネチア共和国は、開かれた政治システムを閉じてしまったために、そのバイタリティを失ったということです(218ページ)。

現在の世界において、アメリカは優越的な立場にあります。そのパワーの源泉は、クローニグ氏によれば、民主主義という国内制度なのです。そして、こうした民主制度は、アメリカに富をもたらしました。世界のGDPに占めるアメリカの割合は24%であり、中国の15%を上回っています。アメリカは外交面でも、中国を圧倒しています。アメリカの同盟国並びにアメリカ側についている民主国を計算にいれると、上記の数値は75%となり、中国の15%を圧倒します。つまり、アメリカの大戦略は、大成功というわけです。したがって、アメリカは、今後も、これまでと同じ「リベラル覇権国(leviathan)」の戦略をとり続けるべきだと、かれは主張しています。アメリカは、リベラルな国際秩序をロシアや中国といった挑戦国から守ればよいのです。そして、民主体制の優位理論および民主国の歴史からすれば、専制主義国であるロシアや中国の挑戦は無駄に終わる運命にあります。

クローニグ氏は、今後も長くアメリカが世界のトップに君臨できるといいます。かれの計算によれば、他国を圧倒する民主国の支配的地位は、平均して130年間になります。歴史が未来への道案内となるのであれば、第二次世界大戦後から70年以上続いたアメリカの支配的地位は、少なくとも今後、数十年以上、保持されると予測できるのです(同書、216ページ)。

『大国のライバル関係の復活』は、既存の国際関係研究で深く追及されてこなかった、大国のパワーの源泉について、論理的な因果仮説を構築して、計量的データならびに事例研究で実証した、優れた研究だと思います。くわえて、現在の国際政治の行方を左右する米中対立の将来を簡潔かつ鮮やかに描き出しています。中国の台頭とアメリカの衰退が、当たり前のように論じられる今日において、アメリカの優位を説くかれの研究成果は、一般通念をくつがえす斬新なものと高く評価できるでしょう。国際システム・レベルに焦点をあわせて、アメリカの卓越したパワーを分析する先行研究としては、マイケル・ベックリー氏(タフツ大学)による『無敵—なぜアメリカは世界で唯一の超大国であり続けるのか―(Unrivaled: Why America Will Remain the World's Sole Superpower)』(コーネル大学出版局、2018年)があります。スティーヴン・ブルックス氏(ダートマス大学)とウィリアム・ウォールフォース氏(ダートマス大学)は、現代は過去とは異なり、経済力を軍事力に転換する技術的ハードルは高くなっているため、アメリカの中国に対するパワーでのリードは、一般に考えるよりも大きいと分析しています("The Once and the Future Superpower: Why China Won't Overtake the United States, Foreign Affairs, May/June 2016, pp. 91-104)。クローニグ氏の研究は、アメリカ「最強説」を国内レベルの分析で補強するものと位置づけれます。アメリカの強さが、2つの分析レベルで裏づけれらたことは、こうした議論に高い説得力を持たせています。

アメリカのパワーや将来に対する「楽観論」は、同盟国である日本にとって、頼もしいものでしょう。わたしが『大国のライバル関係の復活』で気になったのは、クローニグ氏の政策提言が、やや抽象的であることです。かれはアメリカがとるべき戦略について、「ヨーロッパや東アジアで有利なバランス・オブ・パワーを保つべきだ」(同書、222ページ)と、リアリズムの一般的な処方箋を提示しています。こうしたバランシング行動は具体的な戦略として何を意味しているのか、もう少し踏み込んだ記述がほしかったところです。かれは主要なリアリストが擁護する「オフショア・バランシング」でもよいと考えているのでしょうか。それともアメリカ軍の前方展開を維持するべきだといいたいのでしょうか。おそらく、わたしは後者だと読んだのですが、この点については明言がありませんでした。

クローニグ氏の他の政策提言で目を引いたのが、「アメリカはロシアや中国の内部における民主主義と人権を助長することもできる…ワシントンは(ロシアや中国における)市民社会と親民主主義勢力を支援すべきであり、サイバー空間のツールを使ってきつい情報統制を行う専制国家の企てを阻止することができるのだ」(同書、222-223ページ)。こうした民主主主義促進の「十字軍的」政策は、アメリカが「リベラル覇権」を追求する「ネオコン」の発想と重なります。こうした「リベラリズム」に基づくアメリカの政策は、ジョン・ミアシャイマー氏が警告するように、国際政治における強力なイデオロギーである「ナショナリズム」と衝突して、悲劇的な外交的失策に終わるだけでなく、アメリカの国力を無駄に浪費する危険があります。ですので、バランス・オブ・パワーの優位を保ちながら、中国を辛抱づよく「封じ込める政策」のほうが、アメリカや同盟国にとって賢明な戦略ではないでしょうか。専制国家は民主国家に敗れる道をたどるのであれば、あせってリスクを負う必要はないように思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

S.ウォルト氏とR.ジャーヴィス氏:2人の「政治学」の巨人(更新)

2021年12月20日 | 研究活動
国際関係論において「脅威均衡理論」を定式化した、スティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)の名著『同盟の起源―国際政治における脅威への均衡―』(ミネルヴァ書房、2021年〔原著1987年〕が日本語で読めるようになりました。同書は、従来の「バランス・オブ・パワー理論」を修正するとともに、同盟が脅威に対して形成されることを理論化して、中東の国際政治の事例により検証した、定性的研究のお手本のような著作です。同書を翻訳した今井宏平氏(日本貿易振興機構)と溝渕正雄氏(広島大学)の日本の国際政治学界への貢献に敬意を表します。



ウォルト氏は、類まれなる国際関係の理論家というだけでなく、政策提言においても秀でています。かれは、国際関係の理論研究は現実世界の政策立案に役立つものであり、学者はそれらを役立たせるように努めるべきだとの強い信念を持っています。かれは、学問と政策との関連性について、こうまとめています。 「政府当局者は間違いを犯しやすいので、社会は、かれらの考えをなす根拠に異を唱え、別の解決法を示す必要がある。学問に従事する学者は、終身在職権によって守られており、生計を政府の支援に直接頼っていないのだから、広く流布している説明や通説に異議を唱える独自の立場にある。これらの理由から、多様性に富み社会問題に積極的に関与する学術共同体は、健全な民主政治に組み込まれているということだ」("Theory and Policy in International Relations: Some Personal Reflections," Yale Journal of International Affairs, Vol. 7, No. 2, September 2012, p. 40)。

ウォルト氏が勤務するハーバード大学のようなアメリカの世界トップクラスの私立大学は、連邦政府からの援助を受けておらず、その運営費は、学生から授業料収入のほか、卒業生からの寄付などによる莫大な基金で賄われています。同大学の基金の残高は、なんと4兆4千億円(2020年6月)もあるそうです。こうした潤沢な基金が、同大学の「学問の自由」を支えているといえそうです。他方、日本の大学の基金は、トップの慶應義塾大学でも780億円程度に過ぎません。ほとんどすべての大学は、その財源を政府からの運営交付金、私学助成金や「地方交付税」を通した地方自治体からの運営交付金に頼っています。なお、公立大学は、「国レベルで文部科学省と総務省の双方から政策的影響を受けるのに加え,さらに設置者たる地方公共団体の方針や規模等からも影響を受ける点で国立大学とは大きく異なる」と指摘されています。こうした財政面における日米の大学の違いは、研究者の活動に少なからぬ影響を与えていることでしょう。

閑話休題

こうした信念は、ウォルト氏の著作に一貫しています。上記の『同盟の起源』の背景にあった政策上の問題意識は、ソ連にバンドワゴンする国家が続出することを防ぐための、また同盟を守る信ぴょう性を維持するためのアメリカの軍事介入は正当化できるのかという政策論争を決着させることでした。ウォルト氏がだした答えは、国家は脅威に対抗する行動をとる傾向にあるため、アメリカの信ぴょう性は重要なものではなく、アメリカはコストのかさむ周辺での戦争に従事する必要はないというものです(ただし、これほど高く評価され注目された理論でも、本人曰く、アメリカの対外政策への直接的な影響を確認するのは難しいそうです)。『米国世界戦略の核心』(奥山真司訳、五月書房、2008年)は、冷戦後のアメリカの優位(primacy)への他国の警戒心を解くことの重要性を指摘したうえで、その大戦略として、有名な「オフショア・バランシング」、すなわち、同盟国に公正な負担の分担を求めるとともに、世界規模でも米軍の展開を減らすことを訴えました(同書、322-324ページ)。The Hell of Good Intentions (Farrar Straus and Giroux, 2018) では、アメリカの外交エリートたちが信奉して実践してきた「リベラル覇権」の対外政策を批判して、抑制されたオフショア・バランシング政策を擁護しています。

わたしがウォルト氏の研究でさらに注目するのは、こうした理論や政策提言はもちろんですが、その事例研究(実証)の重厚さです。『同盟の起源』において訳者も指摘しているように、同書における中東の事例研究は、それだけで「現代中東国際関係史」になり得るくらい充実しています。また、かれのRevolution and War (Cornell University Press, 1996) における事例研究も圧巻です。フランス革命、ロシア革命、イラン革命、アメリカ革命、メキシコ革命、トルコ革命、中国革命の分厚い分析が、同書では行われています。この本が刊行された当時、ある研究会で取り上げたのですが、その際に、アメリカ人のメンバーの1人が、「これは革命史の著作だ」といったことを覚えています。

ウォルト氏は、カリフォルニア大学バークレー校で、ケネス・ウォルツ氏に師事して、博士号(Ph.D)を取得しています(ご参考までに、かれがスタンフォード大学で執筆した卒業論文の指導教員は、アレキサンダー・ジョージ氏です)。その同校からは、国際関係論の重鎮ともいえる傑出した政治学者が、何人も輩出されています。その1人であるロバート・ジャーヴィス氏(コロンビア大学)が、先日、お亡くなりになったのをネットで知りました(かれの指導教官はウォルツ氏ではありませんが)。ジャーヴィス氏の訃報に接したとき、わたしはちょうど、かれの近著であるHow Statemen Think (Princeton University Press, 2017) を読んでいたところでした。心よりご冥福をお祈ります。

わたしは、ウォルト氏と同じくらいジャーヴィス氏から影響を受けました。かれの主要な論文や著書は、ほとんどすべて読んでいます。今年の3月に発表した拙稿「国際システムを安定させるものは何か―核革命論と二極安定論の競合ー」は、ジャーヴィス氏が明確化した「核革命論」を支持する内容のものです。その続編も執筆して既に脱稿しており、来年3月には公刊されます。このように、わたしの研究はジャーヴィス氏に負うところが大きいのです。国際関係を研究するにあたり、わたしは基本的に、国家を一元的主体とみなす「リアリスト」アプローチをとるのですが、国家の期待や選好がどのように形成されるのかを解明するには、「政治心理学」が役に立ちます。ジャーヴィス氏は、国際関係論における政治心理学の「巨人」でもありました。かれの代表作である、Perception and Misperception in International Politics (Princeton University Press, 1976) は、国際関係論のみならず政治心理学の傑作であり、現代的古典であるのは、誰も異論がないでしょう。大学院生時代、わたしは同書を四苦八苦しながら読みました。心理学の豊富な知見と多彩な歴史事例に富んだ、知的刺激を喚起する学術書という印象が強く残っています。

ジャーヴィス氏とは直接の面識はありませんでしたが、何度かメールでやり取りをしています。かれがコリン・エルマン、ミリアム・フェンディアス・エルマン編『国際関係研究へのアプローチ―歴史学と政治学の対話―』(東京大学出版会、2003年〔原著2001年〕)に寄稿した「国際関係史と国際政治学―なぜ研究の仕方が異なるのか―」をわたしが翻訳したことがきっかけでした。ジャーヴィス氏は、同書が邦訳されることをとても喜んでくれました。もうジャーヴィス氏の知性に富んだ文章を読めないと思うと、残念でなりません。




ウォルト氏とジャーヴィス氏の政治学に対する共通した方法論上の姿勢は、歴史などを重視する定性的アプローチ(qualitative approach)の擁護といってよいでしょう。この点について、ウォルト氏の立場は以下のように明確です。

「社会科学の主要目的は、重要な社会問題への理解に関連する知識を発展させることだ。とりわけ、この作業は理論を必要とする…最近の数理的な研究の増大する技術的な複雑さは、洞察を深めることとは同調しなかった。その結果、最近の数理的研究は相対的にいって、現代の安全保障問題について、少ししか発言することができない…近年の数理的研究はどんどん『使い勝手が悪く』なってきている…数理的テクニックの習得のために投入する時間は、外国語を学習したり、重要な政策問題に関連するさまざまな要因に詳しくなったり、新しい多くの理論的文献に没頭したり、膨大な量の歴史データを集めたりする時間には使えないのだ」(Stephen Walt, "Rigor or Rigor Mortis? Rational Choice and Security Studies," International Security, Vol. 23, No. 4, Spring 1999, pp. 8, 21)。

ジャーヴィス氏は、含みを持たせる言い方で、暗に、政治学の計量的方法に疑問を投げかけています。かれは、ある個人的なエピソードを引いて、こういっています。

「私はある経済学者とともに、数理社会学者の採用を決定する大学の人事委員を務めたことがあった。私はその同僚に、この候補者の業績をほとんど理解できないだけでなく、この方法論が、提起された問題に応えられるか疑問であると白状した。私の告白に、その同僚はこう答えた。『ボブ、私は彼が正しいかどうか君にいうことはできないが、この方法論が経済学で使われるのを注意深く見てきた。これは道路工事の蒸気ローラーのようなものだ。行く手にある全てを平らにしてしまうものだよ』…(数理モデル)は、国際政治学においては政治学の他の分野よりも遅く導入されたが、近年かなり浸透している…ここで指摘すべき点は、政治学でこれらの手法が発展したまさにそのとき、歴史学は反対の方向に進んだため、二つの分野のギャップが広がったことである」(『国際関係研究へのアプローチ』262ページ)。

おそらく、かれらの主張には、数多くの反論があることでしょう。ただ1ついえるのは、ますます複雑になる数理的テクニックを習得することと、一次史料の解禁とともに蓄積される細部の歴史に精通することは、ある種のトレードオフの関係にあるということです。もっとも、定性的方法と定量的方法を同時に使った優れた研究もありますので、双方が両立しないわけでは必ずしもありません。たとえば、Edward D. Mansfield and Jack Snyder, Electing to Fight: Why Emerging Democracy Go to War, MIT Press, 2005 Bear F. Braumoeller, The Great Powers and International System: Systemic Theory in Empirical Perspective, Cambridge University Press, 2012 などが、この好例でしょう。しかしながら、一般的には、研究者が使える時間とエネルギーは限られていますので、ウォルト氏が示唆するように、どちらかのアプローチに重きを置かざるを得ないでしょう。どちらを選択すのかは、もしかしたら個人が持つ「美意識」に近いものが決めるのかもしれません。わたしは大学院時代、必修で「統計学」を学びましたが、政治外交史や政治思想の方に傾きました。他方、大学院のある同期生は、数理的アプローチに魅せられ、専攻を政治学から経済学に変えて、計量経済学者になりました。

政治学における方法論は、専門誌に掲載される論文が採用するアプローチに反映されています。政治学のトップジャーナルの1つといわれるAmerican Political Science Review誌では、1960年代以降は数理モデルや高度で複雑な統計分析による仮説検証などに代表される研究論文が支配的になってきました。同誌の編集長を務めたリー・サイゲルマン氏(ジョージワシントン大学)は、American Political Science Review誌が、政治学の一体性を保つこと及び政治学研究の仕方を規定することにおいて中核的役割を果たしていると、こうした傾向を概ね肯定的に捉えているようです。このような政治学全般の研究動向を受けて、1980年代以降、同誌に掲載される国際政治関係の約半数の論文は、数理モデルによるものになった一方で、事例研究を用いた論文は、1990年代において、20本に1本の割合まで減少しました。まずます顕著になる政治学の「数理科学化」への傾向には、国際関係研究者が不満を示しており、同誌から離れて行くことを促しました(Lee Sigelman, "The Coevolution of American Political Science and the American Political Science Review," American Political Science Review, Vol. 100, No. 4, November 2006, pp. 463-478)。また、アメリカ政治学会評議会(the American Political Science Association Council)の調査報告書(1999年)によれば、同会を構成するメンバーの約半数が、American Political Science Review誌に不満を持っており、その理由は、あまりにも視野が狭く、あまりにも専門化されて方法論至上主義(methodological)になり、あまりにも政治から離れてしまったことでした(Michael C. Desch, The Cult of Irrelevant: The Waning Influence of Social Science on National Security, Princeton University Press, 2019, p. 210)。

ある大規模な国際的調査によれば、国際関係論(国際政治学)分野においては、事例研究といった定性的アプローチの論文やエッセーを数多く掲載するInternational Security誌やForeign Affairs誌が、この分野の学者に影響を与えた学術誌として、それぞれ3位と5位にランク付けされており、高評価を得ています。他方、American Political Science Review誌は、ここでは6位にとどまっています(Susan Peterson, Michael J. Tierney, and Daniel Maliniak, Teaching and Research Practices, Views on the Discipline, and Policy Attitudes of International Relations Faculty at U.S. Colleges and Universities, College of William and Mary, Williamsburg VA, August 2005)。このようにアメリカでは、政治学全般と国際関係論における研究スタイルには乖離が見られるのです。おそらく、こうした傾向は今後も続くでしょう。なお、アメリカと日本では政治学や国際関係論の状況が異なるので、上述の両者の対比は、そのまま我が国の学術にはあてはまらないことを付言します。

追記:「研究仲間」の泉川泰博氏(青山学院大学)は、ご高論"Network Connections and the Emergence of the Hub-and-Spokes Alliance System in East Asia," International Security, Vol. 45, No. 2 (Fall 2020), pp. 7-50が評価され、アメリカ政治学会(APSA)の「国際関係史・政治」部会の「最優秀論文賞」を授与されました。同学会のニュースレターに、かれのインタヴュー記事が掲載されています。世界に通用する定性的手法による研究を進めるヒントが示されています。「定性的な歴史研究は時間がかかるものだが、非英語圏の研究者は母国語で書かれた史料や文献を読めるメリットがある」との指摘は、その通りだと思いました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大戦略、軍事ドクトリン、バランス・オブ・パワー

2021年12月18日 | 研究活動
「戦略論の名著を挙げよ」と問われたら、みなさんは何にしますか。おそらく、ほとんどすべての人は、クラウゼヴィッツ『戦争論』がそうだと答えるでしょう。確かに、『戦争論』は戦略研究の不朽の古典です。ただし、この著作は、戦略をアート(術)と科学から構成されるものととらえています。『戦争論』から学ぶところは、いうまでもなく多いのですが、戦略を「科学」の視点で一般化する観点からすると、もやもやとしたものが残ります。他方、戦略の成否について、社会科学の組織論を用いて、日本軍の事例から帰納的に明らかにした高著が、『失敗の本質』(中央公論新社〔中公文庫〕、1991年〔初版1984年〕)です。これは、組織の失敗を避ける教訓を得られる知見に富んだ書物として、外交・安全保障関係者のみならず、ビジネスパーソンにも、広く読まれているようです。同じ年に、アメリカでは「戦略」を演繹的な理論を構築して分析した研究書が出版されました。バリー・ポーゼン『軍事ドクトリンの源泉―戦間期のフランス・イギリス、ドイツ―』(コーネル大学出版局、1984年)です。同書において、著者のポーゼン氏(マサチューセッツ工科大学)は、バランス・オブ・パワー理論と組織理論の双方から、第二次世界大戦に突入するフランス、イギリス、ドイツの大戦略や軍事ドクトリンの形成を明らかにしています。同書は、軍事ドクトリンを扱ったものであるにもかかわらず、「政治学」の書籍に分類されています。アメリカにおける政治学の奥深さが伺われます。また、同書は非常に高く評価されており、「1985年度ウッドロー・ウィルソン財団ブック・アワード」ならびに「1985年エドガー・ファーニス国家安全保障ブック・アワード」を受賞しています。



本書でポーゼン氏は、軍事ドクトリンがどのように構築されるのか、それが大戦略において、どのような役割を果たすのかを探求しています。同書は、戦略を成功や失敗という基準では明示的に扱っていませんが、行間からは、戦間期におけるフランス、イギリス、ドイツの大戦略における軍事ドクトリンを規範的に評価しているように読めました。すなわち、フランスの事例は失敗、イギリスの事例は成功、ドイツの事例は成否の中間といった判断です。おそらく、かれの情熱を同書の執筆に向かわせたのは、何が戦略の成否を分けるのかを明らかにしたいとの探求心ではないでしょうか(これは私見に過ぎませんが)。

ポーゼン氏は、「大戦略は政治と軍事、手段と目的の連鎖であり、国家にとって最善の安全保障をもたらす『源泉(sources)』についての国家理論である」といっています(上記書、13ページ)。こうした大戦略の定義から分かるように、かれは大戦略を理論的に捉えています。同書のタイトルにある「軍事ドクトリン」は、「軍事的手段を明示的に扱う大戦略の附属物」と定義されます(上記書、13ページ)。国家にとって「大戦略」は安全保障の上位概念であり、「軍事ドクトリン」は、その下位概念です。そして、大戦略を成功させるために必要なことは、「現状維持国にとって、侵略国が攻撃してくることを思いとどまらせる目的と手段をつなぐこと」ということです。このことは具体的には、政治と軍事の統合を意味します。すなわち、国家の安全保障は、そのために欠くことのできない政治的目的を達成するのに必要な軍事的道具を政治家がうまく扱えるかどうかにかかっている、ということです(上記書、25ページ)。

国家の軍事ドクトリンは、組織理論と国際システム理論から説明されます。組織理論は、軍事組織(軍隊)が攻撃を志向し、組織防衛の観点から外部の干渉を嫌い、イノベーションに抵抗することを説明するものです。軍事組織が攻撃を好むのには、いくつか理由があるのですが、その独立性を保つために、守勢に立たされることを忌避することがあります。受けた攻撃に対抗する手段を即興で講じるのは、「巨大官僚組織」である軍隊が苦手とするところなのです。したがって、近代的な軍事組織は攻撃的ドクトリンを選好します。また、軍事組織は、その標準的作業手続き(SOP)に変更を促す政治の介入を防ごうとします。軍事組織は保守的なのです。同様に、軍事組織は、軍事ドクトリンを革新的に変えることは、既存の作戦行動に不確実性を加味するものなので、これに抵抗しがちです。したがって、政治と軍事を統合する軍事ドクトリンを形成するには、文民の軍事に対する介入が必要不可欠ということになります(上記書、第2章)。

バランス・オブ・パワーは、国家の軍事ドクトリンに影響を与えます。一般的には、国際情勢が平穏な時には、政治家も軍人も組織の論理に従います。すなわち、軍事ドクトリンは既存のものが継続されるということです。他方、国家への脅威が高まると、文民はバランス・オブ・パワーの観点から、軍事組織に注意を向けて介入を試みるようになります。第1に、政治家は「内的バランシング」として、資源を軍事に集中投下しようとします。また、文民の指導者は、「外的バランシング」として、同盟を組める国家を外部に求めようとします。このことは、時として、同盟国に脅威となる台頭国に抵抗することの責任を転嫁する「バック・パッシング」行動を導きます。概して、現状維持国の政治指導者は、こうした防衛的な軍事ドクトリンを選好します。第2に、政治家は国家の安全保障に必要な介入を軍事組織に行います。また、軍隊も組織の自律性を損なうことになっても、外的脅威への恐怖から、文民が軍事に関与することを容認しがちです。こうして国家の軍事ドクトリンは、政治と軍事が統合され、作戦行動のイノベーションが生まれやすくなるのです(上記書、第2・5章)。

ポーゼン氏は、これらの主要命題を主に1940年前後のフランス、イギリス、ドイツの軍事行動の事例により検証しています。第二次世界大戦の緒戦において、ドイツは初期的な「電撃戦(Blitzkrieg)」により、フランスを撃破しました。他方、イギリスは防空システムを強化することにより、ドイツからの航空攻撃に耐えることができました。こうした結果は、各国の戦力を比較しただけでは説明できません。当時、どの大国も他国を圧倒する武力を保持していなかったからです。したがって、戦争の結果は、兵力バランス以外の要因に求めなければなりません。ドイツがフランスを破ったのは、電撃戦という核心的な軍事ドクトリンに起因します。ドイツは陸軍と空軍が協力して、機動的な作戦行動をとりました。こうした軍事ドクトリンの形成には、文民政治家であるヒトラーが大きな役割を果たしました(ただし、ヒトラーにより機会主義的な拡張主義行動は、最終的に、ドイツの大戦略を破たんさせることになります)。他方、フランスは、有名な「マジノ線」を構築して、ドイツの攻撃を防ごうとしました。また、フランスはイギリスの助けを借りて、ベルギーでのドイツとの戦闘を少ない犠牲で主導しようとしました。しかしながら、フランスもイギリスもドイツの侵略を防ぐという「公共財」にただ乗りしようとしました。イギリスは大規模な遠征軍を組織せず、ヨーロッパ大陸への軍事介入は限定的でした。にもかかわらず、フランスはイギリスの軍事支援を頼りにしていたのです。要するに、両国は、互いに「責任転嫁」しようとしたのです。さらには、ベルギーが中立の立場政策をとってしまったので、フランスはベルギーとの有事の軍事協力態勢も構築できませんでした。こうしてフランスはドイツの機動的な軍事攻勢の前に敗れました(上記書、第3・4章)。

イギリスは、ドイツ空軍からの本土空爆に耐え忍びました。このことはイギリスが防空体制を構築できたことによります。イギリス空軍は、1930年代において、敵国に対する攻撃的な戦略爆撃を重視していました。しかしながら、ヨーロッパ大陸におけるドイツの脅威が高まるに従い、イギリスの文民政治家は、空軍に軍事ドクトリンの変更を迫りました。すなわち、イギリスは、ドイツからの爆撃機や戦闘機の襲来を探知するレーダーの開発と配備、これらの空軍機を迎え撃つ戦闘機の拡充を実行したのです(上記書、第3・5章)。なお、イギリス空軍がいつからどの程度、防空を意識して、そのシステムを構築していたのかについては、上記のポーゼン氏の見解に異論がだされています。ジョン・フェリス氏(カルガリー大学)は、第一次世界大戦の経験から、イギリス空軍が指揮統制コミュニケーションとインテリジェンスの洗練された防空システムを構築してきたと指摘しています(John R. Ferris, "Fighter Defense Before Fighter Command: The Evolution of Strategic Air Defense in Great Britain, 1917-1934," Journal of Military History, Vol. 63, No. 4, October 1999, pp. 845-884)。レーダーや戦闘機といった新しい軍事テクノロジーは、こうした既存の効果的な防空システムにうまく収まったということです(Christipher Layne, "Security Studies and the Use of History: Neville Chamberlain's Grand Strategy Revisted," Security Studies, Vo. 17, No. 3, July-September 2008, p. 417)。ドイツがイギリスへの上陸作戦を遂行するには、同国の空軍力を無力しなくてはなりません。しかしながら、イギリス空軍がドイツ空軍の攻撃を成功裏に防御したことにより、ドイツはイギリス侵攻への時機を失してしまいました。

こうした事例研究は、大戦略と軍事ドクトリンの理論構築に深い示唆を与えます。一般的に、軍隊に根づいている組織的要因は統合された大戦略の構築を妨げます。陸・海・空軍は、それそれ自らの役割を最大限発揮しようとするがゆえに、大戦略において、自分たちの優先順位が他の軍種の下位になることを嫌がるからです。これでは大戦略において、有限の軍事資源に優先順位をつける軍事ドクトリンは策定できません。また、軍事組織はイノベーションを忌避しがちです。こうした組織の保守主義は、バランス・オブ・パワーを保つための軍事ドクトリンの形成を妨げます。文民による軍事組織への介入だけが、統合された大戦略の形成ならびに軍事ドクトリンのイノベーションを可能にするということです。フランスの事例では、ドイツの脅威が増大するにつれて、政治家は軍事組織に介入して、防衛的な軍事ドクトリンを採用して実行しました。ただし、フランスはマジノ線を構築したものの、その軍事ドクトリンは分裂しており、イノベーションにも乏しいものでした。この失敗は説明が難しいのですが、ポーゼン氏によれば、フランスは自国の弱さゆえに、政治家も外交官も同盟を求めることに忙殺されてしまい、軍事ドクトリンを吟味するエネルギーをそがれてしまったということです(上記書、234-235ページ)。つまり、フランスは「内的バランシング」でドイツに対抗できるだけの国力がなかったために、「外的バランシング」に頼らざるを得なかったのです。しかし、こうした戦略は、同盟に固有の「責任転嫁」により、失敗に終わりました。

これとは対照的なのがイギリスです。イギリスもフランスと同様に、政治家主導もとで防御的な軍事ドクトリンを採用しました。同時に、イギリスはドイツ空軍の攻撃を防御する革新的な軍事態勢に転換して、同国からの空爆に耐えて本土への侵攻を阻止する政治的目的に戦略を統合しました。こうしてイギリスは国家の安全を保ったのです。他方、ドイツの攻撃的な軍事ドクトリンは、バランス・オブ・パワー理論では十全に説明できません。ドイツがヒトラーの主導により、統合的で革新的な電撃戦の軍事ドクトリンを形成したことは、システム要因が影響していると分析できます。ヴェルサイユ体制下におけるバランス・オブ・パワーの不利を軍事的パワーを強化することで解消することは、ドイツの政治指導者と軍事指導者が望むことでした。他方、ドイツが防衛的ではなく攻撃的な軍事ドクトリンをとったのは、ヒトラーの攻撃を好むパーソナリティーも影響していますが、ドイツが複数の敵国に囲まれている地政学的立ち位置というシステムレベルの要因が強く働いていると考えられます。ドイツは周辺国から一斉に攻め込まれた場合、その安全保障は危機に瀕しますので、敵国を迅速に個別撃破する軍事ドクトリンを強いられているということです。こうしたドイツの軍事態勢は、ビスマルクのプロイセン時代から、ウィルヘルムのドイツ、ナチス・ドイツまで共通しています。

ポーゼン氏は、フランス、イギリス、ドイツの比較事例研究から、軍事ドクトリンの理論について、以下のような結論に達しています。

「わたしの判断では、ドクトリンを研究するには、バランス・オブ・パワー理論が組織理論より、少しより強力なツールだということだ。広い意味で、組織理論は攻撃的で分裂された停滞的な軍事ドクトリンを予測する…しかし、これらの傾向は作戦事項に文民が介入することにより、強い影響力をもって緩和される。本書の事例研究は、文民の介入それ自体、そして、その性質がバランス・オブ・パワー理論で説明しうることを示している」(上記書、239ページ)。

『軍事ドクトリンの源泉』は、国家の大戦略ならびに軍事ドクトリンをシステム・レベルのバランス・オブ・パワー理論から説明する、秀逸な名著だとわたしは思います。戦略研究は、個人レベル(政治指導者や軍事指導者)や国内体制レベルの要因(軍事組織や政軍関係)に目が行きがちです。とらえどころのない可視化の難しいシステム要因が、軍事ドクトリンの形成に与える因果的影響を明らかしたことは、戦略研究を大きく前進させました。ポーゼン氏のこの著作が高く評価されるのは納得です。ただし、バランス・オブ・パワー理論から演繹された軍事ドクトリンの諸命題が、どのくらいの外的妥当性をもつのかを見極めるには、さらなる研究が必要でしょう。たとえば、太平洋戦争の事例における日本の軍事ドクトリンは、バランス・オブ・パワー理論で説明できるでしょうか。ポーゼン氏が提出したロジックによれば、日本の文民政治家はアメリカの脅威が高まるにしたがい、軍事に介入して、国家安全保障と整合する大戦略ならびに軍事ドクトリンを構築すべきだったところです。しかしながら、陸軍と海軍は日米開戦の直前までバラバラであり、文民政治家の軍事組織に対する介入や影響力も限定的でした。「日本帝国」は、統合された革新的な大戦略や軍事ドクトリンを構築できなかったといってよいでしょう。1941年から1942年間だけみれば、日本の「軍事ドクトリン」は作戦レベルや戦術レベルでは成功だったと判断できるかもしれませんが、少なくとも、これは文民の政治家によるものではありません。軍事ドクトリンのバランス・オブ・パワー理論がより広い外的妥当性と適用範囲条件を得るためには、こうした「逸脱事例」による検証を通じた修正が望まれるように思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争終結のバーゲニング理論

2021年12月12日 | 研究活動
戦争研究は、多様なテーマから成り立っています。戦争の原因を究明する研究、紛争の性質と戦争勃発の関係に関する研究、戦争の継続性や列度などを明らかにする研究、政治体制と戦争の関係についての研究など、さまざまです。これらのトピックについては、現在では、かなりの研究の蓄積があります。他方、これまで比較的に看過されてきたのが、戦争終結についての研究です。この分野で先駆的な業績を残したフレッド・イクレ氏がいうように、「全ての戦争は終わらなくてはならない」(Every War Must End, Revised ed., Columbia University Press, 2005〔初版は1971年〕)。にもかかわらず、どのように戦争が終わるのかについて、研究者たちは、あまり注目してきませんでした。戦争原因の研究を網羅したテキストは何冊もありますが、戦争終結の研究を系統的に概説するテキストは、私が知る限り、ありません。このことは、われわれが戦争終結メカニズムの究明より、戦争生起の探求に多くのエネルギーを注いできたことを示唆しています。

戦争が収束する因果プロセスを明らかにすることは、とても重要です。なぜならば、上記のイクレ氏の研究が示すように、始めてしまった戦争を終わらせるのは、たいへんな作業だからです。国家の指導者はしばしば戦争の出口戦略を十分に吟味せずに、武力行使に踏み切ることがあります。不幸にして起こってしまった戦争に終止符を打って平和を回復することは、多くの人たちの望みです。人々が求める戦争終了のしくみを分析する研究は、それ自体に価値があるだけでなく、戦争を終わらせるための政策立案にも貢献できるでしょう。そこで、このブログでは、戦争の終結の理論的、経験的な文献を紹介したいと思います。ダン・ライター氏(エモリー大学)が執筆した『いかに戦争は終わるのか』(Dan Reiter, How Wars End, Princeton University Press, 2009)です。



本書でかれは、戦争のバーゲニング理論を応用して、戦争の終結プロセスを理論化しています。すなわち、「情報」と「コミットメント問題」が、戦争の終わり方に、どのような影響を及ぼしているのかを明らかしているのです。不完全情報下では、交戦国間のバランス・オブ・パワーは、明確には分かりません。こうした情報の不確実性は、交戦国のパワーの配分に応じた取引を妨げる結果、戦争の終結を難しくします。また、戦争終結の「公約(コミットメント)」を定められたとしても、それが必ず守られるとは限りません。一方の交戦国が公約に違反して相手国を再び攻撃した場合、攻められた方は大きな被害を受けます。こうした「コミットメント問題」も、交戦国が戦闘を終わらせることを妨げるのです。戦争において、国家はしばしば相手国に無条件の降伏を求めたり(たとえば、太平洋戦争)、体制転換を追求したりします(たとえば、アメリカのイラク戦争)。こうした国家の行動は、コミットメント問題を克服する究極の手段になります。なぜならば、相手国を完全に打ちのめしてしまえば、また、自国に従順な体制をつくってしまえば、そうした国家は公約を破る力を喪失してしまったり、公約を破ろうとしたりしないので、コミットメント問題は解消するからです。要するに、戦争終結は、情報とコミットメントがカギを握っているということです。

ライター氏は『いかに戦争は終わるのか』において、戦争終結の5つの主要命題を提起しています。第1の命題は、「コミットメントの信ぴょう性は疑われるが、究極的な勝利の望みがあると、ネガティヴな情報(discouraging information)があっても、戦争終結にまつわる要求はより高くなる」です。交戦国は敵国が戦争終結の公約を守らないかもしれないと考える場合、戦況が芳しくなくでも、受け入れられるコストで最終的な勝利を収められると期待すれば、妥協したがらないということです。この仮説は、アメリカの南北戦争において、1862年夏に北部のアメリカ合衆国が妥協しなかった事例、1863年末に南部のアメリカ連合国が交渉しないと決定した事例、1864年夏に北部が交渉しないと決めた事例、1865年初めに南部が妥協を拒んだ事例、1940年5月にイギリスがヒトラーと交渉しない決定をした事例、1942年初めにアメリカが枢軸国に無条件降伏を求めることを公約した事例、1950年8-9月において朝鮮戦争でアメリカが北朝鮮の占領を目指すと決定した事例が例証しています。どの事例においても、交戦国は苦戦していましたが、最終的な戦勝に望みを託して、敵国と妥協しませんでした(上記書、212-213ページ)。

第2の命題は、「コミットメントの信ぴょう性は疑われるが、究極的な勝利の望みがほとんどない場合、ネガティヴな情報を受けて、戦争終結にまつわる要求はより低くなる」です。戦争を継続するコストは、勝利を期待できない国家に重くのしかかるので、たとえ戦後の平和が不安定だとしても、妥協を求めやすいということです。1940年の「冬戦争」と1944年の「継続戦争」で、フィンランドがソ連との戦争を終わらせるために譲歩したのが、この事例です。フィンランドは、ソ連が同国を併合するのではないかと懸念しており、また同国の中立宣言を無視して複数の都市を空爆してきたソ連を信用していませんでした。しかし、フィンランドはソ連に勝利できるとは考えておらず、カレリア州と南部沿岸の軍港をソ連に譲らざるを得ませんでした。1941年夏にモスクワ陥落寸前まで追い詰められたソ連が、ナチス・ドイツに譲歩をもちかけようとしたのも、この事例に含まれます。1945年8月の日本の降伏もそうです。日本はアメリカに一撃を与えられる望みを失った時点で、ほぼ無条件に近い降伏を受け入れたのです(上記書、213-214ページ)。

第3の命題は、「コミットメントの信ぴょう性は疑われるが、戦争の継続には、とてつもなく高いコストをともなう場合、ネガティヴな情報は戦争終結にまつわる要求をより低くする」です。朝鮮戦争において、1951年初め頃、アメリカは参戦した中国に苦戦を強いられて、北朝鮮の征服を放棄しました。中国との戦争のコストの高さが、アメリカに朝鮮半島の統一をあきらめさせたのです。この命題は、太平洋戦争における日本の降伏にもあてはまります。「広島・長崎への原子爆弾の投下は、米兵を犠牲にするリスクなくして、1発の爆弾で何万人もの死傷を強いるアメリカの能力を示威した。日本文明が消滅する将来像は、東京の指導層にとって、耐えるにはあまりに重すぎた」(上記書、215ページ)のです(なお、このブログ記事では、原爆投下とソ連参戦のどちらが日本の降伏を促したかという「歴史論争」にはふれません)。

第4の命題は、「ポジティヴな情報(encouraging information)は、戦争終結の要求を吊り上げる」です。1940年と1944年において、ソ連はフィンランドとの戦争でにおいて、軍事的な優勢を確保した結果、フィンランドに高い要求をつきつけました。ただし、ソ連は1940年にはイギリスとフランスの介入を警戒して、また、1944年にはナチス・ドイツへの攻撃に集中するために、フィンランドとの戦争を迅速に終わらせました。第5の命題は、「自然にまつわる財がコミットメント問題に影響する場合がある」です。「冬戦争」と「継続戦争」において、ソ連はフィンランドの領土の一部を獲得することにより、レニングラードの防衛態勢を強化できました。第一次世界大戦において、ドイツがベルギーの支配にこだわったのは、将来にイギリスやフランスから攻撃される可能性を低めるためでした。1864年夏に、戦況が芳しくなかったにもかかわらず、北部のアメリカ合衆国が「奴隷解放」を後退させなかったのは、そうしてしまうと黒人による北部軍の支持は損なわれ、同軍の軍事力の低下を導きかねないからでした。このように重要な領土の確保や軍事的アセットといった財は、コミットメント問題にかかわるのです(上記書、216-2017ページ)。

ライター氏の戦争終結研究で印象的なのは、情報の不確実性やコミットメント問題を克服するために、国家は敵国に対して「絶対勝利」をしばしば追求してきたことです。「戦争を遂行する上で、国家は相手国を抹殺すること、あるいは少なくとも相手国に選択の余地を与えなくすることにより、容赦のなく公約不履行の問題を解決できる」(上記書、223ページ)ということです。太平洋戦争における連合国の日本に対する「無条件降伏」の要求は、このコミットメント問題の文脈で理解できます。それでは、こうした残忍な戦争の終わらせ方は、政策として追求すべき選択なのでしょうか。ライター氏は、そうではないといいます。かれによれば、対外政策として絶対戦争を追求することには、2つの大きな問題があります。1つは、絶対戦争には非常に高いコストがかかることです。アメリカのイラクの体制転換を試みた戦争は、高い代償をともないました。もう1つは、こうした戦争の利得は誇張されていることです。たとえば、大量破壊兵器による攻撃を抑止することは、成功の見込みが高い選択肢です。アメリカはソ連や中国の核武装化を阻止する軍事オプションを検討しましたが、そうせずに抑止戦略をとり、核兵器の脅威から自国を守ってきたのです。かれの結論はこうです。「コミットメント問題を克服するための戦争は万能薬ではなかったし、これからもそうであろう…外交や抑止といった他の対外政策のツールの方が、よりコストが低く、より効果的なものになり得る」(上記書、230ページ)。

『どのように戦争は終わるのか』は、政治学のバーゲニング理論を用いて、戦争終結のメカニズムを解明する、画期的な研究成果だと思います。戦争は、当事国間の勝敗が明らかになっても、なかなか終わらずに、「無益で」甚大なコストを生み出すことがあります。なぜ勝敗が決した戦争が、ずるずると続いてしまうのか。こうしたパズルは「コミットメント問題」の観点から、上手く解くことができるでしょう。なお、同書の内容については、H-Diplo/ISSF Roundtable が「書評フォーラム」を実施しています。Political Psychology誌も、書評を掲載しています。興味のある方は、参考になさってみてはいかがでしょうか。

わたしは、ライター氏が提示した命題にある「究極的な勝敗の期待」の原因は何になるのかについて、疑問がわきました。アナーキー(無政府状態)は不確実性を極端に高めます。国際政治において国家の意思を知ることは、不可能とはいわないまでも著しく困難です。政策立案者が、究極的には勝利できると期待するか、それとも敗北は必至と諦念するかは、何によって決まるのでしょうか。たとえば、1940年5月時点で、イギリスのチャーチル首相は、ヒトラーと交渉するかどうか悩んだ末、徹底抗戦を決意しました。ここで興味深い「反実仮想」を提起してみましょう。もしイギリスの首相がハリファックス卿であったとしても、イギリスはドイツへの徹底抗戦を貫いたのかということです。おそらく、イギリスはドイツとの早期講和に動いたのではないでしょうか。そうだとするならば、指導者個人が戦争の終結を左右することになります。しかしながら、われわれは他国の指導者が、本心で何を考えているかを知ることはできません。ライター氏の主要な命題は、トートロジーに陥る可能性があります。

そもそも、合理的選択理論やゲーム理論で中核概念として用いられる「効用や主観的蓋然性は可視的には直接観察ができない」(Bruce Bueno de Mesquita, "War and Rationality," in Manus I. Midlarshy, ed., Handbook of War Studies Ⅲ, The University of Michigan Press, 2009, p. 27)ものです。そこで、効用や期待、選好がどのように形成されるのかを明らかにすることが求められます。「政治心理学」は、こうした作業にとって必要不可欠です。上記のチャーチル首相の決断は、かれの「感情」抜きには語れないでしょう。ただし、チャーチルは、正しい判断を間違った理由により行ったといわれています(Robert Jervis, How Statemen Think: The Psychology of International Politics, Princeton University Press, 2017, pp. 156-157)。チャーチル首相の決断は、偶然の正しさだったのでしょうか。これは一般化できない「特異なケース」なのでしょうか。こうした複雑な事例は、記述することはできますが、理論的に説明するのは、とても難しいでしょう。いずれにせよ、政策決定者の勝利への期待(主観的蓋然性)を左右する心理的な属性や物質的な条件を特定することは、戦争終結研究に残された、今後の課題だと思います。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする